王の生き様
はい、ペッターです。三国志を放置して何やってるんだと言われたら、すみません、この小説書いてました…。
アレクサンダー3世は、私の中で一番好きな人物ですな。某アニメの影響ですが…。だってカッコいいんですもの。
かつてヨーロッパのマケドニアにおいて大国を作り上げた人物がいる。その人物はアレクサンダー3世である。彼は颯爽と歴史の舞台に登場し様々な活躍を残す。これから語られるのは、アレクサンドロス帝国の帝王であり、東の地に恋い焦がれたアレクサンダー大王の物語。
紀元前342年。とある部屋にアレクサンダーを含む子供達と教師がいた。教師の名はアリストテレス。哲学者プラトンの弟子にして、西洋最大の哲学者である。
「いいですか?この世はすべて組み合わせなのです」
「はいはい!」
「はい、アレクサンダー君」
「食べ合わせとかそんなもんですか?」
「…。そのような物ですね」
こうしてアレクサンダーと他の学友達は、アリストテレスの哲学を学んだ。この時代の哲学は、政治学や文学も含まれていた。共に学んだ学友達は後にアレクサンダーを支える将軍となる。
少し時が進み、紀元前338年、戦場にて。彼は現在の王である父フィリッポス2世に従い、一軍の将としてカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破る。
「見よ、この無双の軍勢を!」
こうしてフィリッポス2世はギリシャとこちらが有利になる条約を締結し、ギリシャの全権を握った。その後、フィリッポス2世はペルシア王朝の制圧を画策する。が、何者かによって暗殺されてしまう。
「なんたる不覚…!」
父、フィリッポス2世が死んだことによりアレクサンダーが王位を継承するこになった。この時わずか20歳の時である。
「これより、我が血肉は諸君らと共にある!」
王位を継承したアレクサンダー3世は、マケドニアの敵対者を排除しマケドニアの全権を握った。そしてトラキア、つまり現在のトルコと腰を据えて戦うためにドナウ川、当時の呼び方でイストロス川方面を制圧した。
しかし、何もかもうまく行われた訳ではなかった。少し前に制圧したギリシャの都市国家、テーバイが反旗を翻したのだ。
「言ったはずだ…。この身の血肉は諸君らと共にあると…。敢えてそれをぶちまけたいと言うのであれば、是非もない…」
アレクサンダー3世は反旗を翻したテーバイを鎮圧しに向かった。
「そんな裏切り者の貴様らには、今、ここで!真の王たる者の姿を見せつけねばなるまいて」
こうしてテーバイの鎮圧を行い、鎮圧を終えた彼は、東方への遠征を行うと心に誓う。
少し時が経ち、アレクサンダー3世は、小アジアの連合軍と対峙していた。
「退け!マケドニアの王よ!」
そう叫ぶのは敵の将軍ミトリダテス。連合軍の将である者だった。
「退く訳にはいかん!誰もが夢見たオケアノスを見るまでは!」
オケアノス、それはこの時代の世界観において、大陸を囲む大きな海のことである。その地の果てとも呼ぶべき海は、ギリシャの男に等しく夢を与えていた。アレクサンダー3世もまた、例外ではない。
そして、小アジアの連合軍を蹴散らした。アレクサンダー3世は、ついにペルシャの皇帝、ダレイオス3世自らが率いるペルシア軍10万と遭遇する。しかしペルシアの軍でもアレクサンダー3世を止める事は出来なかった。この時、ペルシアから和睦の申し出が来ていたがアレクサンダー3世はこれを拒否する。
そして東に進む中、ペルシア王朝の治める都市も次々と征服していった。
東に進んで行き、やがてマケドニア軍はシリアに到着する。当然、戦が始まると誰もが思った。しかし…。
「お待ちしておりました。我らが王よ…」
「むっ!?」
シリアは、反ペルシアの多い地域だった。そのため、アレクサンダー3世とその軍はペルシアから救ってくれる救世主のようなものだった。
シリアの地において頑なに抵抗していたフェニキアを征服し、一行はエジプトに侵入する。エジプトはペルシアに征服されたばかりで、まだペルシアの政治が根付いておらず、容易に制圧できた。そしてエジプト人からエジプト解放の英雄として「メリアムン・セテプエンラー」というファラオ名を得た。
そして、アレクサンダー3世はエジプトに都市を建設し、鋭気を養った。これが、アレクサンドリアの始まりである。
鋭気を養った一行はまだまだ東に進む。
