第七話:科学者と生き残ったハンター達
気力と魔力を使い果たしていたエーリッツェは、助かった自分の命を喜ぶよりも、骨折した足の痛みよりも、眼前で繰り広げられた圧倒的な戦いと、それを成し得た二人、いや、一人と一頭の存在に思考と感覚の全てを奪われていた。
まず黒ずくめの男、顔立ちは南方系とも北方系ともとれるが、その白い肌から察するに北方の出身だろうか。
いや、今見せた圧倒的な戦いと出で立ちから考えると、貴族の高魔力保持者の線が強いか。
一般的に高魔力保持者はその身に常時シールドを展開している。
そのおかげで太陽光から放射される紫外線を無意識のうちにカットし、色白の者が多い。
尤も、この世界の人間は紫外線の存在など知らないし、紫外線が日焼けの原因であることも知らない。
それでも、ほとんどの高魔力保持者の肌の色が白い、言い換えれば日焼けしていないことから、肌の白い人間は、北方の出か高魔力保持者だというのがこの世界の常識である。
ついつい黒竜にとどめを刺した男の見た目に気が行ってしまったエーリッツェであったが、それよりもと、思考を切りかえた。
今考えるべきは、男の見た目などよりも、男に首筋を撫でられて喜んでいるように見える黒狼についてである。
本来、黒狼が人に懐くことなどあり得ない。
黒狼にとって、人はそのほとんどは餌であり、稀に敵であるかだ。
それがあの黒狼は、まるであの男の飼い犬のように懐いているし、男もそれが当然であるかのようにふるまっている。
あの黒狼を子どもの頃から飼い慣らしたのだろうか。
それにしたって、あれほどの黒狼を飼っていれば噂の一つ二つ耳に届いているだろう。
エーリッツェの疑問は尽きない。
あの男にしても、黒竜に傷を負わせるどころか、その足を叩き切り、さらにただの一突きでとどめを刺すほどの実力者である。
ところが、それほど強い、いや、人の領分を超越した男がいるという噂の一つすら、エーリッツェは耳にしたことが無かった。
そうとなれば、成人はしているようだが、まだ若く見えるあの男はどこかの王族で、成人するまでその実力と黒狼の事を隠されていたのだろうか……
などと、エーリッツェが自分の置かれた状況や怪我、命拾いしたことを忘れて思考の海に潜っているところに、つい先ほどまで黒狼を労わっていた男が話しかけてきていた。
エーリッツェは、しばらくそのことに気付けなかった。
「――か? 怪我してるようだけど大丈夫か?」
いつの間にか、覗き込まれるように男に話しかけられていたエーリッツェは、そのことにようやく気付く。
そして、慌てて返事を返すが、その表情には驚きと戸惑いと怯えが混ざり合っていた。
「――ッ!! あ、あぁ…… 大丈夫だとは言い難いが、何とか……」
「悪いな。驚かせるつもりは無かった。もしそうなら謝るよ」
昌憲は、ようやく気付いてくれた男が、驚きながらも複雑な表情をしていることに、若干の焦りと申し訳なさを覚えている。
しかし、黒竜を倒したことと、予想外の場所で現地人と接触できたことに軽い興奮を覚えていた。
が、話しかけている男からふと視線を外した時に、横たわる無残な死体を見つけ、いたたまれない感情に支配されていく。
「これは…… ひどいな。そこの遺体は、あんたの仲間か? それから、あんた、さっきの三人。ああ、背の高い金髪の男と若い銀髪の女、それに小柄な色黒の優男と知合いか?」
エーリッツェは、驚かせて悪かったと謝り、その後もしきりに話しかけてくる男の話し方を聞いて、悪人ではないな。
と、少しだけ安心したが、男が気にしている仲間のなきがらに視線を移すと、後悔の念がこみ上げてきた。
「あ、ああ、あんたが言うとおりだ。そこで死んでいるのも、あんたが言う三人も俺の仲間だ。だが、まずは礼を言わせてくれ。まだ油断はできないが、俺とその三人はあんたのおかげで命拾いしたようだ。そして、俺の名はエーリッツェだ」
「そうか…… それは残念だったな。それから俺の名は平沢昌憲だ。マーサとでも呼んでくれ。そして、あんたは命を助けられたと言ったが、礼を言う必要はない。俺はあの黒竜を狩りにここに来たんだ。たとえお前たちがここにいなくてもあれは俺がしとめる予定だった。まぁ、あれがお前の狙った獲物だったとしたら横取りしたようで悪いが……」
と、この時昌憲は少し気障ったらしく話しているが、実は動揺している姿を見せまいと、自分を制するのに必死であった。
目の前には無残な人の死体が転がっているのである。
