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山の呼ぶ声  作者:
3/7



  ※ ※ ※


「かほりんてさーほんと変わってないよねー。今日のことで電話したとき、懐かしかったもんねー。抜けてるっていうか、馬鹿っぽいっていうか……」

 馬鹿っぽいのはお前だ! という一言を、真吾は寸での所で飲み込む。

三階へと至る階段を上りきった途端、美佳の夏穂への不平不満(と言う名の悪態)が爆発した。

昔から、何かと真吾は美佳のクラスメイトに対する陰口に付き合わされてきた。人当りがよく、滅多に他人の陰口など叩かない真吾は、それに合わせて口が堅かった。そこにつけ込んだ美佳は、真吾にずっと負の感情を吐き出してきた。特に、幼馴染で家が隣同士だった夏穂への陰口は、耳にたこができそうなほどだ。

真吾と美佳の関係は、中学を卒業して違う高校へ進学した後も続いていた。

顔も名前も知らない相手の陰口は、まあ、聞いていても何も感じない。聞き流せる。これはいつもの嵐なんだと――じっと我慢していれば、いずれおさまり消えていく。

しかし、知人への罵詈雑言は身にこたえる。美佳のてかてかと口紅の光る唇から発せられる夏穂への言葉は、真吾に向けられたものではないのに、心臓に痛みを訴える。針でちくちく、断続的に刺されているようだ。

目の前の廊下は、二階よりも薄暗かった。

すぐ近くに、音楽室の扉がある。その次が理科室で、最後に図工室が並んでいる。真吾が記憶していたものよりも色褪せた木の廊下が真っ直ぐ伸びて、一階の老朽化具合とは真逆な綺麗な床が見えていた。木目が浮かび、染みが点々とついた廊下は、よく冬樹と一緒に駆けっこをして教師に怒られた。

 真吾が美佳の提案を断らなかったのは、ひとえに冬樹のことがあったからだ。

出来れば、こんな辛い思い出しかない所になんて戻りたくはなかった。

ずっと意識の底の底に押し込めて、思い出さないようにしていたあの放課後の記憶――。

あんなまじないなどしなければ、冬樹がいなくなることなんてなかった。言いだしっぺがもし冬樹ではなく美佳だったなら……真吾は間違いなく美佳を一生許せなっただろう。

だが、あくまであれをしようと誘ったのは、消えた冬樹自身だ。楽しそうに可憐な笑みを浮かべて、真吾を誘ったのは間違いなく彼女なのだ。

真吾は冬樹のことが好きだった。クラスメイトなどどうでもよくなるくらい、彼女に夢中だった自覚がある。

影で男友達が色々陰口を叩き、女生徒とばかり遊ぶ真吾を「オカマ」と呼んでいたことも知っていた。それでも、真吾は気にならないくらいには冬樹を想っていた。

結局、この想いは小学生の幼い恋として、叶わなかった恋として、終わってしまったけれど――。

「とろいなーかほりん。まだ来ないのー? 私とシンちゃんで始めちゃう?」

 美佳の間延びした喋り方が、真吾は大嫌いだった。

小学校の頃から、美佳の悪印象は薄れていない。真吾が美佳に付き合う理由はただ一つ――冬樹と一番仲が良かった、夏穂の為だった。

『夏穂ちゃんは、気が弱くていつも我慢しちゃう子だから。真吾くんも、私と一緒に夏穂ちゃんを見守ってあげてね』

 無邪気に冬樹にそう言われてしまえば、真吾には断れない。

 小学校の頃の些細な約束だとわかっていても、冬樹と交わしたものは大切にしたかった。

夏穂とはあの事件以来気まずくて会話もしていなかったけれど、真吾なりに気にかけるようにしていた。――高校に進んでからは、まったく音沙汰もなく、連絡手段もなかったけれど。

