少女が封筒を届けるまでの旅
「はいこれ。大事なものだから、絶対に、落とさないでね」
気だるげな声で、ただ小さな子供に言い聞かせるようにしっかりとその声は念を押していた。
「はい! いってきます!」
少女はある場所に封筒を持っていくだけの仕事に、目を輝かせていた。
「あー、なんて言えばいいのかね、なんて聞いてる? 俺のこと」
「道案内の人だと」
「そうそう!道案内の……山守です。ちょっとの間だけど、どうぞよろしく」
少女を待っていたのは、メガネをかけ、少し猫背気味の中肉中背の男だった。人の良さそうな笑みを浮かべている。
「舞川透です! よろしくお願いします!」
トオルの声が昼間の閑静な住宅街に響き渡った。
「……元気でいいね。じゃあすぐ出発しよう」
2人はオフィス街から少し離れた住宅街の1車線ほどの細い道を進んでいた。
「歩きなんですか」
「まあ、最初だけだよ。慣れたら自分のやり方でやってもらっていい」
「慣れるんですか」
「慣れるよ……いや、そうだった」
「今の話は忘れてくれ」
何かまずい話があったのか、男は慌てた様子で言う。
「それは業務に入りますかね」
「え? 入らなかったらどうするんだよ」
「そりゃ……どうしましょ」
「勘弁してくれよ」
男は笑いながらも、顔を引き攣らせ、強い口調で言った。
トオルはにかっとした笑みを崩さず、そうですねえ、とか相槌を打っていた。
しばらくして、ファミレスやスーパーがあるような場所に出る。
山守はそこで止まった。そこにはチェーン店のカフェがあった。
「ここで俺の道案内は終わりだ。このカフェで待ってな」
「何分」
「何分でも」
「分かりました。ありがとうございました!」
「おう。まあすぐ来ると思うがね」
食事代として、と、山守はトオルに千円札を置いて行った。
店に入り座ったトオルが少し上を見ると、柱にかけてあるアイボリー色の針時計の金の秒針が滑らかに動いていた。
「こんなところ通るんですか」
ヒト1人が肩をすぼめてやっと入れるような路地裏をトオルともう一人の少女が歩いていた。
「狭いよねー。まああとちょっとだからー」
カフェで小1時間ほど待っていたトオルを迎えに来たのは、まいかという大学生くらいに見える女性だった。
「はははー、だいぶ遅れてるねえ」
腕につけているピンクゴールドの腕時計を見て、急がなきゃ、とまいかは歩みを早めた。
まいかの髪はサラサラで、夕日の光をくっきりと反射している。
シワのないブラウスの上にセーター風のカーディガンを羽織っていた。
「日が暮れる前に行かないとー、のちのちたいへんだからねー」
間延びした雰囲気の声で、まいかはトオルを急かす。
「結構動く仕事なんですね」
「まあその分額もよかったっしょ?それに見合うってことだよ」
トオルが何かに気がついたように言う。
「その靴もお給料で?可愛い靴ですね!」
「え、分かるー!?そうなの、この靴も十万するんだよー。こーいう仕事でもしなきゃなかなか買えないよねー!」
話しながらしばらく歩き続けていると、開けた車庫のようなところに出た。
外はもう大分暗くなってきていた。
「さ、ここに車が来るからねー。それに乗るんだよー」
「分かりました! ありがとうございます!」
「ま、きおつけてー」
まいかの姿が見えなくなってからすぐ、エンジン音と共に黒い車が走ってきて、目の前で止まる。
トオルはその車の後ろに乗り込んだ。
「あの、どこまで……?」
車に乗せられ、たどり着いたのは無人駅だった。
そこには1人黒のパーカーにジーンズの男性がいたが、着いてこいと言ったきりそれから電車を待っている間一言も話さないままだった。
マスクをして帽子をかぶっていて、年齢が分からない。隙間から見える青白い顔色が不健康そうだった。
「そろそろだ」
「そろそろですか」
