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「失礼しまーす…」
社会科教員室には香山先生と、クラスメイトの男子がふたりいた。受験情報誌を囲んでいる。
「お、菊池。どうした?」
「わたしもその本見せてほしいんですけど…」
先生はいすの背に深くもたれ、小首をかしげながら柔らかく笑った。
「そうか。聞きたいこととかあるか?」
「あ、じゃあオレたちはこれで」
「ありがとうございました」
「ん、小論対策も考えとけよ」
ふたりはわたしに気を使ってくれたみたい。
「菊池、バイバイ」
「ありがとう、また明日」
「じゃあなー」
わたしたちの軽いあいさつを、先生は弥勒菩薩のように穏やかな表情で眺めている。目を半分伏せて、コーヒーを2杯入れた。
「ほれ、飲むか?」
「……はい」
先生の髪が夕日に透ける。
「三者面談の後どうだ? ご家族とか」
「母は相変わらずです。父は何も言わないし」
「そうか」
ここ数日のモヤモヤを香山先生に聞いてもらいたいと思ってたけど、どう切り出していいかが分からない。先生は先生なのだから、生徒の進路相談とかメンタル面のサポートとかもするわけで、話してみていけないということはない。みんなと自分を比べたって、焦って答えを出そうとしたって、仕方ないということは分かってる。それなのに。
「例のやつ、最近新しいの読んでないだろ?」
先生が書いているオリジナル小説「Tiny Little Soldiers ~T.L.S.~」のことだ。教員室には他の先生もいるので、タイトルとかは出さずに話す。そういえば8巻まで読んで、その続きを見せてもらっていなかった。
「明日の放課後またおいで。持ってくるから」
「はい、ありがとうございます」
突然すぎて何がしたいのか分からない。わたしを元気づけてくれてるのかな。
「悪いけど菊池、今日は早めにバド部行かないとマズいから、明日ゆっくり話そう」
「分かりました」
「すまんな」
翌日社会科教員室を訪ねると、「ホント悪い! 職員会議が急に入った」とメモを貼った封筒が先生の机にあり、中にいつもの「T.L.S.」が入っていた。今回は1冊だけ、番外編だ。10分ぐらい教員室で待っていたけど来そうにないし、今日は部活があるから先生に会うのはあきらめた。話聞いてほしかったんだけどな。
うちの書道部は大会とかは出ずに出展するばかりだけど、もうすぐ最後の〆切りだ。それを完成させて、書道部は引退。片付けが長引いて、少し遅くなってしまった。それでもこの時期が一番日が長いだけあって、19時を回っているけど西の空がうっすら明るい。
「あ、美紗先輩だ。今帰り?」
ラグビー部の人と別れようとしている黒岩くんに出くわした。
「うん」
「そこまで一緒に行こう?」
「ラグビー部のみんなは?」
「みんな塾とかだって」
「そう」
黒岩くんはこの間の進路調査、どうしたかな。
「先輩、最近元気ないッスね」
少し黙っていたら、黒岩くんの方が話の口火を切ってきた。
「そうかな、部活いつもより忙しいし、疲れたまってるかも」
「部活引退したら、みんな受験に本腰入れてきますよねー」
「……。そうだね」
「そうだ、こないだ聞きそびれた。先輩は受験どうすんスか?」
「まだ、……、決めてなくって…」
胃の腑が重い。言葉が出ない。
「先輩、大丈夫ッスか?」
「……ゴメン、なんか、なんかね、不安でさ。みんな決まってて」
心配そうにわたしの顔をのぞきこむ黒岩くんをパッを見上げる。明るく笑えているだろうか。
「美紗先輩も不安で元気なくなったりするんスね」
「するよー、わたしを何だと思ってるの?」
「でも、美紗先輩だけじゃなくってタカさんも優先輩も、みんなすげーじゃん。まぁ、その話はいいや、今は。でも確かに不安ッスね、どこ受けようとか決まってなかったら。オレも…、どうしよう……。美紗先輩は文学部とか受けるんスよね」
「たぶんね。無難に史学科があるとこかな」
「でも勉強したいことあるんスねぇ……」
「黒岩くんは? だいたい成績いいんでしょ?」
「まぁねー…」
サラッと言ってのける黒岩くんの言葉が少し悔しくて、道端の小石をコツンとけって収穫直後のキャベツ畑に落としたら、驚いたモンシロチョウが3羽ほど羽ばたいた。わたしもたまに数学が平均点割る程度でキープしてるけど、簡単に言われちゃ悔しいじゃない。
「でもオレ、マジでやりたいことないんスよ。勉強すること自体はわりと好きだから頑張るけど」
「そうなんだ」
「どっか大学行けるだろうけど、入るのが目的になっちゃうのももったいないじゃん。やりたい分野だけでもそろそろ目星つけなきゃなぁ……。焦りますね、やっぱね」
