第六話 二人の帰宅部と合唱部
ミュー視点でお送りします。
ちなみに雁飛はこの日は部活休みでした。
お兄様の後ろに追従しながら、私は浮雲さんの顔を思い出す。
本当にウザい。
まったく、あいつは鬱陶しい上に無駄にお兄様に屑共の注意を向かわせる……本当に碌な事をしない。
確か、あいつの名前は紅理だったか。……燃やして明るくしてやろうか。
そんな考えが頭によぎる。
が、直ぐに首を振った。
あいつは単にウザいだけ。もし、今回のことでお兄様が狙われたとしても、その時狙った輩を始末すれば済む話だ。
こんなことでお兄様を狙うような輩は、あのウザ女が行動を取らなくとも何時かはお兄様に危害を加えようとするだろう。なら、寧ろ早めに処分できて僥倖だと考えるべきか。
それに、あのウザ女は警戒すべき人種。所謂“莫迦に見せている”タイプの人種だ。
どの道低能だが、屑を見縊り醜態を晒す女など、お兄様に相応くない。
そして……何より、此のチビ女と比べれば。
「松風さん、どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ。気にしないでくれ」
分不相応にもお兄様の横を並んで歩くチビ女が、私を見て微かに目を細めている。
……苛々する。お兄様に近付く淫売女の分際で。
此のチビ女は、私から歌を奪った。此の女のせいで、私はお兄様に歌を捧げられなくなった。
私は、常にお兄様にとって“一番”であり続けたい。
勉強ができるのも、運動ができるのも、料理が上手なのも、歌が綺麗なのも。そして、お兄様に愛されるのも。全てにおいて、私はお兄様の一番になる。
一時は、天才として生を受けた己を恨んだ。兄より良くできる妹など、愛されるわけがない。疎ましく思われないはずがない。嫌われる。捨てられる。
そう思い、毎晩泣き続けた。
おまけに私のせいで、お兄様は妹より不出来な脳なしとして周囲から嘲笑の的にされた。
お兄様を侮辱した屑どもには、私が考え得る限りの苦痛と絶望と後悔を与えてから見るに堪えない腐肉に変えてやったが、それでも私の心が晴れるはずが、お兄様の苦痛が消えるはずがなかった。
しかし、今は違う。
私には、才能がある。御蔭で、簡単に屑を殺せるようになった。
そう、此の才能はお兄様を貶めるために使うのではない。お兄様を護るために使うためのものだ。
そう信じるようになってからは、私は必死になって努力した。努力した分だけ、お兄様は褒めてくれた。
無論、其れで思いあがるようなことはしない。所詮、私はお兄様に苦痛を与えてしまった屑以下の存在にすぎないのだ。
だから、お兄様に愛してもらおうとは言わない。
しかし、私はお兄様だけを愛し、お兄様だけを信じる。
本能は違う。今すぐにでも、お兄様と交わりたい欲望は、常に私の身を焦がし続けていた。
が、そんな資格など無いし、お兄様はあくまで私を“妹”と見ているはずだ。
勿論、何時かはお兄様と一つになりたいという想いは決して消えない。小さい時から、私はお兄様だけを見つめてきたのだから。
それでも、自分にそんな資格もなく、お兄様を傷付けたくない。
その板挟みに、私はずっと囚われている。
しかし、此の程度、お兄様が味わってきた、私が味あわせてきた苦痛に比べれば何てことはない。甘んじて受け入れるつもりだった。
何しろ、今までの業を考えれば、私はすぐにでもお兄様から殴られ、罵倒されて捨てられても仕方がないのだから。
勿論、私は抵抗などしない。お兄様に死ねと言われれば死ぬ。
そんな私にさえも、お兄様は優しく手を差し伸べてくれた。……だから私は、お兄様の一番になる。お兄様に、何人たりとも近付けないように。
お兄様を護れるのは私だけだ。人の醜さを知り、お兄様の苦痛を知っている私だけだ。
常に一番の私が側に控えていることで、誰もお兄様に触れなくさせる。
……でも、お兄様がお友達に囲まれた此の日常が好きならば。