暗い線路の先には、まだ電車の光も見えない。
2人の他に誰もいなかった。蜘蛛の巣のかかった蛍光灯が妙に不気味な雰囲気を出している。
しばらく待つと小さな駅中に警告音が鳴り、もうしばらくすると暗がりから電車が現れ、目の前に止まった。
「この電車に乗るんですか?」
男は何も言わずに乗り込む。
トオルもそれに続いた。
車窓からビル街が見えていたのが、田んぼだけの景色に変わる。
途中からそこそこ人が乗ってきたものの、それぞれ目を瞑り、俯いて、静かだった。
トオルは男の向かい側に座っていた。
電車に乗った時少しはまだ日の明るさが残っていたが、乗っているうちに真っ暗になってからもう結構経っていた。
トオルと男は長い間電車に揺られていた。
トオルは他の乗客と同じように俯いている男に声をかけた。
「あの…どこで降りるんですか?」
「…………」
男は何も言わない。
「あの……?」
するとしばらくして、男はああ、うん、とか言った後、
「乗り過ごした」
とだけ言った。
一旦、2人は電車から降りる。男はしばらく携帯を操作していた。
その画面は暗く、何を見ているかは分からなかった。
「えっと、ここからは……」
「1人で行くか」
その声は抑揚が無く、一瞬分からなかったが、トオルに聞いたようだった。
「ここから結構行ったところだ。もう2人分の旅費がない。君の持ち合わせがあればだが……」
「すいません、私もないです」
「そうか……」
すると男はズボンのポケットからしわしわの千円札を取り出した。
「ここに千円ある」
「その封筒をある所に持っていけば報酬が貰えるようになっている」
「いいんですか?場所教えて貰っちゃって」
「本当は帰したいところだが、お前もそうはいかない事情があるんだろうから」
そう言って男はどこからか取り出した古く黄ばんだメモ帳の切れ端に簡易的な地図を書いて渡した。
「ただ、その封筒が絶対に見つからないようにだけ気をつけて」
「分かりました!」
「その封筒を見せてくれますかね」
トオルが電車を降りて目的地に移動していると、警察官に呼び止められた。
「誰にも渡しちゃいけないって言われてるので」
トオルは封筒を後ろ手に隠すようにする。
「最近多いんですよね。ここら辺で……」
「っ! やめて!」
ほぼ絶叫だった。
動かない。寝ているようにも見えるが、顔がこわばったまま変わらない。寝ていないことは明らかだった。
気絶したか、あるいは。
そういったことを考えているのだろうか。トオルはしばらくその場に立ち尽くし、前触れなく歩き出した。
公園のベンチで眠ったり起きたりしながらその夜を過ごしていた。
空が白み始めた頃、ゆっくりと立ち上がって伸びをする。
「よしっ、行こう!」
少女がいたのは早朝のオフィス街だった。
「ここにいると思ってましたよ。大森さん。いや、田代さん。ですよね?」
たくさんの人々が歩いている中でトオルが呼び止めたのは中肉中背、猫背の男だった。
「何のこと……で? 君とは会ったことないはずだけど……」
「もー! こないだ会ったばかりなのに忘れちゃうなんて、あり得ませんよ!」
男はあからさまに狼狽える。
「いや、本当に会ったことないから。帰ってくれ」
会ったことない、の所を強調する。
「そうそう。大森さんって案外ズボラ?何かがなくなっていたの、気づきませんでしたか?」
「え? 何が……何もなくなってないと思うんだけど」
トオルは年相応な雰囲気のしたり顔で一枚の手のひらほどの紙を取り出す。
「名刺を一枚、拝借させていただきました。なになに? 大森カンパニー株式会社、田代貞男……大森ってここからとってたんですね〜」
「そういえば、会社から何かありませんでしたか?」
「まさか……嘘だろ……」
これからのことを考えているのか、逆に何も考えられないのか、男は俯いて黙り込んでしまった。