「……」
「担任、香山先生でしたっけ? 結構真剣に考えてくれそうだなー」
どうだか。進路相談したいのに突然「T.L.S.」貸してくるもんな。何考えてんのか分かんない。でもこんなことだれにもグチれない。指導熱心で弁舌さわやかな香山先生がオリジナル小説書いて同人誌作ってるなんてトップシークレットだ。
「じゃ、わたし電車だから」
「明日定例会議ですよね」
「うん。また明日ね」
「バイバイ、美紗先輩。気をつけて」
「ありがとう。黒岩くんも」
黒岩くんも悩んでるんだ。でも黒岩くんはいつも元気で明るい。
将来どうするって聞かれても皆目見当がつかない。大胆に生きたい。誠実に生きたい。陽気に生きたい。自分をどう生かしたら、そう生きられるだろう。
「ただいまー……」
この時間には珍しく、家にはだれもいなかった。スマホを見てみたらお母さんからメールが来てた。「本庄のおばあちゃんがねんざしたみたいだから、様子見に行ってきます。多分泊まると思うから、また連絡します。冷蔵庫にタラのピカタとかぼちゃのサラダがあるからチンして食べてね。お父さんは今日遅くなるそうです」。お母さんに返信して、弟が部活から帰ってくるのを待つことにした。
麦茶を手に、明日の英単語テストの勉強をする。わたしは勉強中はスマホでラジオを聞く派だ。ひと通り覚えて、先週のテストの分も含めて復習。まだ帰ってこない。中学の部活もこの時期が最後だからもう少し遅いかも。
スクールバッグに単語帳を戻すと、今日香山先生の机から拝借した「T.L.S.」が目に入った。どうしてこのタイミングでこれを貸してくれたんだろう? 表紙は普段と一風変わっていて、40代ごろの男性を中心に、周りにいつもの「T.L.S.」の面々がいる。「番外編」とあるその本のページをめくると、その男性は主人公のヤスヒコやヒナの上官であり一般教養の教育をするハヤアキだと分かった。この番外編はハヤアキの過去をつづっているわけだ。
話は20数年前。少年部隊から順調に出世したハヤアキは、幹部候補としてどのような方向に進むかを決める時期だった。前線で戦闘に立ち向かうか、学習を続け参謀を目指すか、少年・青年部隊の指導にあたるか。わたしと同じような状況にあるのだと感じて、香山先生の意図が透けて見えた。
「だれもいねぇのー?」
「あ、ごめん。お帰り」
「なんだ、姉ちゃんいたの」
ラジオを聞いていて弟が帰ってきたのに気がつかなかった。
「お母さん本庄だって?」
「うん、ご飯作ってってくれたから温めるね。手洗ってきな」
「んー」
ご飯を食べて、お風呂から出たらちょうどお母さんから電話がかかってきた。やっぱり今日はおばあちゃんちに泊まると言ってる。弟は部屋でマンガ読んでるか勉強してるかだし、お父さんは多分23時ごろまで帰らない。またラジオを聞きながら「T.L.S.」を読むことにした。今度はイヤホンは外そう。
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同期の仲間のほとんどが青年部隊に残り、武勲を立てて幹部を目指すが、どの地域を担当する師団に配属されるかは分からない。予定通り、明日からは高等青年部隊および総軍本部所属の各部署の説明会が始まる。
中等青年部隊最後の一般教養の講義は心理学であった。この大講義室も、教官を交えて延々と続いた議論も、休憩中の他愛もない会話も、今日で最後だ。感傷に浸るのはらしくないが、少年部隊からの付き合いの者も多く、ハヤアキは別れを意識しないよう、これからのことを明るく語らいたいと考えていた。
「イヅミ、お前はこれからのこと考えてるのか?」
「そりゃ部隊に残るよ」
「またどうして? お前歴史学も科学全般も優秀じゃないか。参謀目指せるぜ、もったいない」
「よせよ、中枢はもめ事が多いだろ。ハヤアキも残るんだろ?」
「そのつもりだけど……」
ハヤアキは仲間たちが容易な判断で行く末を決めていることに納得できなかった。
(そんなに簡単に決めていいのか……? 自分を生かすも殺すも、自分の考えひとつだ。自分や家族の人生だけじゃない。この日本総軍はおろか、地球連合軍の未来を左右するんだ。たかがひとりの戦闘員と思っちゃいけない)
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ドキリとした。自分が何に悩んでいるかを見られているような気がした。今夜はお母さんがいないから、家中が静まりかえっている。そのまま香山先生の本に引き込まれていった。




