その一
いきなりだが、恋愛、というものを私は理解できない。
私くらいの年齢の少女、いや少女の限らない。老若男女、地球に存在するおよそ大抵の人間が同性異性関わらず、恋情と言うものを一度は感じたことがあるだろう。
恋愛。それは脳が作り出した幻覚でしかない、と言うのが私の持論である。生物特有の種の保存のための、いわば本能。たまに非生産的な恋愛も存在するが、それも似たようなものだ。
私にはそういう本能や粘膜が作り出した幻想や妄想に陥ったことがない。これは私がひねくれているからだ、と私の育ての親は言う。
育ての親、と言ういい方からもわかるように、私の親は本当の親ではない。ちなみに育ての親もまた、独身である。彼女は同姓である私から見てもきれいな女性であり、年を重ねるごとに魅力的になっている、とさえ思う。飽くまで客観的な目で見た感想である。
彼女にいつか結婚しないのか問うたら、彼女は昔一度だけ恋愛を経験したことがある、と意味深に笑っただけであった。
そういう母親による教育のせいか否か、私は年の割にひねくれた娘、と友人たちからはいわれている。
ファッションだの流行だの、そう言うものに疎い私には、友人たちの話す恋話にはついて行けない。
隣のクラスの、最近人気の俳優の、と言われても私は「だから?」で終わってしまう。
友人とはいえ、かわいそうなくらい彼女たちは故意に恋していた。それが年頃の少女としては当たり前なのかもしれない。
冷めた目で私はそれを見て、頬杖をついた。私にとってどうせ長続きしない故意に現を抜かすくらいならば、勉強の一つでもして将来を考えた方が生産的である。学生時代の恋が、そのまま将来の結婚につながるなど、まずない。それに、火遊びで子供ができて人生を棒に振る、という馬鹿な真似をする者も時たまいる。そう考えると、恋などと碌なものではなく。
だから私は、恋愛なんてしない。
くだらない女子同士の話には一応付き合っているが、それもある意味仕方なく、である。ハブられるのは何かと面倒であるし、適度に関係を保っておけばいい。それが私の処世術。
休み時間には英語の本を読む。教科書などではなく、ちゃんとした英語の本である。高校卒業程度の英語であればそこそこついて行ける。教科書を読んで、授業をやっているよりもよほど英語を学べる。
実践的な英語、と言いながらただ教科書やらを使い教える無能教師などよりもよほど使える。
私はふん、と息をつき、ページを捲る。今読んでいるのは恋愛小説である。これは私の趣味ではなく、養母のものである。とはいえ、養母も友人から譲り受けたもので暇つぶし程度に読んだ、程度のものである。とはいえ、英文法的には変に難しかったりしないので、勉強にはうってつけ、と言われていたから読んでいるのだ。
恋愛描写が鼻につくが、それには目を瞑る。
理解できない。人間の心の動き、と言うのは理解できない。概念そのものは理解できても、説明しろ、と言うことは難しい。理系の私にとって、そう言う曖昧な存在はあまり理解したくもない死、好きではない。
「・・・・・・・・・でねー」
「へぇ~」
あか抜けない顔の、ギャル風の女子二人、大声で話をしているのが聞こえる。このクラスの中でも成績は下の二人は、休み時間の度、ああして大声で話しているのだが、その内容の酷いこと。
男の話しか、ファッションや歌手、それに他人の悪口。それくらいしか彼女たちの話すネタはない。
まったく彼女たちが理解できない。非生産的すぎる。だべってむだに時間を潰し、そしてただ時間を浪費して。それを繰り返すだけの毎日。一体彼女たちは何を思って高校に来ているのか。
高校生の、それも来年には受験だというのに、いつまで中学生気分なのか。
理解できない。