「心当たりがありましたか? ではそういうことで、さようならー!」
少女はひどく狼狽する男を残して走り去り、人混みに混ざって分からなくなった。
「あんたがやったの?」
「あんたが学校とママとパパに言ったの……?」
まいかはすぐに見つかった。向こうから話しかけてきたのだ。
まだ早い時間の住宅街には、人はあまりおらず、車が少し通るくらいだった。
「そこまで広がったんですねー!私はその制服の学生にちょっと噂を言って回っただけですよ〜」
「……っ、ひどー」
まいかはトオルに向き直る。その顔は涙で目の周りが腫れているようだ。
「いやあんた、おかしいよ」
「あんたが勝手に仕事して、勝手に失望して、勝手に復讐して、」
トオルは表情を変えない。ただ楽しそうにニコニコしていた。
「どうしよう、もう学校行けないよー……」
「迷惑でした?」
「大迷惑」
「それはよかった!さあ、次が詰まってますので!」
「おい!待てよ!」
静止も聞かず、トオルは足早に路地裏を駆けて行った。
もう空はほとんど明るくなっていたが、この駅のホームだけは薄暗い感じがした。
黒いパーカーにジーンズを着た若いーーマスクを外すとかなり若い印象になったーー男が立っていた。
「これから、大変ですね!」
男は話しかけたトオルに気づく。
「うん」
どうしてここにいるのか、などは聞かなかった。
「せめて、更生できるといいですね!」
「ああ」
しばらく男は黙っていたが、思い出したように話し出した。
「こんな事、ずっとやっている訳にもいかなかったんだ。元々。」
「……むしろありがとう」
対してトオルは黙り込んだ。
その目は冷ややかだった。
トオルは駅を後にした。
その男は腹を押さえてうずくまり、しばらくした後動かなくなった。
「でっかいお家〜!!」
「じゃ、じゃあこれで…」
トオルに同行していた男がそそくさと去ろうとする。
「じゃあ、最後! 行きますか!」
その少女は赤い液体の滴るナイフを持っていて…
そこで目が覚めた。
愉快な夢だった。
積み上がったダンボールの中からペットボトルを一本取り出して水を飲む。
テレビがついていて物騒なニュースがやってたからこんな夢を見たのかもしれない。
そろそろあの封筒も届く時期だし。
もちろん封筒の中身は例のブツというやつだ。
ここからまた横に流すことで私は現金を貰う。
起きた時には“恋人”はもういないようだった。いつも丁寧に服から歯ブラシまで持って帰っている。
洗面台の前で歯磨きをしていると、リビングの方で物音がした。
「家鳴りかね」
パキッ、という音じゃなく、もっとドサっ、ていう音だったような気がするけど……。
鏡に向き直りーー
「ん? 見間違いかな」
確かに私の後ろに人影がこっちを見ていた気がした。
だが後ろを見てみても誰もいない。
「ちょっと怖い夢見たからかなー」
寝ぼけてるのかもしれない、と自分に言い聞かせる。
だってここマンションの何階だよ、オートロックだし。
一旦落ち着こうと思って、リビングに戻ってソファに座った。
ニュースだと思っていたのはワイドショーだったらしい。
連続殺人事件についてコメンテーターが話している。防犯カメラ映像が流れる。画質の悪い映像の中で身長の低い人が1人、夜の道を歩いているようだ。
「まさかね」
ふと見渡していると、玄関に“恋人”の靴があった。
戻って来てた……?
リビングでまた鈍い物音がする。
リビングの方を振り返るも誰もいない。
「ソファから……?」
屈んでソファの下を見る。
どうして、そこで見ようとしてしまったんだろう。
ーーめまいがする。
110番……警察はダメだ。
そこには、“恋人”がいた。
血走った目を開けてぐったり……、ぐったりしていた。
いや、もう1人いた。もう1人……夢の……!
