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山の呼ぶ声  作者:
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 ※ ※ ※


 夏穂ちゃんはとっても真面目で素敵な子だよ。

美佳はこの言葉を他人から聞く度、心の中で毒づいた。

どこが素敵なのよ。ただの根暗じゃない。私の方が断然、何でも出来て明るくて、魅力があるわ。

夏穂にばかり構うクラスメイトが鬱陶しく、まるで美佳を我儘で高飛車なお姫様のように扱う周りが嫌だった。

美佳だって、頼りにされたり、尊敬されたりしたかった。誰かの憧れの的になったりしたかった。夏穂のように、勉強が出来て謙虚で、頼りになる存在として見られたかった。

しかし、現実は全然違った。

美佳は馬鹿で、偉そうで威張ってばかりのお姫様。

陰でそう言われているのは知っていた。特に中学校になってからは、何かにつけて上級生から苛められた。生意気だとトイレに呼び出されたり、物を隠されたり。

そんな惨めな自分を見られたくない。

美佳は夏穂と距離を取り、関わろうとしなくなった。

相変わらず、夏穂は中学校でも優秀で賢く謙虚だと評判で、男子生徒からも物静かで華奢な文学少女だと何かと人気があった。

噂で聞く夏穂は、美佳よりも輝いていた。

小学校でも、中学校でも、美佳は馬鹿にされ続けてきた。

夏穂と比較され、両親にも「お隣の夏穂ちゃんはあんなにいい子なのに……うちの子ときたら……」と言われ続けた。

憎かった。夏穂も――彼女と親しくなっていくあの冬樹も。

冬樹が転校してきてから、夏穂の一番は美佳ではなくなった。

まるで金魚の糞のように美佳に付き従っていた夏穂が、離れていった。冬樹と楽しそうに本を読み、談笑しているのを図書室でよく見かけた。

美佳が相手の時は、俯きがちで気を遣っているような表情ばかり浮かべていたのに、冬樹と一緒に居る時は心の底から楽しそうにしていた夏穂。

それに気づいてからは、一層夏穂と冬樹の二人に妬みと憎しみが募っていった。

嫉妬と憎悪に塗れていた小中学校時代。美佳が一番思い出したくない記憶ばかりが残る。

すべてをなかったことにしてしまいたい。

そう切望して、美佳は夏穂も真吾もいない高校に進学した。

高校に入ってからは、美佳にとっては幸せな日々が続いた。

ここには、美佳をお姫さまと言って馬鹿にする生徒はいない。田舎者だと思われたくなくて、必死に頑張ったお洒落と流行を追う努力が実を結び、美佳は同世代の女子生徒の中心になっていた。

誰もが美佳を尊敬している。美佳と同じ女子のグループだと自慢している子もいる。男子生徒からも評判がよく、過去の記憶など薄れてしまうほど、美佳の日常は順風満帆だった。

彼氏も出来た。友達も大勢出来た。馬鹿にされる要素はなにもない。

それなのに――その日常が突然脅かされることになるなんて。

「これってぇ、あんたのことなの美佳ぁ」

「……こんなの、どこで見つけたの」

 彼女の幸せに水を差したのは、以前から何かと美佳に突っかかっていた女子生徒だった。

女子生徒のグループは沢山ある。美佳のグループが一番大きかったけれど、次に勢いがあるグループの、彼女は中心人物だった。

彼女が持っていたのは一枚の新聞記事。

『辺鄙な村での神隠し!』

 ご丁寧に小学校の写真までつけて、その記事はとある田舎で起きた行方不明事件を取り上げていた。行方不明になった女子生徒の名前も、その場に居合わせた三人の生徒の名前も、晒されている。昔の、しかも地方紙にとってはプライバシーも何もない。美佳の名前もしっかりとその記事には載っていた