 今日だって、出会ってから色々話しかけてみたものの、彼女も気まずい思いを抱いているのだろう。真吾にぎこちない態度しか見せてくれなかった。

「なんかちっさいねー。今考えたら、こんなにボロいとこ、よく通ってたなーって思うんだけど」

 ぎしっ、ぎしっ、二人分の重みに廊下が悲鳴を上げる。逢魔が刻を迎えた外からは、朱色に近い日差しが斜めに降り注いでいる。廊下の周囲は陰影が濃く、闇が深くなっている気がした。

図工室の前は窓が途切れ、のっぺりとした壁が光を遮断している。図工室の前は完全に闇に沈んでいた。

急に、真吾はあの闇の前に行くのが怖くなった。

あそこに行けば、なにか怖いことが起こる。そんな予感が迫ってきて、背筋が震えた。

ぬっと、あの影から手が出てきて、真吾と美佳の足を掴む。そのまま影に引きずり込まれて、深く人の入り込まない妙見山に連れて行かれるかも知れない――。そこで、あのおまじないの元になった生贄の子どもたちに、生きたまま食われるのだ……。

想像したらたまらなく怖くなって、真吾は思わず美佳に声をかけた。

「なぁ……本気であのおまじない、やる気かよ?」

「当ったり前じゃん。ここまで来てなに言ってんの。あんたも最初は乗り気だったのに、今更嫌だって言う気?」

「なんか、不気味じゃねぇ? あの頃はそんなこと思わなかったけどよ」

「あれをしたら、もしかしたら冬ちゃん帰ってくるかも知れないじゃん」

「……」

 美佳の言葉に、真吾は言い掛けた言葉を飲み込んだ。

忌々しい記憶の根源である場所にわざわざ戻った理由は、「まじない」が願いを本当に叶えるという事実があったからだった。

冬樹が消えた騒動で暫く気づかなかったけれど、真吾が願った些細な「願望」は本当に叶っていた。それに気づいたのは卒業式のあと、美佳と夏穂と最後に集まった時だった。

美佳はずっと口を噤み、どんな願いかは言わなかった。しかし、真吾と夏穂は確かに、あの「おまじない」のお陰だと実感していた。

恐らく、美佳も己の願いが叶ったのだろう。どんな願いかは兎も角、表情がそう語っていた。

 真吾は、ずっと嫌っていた父方の祖父が突然自殺した。「山神様がよんどる……」と言い残し、本当に妙見山の木で首を縊ったのだ。

夏穂は、まじないのあとすぐ、ずっと欲しかった高価な海外文学全集を買ってもらった。彼女の両親は滅多に物を買い与えてくれない。誕生日だって、本を一冊買ってもらえたらいい方なのに、誕生日でも何の記念日でもない日に、いきなり差し出されたらしい。「突然、買ってあげなきゃ……って思ったのよ」と母親も不思議そうにしていたそうだ。

間違いなく、二人がまじないの時に強く願ったものだ。そう確認したのも束の間、真吾は自分の願望――祖父が死ねばいいという願い――が叶えられたことがたまらなく恐ろしくなった。そんなことを願った自分に嫌悪し、後悔と罪悪感に悩まされた。しかし、こんなこと誰にも言えない……美佳と夏穂以外に、知られてはいけない。

苦しく、幼い真吾には重すぎた秘密は、段々と彼を苦しめだす。それを知っている美佳と夏穂の二人と顔を合わせることも苦痛に感じ始めて、真吾は中学校時代は孤独に過ごした。

冬樹の件も彼を苦しめて、漸く少しだけ心を開くことが出来るようになったのは、中学校も卒業間近の頃だった。

「あのまじない、ほんとに効くって実証済みなんだからさー。今更怖気づかれると困るんだよねー」

 迷いのない、きっぱりとした美佳の声が廊下に虚ろに反響する。いつだって、彼女は迷いがない上に、他人に厳しく、自分に甘い。高飛車で自分以外を見下す彼女は、真吾の恐怖にも気づかない。

