第五話:科学者と相棒と狩と獲物の関係
日の入り直後という珍しく早い時間に寝入ったせいか、日の出前に目覚めた昌憲は、テントの外に出ると魔法で水球を出現させて顔を洗った。
日の出直前の薄明かりが差しはじめた草原に、直径五十センチほどの透明な水球が宙に浮く姿は、幻想的でいかにもファンタジー世界を彷彿とさせる。
「ふぅ、まだ薄暗いけど朝飯でも作るか」
昨日集めた野草を水洗いしてざく切りにし、肉を少量細切れにしてから、ザックから小鍋と地球から持ってきたオリーブオイルを取り出した。
そしてかまどに枯れ木を追加して火をつけると、味付けは塩コショウだけの肉野菜炒めを作った。
カップに水を注いで、出来たての肉野菜炒めを小鍋から直接箸でつまんで頬張り、よく噛んで水で流し込む。
味付けが単純すぎて、別段不味くは無いが、美味いわけでもなかった。
朝はこんなもんで十分だろうと、日課となっているストレッチ行いながら、いつもより時間をかけて体をほぐしていく。
それは、今日もあの黒狼とのじゃれ合いという名の力比べを考えているからに他ならない。
そうこうしているうちに朝陽が昇り、そよ風に揺れる草に付着した朝露がキラキラと輝きはじめた。
「さてと、相棒でも探しますかね」
ストレッチを終えた昌憲は、そう一人ごちて魔力探知を開始したのだった。
探すのはもちろん昨日の黒狼であるが、魔力で探す間もなく目視ですぐに見つかった。
昨日黒狼が去って行った西の方角から、こちらに向かって歩いてくる姿が見える。
そして、さほど待つこともなく黒狼は昌憲の目の前まで歩み寄ってきた。
その距離は、警戒していた昨日とは違い手を伸ばせば届く距離なのであるが、巨体ゆえに見下ろされる形になっている。
昨日遊んだことで、少なくとも警戒心は持たれてないようであった。
それどころか、早く遊んでおくれとばかりに前足でちょっかいを出してくる。
どうやら気に入ってくれたようだと、少し安心した昌憲は気合を入れなおして黒狼と遊びはじめた。
それからは、昨日のつては踏むまいと力を入れるところは入れ、抜くところは抜くようにしてくんずほぐれつのじゃれ合いを繰り広げる。
そして、その効果は如実に表れ、二時間近く黒狼と遊んだのだった。
今日も昌憲が疲れて動けなくなるまで遊び続け、黒狼は西へと帰って行ったが、何度かは黒狼の動きを腕力で封じて自分の優位をアピールしたつもりである。
この調子だと何日かかるかは分からないが、このまま遊び続ければ黒狼との上下関係を築けそうだと昌憲は確信したのだった。
翌日以降、昌憲はこの場所で午前中に黒狼と遊び、午後に食材集めをしたり、調べ物や魔法の訓練をしたりしながら十日ほどをこの地で過ごした。
二日目ほどの急激な伸びは無かったが、遊ぶ時間は徐々に増えていき、ここ二~三日は黒狼の方が先にへばるようになった。
そしてその翌日、今までにない行動を黒狼がとる。
今までは昼過ぎになると黒狼は西へと帰ったのだが、今日は正午を過ぎて遊び終わった後も黒狼が西へと帰ろうとはせずに、昌憲の横に座り込んで体を寄せてきたのだ。
「どうした、帰らないのか?」
その意味を黒狼が理解しているとは思えないが、昌憲に首を撫でられた黒狼は、目を細めて気持ちよさそうにしている。
そして、しばらく昌憲に触られていた黒狼がのっそりと立ち上がったかと思うと、ゆっくりと西の方へ歩きだした。
ようやく帰る気になったかと思い、そのまま見送ろうとするが、黒狼は足を止めて昌憲の方に振り返る。
そしてまた少し足を進めては立ち止まって振り返った。
「ついて来いってことか?」
そう考えた昌憲が黒狼の方へ歩いていくと、黒狼は再び歩きはじめる。