目の前が、暗くなる。握った拳は震え、恐怖のどん底まで突き落とされた。

あんたがこんな、田舎育ちだったなんてねぇ。

――これを知ったら、みんなどう思うかなぁ。

――返事は次でいいよ。待ってるからね、美佳。

心底馬鹿にしたような顔で、彼女は笑った。

美佳を田舎者だと決めつけて、嘲った。

些細な噂でも、学校という閉鎖空間では瞬時に広まってしまう。

どんな噂であれ、普通と違う――自分たちと違う――異質を、グループは嫌う。些末で下らない噂だったとしても、美佳に対するグループ内の印象が変化してしまうことになる。

今までと違う異端者を見るような目で、美佳は見られてしまうのだ……。

それは許せない事態だった。由々しきことだった。今までの幸福で安定した生活が脅かされるなんて、あってはならないことだった。

なんとかしなければ――。

それから、美佳はあの女子生徒をどうやって黙らせるのかということで頭が一杯になってしまった。

バラされたくない。ずっと、このままの関係で卒業したい。

思いつめた美佳が、小学校の頃のおまじないを思い出すまで、そう時間はかからなかった。

そうだ、あのおまじないなら……。

効き目は自身で体験済みだ。あの学校に行って、おまじないであの女を黙らせるように願ってみたら?

あの村に住んでいる親せきから、小学校が今度廃校になると聞いていた。村も住む人が少なくなって、見咎める者もいない。

行くなら今しかない――あの校舎が取り壊されてしまう前に、おまじないをやってしまわなければ。

美佳の手は自然と、携帯電話に伸びていた。

おまじないをするのに、一人では人数が足りない。

誘う相手は決まっている。何も知らず、経験したことがない人間など誘っても、子供だましだと鼻で笑われるだけだ。誘うならば、あの二人しかいない……。

アドレス帳から、二人の連絡先を呼び出す。まずは、彼から誘ってみよう。そして、次は彼女を――。

罪悪感と過去の記憶が美佳の脳裡にちらつく。

また、あの辛い記憶と向き合わなければならないのか……。

しかし、美佳はそんなことよりも、今の生活を守ることの方が大事だった。

過去の罪を思うより、今の人生の方が、大事だったのだ――。


例え、また誰かが犠牲になろうとも。



美佳は突然浮上した意識の中で、自分がどこにいるのか必死に探っていた。

光ひとつない、真っ暗闇。一歩先も、目先だって見えない暗闇に、息が詰まる。恐ろしい気持ちが段々と高まって、動くことさえできない。動けば、先にある何かに気付いてしまいそうで……とても、怖くて仕方ない。

さっきまで、美佳は図工室でおまじないをしていた筈なのだ。それが、気づけばよくわからない暗闇に一人で立っていて、辺りに人の気配は微塵もない。目の前に手を突き出してみても、空っぽな空間をただ撫でるだけだった。

真吾と夏穂はどこへ行ったのだろう。

美佳を置いて、どこに行ってしまったのか。

歩き出すのが怖い。周りに何があるかまったく見えない空間を移動することが、たまらなく不安だった。

こんな暗闇、果たしてこの校舎に存在しているのだろうか?

