第五話 カフェテラスにて放課後を
放課後の一時。
こういうシーンは書いていて楽しいです。
蒼南学園のすぐ近くに、森の中に一軒だけ建っている喫茶店がある。立地と学生の財布に嬉しいリーズナブルさ、そして味で評判のこの洒落た喫茶店の正式名称は『カフェテラス Coral Sea』と言うんだけど、蒼南の学生はほぼ全員が“珊瑚海”と呼んでいる。
「お兄様」
その店の前の道路に、ミューが立っていた。少し驚くが、直ぐに持ち直す。
「ミュー、息災かい?」
「お兄様の御顔を見れて、実に宜しいです」
「そっかそっか。うん、何より」
何時も通りの挨拶を交わす。
「よく、俺が珊瑚海に向かっていると分かったねぇ」
「お兄様のいるところは、直ぐ分ります」
「そんなにワンパターンかねぇ」
「フフフ、私はお兄様の妹ですから」
口元に手を当て、上品な笑いを見せるミューは本当に綺麗だ。
艶やかな黒髪といい、長身にスラリと長い手足といい、白い肌といい、学園一といっても過言では無いほど洗練され尽くしたパーフェクトなスタイルといい、其処らのモデルには絶対に負けないくらいの美少女だ。いや、もう美女でも通用するだろう。
グラビアアイドルも裸足で逃げ出すような美貌にスタイルだから、とても高校生……それも一六歳には見えないかもしれない。
実際、周囲の視線は皆学園のアイドルである彼女が一人占めにしていた。
が、ミューは其れを一向に気にすることなく、何時も通り俺より一歩後ろのポジションに立とうとして――――足を止めた。
その位置には、俺の背中に隠れるようにして雁飛が立っていた。
小柄な雁飛は、ギンと比較しても大差ないほど小さい。俺も一応長身の部類に入るから、さぞかし完璧に隠れてしまっていたことだろう。もっとも、だからといってどうした、と言われれば其れでお終いだけど。
ミューは雁飛をしげしげと見下ろした。本当なら雁飛が先輩、ミューが後輩なんだけど、傍から見れば大学生と小学生に見えてしまう。言うまでもなく、前者がミューで後者が雁飛だ。
「あら、これはこれは松風さん……お久しぶりです」
にっこりとした笑顔で、柔らかな口調で優雅に一礼したミュー。
其れに返すように、雁飛も軽く手を上げる。
「やぁ、深雨さん。本当に久しぶりだね」
雁飛と俺の付き合いは長い。友達になったのが中等部一年の頃だったから、もう今年で彼是五年目の付き合いになるのかぁ。……うん、我ながら本当に長いなぁ。
「お兄様、松風さんとどちらに?」
「ん、珊瑚海だよ。ミューも来るよね?」
「勿論です。御一緒させて頂き、光栄です……お兄様」
そして俺たちは、自動ドアをくぐっていった。
モダンな雰囲気の店内で一番目を惹くのは、中央にドンと置かれた巨大水槽だ。
中には熱帯魚、そして色鮮やかなサンゴが幾つも輝いている。そして、ビーチを連想させるような、波の音のようなBGMが流れている。しかも、レコードで。
夏なら兎も角、この店ではこれが一年中流れているのだ。が、不思議と季節はずれなイメージは持たない。
店の中では、空き席の方が少ないくらいには賑わっていた。放課後は此処で小休止を挟むのが、蒼南の学生のステータスみたいなものだ。
もっとも、此の学園は自然に囲まれていて、街中に出るには長い坂を下らなければならないから、近くに他に店がない、というのもあるだろうけど。
其れでいて安いのだから、個人的には文句のつけようがない。
店内に入ると、直ぐに周囲の視線が此方、正確にはミューに集中した。
が、ミューは相変わらず全く気にする様子もない。
窓際の席に座り、三人分のミルクコーヒーを注文した。
「本当にいいのかい? 奢ってもらって」
「勿論だよ雁飛」
「あら? どうかしたのですか?」
「ん? あぁ、ちょっと約束してね」
「……へぇ、そうですか」
ミューは怪訝そうに小首を傾げていたが、俺の話を聞くと雁飛を一瞥して納得したようだった。
雁飛はそんなミューを流し目で見ながら、コーヒーカップに口を付けている。
「雁飛、部活はどうだい?」
何気なく聞いてみた。彼女は合唱部に所属している。学園一の美声だと評判だった。ちなみに、彼女はソプラノだ。
「ふむ、順風満帆と答えておこうかな。君のおかげさ、晴渡」
「ん? そうかな?」
「そうとも。君がいなければ、ボクは合唱部を辞めていただろう。本当に君には感謝しているよ。だから、困ったことがあればすぐに言ってくれよ? ボクにできることなら、喜んで協力するよ」
チラリ、とミューを見る雁飛。
そして、そんな雁飛を再度一瞥するミュー。
何て言うか、此の二人は昔からこういう感じに互いを見やることが多い。其れでいて、目を合わせるような真似はしない。アイコンタクトでも送り合っているのかなぁ?
