第一七話 踊り場アフタースクール
今回は今までとんと出番がなかった彼女のお話です。
俺は雁飛に断りを入れ、美香月の後へついていった。ふらふらと歩く彼女についていった先は、俺たちのクラスがある階の踊り場だった。ちなみに高等部二年の教室は三階にある。高等部の校舎自体は四階建てだ。
節電・省エネが叫ばれている昨今の風潮に対応しているためか、それとも単に暗くなるのが遅い夏だからか、階段の電気はついていない。
「セイ先輩」
「……ん、ああ」
しまった、返事が遅れてしまったな。
気が付けば、美香月はちょうど俺と向かい合うような位置にいた。眼鏡越しの瞳が、俺を見上げている。
小柄な彼女は壁に寄りかかり、僅かに屈んだ。ふわり、とスカートが揺れる。
「セイ先輩」
「ああ」
もう一度呼ばれ、今度は即返事を返す。それに満足したのか、美香月はうっすらと微笑んだ。
彼女とももう、雁飛程に付き合いがある。そこそこ見知った仲だ。だからこそ、美香月はすぐに返事をしないと拗ねるということは重々知っている。……何度かこれで苦労したことも、今では良い思い出だ。
機嫌を悪くした女には、男って奴はどう足掻いても勝てないのだ。
「もうすぐ、蒼流祭ですね」
「そうだな」
「私のクラスでは、ダーツをやるんですよ。景品を用意して」
「へぇ」
何だ、ウチよりアクティブじゃないか。彼女を含めた高等部1-Aは、インドア派揃いで有名だというのに。
四月のレクリエーション大会のバレー試合で、今世紀最大級のボロ負けをかましたという噂はよく聞いていた。
「下らないですよね。マトに向かって何か投げて、何が楽しいのでしょう?」
「ダーツが趣味の人に謝りなさい」
ガラにもなく嗜める側に回ったが、彼女との会話では特に珍しくない。如何も彼女、兎角物事を否定するのだ。我ながら、よく彼女との付き合いを保てたなと思う。
……性に合っていたのだろうか?
「セイ先輩」
「ああ」
「……今年は、あの人と一緒に過ごすんですか?」
「あの人?」
「躑躅堂先輩ですよ」
ドキリとした。
赤茶色の髪を揺らして、美香月は僕を見上げる。唯でさえ身長差がある上に、今の彼女は屈んでいるのだから、そりゃあ上目づかいにもなるだろう。
だけど、口元が変に上がっているせいで、何だか不気味な笑みに見えてしょうがない。
不穏な空気を若干感じ、思わず唇を舐めた。
「最近、仲が良いって噂じゃあないですか。ファンクラブに目を付けられてません? 何か酷いこと、されてませんか?」
「……まぁ、そこそこは。酷いことは特にされてないよ」
本当は告白までされました。未だ保留中です。
何て言うこともできずに、俺は日本人特有の愛想笑いでごまかした。
そう言えば、躑躅堂さんにはファンクラブもいたんだっけな。別に何も関わっていないけど。
「仲良くなればファンクラブに目を付けられかねない。仲が悪くても関われば巻き込まれる。面倒くさい女ですよね。まぁ、高根の花は高根らしく、良い人と付き合うでしょう。……そこにセイ先輩が含まれているのも、当然と言えば当然でしょうけど」
珍しい、と思った。
美香月はあまり多弁な方ではない。どちらかというと、無口とも言える。……そしてこうなっている彼女は、大抵興奮している時だ。
「まぁ、ファンクラブ云々に関しては躑躅堂さんの責任じゃあないだろう?」
「ですね。まぁ、セイ先輩には何もなくて良かったです」
ツイッと目をそらし、彼女は微妙に足を組みかえた。相も変わらず俺を見上げたまま、彼女は笑う。
「それで、どうなんですか?」
「……わからない」
本当のことだ。今のところ、彼女から誘われていないし、勿論俺の方から誘ったりもしていない。
大体、俺は蒼流祭でそんな遊び歩いたりしていない。毎年毎年、雁飛や美香月を含む友達や知人と自由時間にちょっと飯や土産を買いに校舎内を歩き回るけど、それもほんの少しだ。
別に、デートとする気なんて欠片もない。一応図書委員としての仕事もあるし、クラス・イベントもある。
それに、ミューや後輩たち、別クラスの友達がやっているイベントも見なくちゃあいけないから、実は殆ど余裕がない。そのくらい、付き合いの長い美香月だって知っていることだ。
俺がそれを指摘すると、美香月はますます笑みを深くした。
それは自分の予測が上手く当たった、と喜ぶような笑みだった。
「その通りなんですけど、あの女、何かやらかさないかなーって思いまして」
「……信用ないなぁ、クラスメイトだろうに」
「セイ先輩だって、クラスメイトなら無条件に信用しているというわけではないでしょう?」
「まぁ、そうだけども」
「くっだらない連中ばかりですしね」
ふぅ、とため息を吐き、美香月は首を横に傾け、目を細めた。
相も変わらず、何の脈絡も無しに何かを貶す少女だ。
こんな彼女だけど、一応俺は面と向かって貶されたことは一度もない。出逢った当初から、何故か彼女は俺にやたらと話しかけてきたし、俺もそれに答えていた。
可愛い後輩。それが俺の美香月へのイメージだろう。
他者を貶すのも、別に誰も貶さずに生きている人の方が珍しいだろうし、特に気にしてはいない。
……まぁ、身近に他人嫌いの権化というべき存在がいるのも大きいだろうけど。
要するに、こういう性格の相手は慣れているのだ。
「では、何時も通り、ということなのでしょうか、セイ先輩」
「……まぁ、そうかな」
躑躅堂さんへの返事もあるけど、それと蒼流祭は関係ないし、俺自身、まだ決めかねている。何しろ彼女の事はいまだによく分からないのだ。不用意に応えて傷付けたくはない。
「だったら、いっぱい楽しみましょうよ、蒼流祭を」
美香月は立ち上がると、笑顔を咲かせて俺の手をとった。
美香月は結構毒舌キャラです。毒舌と言いますか、俗世嫌いと言いますか。ミューやギンとはまた違った「主人公以外嫌い」キャラです。
まだまだ彼女には秘密があります。
次話は茶道部員とのお話。都合により次話に回す事にしました。