少しは妥協する。……若しくは。
完璧に壊して、お兄様に教え込む。私だけを愛することが、どれだけ気持ちいいかを。
私が気持ちよくして差し上げますよ、お兄様。私の心と身体を、余すことなくお兄様に捧げますから。
……いけない、火照ってきた。
兎に角、私以上にお兄様を護るに相応しい者はいない。
……次点で銀夜だろうか。あのお兄様の後ろで震えていただけの小娘は、私は大嫌いだ。
今でこそ使える駒になったが、同時にあの女はお兄様に甘え、お兄様に醜く縋りついている。
……何時か、本当に殺してやる。
……話が逸れた。
兎に角、私には全てにおいてお兄様の一番になるという目標がある。
……其れを、此のチビ女が壊した。私よりも、綺麗な歌声でお兄様に近付くことで。
……発情した蟋蟀が。綺麗な音でお兄様を惑わし、汚らわしい欲望を満たすつもりか。
何時か、あの喉を潰して醜い声しか出せなくしてやる。
…………蟋蟀の場合鳴くのは雄だが、雄程度の胸しか持たないチビ女も雄と似たようなものだろう。
まったく、あの程度の身体でお兄様に相応しいわけがない。雄モドキは引っ込んでろ。
「……さっきからどうしたんだ雁飛? ミューの方ばかりを気にして」
「いや、何でもないよ。気にしないで……あぁ、ところで来週の生物の実験だけど――――――――」
チラチラと不快気な視線を、これ見よがしにお兄様にもわかるように此方に向けてくるチビ女。
……牽制のつもりか。
此の女の厄介なところはもう一つある。勘が良いのだ、無駄に。雑魚は危機察知能力が優れているというが、まさにその典型的な例とも言える。
恐らく、此の女は勘づいている。私がチビ女に殺意と憎悪を抱いていることを。
此れもまた不快だ。
お兄様の妹として“ヘンな妹”のレッテルをはられ、お兄様にご迷惑をかけないよう。そして、本来なら唾棄すべきことだがお兄様に隠し事をしていることがバレないように、私は常に何十枚も猫の皮を被っている。
だからこそ、有象無象の屑どもにすら笑顔を向けることができるのだ。
そもそも本性のままの私は、お兄様以外など視界に入れたくもない、社交性など皆無の女だ。
もっとも、この“本性”も、あくまで皮を一枚捲った先の“本性”だ。
奥深くにある本当の本性は、此の程度では無い。
その猫の皮の御蔭で、こんなチビ売女とも笑顔で接することができるというのに、それを当のチビ売女に(一枚とはいえ)見抜かれつつあるのは屈辱だった。
だが、私はそんなチビ女を心中で嘲笑う。
――――貴様如きが、私と対等に渡り合えるとか思ってんじゃねぇよ。
コイツは知らないだろう。私がお兄様のために、一体どれ程の屑を消してきたかを。その数は、銀夜の殺した数など比較にもならない。そして、私のお兄様への愛と思いと闇が、どれ程深いかということを。
深淵より深い私の愛と闇は、お兄様以外の全てを飲み込み、圧し潰す。
お兄様だけは優しく受け止める。こんな私にも優しさを恵んでくれる、唯一人の愛する人だから。
私はお兄様のためなら、世界を壊すことも厭わない。
私は世界の理不尽さを知っている。目の前でお兄様が虐げられた怒りと屈辱は、今もよく覚えている。
悪くないのに。
そう、お兄様は悪くない。
天才の私と比べられてきただけだ。お兄様は不良だったか? 悪いことをしたのか? 学校の成績は悪かったのか?
否。
お兄様は優しくて、勉学も運動も優秀だった。
なのに。
私がいたからこそ、無能呼ばわりされた。学校の成績なんて、数字以外の価値など無いというのに。
此れが理不尽でないなら何だというのか。
……なら、お兄様に理不尽を味あわせた此の世界に、私が飛切の理不尽を味あわせてやる。
チビ女の耳障りな声を横に聞き流しながら、私は心中でほくそ笑んだ。
次回はもう一度学園パート。つまり翌日です。
まだ出していないキャラもいますし、紫亜メインの話も書いていませんし。
躑躅堂 紫亜は、実は結構ボスキャラ(予定)です。