私はペラ、とまたページを捲った。
私、と言う人間を一言で表すなら、つまらない女だろう。流行など知らず、文学少女よろしく毎時間本を読んでいる、地味な女。きっと、卒業すれば、そんな女いたかな、程度の認識。どれだけで終わるだろう。
まあ、それでもいいだろう。
どうせ私には友人らしい友人はいない。もちろん、うわべだけの友人はいるが、所詮うわべだけ。
ここでの私の付き合いは所詮それだけ。友情を否定するわけではないが、本当の意味での親友など、人生に何人できるだろうか。
ふぅ、と私は息をつき、本を置いた。四六時中こんなことばかり考えているから、私はひねくれているだの暗いだの言われるのだろうな。だが、これが私なのだから仕方がないであろう。
自分にそう言い、私はまた本に目を戻した。
忌々しいほどに晴天で少し眩しい。
外では体育の授業なのか、男女別にマラソンが行われている。
男子の走る姿を、黄色い声援を上げる女子たち。その姿を見て、私はくだらない、とまた本に目を向ける。
この教科書は、私には少し難しすぎる。国語の授業のあの人物の感情を捉えよ、という問題は酷く私の理解に苦しむものだ。
まったく、厭になる。
その時どう登場人物が思ったか、などと勝手に想像すればいいことで、政界などない。なのに、テストやらは正解を決めたがる。おかげで私は国語だけは平均点並みの点数しか取れない。
昔から道徳とかは嫌いだった。あの倫理観の押しつけと同じことを国語と言う教科はしていると思う。
シャープペンシルをコツコツと机に軽くたたき、私は再び外を見た。
無邪気に笑う生徒たちの姿を、私は理解できない。
そもそも、恋愛なんて百害あって一利なし、だ。
碌にほかのことも集中できなくなり、何もできなくなる。その人なしには生きていけない、そんなものくだらない。
セックスだとか、そう言うものにも興味はない。あんなものの何がいいのか、私にはわからない。所詮、生殖の行為。種の存続のために行う行為であり、そこに余計な感情の入り込む余地があるのだろうか。
もっとも、私は恐らく恋愛もしなければ、結婚もしないから処女のまま死ぬだろう。だから、そんなことはどうでもいい。
喜んで少子化に貢献するだろうな、私は。
いつか見たドラマのキスシーン。あれはナメクジの交尾みたいで気持ち悪かった。思い出すだけで吐き気がする。
ああ。私はつくづく恋愛アンチなのだな、とどうしようもなく思ってしまう。
風が私の髪を揺らした。髪は首のところで切りそろえられている。ファッションだの、おしゃれだのに気を使わない私は校則に引っかからない髪型であり、地味な格好だ。スカートも拘束通り、化粧もない。
だから、私はクラスでも浮いている。けれど、それがどうしたというのだろうか。
人間はどうせ一人なのだ。どれだけ行っても、結局は自分一人。
私は誰に頼ることも依存することもなく生きていく。今までも、これからも。
高校二年にもなって、なぜ炊事遠足なるものが存在するのか理解できない。
遠足などと言うものは小学校、中学校期にはまだ必要性を理解できるが、この年になってまでなぜ行うのか。理解に苦しむ。
またテキトウに班を作れ、というのだろう。そして、仲のいい連中が集まり、私は一人残る。それがわかっているから、私は担任にあらかじめ言っていた。
その日、用事があるので休みます、と。
担任も深くは追及はしない。私が扱いにくい生徒と分かっているからだ。私もそれを自分で承知している。それに、別に今更このクラスの連中と仲良くする気はサラサラない。
くだらない友達ごっこも、恋愛ごっこも、私のいないところで存分にやってくれ。私は行かないから。
騒がしい教室のすみ、私は一人本を読む。飛び込んでくる文字。
I LOVE YOU.
