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13.朝のランニング

 優花を家まで送った翌朝の六時──。


「──る、起きて。透……」


 んん……まだ眠い……。


 何者かに、ベットに横たわる僕の体がゆすられる。けれど、瞼越しに感じるカーテンの隙間から漏れる光量的にまだ起きなくてもいい時間だと、僕の本能が告げている。


「透起きて!」


 僕を起こそうとする何者かの声量が大きくなった。ベットがギシギシと悲鳴を上げるほど思いっきりゆすられる。しかしこの程度の妨害で折れるほど、僕の睡眠欲求はやわじゃない。


 僕は寝返りを打ち、掛布団で耳を塞ぐ。ふかふかの掛け布団が顔を包み、さらに深い眠りへと誘ってくれる。だが突然、掛け布団を勢いよく引きはがされた。


「透起きろー!」


「んん……なんだよ母さん」


 僕は重い頭を押さえながら上体を起こし、目を擦る。そして目を開けると、言葉を失った。


「はっ……!?」


「にひひっ! わたしは透のお母さんじゃないよー?」


 そこにいたのは母さん──ではなく、いたずらに成功した子供のようにニヤニヤと笑う優花だった。


「やっと起きたね透」


「優花……なんで……」


 どういうこと!? ここ僕の部屋だよね……? 何で優花が僕の部屋に!?


「いいからいいから! 透もジャージに着替えて?」


「ジャージ?」


 見ると、優花は髪をポニーテールにまとめ、上下白のジャージに身を包んでいる。


「うん。五分で準備してね?」


「分かったけど……」


「じゃ、五分後に玄関に来てねっ!」


 そう言って優花は部屋を出ていった。


 ……本当にこれ、どういう状況?


 朝から片思いの相手が僕の部屋を訪れ、ジャージに着替えるよう促してきた。超展開についていけない僕は理解を諦め、とりあえず優花の指示に従う。


 ジャージに着替え階段を下りると、リビングで母さんが食卓を拭いているところだった。


「あら透。やっと来たわねぇ~。優花ちゃんが玄関で待ってるわよ~」


 母さんは全てを承知した顔でそう告げる。


 もしかしてこれも母さんが?


「母さん。なんで優花が僕の部屋に来たのか知ってる?」


「ええ。私が優花ちゃんに透をランニングに誘ってって頼んだのよ~」


「なんでそんなこと……」


 っていうか、今から走るのかぁ……。


「だって透。最近運動不足でしょ~?」


 うっ……それを言われたら反論できない……けど──。


「……だからって、優花に頼むことないだろ」


「それは──」


「透ー! もう五分経ったよー!」


 母さんの声を遮ったのは、朝だというのに元気な、明るく澄み切った優花の声。


「ほら。優花ちゃんが呼んでるわよ~。今は理由なんていいから行ってらっしゃい」


「……分かった」


 母さんには上手い具合にはぐらかされた気がするが、これ以上優花を待たせるわけにもいかない。


「けど、後で優花に頼んだ理由教えてよ」


「いいけれど、ランニング頑張るのよ~」


「分かってる」


 穏やかな微笑みを浮かべ手を振る母さんを残して、僕はリビングと玄関を隔てる扉を開けた。


「あ、やっと来た!」


「ごめん。五分以上かかった」


「いいっていいって! 五分は冗談だよー。わたしだって寝起きから五分以内で準備できるなんて思ってないもん」


 冗談だったのか……。


「それより行こっか! 朝ラン」


「うん……」


 いつもと違う髪型で笑う優花は新鮮で、気付けば母さんへの不満も忘れ見惚れてしまっていた。


 優花が玄関の扉を開けるガチャリという金属音を合図に、僕と優花は朝の町へと駆け出す。十分ほどで町を抜け、僕らは今、河川敷を走っていた。


「どぉ透? 朝ラン、気持ちいいでしょ?」


 まるで椅子に座っているかのように涼しい顔をして先を行く優花。その後ろで、僕は全身から滝のように汗を流し、重くなった手足を懸命に振っていた。


「ハァ……ハァ……うん……キツイけど、悪くない……かも」


「だよねっ! 朝は空気が澄んでておいしいもん。それに──」


 優花は言葉を切り、空を見上げる。僕もつられて上を向くと、空に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。まだ朝は肌寒い、北海道の四月終わり。雲一つない青空は澄み渡っていて、疲れなんて忘れてしまうほどに雄大だった。


 五分後──。


「あはは! 透もうバテバテじゃん! どんだけ運動してなかったのさー」


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 僕は優花にからかわれながらも、ベンチに腰を下ろした。今の僕には、優花に言い返す気力すら残っていない。


 キツすぎるって……普段運動しないのにいきなり三十分走り続けるとかヤバいって……!


 喉が焼けたように痛い──酸欠だ。それに全身が熱を持っていて、汗が収まらない。


 み、水が欲しい……。


 そう思って自販機を探すが、首をダラリと下げているため周囲がよく見えない。代わりに、朝日に燦爛と煌めく川で、魚が跳ねる水音がした。そんな時──。


「冷た……!」


「えへへ! ほら麦茶。透好きだったよね?」


 振り返ると、優花は僕の首筋に麦茶のペットボトルを当て、爽やかな笑顔を浮かべていた。彼女の頬と首筋には、朝日を反射して煌めく汗が一筋。


 かわいすぎるって……!


「あ、ありがとう……」


 僕は麦茶のペットボトルを受け取り、味を感じる間も無く麦茶を喉に流し込む。一飲みごとに、冷たい液体が喉の痛みと体の熱を攫っていく。


 生き返るぅ~。


 思わずおじさんみたいなことを思ってしまった。それほどまでに、疲弊しきった体に麦茶は救いで。僕は三十秒とかからずに五百ミリリットルのペットボトルを空にした。


「いい飲みっぷりだねっ!」


 そう言って優花は隣に座ってくる。相変わらず距離が近い。少しは慣れてきたけど、まだちょっとドキドキする。


「それはまあ、これだけ走った後だし……逆に優花はなんでそんなに平気そうなの?」


「わたし? わたしは毎朝一時間は走ってるから」


「そ、そうなんだ……あー、ごめん。ペース合わせてもらって、優花は満足できてないんじゃない?」


「そんなことないよ。わたしいっつも一人で走ってるから、透と一緒に走れて楽しかった!」


「そう……?」


「うん! だから、透の家まで走って帰ろっ!」


 優花の天使のような笑顔が、僕の中で悪魔の嗤いに早替わりした。


「えっ!? 本気……? 僕もう走るのは──ちょっ!?」


 優花はベンチから立ち上がり、僕の手を引っ張る。


「行こー!」


 輝く川面をバックにポニーテールを揺らす優花の笑顔に、僕の体力ゲージがみるみる回復していった。


 僕って本当にチョロいな……。


 僕は苦笑いを浮かべながら、腕を引っ張られるままに走り出した。

この話を読んでいただきありがとうございます!


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