第一話:異世界転移と魔法と伝説の金属
「マーサ、異世界転移に成功しました。これからどうしますか?」
その問いかけに対する昌憲の答えは既に決まっていた。
科学の力を使って、自らの意思で、夢であった異世界へと転移してきた青年、平沢昌憲。
彼はいずれ、この異世界に住む人々と接触し、社会にインパクトを与えながらも溶け込み、冒険や商売をしながら成り上がっていくつもりでいる。
そのためには文化や言語を理解習得し、また、敵と成り得る人間や魔物の情報を集める必要があった。
神様――彼は無神論者であるが――などによる特典付きの異世界転移ではなく、自ら望んだ自力での転移であるため、それは仕方がないことなのである。
そして当然であるが、情報収集の下準備は既に整えてあった。
ちなみに、マーサとは昌憲の愛称だ。
「インビジブルシールド展開型の小型探査機を飛ばしてくれ。数は百機位でいいよ」
そう言った昌憲は今、共に転移してきた屋敷の地下一階部分にある二十畳ほどの管制室で、壁に設置された百インチほどのモニターを眺めていた。
管制室の明かりは消されており、モニターに映し出される映像による光が、昌憲とアトロの姿を淡く浮かび上がらせている。
モニターには屋敷の外部が映し出されており、その光景は深い森の中であった。
ツタが這う巨木の幹、緑の苔に覆われた巨木の根、枯葉や枯れ枝に埋め尽くされた地面、僅かに陽の光が射す薄暗い空間、そして、正体は分からないが、鳥であろうか獣であろうか甲高い鳴き声が聞こえている。
「小型探査機の射出が終わりました。映像を出しますか?」
「いや、今はいい。それより、衛星軌道上の探査装置からの映像を出してくれないか」
アトロは未だに昌憲の横に立ちモニターを眺めていて、動いた様子は伺えないが、唐突にモニターが切り替わった。
モニターには外輪山に囲まれた深緑の森と草原、そして中央に大きな湖が画面いっぱいに映し出される。
この外輪山の中の陸地には、社会的生活を営む知的生命体がいないことは既に分かっていた。
だからこの場所に転移してきた。
なぜならば、この場所こそがわざわざこの世界に転移してきた昌憲の最終目的を叶えるために必要不可欠な場所になるからであり、今はこの世界の誰にもその存在を知られるわけにはいかないからであった。
そんなことを考えながらも、端末を操作する素振りも見せないアトロに、昌憲は動じない。
それはアトロが自身に内蔵された制御装置から、衛星軌道上の探査装置に信号を送っていることを知っているからに他ならない。
そして、先ほど放った小型探査機百機も、同時にアトロが制御しているのである。
「スケールを縮小して大陸全体を映してくれ」
モニターに映る外輪山に囲まれた分厚く巨大な森、中央に大きな湖とその周りの草原。
その光景が次第に遠ざかり、大陸全土が映し出される。
その形は細長いいびつな長円形をしており、中央より下にそびえる巨大な山脈帯によって分断されていた。
山脈の下、すなわち大陸の南側は周囲をすべて山で覆われており、その中は深緑の森が山に沿うように存在している。
それはまるで巨体な噴火口か、隕石によるクレーターのように見えた。
山脈の上側は、ゴツゴツとした大岩がところどころに飛び出た高原に続く分厚い森の層を挟んで、山岳部や平野部が広がり、中央に幾つもの支流からなる巨大な川が流れている。
そして、大陸の北側中央部よりで西に逸れ海へと注いでいた。
大河の河口付近には都市部と思われる人工的な造形が映し出された。
この縮尺で判別できるという事は、相当な巨大都市ということであろう。
そこからさらに北側には雪で覆われた山地と所々に緑はあるが、赤茶けた大地になっており、最北端のあたりは一面真っ白であった。
「川沿いに上流から河口まで拡大して流してくれ」
森から流れ出た川が草原を割って北へと流れている。
草原に出てしばらく下ると、東側に小さな村落だろうか、十数戸の木屋根の家屋が集まり、そこから明らかに道と思える筋が川沿いと東へ伸びていた。
その後も川沿いに大小の集落や都市、大都市などが見てとれる。
そして面白いことに、平原が終わる所には大陸を東西に横断する長大な石壁が確認できた。
「川沿いにある集落や都市の分布は粗方分かった。もう一度引いて大陸全体を見せてくれないか」
モニターの映像がズームアウトしていき、再びいびつな長円形の大陸全体が映し出された。
