第三話 2-D教室
今回、新しい登場人物が多いですが、本作は基本的にサクサク進めるつもりです。
テンポよくするって難しいですね……。
登校、教室に入るまで。
朝。何時ものように、俺より一歩後ろにはミューが歩いている。
声をかけられるたび、にっこりと笑顔を振りまくが……時々思う。ミューって、一体何枚の猫の皮を重ね着しているんだろう?
ミューは、俺たちの両親が死んだ日から変わった。
突然の交通事故だった。
よりによって、結婚記念日に旅行に行っている最中に、親父の愛車ごと崖から落ちていった。
その時、情けないことに俺は何もできなかった。唯、現実味がなく呆然としていただけで、葬儀とか遺産の引き継ぎとかは全部ミューとギンがやってくれていた。
それ以降、ミューもギンも、俺の前では露骨に他者を嫌う様になった。いや、見下している、と言った方がいいのかもしれない。俺の前でだけ本性を出す。でも……其れは、本当に彼女たちの本性なのだろうか、と考えてしまう。唯、猫の皮を一枚剥いだだけなんじゃないか? と思ってしまう。
……止めよう、不毛すぎるし、妹を疑う理由なんて一切ないんだから。
そんなことを考えていると、ポンと肩を叩かれた。
振り向くと、其処には俺より頭一つ長身で、短く刈った髪が特徴的な同級生の姿があった。
「右一か」
「よぉ晴渡。何だ、名前と違ってシケた面してるぜ?」
「あら、武笠さん、おはようございます」
「おー、深雨ちゃん。今日も美人だねぇ」
「御冗談を」
右一はスポーツバックを持ち直すと、爽やかに笑った。如何にも体育系だと分かるが、実は彼はクラス副委員長でもある。まぁ、押し付けられたと言った方が正しいかもしれないけど。
確か、彼はサッカー部だったっけな。
「朝錬は?」
「ん、おう、今日は無いんだよ。ほら、今日は“運動連”の定例会があんだろう?」
「あー、そっか」
運動連。運動部連合組織の略だ。小中高一貫学校で、しかもマンモス校でもある蒼南学園は部活の数もとても多い。其れこそ、国内最大規模といっても過言じゃないくらいだ。
だから、蒼南学園は部活を運動部と文化部に分け、其々を統合して予算とかその他の話し合いの場を設けている。
特に大会とかが多い上に備品などでやたらと金のかかる運動部では、各部での予算の取り合いや施設の優先権などで争いが絶えなく、言わば公式の場で争うための組織が此の運動連だったりするそうだ。
もっとも、予算争いが熾烈なのは文化部でも同じだそうだけど。
ちなみに、文化部連合組織は“文化連”と略される。
「帰宅部の俺とミューには関係ないけどね」
「ははは、ウチぁ部活動強制じゃないが、部活の数自体は多いからな。帰宅部はそんなに多くねぇ」
其の儘雑談タイムに突入する俺たちを、ミューがぴったり後ろから張り付いていた。
校舎内でミューと別れ、俺と右一は教室へと入ろうとした。教室前には[2-D]のプレートが付けられている。
が、俺は其処で足をとめた。
教室前の廊下に、一人の女子生徒が佇んでいたからだ。
左目を包帯で隠しているが、それでも美人だと分かる顔立ち。ミューと同じくらい長身で、スタイルもそこそこだと分かる……けど、何て言うか、顔色が悪い。
もう、幸薄そうな感じしかしない。失礼だから口には絶対に出さないけど。
「躑躅堂さん」
「ひ、ひぁ!?」
俺が話しかけると、彼女は飛びあがらんばかりに驚いた。其の儘フルフルと震え、涙目になって俺を見上げる。長めのポニーテールがゆらりと揺れた。
「せ、先輩、おはようございます……」
相変わらず、消え入りそうなほど小声で喋り、ぺこりと頭を下げる。
でも、彼女曰く此れでも積極的な方だという。何でも躑躅堂さんは男性恐怖症で、おまけに大の気弱だとか。
……まぁ、見ててわかるんだけどね。
「あ、あの先輩……先週の御返事は……」
「あぁ……」
実は俺は、先週此の人に告白された。あのときは、もう本当に驚いた。
何しろ、ミューに並ぶ“二大アイドル”のもう一人……人気がハイパーインフレを起こしている躑躅堂さんに告白されるなんて、全く思っていなかったからだ。