「東の彼方にこそ栄えあり。届かぬからこそ挑むのだ。覇道を謳い、覇道を示す。この背中を見守る臣下のために」
このように王は思っていたに違いない。そしてちょうどいい所にまたダレイオス3世指揮下のペルシア軍が現れた。
→・たたかう ・バッグ
・交代 ・にげる
「かかれー!!」
20万、30万と謳われたダレイオス3世の軍はたちまち敗走してしまった。ペルシャの主要な都市を蹴散らした一行は、ペルシャの主要都市を制圧していった。
主要都市を次々と奪われていったペルシャは、もはや風前の灯火であった。
「このような結末は…、私は認めぬ…」
ダレイオス3世は主要都市を撤退しながら逃げ回っていた。アレクサンダー3世は、ダレイオス3世を追うように進軍していった。
「逃がすとでもおもうてか!」
戦争は長続き翌年、思わぬ形で終結する。ダレイオス3世が側近、ペッソスによって暗殺されたのである。
「戦い続けてきた怨敵よ…、実に呆気ない最後よな…」
アレクサンダー3世は怨敵の亡骸を丁重に葬った。
皇帝、ダレイオス3世が没した今、ペルシャは滅ぶものと思われた。しかし、今までの皇帝の恩義を忘れ、新たに皇帝を名乗った人物がいた。ダレイオス3世の側近、ペッソスである。
「次世代の王には、私がなる!」
しかし、そんな事はアレクサンダー3世が許さなかった。
「今までの恩義を忘れ、潔く敗北を認めぬような不届き者は、この私、アレクサンダー3世の侮蔑を逃れられぬものとしれ!」
こうしてアレクサンダー3世の怒りを買ったペッソスは瞬く間に捕らえられ処刑された。
「出番少なっ!」
アレクサンダー3世は次に中央アジアの安定を目指した。しかし、この地の民族であるソグド人による激しい抵抗に直面する。これにより、マケドニア軍の士気が低下した。それと、優秀な指揮官のクレイトスをアレクサンダー3世が殺害してしまったため、不満も積もっていた。
このようなイザコザをその場しのぎで回避しつつ、アレクサンダー3世は帰順した有力者の娘、ロクサネを妃とした。
ペルシア並びに中央アジアを平定したアレクサンダー3世は、次にインドを目指す。しかし…。
「疲れたでござる」
「もう働きたくないでござる」
こんな声が続発したのである。仕方なしに軍を三つに分割し元ペルシャの土地、スーサに帰還した。
帰還したアレクサンダー3世は、本拠地のバビロンにおいて今まで手中に収めてきた土地をペルシア、マケドニア、ギリシアの三つに再編し同君連合を形成した。そしてとんでもない事を言い出した。
「この私こそがペルシアの正統継承者である!」
誰もが思った…。あんたはマケドニアの王だろうと…。
そしてアレクサンダー3世はマケドニアとペルシャの融和政策を打ち出した。当然こんなことはマケドニア人の反発を招く。
再びバビロンの地において、アレクサンダー3世はアラビアの征服の構想を練っていた。だが、とある宴会の席、病に倒れ十日間の熱にうなされる。アレクサンダー3世は、この病のよってこの世を去ることになるが、遺言として「この帝国においてもっとも強い者が国を継承せよ」というものを残していた。
この遺言を守った家臣達は自らの武を示すため、覇を競いあった。最終的に国はアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトに落ち着いた。それぞれ説明すると、アンティゴノスさんのマケドニア、セレウコスさんのシリア、プトレマイオスさんのエジプトということである。
マケドニアの王、アレクサンダー3世が治めた国は三つに分かれやがて滅びた。もしその場を本人が見ていたとすると、笑いながら見ていたことだろう。何故なら、一国の主として国が栄え滅ぶ事は誰よりもわかっていたからである。
「これも私の家臣が選び取った国の定め!反省する事はあっても後悔する事はあってはならない!それは、この時代を生きたすべての者達への侮辱である!」
アレクサンダー3世の作り上げた文化であるヘレニズムは、ヨーロッパのヘブライズム文化として今もなお息づいている。
いかがでしたか?
最初は少しネタが多いですが、後半はね…。
ホントに拙いですが、勘弁してくだされ。
歴史は面白いですね~。ある象徴が無くなると必ず分裂ですね。どこも同じ。三国志も例外に漏れず。
そろそろ三国志列伝に戻りたいと思います。ではでは~。