そして、昌憲がそれについて行くと、黒狼は歩くことを止めようとはしなかった。
どうやら、本当について来て欲しかったようである。
しかも、その歩く速度は次第に早くなって行き、とうとう黒狼は走りだしたのだった。
昌憲も負けじと黒狼の横を疾走する。
その速度は優に時速百キロを超えているのだが、黒狼に至っては体格が巨大すぎるので、その動きはとても全力を出しているようには見えなかった。
昌憲もこの程度の速度ならまだまだ余裕があるので、ジョギング感覚で黒狼の横を並走している。
「おいおい、今度は追いかけっこか?」
そう昌憲は思ったのだが、黒狼の目的は違うようだった。
黒狼は急速に走る速度を緩めて立ち止まると、遥か前方を注視している。
黒狼に合わせて走るのを止めた昌憲は、何かいるのか? と、黒狼と同じように前方を伺った。
草原の草が風に揺れる遥か前方、そこに存在する地に這う赤黒い線のようなものを認識した昌憲は、黒狼の目的がようやく分かったようだ。
「そうかそうか、今度は狩をするんだな」
今、昌憲と黒狼が立ち止まっている場所は、前方の獲物から見れば風下である。
黒狼が動き出したのは、獲物の匂いを嗅ぎ取ったからだろう。
得心がいった顔でうんうんと頷いた昌憲は、身を屈めるようにして歩き始めた黒狼の後を追っていく。
その中で、昌憲にふと疑問疑問が浮かんだ。
狼とは集団で狩をするものではないのか? と。
しかし昌憲は思い直す。
ここは異世界ではないか、幾ら似ているとはいえ地球の狼と同じなはずはないよなと。
黒狼を騎獣にすると決めてから、その生活の様子は観察してきた。
確かに地球の狼と社会性などに多くの類似点が見られたが、相違点も幾つか有ったではないか。
ここまで考えた所で昌憲は、とある可能性に気付いてニンマリと目じりを下げた。
もしかしたら、黒狼は自分を群れの一員、つまり仲間だと認めてくれたのではないかと。
だから、しきりに後ろを向いて誘ったのではないかと。
獲物への接近を試みる黒狼と昌憲は次第にその距離を縮め、獲物の正体がようやく分かった。
前方に群れているのは牛に似た赤黒い色の体毛を持つ巨大な獣で、姿形はアメリカバイソンにどちらかといえば似ている気がする。
体長は四メートル弱。
今は集団で草を食んでおり食事中のようだ。
こちらにはまだ気づいていない。
黒狼は群れから百メートルほど離れた所に生える背の高い草の集団の陰に身を隠すと、その隙間から獲物となる個体を探しているようだ。
昌憲は黒狼の横に身を寄せるようにしゃがみ込み、襲撃の機会をうかがう。
そして、ほどなくその時は訪れた。
身を屈めていたからだろうが、予備動作の一切を見せず黒狼が駆けはじめた。
黒狼が走り始めた小さな音を聞き取ったバイソンもどきは、ちりぢりに逃げはじめるが、黒狼の加速は圧倒的で、百メートルあった距離が瞬く間に縮められていく。
出遅れた感があった昌憲であったが、負けてはいなかった。
圧倒的な加速を見せる黒狼のその後ろから、黒狼を上回る加速で昌憲はその差を詰めていく。
そして、黒狼と昌憲が、標的に選んだ獲物に到達したのはほとんど同時であった。
黒狼は回り込むようにして得物ののど元に喰らいつき、昌憲は腰のサバイバルナイフを抜いて飛び上がり、バイソンもどきの脳天にナイフを深々と突き刺したのだった。
脳天へと突き刺さった昌憲のナイフの一撃によって、バイソンもどきは一瞬で絶命する。
喉元に喰らいついた黒狼に引き倒される形で転倒したバイソンもどきは、その身をピクリとも動かすことは無かった。
黒狼は、呆気なく動かなくなった獲物にいつもとは違う感覚を覚えたのか、のど元から牙を外して立ち上がる。