それも一人や二人ではない。
ある者は首から上が無く、ある者は内臓をまき散らしている。
棺桶に入った綺麗な死体しか見たことが無い昌憲にとって、今眼前に広がる光景は、あまりにもむごく耐え難いものであった。
自ら進んでファンタジー世界に転移してきた昌憲にとって、これは必ず乗り越えなければならないことなのであるが。
損壊の激しい死体を目の当たりにすることが、想像していた以上に精神にダメージを与えることを、昌憲はこの時はじめて理解したのであった。
昌憲が必死に動揺を隠し、込み上げてくるものを耐えているなどとは知る由もないエーリッツェであったが、気力と魔力を使い果たし、疲弊しきっていることと骨折の痛みもあり、それに気付くことは無かった。
それよりも、エーリッツェは昌憲が言った目的。
つまり、黒竜を獲物と認識して仕留めに来たことに驚いていた。
いくら黒狼を従えているとはいえ、単独でカシール大平原の奥地で狩りを、しかもその獲物が黒竜であるなど、常識を逸脱するにもほどがある。
しかし、それを容易く成し遂げてしまった男が目の前にいる。
このマーサという男に対する謎は多いが、エーリッツェは、結果的に自分や仲間の危機を救ったこの男に、今は感謝しよう。
そう思ったのだった。
「エーリッツェ!!」
昌憲が、またもや考え込んでしまったエーリッツェに話しかけようとしたその時。
大岩の陰から飛び込むように一人の女がエーリッツェにしがみ付き、嗚咽を漏らしはじめた。
女が飛び出してきた大岩の陰には、二人の男が朝陽を背にして、逆光の中からそれを見守るように立っている。
昌憲は朝陽を遮るように腕をかざしながら眼を細めてその二人を見やるが、今は邪魔になるなと、その場を離れて仕留めた黒竜の元へと歩いた。
黒竜の体長は五メートルを超え、尾まで入れた全長は七メートル近くある。
体格から考えるにその体重は二トンを超えているであろうか。
体は鱗に覆われている訳ではなく、艶のある短い体毛に覆われ、朝陽に照らされて輝いて見えた。
頭部は体格に不釣合いなほど大きく、巨大な口には鋭く大きい牙のような歯が並んでいる。
体毛があることからも黒竜が地球でいう爬虫類ではなく、恐竜に近い種であることが伺えるが、昌憲が一番に感じたことは「カッコいい」という一言に要約できた。
昌憲の中で竜すなわちドラゴンは、オオトカゲやワニのような爬虫類ではなく、体躯のがっしりとした恐竜に近い姿でイメージされており――理想でいえば物語にあるような輝くすべすべとした鱗に覆われていた方がそれらしいのであるが――たとえ体毛に覆われていようと、その姿はまさしくドラゴンであった。
昌憲が黒竜の姿に見惚れている頃、岩陰ではエーリッツェたち四人が互いの無事を喜び合っていた。
そして、その中から一人の男が昌憲に歩み寄ってきた。
近づいてきた金髪の大男にハティが威嚇をしはじめたことで、昌憲はそれに気付く。
「ハティ、ステイだ」
昌憲は慌ててハティに威嚇を止めさせる。
そしてハティが襲いかからないように計らった昌憲が目にしたのは、恐怖に身を竦めている大男の姿であった。
「不用意に近づかない方が良い。それから、あまりハティの眼を見ない方が良いぞ。襲われたくなかったらな」
大男は激しく首を縦に振って同意を示すと、恐る恐るその口を開く。
「お、俺たちの危機を救ってくれたこと、礼を言いたい。ありがとう」
「ああ、気にするな。そこのエーリッツェという男からすでに礼は受け取っている」
「礼を言ったばかりで何だが、ひとつ頼まれごとをしてくれないだろうか。助けてもらったばかりで不躾なことは分かっている。しかし、俺たちだけではどうしようもないんだ」
気まずそうに、しきりに恐縮しながら昌憲に願い事をしてきた大男の名はリーガハルというそうだ。
昌憲はリーガハルの願い事をとりあえず聞くことにした。
「頼まれごととはなんだ? あの黒竜を譲ってくれと言われてもそれは聞けないぞ」
「まさか、あんなデカブツ、たとえ貰っても俺たちだけじゃ運べない――」
リーガハルの願いは昌憲にとって至極簡単で都合のいいことであった。
それは、仲間の遺体を埋葬している間の護衛と、動けなくなったエーリッツェと傍を離れたがらないエリーネ、それと入手した薬草などの運搬である。
初めは護衛だけを頼もうと思っていたらしいが、黒竜をどうやって運ぶのか? との問いに、昌憲はアレを運べるだけの荷車がある。
そして、その荷車は黒狼ハティに引かせる。