高らかに、美佳のブーツが色褪せた床を強く踏みつけた。どんどん、足取りは乱れることなく、彼女は真っ直ぐ図工室の前まで歩いていく。あの暗闇に入っていく恐怖は感じないのか――真吾は背筋に這い寄る悪寒から無理矢理意識を逸らして、美佳のあとに続いて廊下を辿った。


 ※ ※ ※


 夏穂はぼうっと、その光景から目が離せないでいた。

早く美佳と真吾の所へ行かなければ――きっと、気が短い美佳のことだ、夏穂がいなくてもあのまじないをさっさと始めてしまうに決まっている。 思考はぐるぐるとそうやって急き立てるのに、身体はまったく言うことをきいてくれない。教室の光景を視界に入れた瞬間から、金縛りにあったかのようにがちがちに固まってしまっている。

六年生の教室では、夏穂と冬樹が楽しそうに談笑していた。

『ねぇ、夏穂ちゃんは一番好きな本はなに? 私はねー小泉八雲が大好きなんだ!』

『ええー……冬樹ちゃん、よくそんな怖い作家さんの読めるね。私は、やっぱり江戸川乱歩かな!』

『夏穂ちゃんも人のこと言えないじゃない。江戸川乱歩とか、結構悪趣味だと思うけど?』

『そんなことないよー!』

 冬樹はファンタジー以外では、ホラーやオカルトに関する物語が大好きだった。特に、小泉八雲の「怪談」は、ランドセルの中にいつも入れて持ち歩いているくらいだった。

対して、夏穂は推理小説が大好きで、江戸川乱歩や横溝正史、コナン・ドイルを夢中になって読んでいた。彼らの紡ぐスリルたっぷりの推理劇が、地味で目立たない夏穂には現実を忘れさせてくれる別世界だった。

夏穂と冬樹は、次々と夢中で自分の読んだ作品について語っている。きらきらとした瞳で、好きなものについて語って、笑って、楽しい時間を過ごす。あの頃は幸せだった……何も憂いはなく、大好きな本を夢中で読んでいられた。心の奥底まで見せても構わないと思った親友が、傍で笑っていてくれた――。

「冬樹ちゃん……」

 無邪気に幼い夏穂に笑いかける冬樹を見詰めて、か細く名前を呼ぶ。

 高校に進学してからは、夏穂は益々自分を押し殺していった。

流行にも乗れず、本ばかりに夢中になっていた夏穂には、都内の女子たちが恐ろしかった。

完璧に化粧品を使いこなし、流行を敏感に感じ取り、最新の話題を欠かさない。コミュニティーを作りあげ、少しでも違和感のある異分子は排除する。――夏穂のような地味で目立たない女子生徒など、最初からいなかったような態度を取る彼女らに、夏穂は恐怖を感じこそすれ、憧れなどは一切なかった。

久しぶりに会った美佳も、夏穂の苦手とするタイプの女子に変化していた。

以前から田舎を嫌い、都会を夢見て変に大人ぶっていた美佳は、随分昔から夏穂を馬鹿にしていた気がする。彼女が影で夏穂の悪口を言いふらしていることくらい、とっくに気づいていたし、感じてもいた。それでも美佳のことは嫌いにはなれなかったし、出来ればまた親しくなりたいと思っていた。

見下すような喋り方、田舎者の雰囲気が抜けない夏穂をあからさまに侮蔑する視線――ああ、彼女はもう夏穂と親しくなろうとは思っていないのだ……。そう電車の中で確信した夏穂は、自分の心が一気に美佳から離れていくのを感じた。まるで全身に、冷水を浴びせられたようだ。どれだけ辛辣でも、美佳の中にはまだ夏穂に向けてくれる親愛が少しでもあるのだと、勝手に思っていた。

けれど、美佳はとっくに夏穂のことなど見限っていたのだ。今回は、ただ単におまじないをした経験がある彼女が必要だっただけで、それ以外はどうでも良かったのだ――。

目の前の、少女だった頃の二人は、未だに楽しげに笑い合っている。未来に待ち受ける悲劇など知らずに、幸せそうに……。

「……どうして、こんなとこ来ちゃったんだろ」

 自分でも、理解できない。断ることだって出来たのに、夏穂はそれをしなかった。

流されるままに、美佳の言うとおりに行動してしまうのは、昔からの習慣が抜けきらないからだろうか。

それとも、あのおまじないの効力を、もう一度試したかったのか?