しかし、昌憲は脳天に突き刺したナイフを抜き去ることなく、重力魔法でバイソンもどきを浮かせると、そのままテントの方角へと運び始めた。
獲物の支配権は上位者にある。
獲物をしとめた今が、黒狼に上下関係を理解させる絶好の機会なのだ。
ここは絶対に引けない。
そう考えた昌憲は、自分の縄張りである――少なくとも黒狼はそう理解しているはずである――テントの近くまで獲物を運び、先に食事、つまりこのバイソンもどきに手を付ける必要があると考えた。
これは黒狼を騎獣にすると決めた時から観察していて分かったことであるが、黒狼の食事は群れのボスから始まり、ボスが許さない限り、下位者は食事にありつけない。
当然、黒狼は昌憲が自分の上位者だとはまだ認めていないので、運ばれる獲物を自分の物にしようと、その腹へと喰らいついた。
しかし、昌憲がその行動を認めることは無い。
バイソンもどきの腹に喰らいつく黒狼に、昌憲は口を開いて歯を見せると、鬼の形相で唸り声をあげて威嚇を始めた。
それは、何も知らない人にはとても見せられないような絵面であるが、当の昌憲は真剣そのものだ。
未だに喰らいついて獲物を離さない黒狼へ、歯をむき出しにした自分の顔を近づけ、威嚇しながら両手で黒狼の顔を掴んでバイソンもどきから引きはがす。
「ダメだ。これは俺の獲物だ」
黒狼が昌憲の言葉を理解しているとは思えないが、力づくの強引な威嚇が効いたようで、黒狼は渋々引き下がった。
昌憲は、勝ち誇ったようにゆっくりとテントの近くまで歩くと、仕留めたバイソンもどきを地上へと降ろし、おもむろにナイフでその腹を割く。
たちまち強烈な血と内臓の臭いが立ち込めるが、我慢して内臓をナイフで掻き出し亜空間へと消し去った。
これは、黒狼にとって内臓こそが最も栄養価が高い貴重なご馳走だからである。
わざわざ亜空間へと消し去ったのは、まさか内臓を生で喰らうことなど出来ようはずも無いからであった。
下位者にご馳走は与えない。
これで黒狼は昌憲がご馳走を独占した。
つまり上位者の行動だと理解するだろう。
いや、してくれ。
昌憲はそう思わずにはいられなかった。
さらに昌憲は、今度は本当の昼食を取るために肋骨辺りのハラミ肉をナイフで切り取ると、それを火の魔術でじっくりとあぶり、塩を振って口にする。
午前中一杯黒狼と遊んでさらに狩にまで付き合った昌憲は、十分に空腹であったこともあり、バッファローもどきのハラミ肉はことさら美味く感じた。
食事の間は常に視線を黒狼から外していない。
それは、まだお前の食事時間ではないという昌憲の意思の現れであり、黒狼は黙って彼の食事を眺めていた。
そして、十分に腹が膨れるまで焼き肉を堪能した昌憲が、もう喰ってもいいという意思をこめて黒狼から視線を外す。
それを合図にして黒狼は食事をはじめたのだった。
この日を境に、昌憲は黒狼との間に明確な上下関係を保った上で付き合っていくことになる。
日程的には昌憲がこの場所で生活を始めて二週間弱になるが、黒狼を騎獣として使役する第一段階がこれで完了した。
ずいぶん時間が掛かってしまったが、あとは黒狼に騎乗して走ったり、荷車を引かせるための調教をすれば騎獣を得る目標の達成である。
そして、昌憲はこの日から十数日の時間を使って黒狼の調教を完了したのだった。
昌憲は黒狼を北欧神話にちなんで「ハティ」と名づけ、調教の間は絆を深めるために狩や寝食を黒狼ハティと共にしている。
ハティと出会ってまだ日は浅いが、それでも一ヶ月弱の時間を共に過ごしたことにより、今では昌憲の命令を喜んで聞くようになっていた。
時間は目標の倍近く掛かったが、それでも上出来だなと昌憲は思っている。
