第〇話:異世界に憧れた少年
「異世界転移に成功しました」
「ああ、ついに俺の夢が現実のものとなったよ」
見た目麗しい少女が長身の男に目的の達成を告げた。
彼女はその男によって様々な機能を装備され、有機細胞の外装と人間と同様の意識を持つ少女型アンドロイド『アトロ』。
明るいピンク色のショートボブ、クリッとした瞳、透き通るような白い肌、少し低いが小さく形の整ったすっきりとした鼻、厚ぼったくは無いが少しぷっくりとした薄紅色の魅力的な唇。
白を基調とした飾りのないシャツに、ひざ上の蒼いミニスカート。
身長は共に転移してきた男より頭一つ低く、年齢は十五、六に見える。
そんなアトロのAIは核となる部分をその男が組んでいることもあり、彼女は彼の考えを良く理解していた。
眼にうっすらと涙を浮かべ、幼少の頃からの夢であったファンタジー世界への転移を成功させた喜びを噛みしめている男の容姿は、一般的な日本男性よりは背が高く身長は百八十ほどであり、積んできた鍛練の成果もあって、非常に引き締まった体つきをしている。
その男の過去を少しだけ語ろう。
聴きたく無いのであるならば、このくだりは飛ばしても一向に構わない。
近未来の日本に生まれ、剣と魔法の世界に強い憧れを持つ少年がいた。
その少年は、物心がついたころに見たテレビアニメの影響を多大に受け、思考の大半を、その舞台になった世界、つまりファンタジーな異世界で冒険するためには、どうすればいいかということに費やしながら成長していった。
憧れを持ち、それを叶えるために努力する。
それは向上心を持つものならば、誰しもが辿る道である。
しかしそのほとんどは、容赦なく襲い来る現実の前に砕け散り、不可能を学び、やがて現実に沿った道を歩むようになる。
それがこの世に生を受けたほとんどの者が通る道なのであるが、ごく稀に、襲い来る困難を打破し、努力を続け、憧れを追い続ける者がいる。
それでもやはり、現実の壁は厚く、憧れを、夢を現実のものと成すことができる者はさらに少ない。
しかし、それでも憧れや夢を現実のものと成すことに成功した人物は存在した。
そんな偉人達の成功があったからこそ、現在の豊かな生活を我々は享受できている訳なのであるが……
しかし、少年の憧れた夢、すなわちファンタジー世界に渡るということは、あまりにも途方もないことであった。
それでも少年は夢をあきらめなかった。
そんな息子のひたむきで純真な姿を見ていた父親は、ついつい物理学的見地から助言をしてしまった。
『マーサ、物理学を学びなさい。そうすればお前の望みは叶うかもしれないよ』
僅か五歳の少年にそんなことを言っても、分かるはずもないだろう。
しかし、世界的に有名な物理学者である少年の父親は、親ばかな面もあるが、自分の息子の力になりたかったのだ。
そして、理知的で優しい父親に強い憧れを抱いていた少年は、その助言を真に受けてしまう。
今思えば、父親のこの一言が少年の運命を決定付けたと言っても過言ではない。
『物理学は万物の真理を追究する学問である』
これが少年の父親の口癖であった。
物心つく前から、呪文のようにこの言葉を聞かされ続けていた少年は、父親の言葉を疑うことなど考えられなかったのである。
そして、自らの夢を現実のものとするための学習、研究、鍛練、それらを怠ることなく少年は成長していった。
この世の常識からいえば、少年が成そうとしていることはあまりにも荒唐無稽であり、世間に受け入れられるはずもない。
少年がまだ幼いうちは微笑ましく見守られていたが、成長するにつれ、変わり者として奇異の視線を送られるようになった。
普通であれば、そこで別の目標に向かうなり、夢を諦めるなりするものなのであろう。
しかしそれでも少年はあきらめなかった。
表面上はできるだけ一般的な生活、考え方、行動をとっているように見せかけ、その裏で夢を追い続けた。
剣と魔法の世界に渡って冒険者となり、魔獣や強敵と戦って勝利を収め英雄譚を紡ぐ。
それが少年の夢であり、その世界が少年の憧れであった。
だから少年は格闘技を習い、剣の修練を積み、勉学に勤しみながら、異世界へと渡る方法を研究し続けた。
その少年の名は平沢昌憲。
日本で勉学を続けていけば、いかに優秀であろうとも博士課程に進むころには、体力のピークを迎えている。
異世界で冒険することを考えれば、できるだけ若いうちに目的を果たさなければならない。
年老いて異世界へ渡っても意味が無いのだ。
それを恐れた昌憲は、八歳になると両親を説き伏せ、父親が信頼している友人であるイギリス在住の物理学者を頼って、早いうちにイギリスへと渡らせてもらった。
驚くべき意志の強さと行動力であるが、昌憲の成し遂げたことはそれだけに止まらない。