「とりあえず、外に……!」
静かに玄関に向かう。人影の姿は見えなかった。
鍵を開けて、外に出ようとドアノブを持つ。
だがそれ以上動かなかった。
「え? ……え、どうして!?」
何度試しても開かない。外からストッパーがかかっているようだ。
リビングから物音がする。それはやがて物を引きずるような音に変わった。
フローリングを踏む足音は段々と近くなってくる。
洗面所のドアを開ける音が聞こえる。洗面所から玄関まではすぐそこだ。
そしてついに、玄関に繋がるドアが開いた。
「……」
夢に出てきた少女が辺りを見回す。あまりよく見えないが、その手には人間の腕が覗いているように見えた。もう片方の手にも何か持っているらしい。
咄嗟に普段使っていなかった人がギリギリ入れるくらいの靴箱に入っていた。埃っぽいようなカビっぽいような匂いがする。足元には蟻のような虫がいるのが見えた。
扉の隙間から少女の様子を見る。少女はまだこちらに気づいていないようで、リビングや洗面所をもう一度まわっている。
その少女に見覚えは無かった。無いはずだった。会ったことがあったとしても売人の顔なんて覚えていないものだし、見たことがあるかと言えば定かではなかったが……
ーー足にゾワっとした感覚がした。
悲鳴を上げそうになるのをすんでのところで堪える。
下を見ても真っ暗で、何が登ってきているのかは分からない。
かすかに光が入る所には、蜘蛛の巣に何か虫がかかっているのが見えた。
足を振ってみても、その感覚は無くならない。
手で払おうとした時、その手は逸れて、靴箱の扉に強く当たる。
そのせいで少し扉が開いてしまったのを戻そうとした時、焦りからか手が引っかかって大きな音が出た。
リビングを見ていた少女が再びこちらに来る音が聞こえる。
虫は足から外れて、靴箱の扉を上に登っていく。
「……」
戻ってきた少女は黙ったまま、入念に玄関を観察していた。表情ははっきりと見えない。引きずっていたものはどこかで置いてきたようだった。
「あっ、ここかな?」
少女は明るい声で玄関近くの物置を開けていた。
まだ大丈夫か……
ポケットに入れていた携帯を取り出してとりあえずもう1人の“恋人“に連絡しようとした時、視界に黒いものが入る。
見ると頭の上から、てらてらとしたたくさんの目がはっきり分かる大きなクモがーー
「ひっ」
思わず扉を開けて外に出てしまう。
「どこにいたんですか? 探しましたよ!」
そしてついに少女に見つかってしまった。
とっさに玄関に置いてあった護身用のスタンガンを手に取る。
「あなたは何?どこから入って来たの」
スタンガンを少女に向け、少女と少しずつ距離をとりながら尋ねる。
「はい! この封筒を持って来ました! あの人が開けてくれたので!」
少女はスタンガンにも怯まず一歩こちらに近づく。右手には確かに封筒を持っていて、もう片方の手は後ろ手にしている。
あの人……”恋人“はまあ、開けるだろう。封筒を持って来たとなれば特に……
見た感じその姿は見えなかった。
「じゃあその封筒を置いて出て行って、報酬は後日」
「あ、違うんです! それもそうなんですけど!」
こちらの声を遮り、少女また一歩近づく。
「教えて欲しいことがあって!」
もう一歩後ずさると、背中にドアノブが当たった。
「……何」
「あなたに指示してる人もいるんですよね? その人がいる場所を教えて欲しいんです!」
そんなもの知るわけがない。上に送るルートはもっと複雑で多様だ。取引先もその時々変わるものの方が多い。
「教えてくださいます?」
「教えなかったら」
少女が物置の扉を開けると、”恋人“の姿があった。
依然としてその目は開き切っていてかつどこも見ていなかった。
「気絶してるだけですよ」
「き、気絶してただけか〜。良かった〜」
何考えてんだ私。全く良くはないんだが。
しっかりよく見てみると、確かに呼吸をしていた。
彼女が持っていたのはナイフ……ではなく小さなハンマーのようなものだった。
おそらくそれで気絶させたのだろう。
「でも本当に知らないよ。送っている場所も一定じゃない」
「へえ…」
少女は何かを考えている。
「あっ!そうだ!」
急に少女が声を上げる。
「じゃあついて来ていただけませんか?」
「ついて行く?」
「私、場所がわからなくても、片っ端から関係のある人に1人ずつ聞いていけばいいと思ってるんです!でも私、一文なしなんですよ!」
「つまり、そのためのお金が欲しいってこと……」
「そういうことです!あと人手も!」
「いやあ、そんなに収入あるわけでもないし……」
「この家売れば良いじゃないですか!」
どうせついて来るんですし、と突然無理な提案をしてくる。
「この立派な壺も祭壇も売れますよ!」
「それは売り物」
「命惜しくば、って感じですけど」
少女が“恋人”にハンマーを突きつける。だがそのギラギラとした視線はしっかりとこちらに向いていた。
「わ、分かった。必要な分のお金と、必要な時についていくということで」
「約束ですよ!」
目の前の少女が浮かべたにかっとした笑みは、夢の少女にとてもよく似ていた。




