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16.珍客

「ありがとうございました」


 金曜日。二限までの大学講義を終えて、僕は店番をしていた。


 今隣に、優花はいない。優花の金曜日のシフトは十五時からだから。


「はぁ……」


 優花が来るまであと三十分くらいか……ポップ書こ。


 掛け時計の時間を確認し、僕は一人、カウンターで書きかけのポップに向き合いペンを持つ。そうしてポップ作りに集中し、優花が来るのを待った。


 チリィン、チリィン……。


 ポップが完成した頃、ドアベルが鳴った。つられて入り口を見ると、そこには見慣れた人影が。


「優──あれ?」


 一瞬優花に見えたその人影は、ただの男性客──ショートボブに灰色のキャップを被ったパーカー姿の、僕よりちょっと年上の青年だ。


「……いらっしゃいませ」


 優花と間違えたことが気まずくて、普段僕が言うことのない「いらっしゃいませ」なんてセリフが口をついた。


 男の人を優花に見間違えるとか……何やってるんだろ……。


 そんなに僕は優花のことを待ち望んでいたのかと、心の中で自嘲する。……恥ずかしすぎるよ僕。


 僕はなんとなく青年を目で追う。彼はラノベコーナーに行き、ポップを順番に眺めていく。ふと、彼の視線が止まった──優花の書いたポップで。


「うん。いいね」


 声は聞こえなかったけれど、青年の口がそんな風に動いた。彼は微笑ましげに口元を緩めると、優花のポップを見て何度も頷き、本を手に取る。


 また優花のポップで本が売れた! 優花に教えてあげないとなぁ……。


『ホント!? やったぁ!』


 そう言って飛び跳ねる優花の姿が目に浮かぶ。この後の楽しみが一つ増えた。


「いいかい?」


「あっ、はい」


 青年がレジに来て、カウンターに本を置いた。妄想に浸っていた僕は慌てて本を受け取り、バーコードを読み取る。その時だった。


「桐山透くん。だよね?」


 青年にしては高い、落ち着いたテノールの声が僕の名前を呼んだ。


「えっ……!?」


 何で僕の名前を……。


「ハハッ! 驚いてるね。まあ当然か」


 青年は爽やかな笑い声を上げるとキャップを脱ぎ、ミステリアスに微笑む。その笑顔が、不思議と優花のいたずらっぽい笑顔に重なって見えた。


 彼はどこか芝居じみた所作で足を揃えると、端正な唇を動かした。


「ボクの名前は鳳瑠夏(おおとりるか)。優花はボクの妹なんだ」


「えっ……優花の?」


 青年──瑠夏さんは、両耳に付いた銀のリングピアスを揺らし、不敵に微笑む。


 優花にお兄さんいたんだ……。


「えっと……瑠夏さん、はどうして今日ここに?」


「ボクが来ちゃいけなかったかい?」


「いえ、そういうわけじゃなくて……」


「ハハッ! 冗談さ。ボクはただ、優花のバイト先がどんなところか見たかっただけだよ」


「そう、なんですか」


 僕、この人苦手かも……。


 瑠夏さんは両耳ピアスで、おまけに髪には赤のインナーカラーを入れていた。どうみてもコミュ強陽キャだ。それだけでも陰属性な僕では関わりにくいのに、彼は全てを見透かしたような、そんな目をしていて近寄り難い雰囲気を纏っている。


 僕はさっさと会計を終わらせて、瑠夏さんに早く帰ってもらう方向にシフトする。


「えっと、九百六十八円です」


「ああ」


「ちょうどですね。ありがとうございました」


「ありがとう」


 本と料金の受け渡しが終わり、ようやく瑠夏さんから解放される──かと思ったのだが。


「透くん」


 瑠夏さんは僕の顎を持ち上げる。彼の指先の冷たさが、妙に際立つ。瑠夏さんからは、優花と同じシャンプーの香りがして変な感じだ。


「はい……?」


 何? この状況……僕そっちの趣味はないんだけどなぁ……。


 イケメンに顎クイされるモブという状況に戸惑う僕。そんな僕にお構いなしに瑠夏さんは顔を近づけてきて、耳元で囁いた。


「優花のやつ、最近は家でキミのことばかり話すから、ボク妬いちゃうな」


「えっ? あの……それはどういう……」


 シスコン……? それとも禁断の──いやいや、流石にそれはないか。


 思考がまとまらない。瑠夏さんの指の感覚が、顎からなくなる。瑠夏さんは混乱する僕を見て不敵な笑みを濃くしていった。


 あれっ? それより優花って家で僕のこと話してくれてるの……? それって──。


「おや? 少々からかいすぎたかな?」


 ありえない可能性を考えたせいで頬が火照る。そんな僕の顔を見て、瑠夏さんはからかうように目を細めた。


「あっ、いや……これはその……」


「ハハッ! キミをからかうのは楽しいね。ウブな子は大好き──」


 その時、チリィンとドアベルが鳴り、瑠夏さんの声を遮った。入ってきたのは優花だ。ゆったりとしたベージュのフレアパンツと白のブラウスを着こなした優花は、フレッシュな印象を纏っていた。


「あっ、透お疲れ──お姉ちゃん!?」


「えっ!? お姉さん……?」


 瑠夏さんって、女の人なの!?


 僕から瑠夏さんへと視線を滑らせ驚く優花。僕も僕で、ボーイッシュな瑠夏さんが女性だったことに驚きを隠せなかった。


「おやぁ? 失礼だな透くん。キミはボクのことを男だと思っていたのかい?」


「いや、その……すみません」


「ハハッ! 冗談さ。よく間違えられるから気にしてないよ。キミは律儀だね」


「はぁ……」


 えっ……? じゃあさっきまで僕、女子に顎クイされてたってこと!? 姉妹二人とも距離感おかしくないっ!?


「なんでお姉ちゃんがいるのっ! 来ないでって言ったじゃん!」


「ハハッ! すまない優花。どうしても優花の職場と透くんのことが気になってしまってね。優花があれほど熱弁する透くんがどんな子か、好奇心には抗えなかったよ」


「な、ななな何言ってるのお姉ちゃん! いいからもう帰って!」


 動揺した優花は目を瞑って瑠夏さんの背中を押し、無理やり店の外へと引きずっていく。入り口の前まで引きずられたところで、瑠夏さんが僕を振り返った。


「透くん。今日はここまでらしい。また今度、じっくり話そう」


 その時の彼女の目は、憎き復讐相手に向けるそれだった。


「ボクの愛する優花に手を出したら、どうなるか分かってるだろうね?」


 そんな警告が瑠夏さんの目にこもっていて、背筋がゾッとした。


 怖っ……!


「もぉーお姉ちゃん!」


 芝居かかった仕草で手を振る瑠夏さん。彼女を追い出し、勢いよく扉を閉める優花。


 仲いいんだなぁ……。


 二人のじゃれ合いを見てそんなことを思っていると、優花は目を伏せ小走りで僕の傍に来る。


「あ、あのね透。さっきお姉ちゃんが言ってたのはあくまでバイト仲間としての透が頼もしかったってことだから。だからその、異性としてとか、そんなんじゃないからね!」


「うん……分かってる」


 だよね……やっぱり優花が異性として僕を見るわけないか……でも、バイト仲間として頼りにされてるってだけでも嬉しい! その言葉があれば大学のグループディスカッションも乗り切れる気がするな。

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