昌憲はイギリスでその恩人の家にホームステイしながら学校に通い、飛び級に飛び級を重ねて僅か十二歳で世界有数の名門大学の博士課程に進むことになる。
そして、僅か二年で数学、物理学の博士号を取り、その後も大学に残って研究を続けた。
さらに、彼が勉強していた学問は何もその二つだけではない。
電気電子工学、機械工学、化学、医学、薬学、経済学など、異世界で役に立ちそうな学問は何でも勉強していった。
このころになると、昌憲は周囲から類稀なる存在、希世の大天才ともてはやされ、論文を発表しては世界の注目を受けるようなったが、世間に公表した論文による研究者としての業績は、あくまでも異世界に渡るために必要な研究資金を集めるためのものに過ぎなかった。
先進的で有用な研究には、国から多額の研究資金が割り当てられる。
昌憲は論文を評価されることで資金を集めては研究を進め、当たりさわりのない成果を論文にして発表する。
その成果をもとにさらなる研究資金と研究者を集め、研究を加速度的に進める。
発表した研究成果は、昌憲にとっては当たりさわりのないものであったが、しかしその中には世界のエネルギー事情を根底から覆すものも含まれていた。
その最たるものが水素の重力核融合装置である。
きっかけになったのは重力制御の研究成果だった。
原料となる水素を独立した重力場に閉じ込め、強大な重力で加圧し、発熱させることで核融合を誘発したのだ。
実を言うと、昌憲はこののち、さらに画期的なエネルギー変換装置を開発するのであるが、それはまた後のお話である。
話を戻すと、重力核融合装置は水素を原料とした核融合のため、その結果生まれてくる物質はヘリウムであり、核分裂を利用した原子力発電のような、放射線放出物質による汚染リスクが極めて少ない。
そして昌憲は、この重力核融合装置の開発で核融合装置としての特許と、重力制御に係わる特許の二つを取得した。
この二つの特許権は昌憲に莫大な資金をもたらすことになる。
その潤沢な資金をもとに昌憲は大学の研究室を離れ、日本の廃村を買い上げ、有能な信頼の置ける研究者を連れて、そこに自分の研究所を立ち上げた。
このとき、昌憲はまだ十六歳であった。
そして二年の研究によって、ついに昌憲は異世界への突破口を開くことに成功する。
ひと昔前まで、この世界は四次元時空で構成されていると考えられていた。
しかし、実際にはそれ以上の、空間に関する七つの余剰次元が存在し、その余剰次元をコントロールすることで、異世界への扉が開かれることを昌憲は突き止めたのである。
昌憲はそれらの次元理論をもとに時空干渉装置を作り上げ、時空の壁をこじ開ける事に成功した。
その壁の向こうにある幾つもの世界、すなわち別宇宙の時空次元を解析し、余剰次元が顕在化している宇宙を探し当てる。
さらに、昌憲の予測によればその余剰次元こそが、少年の夢の一つ、すなわち魔法と呼ばれる異能をも現実のものとするのだ。
昌憲によって探し当てられた宇宙空間に探査装置が送り込まれる。
余剰次元が顕在化している別宇宙に送り込まれた探査装置は、昌憲の組んだプログラムに基づき、送り込まれた宇宙の次元の壁をすり抜けながら、あらゆる空間に出現しては膨大な数の恒星を探査し、その周りをまわる惑星を調べていった。
そして一年の月日が流れ、数万に及ぶ惑星を調査し終えたころ、昌憲はついに科学が発達していない程よい文明が存在し、余剰次元に干渉している形跡が認められる惑星、すなわち剣と魔法の世界を発見したのだった。
探査にあてた一年の間も、昌憲は時間を無駄にはしなかった。
多数の特許により得られた潤沢な資金を使い、異世界へ移転するための準備を進めていった。
既に拠点となる堅牢な屋敷を作り、様々な物資、様々な装置や設備、それらを準備し運び入れてある。
それは屋敷というよりは西洋の城、それも巨城と表現した方がしっくりする建築物であり、地上十階地下五階で、建屋面積だけでも千坪はあろうかという巨大な構造物であった。
外壁は核シェルター並みの強度を誇り、内部には最新の科学技術が惜しみなく使われている。
そして、それらを準備する間も異世界へ渡った後の事を考えて、格闘技や剣技を磨き、魔法を使うことを想定して余剰次元に己の意思で干渉する技術を開発し、自分の体に手を加えてまで訓練していった。
そして、とうとう異世界の惑星へ転移する準備を終えた昌憲は、惑星の軌道上を周回する探査装置から得られる情報をもとに移転場所を定め、最後の準備を進めていった。
最も優秀であり、信頼の置ける片腕とも呼べる研究者に、研究所と所持している特許権の管理を任せ、準備が済んでいる屋敷ごと異世界の惑星へと転移して行ったのである。
このとき、平沢昌憲十九歳。
剣と魔法の異世界を夢見た少年は、ついに自分の夢を現実のものとしたのだ。