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始まり

 枝を打つ音。


 乾いた、軽い音。


 朝の山に、同じ間隔で響いている。



 トキワは、もう木の上にいる。


 昨日の続きらしい。


 残っていた枝を、ひとつずつ払っている。


「そこ、まとめといてくれー」


 下を見ないまま言う。


 オオナは何も言わず、落ちた枝を拾う。


 束ねる。


 端へ寄せる。


 それだけの作業。


 湿った土の匂い。


 切り口の青い匂い。


 朝の光は、まだ低い。



 ザク。


 ザク。


 枝が落ちる。


「ヒナスクもなぁ」


 上から声が降ってくる。


「外、出たことねぇんだよ」


 また枝が落ちる。


「ずーっと村の中」


 オオナは枝を抱え直す。


「……まあ」


 短く返す。


「だよなぁ」


 トキワは勝手にうなずく。


 枝打ちの音が、また続く。



 太い枝が落ちる。


 ドス、と地面が鳴った。


 他の枝とは音が違う。


 腕ほどの太さ。


 長さもある。


 ひとりじゃ扱いにくい重さ。


 トキワが上から覗く。


「そいつ、重いぞー」


 声だけ投げて、黙る。


 オオナは屈む。


 抱える。


 そのまま持ち上げる。


 右腕に重さを乗せる。


 体ごと預ける。


 歩く。


 枝葉が擦れる音。


 土を踏む音。


 まとめて、端へ置く。


 トキワは何も言わない。


 少しだけ見ている。


「……だよな」


 小さくつぶやいて、


 また枝を払う。


「やっぱ力持ちだわ」


 それだけ。



 切り落とされなかった枝が、頭上で擦れて鳴った。


 風が抜ける。


「よし、こんなもんか」


 トキワが降りてくる。


「助かった助かった」


 腰を叩いて笑う。


「日ぃ暮れるとこだったわ」


 ばん、と肩を叩かれる。


「ほんと力持ちだな」


 もう満足そうな顔をしている。



 山道を戻る。


 土の匂い。


 草履の音。


 枝が踏まれて折れる音。



 屋根が見える。

 低い家並み。


 かまどの煙が、細く空へ伸びている。


 日はまだ高い。

 影が、足元に短い。


 味噌の匂い。

 遠くで、人の声。



 しゃがんでいる白い背中。


 ヒナスクだった。


 子どもの足に手を当てている。


 額に、細い汗。

 袖で拭う。


 指先が、ゆっくり動く。


 泣き声が、ふっと途切れる。


「スズさーん」


 声だけが、少し遠くへ伸びる。


「すぐ行きまーす」


「はーい」


 向こうで、桶を抱えた巫女が手を振っている。

 あの、裾を踏みそうになっていた方だ。


 もう誰かに呼ばれている。



 ヒナスクが立ち上がる。


 その前に、擦り傷だらけの腕を差し出す男。


「これも頼むわ」


「はい」


 またしゃがむ。


 手を当てる。


 少しだけ、息を吐く。


 袖で、もう一度汗を拭う。


 それから、スズの方へ小走りに向かった。



 昨日と同じ。


 たぶん、いつも。



 家。


 湯気。


 味噌の匂い。


 鍋が、奥で小さく鳴っている。


 オオナは土間で足を止める。


「……それじゃ」


 外を見る。


 トキワが振り向く。


「どこ行くんだよ」


「出るなら明日だ」


 もう膳を並べている。


「今からじゃ暗くなる」


「食って、寝て、朝行け」 


 ユイが小さく会釈する。



 膳が置かれる。


 箸だけが動く。


 右手は、いつもの場所。


 トキワが向かいで笑っている。


「ほんと力持ちだなオオナは」


「さっきの枝、あれひとりで持つか普通」


 止まらない。



 戸を叩く音。


「ヒナスク、いるか」


「子どもが、また熱出しちまって」


「……はい」


 ヒナスクが立つ。


 すぐ外へ出る。


 足音が遠ざかる。



「いつもああなんですね」


 たらいに水を張る音。


 皿が触れる音。


「……冷めちゃいますよ」


 水が、静かに揺れた。


 気づけば、


 トキワはもう横になっている。



 戸が開く。


 ヒナスクが戻ってくる。


 髪が、少しだけほどけている。


 何も言わず、膳に座る。


 二口。三口。



 夜。


 虫の声。


 皿が重なる。


 水の音。


 布の擦れる音。



 包みが広げられている。


 布。


 着替え。


 干し飯。


 晒し布。


 少し考えて、晒し布をもう一枚足す。


 ひとつずつ、重ねられていく。



 トキワのいびき。


 ヒナスクの寝息。


 オオナの布団も、もう動かない。



 紐を引く。


 きゅ、と鳴る。



 灯りが、まだ消えない。


 虫の声だけが残る。



 まだ暗い。


 息が白い。


 戸が開く音で、目が覚める。


 外は薄青い。


 鶏が鳴く。


 水を汲む音。


 薪を割る音。


 かまどの煙が、一本だけ、まっすぐ上がっている。



 包みを渡される。


「替え、入れときました」


 袖を一度見る。


 それだけ。



 外。


 ヒナスクが立っている。


 小さな包み。


 草履。


 もう支度が終わっている。


 視線が合う。


「……?」


 首を、少し傾げる。


 ヒナスクも、同じ顔をした。



「よし」


 トキワが言う。


「こいつ力強ぇから心配すんな」


「気ぃつけてなー」


 もう背中を向けている。



「よろしくお願いしますね」


 ユイが手を振る。


 肩の高さ。


 いつもの角度。


 近所に出かけるみたいに。


 包みだけが、きちんと結ばれている。



 道。


 朝露。


 草が濡れている。


 足の裏が、少し冷たい。


 空はまだ薄い。


 村の煙が、後ろで細く上がっている。


 ただ歩く。



 横に、足音。


 ヒナスク。


 少しだけ距離をあけて。


 同じ速さ。


 同じ歩幅。


 何も言わない。



 鳥が飛ぶ。


 露が、葉先に残ったまま落ちない。


 足音だけが続く。


 道が、前へ伸びている。


 それだけだった。


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