表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同じ夢に堕ちるまで

作者: 末摘
掲載日:2025/12/31

目を閉じれば、あの人が現れる。

それはいつも夜で、夢の中だけだった。

閉めたはずの寝室の窓辺を開け放ち、腰掛けて佇む彼。

月を見上げ、何かに想いを巡らせているその横顔。

目にかかるほどの前髪と、月明かりが落とす影に遮られて、表情ははっきりとは見えない。

そして私は、彼に近づくことができない。

 

「ねぇ……」

布団の中から、今日も彼の姿を確かめるように小さく声をかけた。

けれど、話しかけても彼は何も答えない。いつものことだと分かってはいるけれど、返事がないと少しだけ不貞腐れてしまう。

「どうして、いつもここにいるの」

何度も問いかけてきた言葉。

答えが返ってこないことも分かっているのに、それでも知りたくて、今日も口にする。

「……」

「毎日こうして勝手に私の夢に出てくるのに、理由は教えてくれないなんて、変じゃない?」

霞んだ視界の向こうで、彼がこちらを向いた――気がした。

思わず布団から身を起こし、目を凝らす。

高い鼻筋と、綺麗な唇の形。

初めて、はっきりと彼の顔を見た。

窓に切り取られた夜空を背景に、彼の姿だけが浮かび上がる。

そのあまりの美しさに、言葉を失う。

これは、私の中の幻想。

ただの夢。目が覚めれば、彼はいない。そんなこと、頭では分かっている。

それでも――

この光景が現実であってほしい。もっと近くで、彼を見てみたい。

そう思った瞬間、私は無意識のうちに布団から体を起こしていた。

 

「動くな」


低く、静かで、それでも鋭い声。

その一言で、体が凍りついた。

起き上がったことで、彼の姿はより鮮明に見える。

この世のものとは思えないほど、妖艶な存在感を放っていた。

「……今、話して」

初めて聞いた彼の声は、不思議と耳に馴染み、溶けるように広がった。

たったそれだけで、胸の奥が満たされていく。

「これ以上近づいたら……夢が、夢じゃなくなる」

掠れた声が部屋に染み渡る。

まるで、私たちだけが世界から切り離されたみたいだった。

胸が高鳴る一方で、進んでしまえばこの夢が消えてしまうような、底知れない恐怖が押し寄せる。

ふわり、と空気が揺れた。

彼が窓辺から立ち上がり、視線を逸らさぬままこちらへ歩いてくる。

「ま、待って……」

思わず布団を握りしめる。

薄闇に慣れた目が、前髪の隙間から覗く彼の瞳を捉えた。

「近づいちゃ、だめなんじゃないの……?」

ベッドのそばで立ち止まった彼は、何も答えない。

静寂の数秒。

言ってはいけないことを口にしてしまったのかと、後悔しかけたそのとき――彼が動いた。

さらに、私の近くへ。

「ちょ……」

後ずさる私を追い詰めるように、彼はベッドの端に腰を下ろした。

夜に溶けるような、甘く切ない香り。

その距離に、心臓が強く疼く。

「……俺は、忘れられたくない」

「え……?」

彼がこちらを向き、手を伸ばす。

顎に添えられ、思わず彼の瞳を見つめ返した。

暗く、深い――海の底のような瞳。

「失いたくない。君を」

重く響く声に、言葉を失う。

それでも、目だけは逸らせなかった。

「……忘れないよ。私も、一緒にいたい」

「その言葉、信じてもいいのか」

「当たり前でしょ。ずっと、夢の中で会ってきたじゃない」

眉を下げる彼が愛おしくて、自然と笑みがこぼれる。

胸の疼きは、甘さに変わっていた。

顎に添えられた指が、わずかに動く。

それを合図に、互いに顔を近づけた。

唇に、柔らかな感触。

彼が覆いかぶさり、私たちは強く抱き合った。

 

月明かりに映る影は、ひとつだけだった。

 

――――――

 

長い夢の中で、俺は今夜も彷徨っている。

唯一の居場所だった、彼女のもとを離れて。

自分の気持ちに従った瞬間、激しい後悔が押し寄せた。

分かっていた。最初から、分かっていたんだ。

地面を強く踏みしめながら歩く。

あの夜、彼女を抱き締めた瞬間に気づいた。

あれは幻想だったと。

せめて最後に、彼女の熱だけでも欲しかった。

だが、どれだけ腕を伸ばしても、触れられなかった。

掴んだのは、俺を嘲笑うような冷たい空気だけ。

もう二度と、彼女の夢には戻れない。

記憶にすら残らない。

夜の海のような闇の中で見ていた、彼女の寝息や寝顔が脳裏をよぎる。

毒だ。

愛おしい記憶は消えず、体中に染みついて離れない。

それでも――

「……あたたかかったな」

触れられなかった唇も、肌も、息も。

確かに、あたたかかった。

中途半端な月が、雲に隠れる。

 

「ねぇ」

 

鼓動が止まった。

心臓を貫かれたような感覚に、思わず振り返る。

聞き間違えるはずがない声。

「なんで、ここに……」

誰もいるはずのない場所に、彼女が立っていた。


「"同じ存在"だから、かな」


そう言って微笑んだ彼女の意味を理解した瞬間、俺の意識は闇に落ちた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