と、突然美佳の背後で、くすくすと笑う少女の声がした。

幼い、小学生くらいの、可愛い声――。

ゾッと背筋を悪寒が這いのぼる。何者かわからない恐怖ではなく、それは記憶に焼き付いて忘れられない声だと気づいた恐怖だった。

「ふ、冬ちゃん……?」

 紛れもなく、背後に立つのは冬樹だ――。

忘れようにも、忘れられない彼女の無邪気な笑い声がまだ聞こえている。意識に刻み込まれて消えない、その声。

夏穂と冬樹が憎かった。

二人が消えてしまえばいいと、思った。

でも願ったのは――美佳が願ったのは、二人の消失ではなく、一人の消失だった。

「ねぇ、どうして私を消したの美佳ちゃん」

 呼吸が苦しい。動悸が速く、忙しない。

どうして? そんなの、決まっている。

冬樹がいなくなれば、きっと夏穂が美佳だけを慕って、また後ろに付き従ってくれると思ったからだ。

あの頃の優越感を、再び味わえると思ったからだった。

おまじないの時、美佳だけが確信を持って負の望みを願った。

真吾は信じていなかったのだろう、あの願いが叶った途端、恐怖でパニックになっていた。

『冬ちゃんがいなくなりますように――』

 そう何の疑問も罪悪感もなく、純粋な憎悪と嫉妬だけで願った。

美佳の願いは見事叶えられ、冬樹はいなくなった。しかし、夏穂は美佳の元には帰らず、虚しい感情だけが残った。

「因果応報って言葉、知ってる? 美佳ちゃんも、結局は私と同じだね」

 感情の読み取れない冬樹の声が、背後から美佳にそう言った。

怖い。怖い、怖い、怖い――!

目尻から、涙が零れた。薄々感じてはいたけれど、美佳は冬樹と同じ所に来てしまったのだと……実感した。

二人に裏切られた。その思いが洪水のように押し寄せてくる。同時に、絶望感で美佳の心は塗り潰された。

美佳の曇った視界に、突然光がぼんやりと映った。それは段々と増えていき、蛍の光のように点滅しながら近づいてくる。

何だ、あれは――。

麻痺した思考の中で、それでも視界は正確に光の正体を網膜に焼き付ける。

「あ、あああ――」

 咽喉が引き攣り、上手く悲鳴が出なかった。

美佳の目の前には、沢山の子どもの双眸が……白く輝く夥しい白目が浮かんでいた。みんながりがりに痩せている。頬骨が浮き出て、腕は枯れ木のように細く、少し蹴っただけで折れてしまいそうだった。まるで、あのおまじないの昔話の、山に捨てられた孤児のような……。

「ひもじい、ひもじいお姉ちゃん……ひもじいよ……」

 がらがらに割れた声で、子どもたちは囁く。

 助けて、助けてと叫び続けた彼らの声は子どもの無邪気さなど欠片もなく、爛れて図太く渇いていた。

 美佳に向かって、その小枝のような腕を伸ばしてくる。何人いるのか、見渡してもわからない。ぞろぞろと伸ばされる無数の腕が、まるで蜘蛛の脚のように美佳の身体に触れる。

余りの恐怖に絶叫は咽喉で潰れ、暴れたいのに身体は動かない。滅茶苦茶に手足をばたつかせて、泥に塗れた腕を振り払いたいのに、両腕がまるで鉛のようで――。

その時になって、美佳はようやく自分の両腕が後ろからがっちり押さえつけられているのに気づく。万力のような力で締め付けられて、梃子でも動かない。辛うじて動かした視界に映ったのは、にゅっと後ろから伸びた華奢な青白い腕だった。

冬樹が、美佳を動けなくしている――。

どうして……なんて、考えるまでもない。彼女は確実に、美佳を恨んでいる筈なのだ。

「冬ちゃん……冬ちゃん……!」

「一緒に行こうよ。もう美佳ちゃんに帰る場所なんてないよ? 友達に、戻ろうよ――」

 美佳の視界に、光が溢れる。前方を見遣れば、痩せた子どもたちの後ろに鬱蒼と茂る緑が――左右を見ても、まったく人の手が加わっていない山の光景が、広がっていた。

もしかしなくとも、美佳は妙見山の奥底にいた。緑の匂いが一度にむっと鼻腔に侵入する。湿った空気と一緒に、なんともいえない悪臭が美佳の鼻を突いた。

腐臭だ――これは、この場所全体から漂ってくる臭いだ。

両腕を押さえていた圧迫感が消える。かわりに、彼女の腕の感触が段々と美佳の身体を上へ上へ這い登る。

そしてその手は、美佳の首にゆっくりと巻き付いて……

「これでずっと一緒だね、美佳ちゃん」

 ゾッとするほど冷めた声で、冬樹が囁いた。

ぼきり、自分の首が不気味な音を立ててへし折れた。

その音を聞いた瞬間――美佳の意識は恐怖と共に永遠に闇へと落ちた。




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