「俺たちがいるのが外輪山内部北側の森林。外輪山内部の面積は北側の四分の一程度か…… アトロ、大陸の面積はどれくらいかな?」
「二千八百万平方キロ強です。北アメリカ大陸より若干広いですね」
「そうなると俺たちがいる森林の外輪山は、火山によるものとは考えにくいな。巨大すぎる」
「ええ、おそらく巨大隕石によるクレーターでしょう」
「大陸の中央にそびえる山脈帯。外輪山と同化しているが、これは大陸同士の衝突によるものだろうか?」
「間違いないと思いますよ。マーサ」
「それはそうと、他にも大陸はあるのか?」
「大小幾つかありますが衛星軌道上の探査装置を移動させますか?」
「いや、今はいい。さっき放った小型探査機を幾つか向かわせるだけでいいよ」
大陸に存在する集落や都市を確認したことで、昌憲の関心は一旦そこに住む知的生命体へと移った。
が、地球人のような容姿の人間がいるかどうかは、既に確認が取れている。
そして、今は小型探査機を飛ばしたばかりだという事を思い出し、接触するのはまだ後だなと思い直した。
詳細な調査はアトロと探査機に任せて、今は魔法についていろいろ試してみよう。
そう昌憲は考えたのだった。
もともと、昌憲が異世界での冒険に憧憬を抱いた発端は、アニメの主人公が使っていた華々しい魔法に憧れたからである。
これから自身が動かしていくであろう物語において、その舞台となる異世界の分析も重要であるが、魔法に関する研究もまた重要であることは当然であった。
まだ名前も分からない世界であるが、今昌憲が存在する世界では魔法の根幹となる余剰次元が、視認はできないが大きく顕在化している。
余剰次元は、何もしなければ視認することは出来ない。
けれども、それに干渉できることは地球で過ごした最後の一年間で確認している。
もちろん、地球人である昌憲の体内には余剰次元に干渉できる器官などは存在しなかった。
しかしである、存在しないのならば作ればいい。
そう考えた昌憲は、超小型の干渉装置とエネルギー供給装置を開発し、それを魔法を放つための神経線維と共に自身の体内に埋め込んでいる。
これについてはアトロにも同様の装置を搭載済みであるが、彼女は現在、情報収集と分析に専念しているため、管制室に籠りきりであった。
昌憲は管制室の下の下、地下三階にある訓練用の一室に下りてその中央、板張りの上であぐらをかいている。
「何から試そうか……」
そう一人ごちた昌憲は、まずは火の魔法を試そうと、かねてから訓練していた通りの手順でイメージを体内に埋め込んだ干渉装置へと送り込んだ。
「我意を汲み、炎となりて顕現せよ。スモールファイヤ!」
その詠唱をきっかけに、前方に突き出した指の先にロウソク程度の炎が灯った。
ように、傍からは見える。
しかし実際は、昌憲が唱えた言葉にほとんど意味は無い。
そう、魔法はイメージして脳内で干渉装置に指令を出すだけで発動するのである。
しかし、そんな無粋なことは昌憲の矜持が許さなかった。
魔法と言えば詠唱、しかも、その詠唱は強力な魔法ほど長く、かつ、中二的でなくてはならない。
これだけは譲れない。
それが昌憲の信念であった。
指先に灯る小さな炎は本物の炎ではない。
大気中の分子を激しく振動させ発熱発光させているだけである。
昌憲は今、その炎を見て万感の思いで満たされていた。
剣と魔法の世界で冒険したい。
魔法を使って戦いたいと決心してから十余年、その思いがついに現実のものとなったのだ。
しかし、いつまでも感慨に浸っている訳にはいかない。
そう考えた昌憲は寝る間も惜しんで、考えていた一通りの魔法をテストしてみたのだった。
テストの結果は概ね良好だった。
発現できた魔法は火、水、氷、土、雷、光、闇、重力、空間、そして身体神経強化。
出来なかったのは精霊や幻獣の召喚術。
そして、原子構造を変化させる錬金術、つまるところの核融合や核分裂なのであるが、魔法で行うにはあまりにも危険すぎるであろうし、また、そもそもエネルギーが圧倒的に足りなかった。
精霊や幻獣の召喚については、そもそも精霊や幻獣が存在するかどうかすら分からないし、存在したとしてもどこに居るのかすら分からなかった。
可能性はきわめて低いが、もし存在すれば空間魔法で転移させれば召喚魔法は成立する。
しかし、成功したとしても、その相手が友好的だとはとても思えなかった。
ともあれ、考え付く全ての魔法を発現できたわけではなかったが、それでも昌憲は十分に満足していた。