「大袈裟だなぁ。俺は君の歌声を褒めただけだぞ?」
「それでも、御蔭でスランプから脱することができた」
歌うことに苦痛を感じ始めていた雁飛。そんな彼女とたまたま話すようになって、一緒に遊びに行ったりした。それが、俺と雁飛が仲良くなる切欠となった。
「松風さんは、本当に歌が御上手ですものね……羨ましいです」
「ははは、君に言われると嬉しいね」
一方のミューも、相当上手い。それこそ、合唱部からずっとスカウトされているくらいに。いや、ミューをスカウトしている部活は一つや二つじゃない。何しろミューは文武両道で、出来ないことを探す方が難しいからだ。其れこそ、あらゆるスポーツを含む。
けど、ミューは頑なに部活参加を拒否している。
ちなみに、俺はギンを家に残しているし、妹たちだけに家を任せるのは嫌だから部活に入らない。
一時、雁飛に熱心に合唱部に誘われたこともあったけど、断った。
そんな感じで談笑していると、
「ん? あれ?……やっぱりそうだ!」
聞き覚えのある声が聞こえた。三人一緒に顔を其方に向けると、一人の女子生徒が此方を見下ろしていた。
「神ノ瀬兄君、それに深雨ちゃん……そして松風先輩!」
元気よく言った茶髪に童顔が特徴の此の生徒は、ミューと同じ一年B組の生徒だった。
「あら、浮雲さん」
「もー、いっつもよそよそしいなぁ。紅理って呼んでといつも言ってるじゃなーい」
「其れで、何か用ですか? 浮雲さん」
「……………神ノ瀬兄君、深雨ちゃんが冷たいんだけど」
涙目で俺の方を見て、抗議してくる浮雲さんに俺は苦笑した。
「ミューは、他人を名前で呼ぶことはしないから」
そう言うと、小さく唸った浮雲さんは腰に手を当てて言った。
「ううん、ま、これからだよね! 今年から知り合ったばかりだもん!!」
浮雲さんは何と言うか、遠慮がない人で、おまけに人が悪い。でも、悪人とは違う……というのが、彼女の幼馴染である躑躅堂さんの談。
ちなみに、躑躅堂さんはA組だから、ミューとも浮雲さんともクラスが違う。
浮雲さんは暫くうんうんと頷いていたけど、直ぐにパンと両手を叩いた。
「あ、そうそう。紫亜に頼まれて、神ノ瀬兄君を探していたんだった」
「……店の中にまで入るのはどうかと……」
「いーんですよ、これも友達のためです」
苦情を言う雁飛をスルーして、浮雲さんは俺を見た。
「はい、どーぞ」
「え?」
其れは、透明な袋だった。中にクッキーが入っている。
「紫亜からの差し入れ。『先輩だけに食べてほしい』だって!」
「こらこら、店内で騒ぐな」
周囲の反応を窺いながら、俺は差し出された袋を受け取った。
……多分躑躅堂さんも、ヘンな連中に俺が狙われないように浮雲さんを経由したのだろうけど……これじゃ、意味ないよなぁ。
周囲の視線とざわめきを感じながら、思わず脱力しそうになる。
そんな俺は、そのクッキーを憎々しげに睨むミューと雁飛に気付かなかった。
次回はミュー視点で放課後を書いていきます。
本作は放課後や家での一時がメインです。帰宅部ですし。