「愛している」なんて、軽々しく言うけれど、それは嘘だ。「愛している」と言える自分を愛しているだけ。結局、そんな自分がかわいいだけ。
け、と毒を吐き、私はその行を読み飛ばすとページを捲った。
思い出すのは、母と父の声。
小さいころ、本当に私が幼いころは、私を可愛がり、笑顔で見ていた二人は、私が幼稚園を卒業するくらいには、私でもわかるくらいに不仲であった。
父も母も自分より若い愛人を作り、碌に家にいつかなかった。母は仕方なく私を迎えるために、若い愛人を連れ込んでいた。時たま帰ってくる父は、気持ちの悪い香水をたっぷりとその身体に染みこませていた。
大人になりきれない、子どものままの母。責任感もない、勢いだけの父。若さに任せ、情欲に流され、無責任に私を生んでおきながら、あの体たらくだった。当時の私はただただそれがかな遭叱ったが、今になってみれば、それすらもどうでもいい。
あんな人たちの娘、と言うことが私には恥である。
それでも、世間体を考えて二人が離婚することはなかった。けれど。
私が六年のころ。決定的な亀裂が入った。
祖母が他界し、父が失業してついにすべてが崩壊した。
酒浸りの父と母の口論。
「あんたが、あんたが全部悪いのよ!!」
「うっせぇ、お前に何がわかるんだ!?えぇ!?」
「わかるわけないでしょ!」
「だろうなあ、お前は馬鹿だもんなぁ!マユとは違ってよぉ・・・・・・・・・・・」
そう言った父の頬を母がビンタをする。父が興り、母をどつき、床に倒した。
母は泣いた。そんな母を、ち、と舌打ちして視線をそらし、私を見る。じっとそちらを見ていた私に、父は怒鳴った。
「こっち見るなぁ、そんな目で、俺を見るなァ!!」
そう言い、近くにあった灰皿を投げる。砕けた灰皿の破片が、私の頬を切り裂いた。
「畜生、こんなはずじゃなかったんだ」
父が叫ぶ。
焼け落ちる家。それを抱えられて私は見ていた。
父を刺した母が、家に火をつけた。私がいることを知りながら、だ。
幸い、私は部屋から母の双子の妹であるマホおばさんに抱えられて逃れていた。
おばの腕に抱かれながら、私は悟った。
愛なんてものが、幻想に過ぎないことを。
私は、必要とされて生まれたわけではない、と。
それを知った時、私は恋愛を否定するようになった。
愛は過ちしか生まない。刹那の情欲が、一生すらも不意にする。それを私は子供心に知った。
私は絶対、母や父のようにはならない。
絶対に。
朝。
女という身体を憎たらしい、と思うことは多々あるが、これほど憎たらしいことはない。
生理痛。それはただただ苦痛である。
「子どもなんて、生まないのに」
理不尽な痛みと血。それを見て、私は呟いた。
子どもはいらない。子供は嫌いだ。ただうるさいだけ。それに、愛されなかった私が、どうして子どもを愛せるのだろうか?母や父の血をひく私が、どうして愛せるだろうか?
怖い。そう、怖いのだ。きっと。
私は彼らと同じになりたくない。傷つきたくない。弱いから。だから、傷つかないように、心を閉ざす。
そう、孤独でいよう。そうすれば、傷つくことはないんだ。
きっと、きっと。
煩わしいことに、今日は雨である。朝の天気予報では、雨は降らないはずなのに、放課後にはこの天気である。
いつもはある外の部活も雨では中止である。校内でのトレーニングを行う外の部もあるが、たいていは早々に帰っている。
なぜか知らないが、勉強道具のほかにも傘なども学校において言っているようで、それで早々に彼らは還っていた。
勉強道具を持ち帰らず、机に入れっぱなし、というのはどうかとも思うが、別に私の知ったことではない。
さて、帰ろうか、と私は歩き出す。もちろん、雨が降るとは思っていないし、道具を学校に置きっぱなしにしているわけがないので、そのまま濡れて帰るつもりである。
わざわざコンビニで買うのももったいないし、そもそも家までの道にコンビニはない。
今は小雨であるから、変に待って大降りになっても困る。
そう思い、私は歩き出した。
「大場さん!」