昌憲の研究によれば、魔法とは幾つかの余剰次元に干渉して生物が認識している時空、つまり四次元時空上に特定の事象を引き起こすことである。
特定の事象とは、物に動きを与えたり、空間に固定したり、空間を飛び越えさせたりと、様々な事が可能なのであるが、ぶっちゃけて言うと物質の余剰次元部分を掴んで動かしているようなものなのである。
したがって、魔法には本来、火や水といった属性は存在しない。
例えば火を顕現させる場合、それが燃えるものならば構成分子に強烈な振動を与えて発熱発光させればいいし、どこかで燃えている火を転移してもいい。
太陽の表面で赤熱している水素やヘリウムを指先に転移させたり、指先の空気を圧縮して発熱させ、さらに発光させることもできるだろう。
水もしかり、大気中の水分を凝縮してもいいし、川や泉から転移させてもいい。
雷ならばそこらじゅうに溢れる大気がもつ電子を移動させてやるだけでいい。
つまるところ、魔法とは物質を動かしたり、転移させたりすることだけなので、魔法に属性などは存在しないのである。
しかしである、それでも昌憲は魔法の属性にこだわっていた。
ファンタジー世界の魔法といえば属性である。
平凡な魔法使いは少ない属性しか扱えなくて、大魔導師は沢山の属性を使えなければならないし、光や闇属性持ちは稀有な存在でなければならないのである。
そして、昌憲の願望は魔法だけではない。
ファンタジー世界にはエルフやドワーフ、獣人や竜人、そして、ドラゴンが存在すれば尚良しなのであった。
さらに、主人公は強く理知的であらねばならない。
当然、その主人公は昌憲自身の事なのである。
だから幼少のころより鍛練を怠ることは無かったし、勉学にも励んできた。
地球での実績を見れば昌憲は生粋の科学者である。
しかしその本質はファンタジー世界に憧れる少年そのものであり、科学は夢を実現するための手段にしか過ぎない。
夢の一部、恐らく最難関であろう異世界転移を実現した昌憲にとって、これからやるべきは、異世界で冒険すること。
しかし、そのためにはまだまだ準備が必要である。
短絡的な考えの持ち主ならばそんなことは考えずに飛び出していくであろう。
しかし、表現は適切ではないが昌憲は科学者の端くれである。
短絡的な思考回路は有していない。
病的なまでに理論的であり、思考を重ねる性格なのである。
ただし、ファンタジー世界へのこだわりが強すぎるため、その思考は常人からすればかなりズレたものとなっていた。
「魔法は大丈夫だ。外に出て思い切りぶっ放してみたいが、今は時期じゃない。となると……」
次にすべきことは何か? そう考えた昌憲は武器の研究に取り掛かることにした。
ファンタジー世界の代表的な金属、オリハルコンやミスリルの研究である。
もしもの時のために銃火器は持ってきているが、出来ればそんな野暮なものは使いたくない。
戦うならばやはり剣は外せないし、鎧も欲しい。
当然であるがオリハルコンやミスリルのような金属は、今までいた宇宙には存在していない。
しかしである、ここは異世界なのだ。
余剰次元が顕在化していれば物理法則が違っているかもしれないし、未知の金属が存在する可能性だってある。
そう考えた昌憲の行動は素早かった。
「スペクトル分析でもするか」
アトロがこもっている管制室に駆け上がり、部屋の隅にある端末で太陽光のスペクトルを分析する。
そうすれば太陽に含まれる元素が分かるのだ。
太陽に未知の金属があれば、それは必ず地上にも存在するはずである。
はやる気持ちを抑えてカメラを太陽に向け、光を取り込む。
そして分光されたスペクトルを既知の金属と照らし合わせた。
「うむむむむむ……」
ひとしきり唸って、がっくりと肩を落とした昌憲の姿を見れば、結果は言わずもがな。
太陽に未知の元素は存在していなかった。
それでもオリハルコンやミスリルを諦めることは出来ない。
ならばどうすべきか…… こういうことは地球にいた時に既に可能性として予測していた。
そしてその時のために対策もすでに考えてあった。
「まずはミスリルだな。俺が考えるミスリルは強靭で魔力伝導性抜群であり、魔力抵抗値ゼロでなければならない」
ここで言う魔力とは、昌憲が予測し、魔法を顕現させるための力なのであるが、その力の元になるものは余剰次元干渉装置の出力の事である。
そして魔力神経線維の開発は既に完了しており、既に昌憲の体に埋め込んである。
