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衣替えから早10日。じっとりした廊下の空気が身体と心にまとわりつく。気分が重いのは、梅雨入りだけが理由じゃない。

「次、菊池さん。どうぞ」

「失礼します」

「先生、ご無沙汰しております」

「どうぞ、おふたりともおかけください」

お母さんを呼んでの3者面談の日が来てしまったからだ。中間テストの結果はまずまずだけど、全国模試は伸び悩んでる。今日は本格的に志望校を絞りにかかるんだろうな。3年生になって隔週ぐらいで何かの模試がある。

「菊池さんは今の調子をキープできれば、国公立も狙えると思いますよ。S大とか」

担任の香山拓朗先生とお母さんはわたしを半ば無視して話を進めている。

「そうですか、ありがとうございます」

何がありがたいのかサッパリだ。

「先生、私立はどうでしょうか。いくつか併願させようとは思っておりますが」

「国語と世界史が強いから、そうですね、M大、K大…。菊池さん、志望校は判定の出てるこの3つから変わってないのかな?」

普段わたしを「お前」呼ばわりする香山先生から「菊池さん」なんて呼ばれて、一瞬自分への問いかけだと分からなかった。どんな返答をしたって、ランクを上げるように言われるのは分かってる。

「……わたしはまだ将来とか決めてないんで…」

お母さんはあきれ顔だ。

「でも美紗、もう6月なんだからある程度は決めないと」

それも分かってる。私立の入試は学校によってクセがあるし、国公立を本命にするならセンター対策と二次対策と私立対策とをいっぺんに考えなきゃならない。お兄ちゃんが去年受験したときはだいぶのんびりだったから、お母さんは焦ってるんだろうな。

「香山先生、あの、先生は志望校とかどうやって決めたんですか?」

「僕はねぇ、忘れちゃったけど…」

僕? やっぱ保護者の前だと猫かぶってるなぁ。

「とにかく菊池さんも興味のある分野はあるだろう? それを生かして最大限のチャレンジができるよう、一緒に考えよう。な?」

らちが明かない。先生はこの場でわたしの本音を聞き出すつもりがないらしい。

「ハイ、頑張ります」

そうとしか答えようがない。お母さんは先生にも聞こえる勢いで大きくため息をついた。



今日は部活のあとクラスメイトの菜摘と、駅の向こう側にできたワッフル屋さんに行く約束をしてた。うちの学校の子もちらほらいる。

「ミサミサ、3者面談今日だったんだ」

「うん。なんか意味分かんなかった」

早くもひとつ目を平らげ、ふたつ目はゆっくり味わう。卵をたっぷり使っていて、甘さ控えめながらも贅沢な風味が口いっぱいに広がる。

「先生とお母さんばっかりしゃべってて、ランクとか模試とかばっかで、わたしの将来がどうとか全然ないの」

「あたしも明後日だからなぁ、先生の前でお母さんとケンカしそう」

「そんな気すら起きなかったよ、わたし」

カフェオレを静かに置きながら、菜摘は足元を見つめた。

「ミサミサはさ、将来どうすんの?」

やっぱ来るよね、その質問。

「……まだ決まってないんだよね」

「そっか」

胃に落ちていくカモミール・ティーのぬるい感覚が、自分のものではないかのように遠くに感じる。

「漢文とか中国史とか好きだけど、だから何って感じ。大学はそっち方面探せばいくらでも見つかると思うけど、将来役に立つかって考えると、なんかちょっとね」

「難しいねー」

「菜摘は? なんか考えてんの?」

菜摘はワッフルの最後のひと口を飲みこんで、再び目を伏せた。

「あたしさ、PAいいなってずっと思ってて」

「PA?」

「ライブとかで音響の機械いじる人」

菜摘は軽音楽部でキーボード弾いてて、よくライブに行ったり、自分でも出てる。フェスに誘ってくれて一緒に行ったこともあった。

「へー…、演奏側じゃなくて?」

「うん。あたしよりうまい人はいくらでもいるじゃん。自分で楽器やるのもいいけどさ、いろんなジャンルの音楽が聴けて、国とか無名だとか関係なくさ、いい音楽世界中から発掘して披露しあって聴けるライブハウスやりたいんだ」