何でも、護ってあげたくなるような小動物っぽさが男女ともに人気らしい。
ちなみに、彼女は高等部一年ではミューの次に成績がよく、つまり学年二位。
「流石に廊下では……」
「あっ、そうですね……すみません」
朝早く、生徒が少ないとはいえ流石に廊下で告白云々の話をするのも気が引けるし、躑躅堂さんに変な噂が付いてしまえば俺の責任だ。其れだけは避けたいし、あってはならないことだと思う。
「ごめん、正直、まだよくわからないんだ……」
「い、いえ! わたしがいけないんです。いきなり呼び出してラブレターなんて渡してしまったら……」
躑躅堂さんと初めて会ったのは二カ月前、つまり、今年の四月。入学式の後、たまたま困っていた彼女に出くわしたのが切欠だった。
流石に、話すようになってから二カ月しか経ってない相手と交際するのは気が引けるし、何より彼女は学園のアイドルだ。俺より相応しい人はいくらでもいるだろうしなぁ……。
「じゃ、じゃあ……」
「はい。それでは」
躑躅堂さんはもう一度ぺこりと頭を下げると、貧血を起こしている人みたいにふらふらと歩いていった。
此れも何時ものことで、もう見ているこっちとしてはいつ車に撥ねられるか心配でしょうがない。
彼女の幼馴染でもある浮雲さん曰く、子供の時からああいう歩き方だけど事故に遭ったことは一度もないそうだけどさ。
「終わったかー?」
「ん、あぁ」
気を遣ってくれたのか、いつの間にか離れていた右一が近付いてきた。本当に気が回る友人で、俺も助けてもらった回数をあげればキリがない。
……彼の方が、よっぽど躑躅堂さんに相応しいと思うけどねぁ。
「紫亜ちゃん、本当に可愛いよなー」
「……あぁ」
下心があるわけでもなく、右一は純粋に思ったことを口にしている。大体、右一は別に女好きでもなく、寧ろ全く恋愛に関心がないそうだ。
理由は、よくわからない。
教室に入り、席に鞄を置く。まだ人数はまばらで、俺と右一を足しても二桁に昇らない数しかいない。
ふと黒板に目を向けると、丁寧に黒板を拭いている小柄の少女がいた。
「おはよう、雁飛。日直かい?」
「ん? あぁおはよう晴渡。君も早いね」
振り返ったのは、色白で整った顔。彼女は笑顔を咲かせると、黒板を拭く手を止めて俺の方へ向き直った。
雁飛は男のような名前だけど、立派な女性だ。明るい茶色の髪をボブにしている。
彼女とは中等部の時からの付き合いで、其れからはクラスも班もずっと同じだった。勿論今もそうだ。
チラリと黒板の隅を見ると、日直欄の下に[松風 雁飛]と書かれている。
「委員長に加えて日直か、大変だねぇ」
「そうでもないさ、ボクが好きでやっていることだしね」
雁飛はうっすらと笑うと、満足そうに頷いた。
「……それより、さっき廊下に君と躑躅堂さんが立っていたのを見たんだけど……トラブルでも?」
「ん? いや、ちょっと話してただけだよ」
「そうかい? だったらいいんだけどね……。彼女はとても人気だ。周囲にはストーカーまがいな行動をしている者も多い。十分気を付けてくれよ?
彼女とトラブルがあれば、君にどんなトラブルが降りかかるか考えるだけで恐ろしいよ。正直、彼女には関わらない方が得策だね。彼女は儚げに散りかけた、茨の園のようだよ」
……雁飛。そういう君も、自分がどれだけクラスや周囲から人気があるのか自覚しているのか?
そう言いかけて、口を閉じた。
躑躅堂さんに対して少し辛辣な気もするが、それでも雁飛は俺のことを心配してくれている。無下に返すのもよくないはずだ。
「はは、周囲から視線を浴びるのは、妹たちのことで慣れてるよ」
俺がそう返すと、雁飛は真剣だった表情からはっとしたような表情に変わった。そして俯き、目尻を下げる。
「……すまない、つい失念していたよ。そうか、嫉妬の視線を受ける辛さは、君は知っていたんだ、だというのに……」
「気にすること無いさ、ありがとう、雁飛」
嫌な気分にさせちゃったな。後でコーヒーでも奢ろう。雁飛の大好きなミルクコーヒーを。
財布の中身を思い出しながら、俺はポンと雁飛の肩を叩いた。
次回は授業とか……と見せかけ、ギン回です。
ころころ場面が変わってすみません。