魔力神経線維は化合物で作った線径ナノメートル幅の極細繊維であり、それをより合わせて強靭にした物なのであるが、この繊維で極薄の布を織り、そこに銀を蒸着したものを幾重にも重ね合わせて一体化する。
なにも蒸着する金属は銀でなくてもいいのであるが、ミスリルといえば銀を連想するし、そのほうが格好いい。
強度的側面からいえば柔らかく硫化しやすい銀を使うことは止めた方がいいと考えるが、内部に強靭な布が幾重にも積み重なることで強度は既に確保できている。
鋼製の剣と比べれば硬度は遥かに落ちるが、魔法を使うことに重点を置いたものなので、さほど問題にはならない。
さらに、硫化の問題が残るが、上から白金をコーティングすればその問題も解消できるであろう。
魔力神経線維の布は既に大量とまではいかないが、かなりの量を地球にいた時に準備してある。
あとはそれに銀を蒸着し、武器防具を作るだけである。
そう考えた昌憲はすぐさま地下四階の工作室へと籠った。
そして、三日間にわたる蒸着装置とプレス機との格闘の末、ステッキ状の自称ミスリルの杖、自称ミスリルの短剣、自称ミスリルの手甲、自称ミスリルの胸当てを作り上げた。
仕上げとして白金を十マイクロメートルほど蒸着して硫化防止を行い、持ち手などを取りつけて二つの武器と一組の防具を作り上げたのだった。
「うん、完璧だ」
昌憲は作り上げた自称ミスリルの杖を掲げて悦に浸っている。
自画自賛もいいところだが、実際に作り上げたその杖は性能的に申し分のないものであった。
「我意を汲み、炎となりて顕現せよ。スモールファイヤ!」
掲げた杖の先に小さな炎が灯った。
昌憲はその炎を見て感慨深そうにうんうんと頷いている。
が、昌憲が作り上げた自称ミスリルの杖は、魔法を使うということでいえばほとんど意味のない物であった。
効果は杖の先から魔法が顕現するだけなのである。
魔法を使うのに杖などは必要ないし、詠唱も必要ない。
本来指先から出るはずの炎が杖の先から出る。
ただそれだけのことである。
極限まで高めた効率により、魔力が減衰することは無いが、ただ魔法を放つことだけを考えれば、その杖はまったく意味のない物であった。
雷や炎を纏って攻撃できる短剣や、魔力バリアを表面に展開できる胸当てや手甲ならば意味はある。
しかしそれでも魔術師には魔法の杖が必要である。
そう考える昌憲は何事もまずは形から入らねば気が済まない性格なのであった。
「ミスリルは出来た。次はオリハルコンだな」
そう言った昌憲が考えるオリハルコンは何よりも硬く、強靭でなければならない。
しかし、物理的に最も硬い物質はダイヤモンドであり、靱性は非常に小さく、熱に弱い。
オリハルコンの剣を作りたい昌憲にとって、ダイヤモンドの硬さは非常に魅力的なのであるが、脆いことと熱に弱いことは致命的であった。
そこで考えたのは、玉鋼やダマスカス鋼などの炭素鋼よりはるかに硬い、金属加工などに用いる粉末ハイス鋼とダイス鋼だ。
超硬工具鋼などの、ハイス鋼やダイス鋼よりもさらに硬い金属もあるが、靱性が低く衝撃に弱いため、見送ることにした。
粉末ハイス鋼にダイス鋼を重ね、芯金にじん性に優れる低炭素鋼を組み合わせ、どんな炭素鋼製の剣よりも硬く折れにくい両刃の長剣と片刃の短剣、槍を五日かけて作り上げた。
長剣と短剣、槍の芯金には魔力神経線維も通してあるので魔法剣も使用可能だ。
強度と切れ味を追究し、比重の大きい合金を使用したために非常に重い仕上がりになったが、身体強化前提の剣なので気にしてはいないし、重いという事は振り回したときの運動エネルギーが大きく、与えるダメージも大きくなる。
昌憲は身体強化をかけ、自ら作り上げた自称オリハルコン製の長剣を「覇者の剣」と命名し、それを掲げた。
その正面、作業台の万力には炭素鋼製の片手剣が刃を上にして横に挟み込まれ、固定されている。
「はぁあああああっ!」
渾身の力を込めて自称覇者の剣を振りぬいた昌憲の耳に、キンッと高い金属音が響き、剣を持つ両手には衝撃が走った。
衝撃といっても手がしびれている感覚は無く、硬球をバットの芯で捕えたような心地い感触だ。
炭素鋼の長剣はといえば、真っ二つに分断されており、その切り口は鋭利なものであった。
自称覇者の剣に刃こぼれは起こっていない。
「クックックッ、完璧だ。覇者の剣よ、これからも頼んだぞ」
昌憲が自称覇者の剣に何を頼んだのかは言及しないが、左手を腰に当てて、右手に持った剣を高々と掲げ、剣先を見つめる昌憲の瞳はキラキラと輝いていた。