驚いた。菜摘がそんなに真剣に自分の将来を考えてるなんて。

「ホント、夢物語だけどね」

少し照れた菜摘の頬が、イキイキと赤らんでる。気後れして言葉が出てこない。

「じゃ…、じゃあ、菜摘は専門にするの?」

「ううん、大学。英語と経営学できるとこにする。どこの国にバンド探しに行くか分かんないから」

菜摘はそこまで考えてるんだ。どうしようって思うのもおかしいけど、でも、どうしよう。

「バンド続けつつPAの勉強もしないとダメだし、ギターもできた方が良さそうだから受験終わったらやりたいし、第二外国語は迷ってて……」

菜摘は壮大な夢を語り続けてたけど、わたしは途中から聞いていなかった。わたしを置いてけぼりにして話を進める香山先生とお母さんの姿が、目の奥から消えずにいた。



翌日木曜日、生徒会室のドアを開けると、黒岩くんしかいなかった。

「ちーっす、美紗先輩」

「お疲れさま。優たちは?」

「ふたりとも部活に顔出すみたい」

「何書いてんの?」

黒岩くんは机のプリントを慌てて隠した。

「見ないでくださいよ、進路調査なんだから」

チクリ、と胸の奥が痛む。

「ふーん…」

「ねぇ、美紗先輩は受験どうすんスか?」

ツッコまれないように素っ気なく答えたのに、黒岩くんは空気を読んでくれなかった。

「まだ決めてなくって…」

「おっ疲れー! みんなそろってる?」

テニス部のユニフォーム姿の優が勢いよく入ってきた。優に話題を振ろう。

「あ、ねぇ、優は受験どうすんの?」

「あたし? どしたの、急に」

「今オレ進路調査のプリント書いてたんス」

大股でわたしと黒岩くんの間に割り込んだ優から、今日の議題のメモを受けとった。そのまま優は黒岩くんを見ながら、ドカッと定位置に座る。わたしは背を向けて黒板に議題を書いた。

「まだどこ受けるかは決めきれてないけど」

「どっち方面なんスか?」

「んー、一昨年お父さんが事故って入院したときに、作業療法士いいなって」

そうだったんだ。優は3年になるとき文転したけど、そういうことなら受験科目を絞りはじめてるんだな。案外手堅い。

早瀬くんは前から「地震と津波の研究する」って言ってて、うちの学校では地学やらないことが誤算だったらしく、「ヤベー」と言いながらコツコツ独学で勉強してる。

「えー、マジどうしよう。とりあえず理系にしたけど、なんも考えてねーよー」

「そんなまだ2年になったばっかじゃん。あたしもお父さんの事故があったからだし、彬もなんかキッカケあるって」

わたしは黒岩くんにアドバイスするどころか、一緒に頭抱えてしまいそうだ。「どうしよう」なんて言ってる時期じゃないのに。

「悪ぃ、遅くなって」

早瀬くん。県大会が始まり、剣道部はますます日々の稽古に真剣に取り組んでいて、早瀬くんたちの顔つきは精悍さを増している。それでも早瀬くんは成績をキープし、この間マネさんに言ってた通り、中間でも学年で10位に入ってた。

「よーし、じゃあ定例会議始めよっか。美紗、今日の議題は?」

「はい、まずは弁論大会のテーマについて…」

それなりの成績で、文学部か何か受けて、多分どっかには受かるとして、将来どうなるの? みんな着々と考えてるみたいだし、お母さんは「早く決めて準備始めなさい」しか言わないし、この胸につかえた鉛のようなモヤモヤをどうしたらいいのだろう。

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