そして何よりハティが嬉々として自分に従ってくれることが嬉しかった。
偶然に与えられた力、生まれ持った力で、努力も苦労も無くいとも簡単に懐いてくれる魔獣や聖獣が登場する物語。
そんな事が実際に起こればどれだけ楽なことだろうか。
昌憲にもそういう淡い期待はあったが、現実は厳しかった。
しかし、厳しかったからこそ、達成したときの喜びも大きい。
「っしゃぁぁぁ!!」
ついに黒狼を騎獣として従えることに成功した昌憲は、達成感から奇声を上げ、熱くなった思いをクールダウンすべく一夜を明かして、テントや調理道具をアトロのもとへと転送した。
そして、移動の準備を開始している。
次にこの地で成すことは、アトロが仕留めた地竜よりもインパクトのある魔獣をしとめ、ハンターギルドに乗り込むことである。
そして、しとめるべきターゲットは既に決まっていた。
それは、地竜の上位種である。
ちなみに地竜とは飛べない竜種全般示す総称、すなわち種族名――飛べる竜種を飛竜という――なのであるが、これはこの世界の慣例に倣ったものである。
地竜と飛竜は、種族名としては「竜」を冠しているが、遺伝的には異種族であり、顔の特徴も牙がある以外は別物である。
話が逸れたが、昌憲が狙っている魔獣は地竜の中でも上位種である「黒竜」とよばれる地竜種であり、アトロが倒した地竜種は「茶毛竜」という名であり、その名が示す通り焦げ茶色の体毛を持つ。
竜種で体毛を持つとは意外に聞こえるかもしれないが、そもそも、ここで言う竜種とは昌憲が勝手に定義したものなのであって、姿形が過去地球に存在した肉食恐竜に似ていたからそう呼んでいるだけなのだ。
とか言いつつ、さらに話は逸れるが、この世界の発音をそのまま記せば黒竜は「キャスティ・ヘス・クスィー」となるのであるが、これには黒い地竜という意味がある。
黒竜とは昌憲がキャスティ・ヘス・クスィーを日本語に訳した名称だ。
いずれ登場するが、日本語に訳せない現地語――たとえば人名――はそのままカタカナで覚え、地球に似たもが存在する場合は、それに置き換えて覚えている。
さて、話を黒竜に戻そう。
黒竜はその名の通り短く黒い体毛に全身を覆われた雑食の地竜種であり、茶毛竜より一回り大きく、平均体長は五メートルを超える。
生息域は、草原の最西端の高地から昌憲がキャンプを張った地点より西に百五十キロほどまでである。
茶毛竜は個体の戦闘能力値で言えば八千ほどであり、地竜種の中では弱い方であるが、黒竜の戦闘能力値は一万二千と昌憲の相棒である黒狼ハティに匹敵する。
弱いほうと言っても、この地の魔力を持たない一般成人男性の戦闘能力値が、百五十弱だということを考えれば、八千という戦闘能力値がいかに高い数値であるのかは、明白であろう。
ちなみに、今昌憲がいる草原地帯で最も戦闘能力値が高い存在は「白竜」と呼ばれる地竜種で、その値は一万五千に及ぶ。
なぜ昌憲が「白竜」をターゲットにしなかったかといえば、白竜は個体数が非常に少なく、また、非常に美しい存在であったからに他ならない。
昌憲はファンタジー世界の代表的魔獣「ドラゴン」になぞらえて、白竜を「ホワイトドラゴン」と訳しており、できうれば傷つけたくないと思っていた。
それはドラゴンが、ファンタジー世界を崇拝しているといっても過言ではない昌憲にとって、聖獣に等しい存在だったからである。
話が脱線しすぎてしまったが、そんな理由で昌憲は黒竜をしとめるために、生息地へ向けての移動の準備をしているのである。
生活用品をザックへとしまい終え、移動の準備が整った。
昌憲は指笛を吹いてハティを呼び寄せると、その背に跨って黒竜の生息地である草原の西へと向かったのである。