と説明したところ、それならばエーリッツェとエリーネも運んでくれないか。
という事になり、昌憲はその依頼を受けたのであった。
リーガハルともう一人、ヒュッツェは二人で船まで戻り、それを漕いで帰るらしい。
身軽になった二人だけならば、船まで全力で走れば問題ないそうだ。
リーガハルは持ち帰った薬草などを売った一部で報酬を払いたいと言ってきたが、昌憲はそれを必要ないと断る。
どのみち、黒竜を金に換えれば大金が転がり込んでくることは間違いない。
それに、彼らに恩を売っておけば、ハンターとして行動するうえで都合が良いことも間違いない。
と、昌憲は考えたのだった。
リーガハルとヒュッツェは仲間の遺体を一か所に集め、大きな穴を掘って埋葬している。
「一体一体穴を掘らないのか?」
と、聞いた昌憲に返ってきた答えは「そんなことをしていたら時間がかかるし、仲間同士同じ穴に埋葬されたほうが彼らも嬉しいだろう」ということであった。
昌憲は、それがこの世界で生きるハンターの考え方なんだなと、一人納得し護衛を続けることにした。
一方、エーリッツェにすがりつくように泣いていたエリーネという女は、エーリッツェの折れた足に添え木を縛り付けていた。
昌憲は護衛をしている間にアトロに連絡を入れて、荷車を転送してもらっている。
空間から突然出現した木製の大きな荷車に、作業を続けていたリーガハルたちは驚いていたが、転送魔法だという昌憲の一言に納得していた。
この世界では、一般庶民はその恩恵にあずかることはまず無いが、転送魔法は特定の場所では普通に使われているからだ。
ハティに関しても当然聞かれたが、取り敢えずは相棒だということで無理やり納得してもらい、むやみに近づかないことを徹底してもらった。
そして今、リーガハルたち二人と別れた昌憲は、ハティの引く黒竜を載せた荷車の御者席に、エーリッツェとエリーネと共に座っている。
ハティに引かれる荷車は、ハティが引くには遅い速度で音もなく滑るように道もない草原を進んでいた。
それは、骨折しているエーリッツェを乗せているからなのだが、この速度で走っても夕方までには目的地に到着できる。
出発したのは昌憲の時計で午前十時過ぎ。
目的地であるハンターギルドの出張所までの距離は四百キロ、速度は時速六十キロである。
時間にして七時間弱かかるが、午後五時ごろには到着すできる。
ちなみに、ハティと荷車は魔力で繋がっており、昌憲が魔力で方向や速度を教えているので、手綱も必要ない。
不思議そうに聞いてきたエリーネはその説明で納得していた。
しかし、エリーネの質問はそれで終わりでは無かった。
あの重い黒竜を載せてなぜこんなに速度が出るのか? とか、この荷車はどうしてこんなに揺れが無いのか? とか。
いくら見た目は木製の荷車であったとしても、それは昌憲が作ったものである。
ならば当然普通の荷車であるはずもなく、速度が出せて揺れ難くなるような仕掛けが施されていた。
それは、昌憲がこの世界で金もうけのために考えた魔道具の一つで、重力軽減の魔道具を搭載しているからであった。
重力制御は昌憲の専門分野の一つである。
エリーネは、そんな高級な魔道具が使ってあるなんて、と驚いていたが、エーリッツェは昌憲がどこぞの王族であるとの思いを深めていた。
エリーネの質問はまだ終わらない。
それは昌憲にとって、最初に聞かれるだろうと思っていた事柄であった。
出会い方が普通ではなかったがゆえに、後回しになったのだろうが、昌憲本人に関する質問。
つまりお前は何者だ? どこの出身か? という問いかけであった。
この質問に関しては、当初から昌憲は答え方を決めていた。
「あの山脈の向こう側に家がある」
である。
そして。
「俺は外の世界からこの世界で暮らすために来た」
つまり、昌憲は異世界人であることを隠そうとは考えていない。
それがたとえ信じてもらえなくても構わない。
目立って何ぼ、有名になってこそこの世界に来た意味がある。
それによって降りかかる困難などたたき伏せてやる。
それが昌憲の考えであった。
この答にはエリーネにもエーリッツェにもさすがに驚いていた。
と、昌憲が思ったのも最初だけで。
二人とも信じていないようだった。
口には出さなかったが、昌憲はそれでもいいと思った。
それは、この会話がきっかけで二人から硬さが取れたと言ったらいいだろうか、恐れが無くなったと言ったらいいだろうか、とにかく打ち解けて話ができるようになったからであった。