そんな時、ふと私の苗字を呼ぶ声がした気がした。が、大場と言う名字の人は確か何人か学校にいる。どうせ、そのうちの誰かを呼んだのであって、私を読んだわけではないだろう。そう思い、歩き続ける私の後ろで足音がした。ぱしゃり。
そして、私の頭に降り注ぐ水が遮られた。
上を見ると、青い傘の内側。私は、その傘を持つ人物の顔を見るために、振り返る。
「大場さん、濡れちゃうよ?」
そう言い、小首をかしげる男子は、確か隣のクラスの生徒だろう。若干焼けた肌と、平均的な身長の男子生徒はそう言った。
「そう」
そう言うと、私が傘を出ようとしたのを、彼が慌てて止める。
「だから、風とかひいちゃうよ?!」
「それで」
そういい、私は彼を見る。
「それで、あなたが困ると言うの?」
「いや」
「なら構わないで」
歩き出す私を、「だから待てって!」と言い、彼が追いかける。
麻宮タツキ。それが彼の名前だという。顔こそ知っていたが、名前は初めて知った。聞いたことはあるかもしれないが、基本他人に興味がないから、明日には忘れているかもしれない。
追い払うように歩いてもついてくる彼に、私は諦めてその傘に入っている。
相合傘みたいで癪だな、と顔にも口にも出さない。だが、不機嫌である、ということは相手には伝わっているはずだ。
「家、おんなじ方向なんだね」
「そうみたいね」
私はそっけなく返す。苦笑いして麻宮タツキは頬をポリポリと掻いた。
「大場さん、いつも一人だよね?友達とかいないの、かな?」
何となく気まずくてそう聞いたのだが、すぐに失敗だったという顔をする麻宮タツキ。あ、ごめ、とどもる彼に「別に気にしていないわ」と言う。
「必要ないもの。友達とかそんなもの」
「寂しくないの、大場さん?」
「ええ、全然」
そう言い、私は前を歩く男女を見る。いかにも恋人同士、と言う雰囲気の二人は相合傘をしている。
仲睦まじいが、それがいつまで続くと言うのだろうか?人間は飽きる動物だ。思いが永遠なはずがない。愛が永遠なはずがないのだ。
「私にとって、そんなものはくだらないものでしかないから」
「くだらないって、そんな・・・・・・・・・・・・・」
「私の価値観に口出しはしないでちょうだい、麻宮くん」
彼の反論を遮るように、私は言った。彼の意見を聞いてはいないのだから。
「麻宮君、何を考えてあなたが私をこうして送ってくれているかはわからないけど、私はあなたやほかの人のように、友情ごっことかそう言うものには一切の価値を見出してはいないの。だから、はっきり言うわ。こういうことは迷惑なのよ。好意の押しつけみたいで、吐き気がする」
そう言うと、私は奔りだす。どうせ家まではもう目と鼻の先。そして、これ以上、彼と一緒の空間にいることが我慢できなかった。
「そういうことだから、二度と話しかけてこないで」
「おい、大場さん・・・・・・・・・・・・」
「さよなら」
そう言うと、私は奔りだす。麻宮タツキが手を伸ばすが、それより早く私は奔る。
がり勉女と見られがちだが、これでも運動は得意なのだ。
雨に打たれながら私は家の前にたどり着くと、鍵を取り出す。そして鍵を開け、急いで家に入る。
濡れた教科書類を取り出し、乾かす。その後、私は濡れた制服を脱ぐ。
濡れて冷えた体を温めるため、シャワーを浴びるために風呂場に向かう。
下着を脱いで、私はシャワーの蛇口をひねる。
暖かなお湯が、冷えた体を温める。そして、私を冷静にさせてくれる。
「私に、優しくしないで・・・・・・・・・・・・・」
私は体を抱きしめて呟く。
どれだけ偉そうに言っても、私は弱い。だから、優しくされてしまえば、溺れてしまう。
それが、怖い。
「助けて、マユおばさん・・・・・・・・・・・」
この世で唯一私が信用する人物であるおばの名を呼び、私は浴室にうずくまる。
胸が、痛い。
どうして煩わしい感情なんてものが、私たちには存在するのだろう。
いっそ、獣のように本能だけで生きられたら、どれだけ楽であっただろう。
はあ、というため息は、小さな浴室に響いた。