何を願うかは、それぞれ考えればいいと美佳は言っていた。そもそも、美佳の目的は最初からおまじないをすること、それだけだ。

なにをそんなに、躍起になって叶えたいのだろうか。美佳に道中何度か尋ねたが、絶対に答えてはくれなかった。こんな田舎町の、今となっては叶うかさえわからないおまじないに頼るほど、重要な願いなのだろうか……。

夏穂には、望みはなにもない。今の生活も、境遇も、これ以上変えようもないと諦めているし、変えたいとも思わない。波風を立てず高校を卒業して、大学に行ければそれで満足だと。身に余る願いは自身を滅ぼす――海外文学全集が欲しい。それが幼い頃の、夏穂の最大の願いだったように、今回も些細な願いを叶えてもらえばいいじゃないか。真吾のように、誰かの死を望んだりすれば……未来は暗澹たるものになると、見て知っている。

動かない夏穂の視界の中で、突然、冬樹だけが不自然にこちらを見た。

錆びついた機械のような動作で、彼女は表情が消えた顔を夏穂に向ける。その様がなんとも不気味で、ごっそりと表情の抜けた人間味のまったくない冬樹の容貌は、作り物の陶磁器人形のようだった。青白い顔と、生気のない双眸が夏穂を見つめる。

やがて、冬樹の唇がぱくぱくと何か言葉を紡いだ。声は聞こえない。唇だけがやけに艶めかしく、蠢く。夏穂の背筋に言いようのない悪寒が再び這いのぼった。

〝ゆ・る・さ・な・い〟

 冬樹の唇は、そう言っているように見える。

〝あなたたちをゆるさない〟

 夏穂の身体が寒さと恐怖に震える。冬樹ははっきりと、そう言っているのだ……。

頭の中に、ぐるぐると色々な言い訳が巡った。

あれは私が悪いんじゃない。あれは言いだしっぺの冬樹が悪いのに。だってそうじゃない……おまじないをやろうと言ったのはあなたなのに。逆恨みも甚だしいじゃない……私は、私は――やめようとは、言わなかったけれど……。

最低な言い訳で、単なる自己防衛であることくらい、夏穂だってわかっていた。しかし、叫ばずにはいられない。心の中で尚も絶叫する。冬樹の硝子玉みたいな瞳に向かって拳を突き出してやりたくて堪らない。どれだけ、冬樹の為に夏穂が心を痛めたのか……どれだけ、冬樹が夏穂の人生を狂わせたのか。

怒りが湧いてきて、恐怖を押し流す。なにを怖がることがあるのかと、半ば自棄になって夏穂は金縛りから自力で脱出した。

「私は……私はっ……! あなたに傍に居て欲しかったのに! 勝手にどこかに行ったのは冬樹ちゃんじゃない! 戻ってきて欲しいのに……友達でいて欲しいのに!」

 夏穂は咽喉が痛くなるのも構わず、叫んだ。こんなに感情を吐露したのはいつ振りだったろうか。両親にもこんな激しく言葉と感情をぶつけたことなどなかった。

無表情だった冬樹の顔がぐにゃりと歪む。泣きそうな、辛そうな顔は、それでもすぐに人形のような無表情に戻ってしまった。

そして、夏穂が気づいた時にはもう六年生の教室は静まり返っており、冬樹も幼い頃の自分も消えていた。

「冬樹ちゃん……」

 おまじないをもう一度やれば、あなたは戻って来てくれるの? 願えば、帰ってきてくれるの?

夏穂の声にならない問いは、虚しく口の中で霧散した。




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