09 私と本当の父
おばさまの言った通り、私は三食よく食べよく眠り、たくさん本を読み、そして散歩した。
最初のうちは一日三回の食事に慣れなくて何度か自分に治癒魔法をかけた。こっそりかけていたつもりが何回目かでアレクにバレてしまい、以来朝食はフルーツのみになった。もともと朝食を食べる習慣がなかったのでありがたかった。いつかアレクみたいにしっかり朝食を取れるようになるんだろうか。今のところ想像できない。
散歩の時間になると、どういう仕組みなのかどこからともなくアレクが現れた。手を繋いで一緒に庭を歩いた。
庭には幼い頃の思い出がたくさん詰まっていて、よく昔の話をした。幼い頃に私たちがどう過ごしていたのかを。ピクニックをした芝生、お昼寝をした木陰、木登りをして怪我をした庭木、よく摘んだ花たち、お茶をしたガゼボ。
昔のことを思い出すとお母様のことを思い出して辛くなるかと思ったけれど、そんなことはなかった。お母様はもうこの世にいない。私だけを残して急に逝ってしまったことを少しだけ恨めしく思ったこともあったけれど、その時期はとうの昔に終わった。
庭を見て思うのは、あの頃は楽しかったな、と。ただそう思った。でも戻りたいかと言われると「はい」とは言えない気がする。お母様が生きていて、家族が家族の形を保っていて、アレクもそばにいたけれど。
これは公爵家に来てゆっくり考える時間を得たことで気づいたことだけど、意外にも私は今の自分にそれなりに満足しているようだった。実家での扱いに耐え、教育を終え、学園にも通えた。叔父様を治療して父の不正の証拠を掴んだ。それをやり遂げた自分に誇りがあるのかもしれない。
今は自分の手を離れてしまって、アレクが進めてくれているけれど。
アレクのことだから、ヘマをして台無しにするなんてことは思ってない。
けど結末がどうなるかだけは気になる。それとなく進捗を聞いてみるけれど、何故か教えてくれない。まだ物事の途中なんだろうなと思ってそれ以上追求はしない。
今私にできることは生きることくらいみたい。
おばさまに「ゆっくり過ごして」と言われた時、面倒から少しの間だけ解放されて少しは気楽に過ごせると思った。でも実際は自分の立場が急に宙に浮いた気がして意外と落ち着かない。わがままな話だ。
学園での扱いも気になっている。しばらく無断欠席している気がする。
けどアレクに問えば「大丈夫」というし、預かってきたと言って渡された、ミスティアからの手紙にも大丈夫だと書かれていたから多分大丈夫なんだろう。何が大丈夫なのか教えてくれないから、漠然と信じる他ないんだけど。
たまに各教員から預かってきたらしい宿題を渡される。成績はそれでなんとかなっているようだ。学園側にどう事情を説明しているんだろう。謎だ。
出席が必須のはずの科目の宿題も預かってくるから、本当に出席の問題はどうにかなっているようだ。たまに難易度の高いレポートの提出を要求されるので、私にとってはいい暇つぶしになっている。
今まで家のあれやこれやを面倒だ面倒だと思っていたのに、いざ自分の手から離れてしまうと、何をしたらいいのかよくわからない。だからそんな時にちょっと大変な宿題はいい気分転換になった。
そんな生活を……なんと二ヶ月も続けている。
公爵家の人たちはみんな私に優しい。ただお世話になっているだけなのがだんだんと申し訳なくなってくる。ある日課題も終わって本当にやることがなかったので、何か手伝えることはないかと聞いて回ったのだけど、あらゆる人に拒否されてしまった。
「ベラの今の仕事は、自分自身を甘やかすことだ」
寝室に来たアレクに、開口一番そう言われてしまった。公爵家の情報共有が早すぎる。私はまだ何も今日の話をしていないのに、誰かから報告が行ったらしい。
「十分甘やかしてると思うんだけど」
「まだ足りないよ。まだこんなに細いし」
「普通だと思うけど」
「細いよ。ほら」
「わ!」
急にアレクが私を持ち上げる。
「びっくりするでしょ」
「びっくりさせたかったんだよ。はは、大成功だ」
「もう、下ろして」
「仰せのままに」
アレクは私をベッドの端に降ろした。急に持ち上げたくせに、降ろすときはすごく丁寧。そしてアレクは私の隣に座る。触れそうなくらい近い距離。
静かに手を握って、頭を私の肩に預けた。
眠る前に静かに手を握るこの時間は日課になりつつある。アレクはその間目を閉じて黙っている。だから私も肩を貸したまま、じっとしている。触れている左側が熱い。
アレクは最初のあれ以来私に結婚の話をしない。ただ毎日私を公爵邸に留めて、みんなで甘やかす。
私が疲れたと言ったから、休ませてくれてるのかな。いろんなことが面倒になって、全部投げ出したいと言ったから。
このまま、アレクと結婚するんだろうか。結婚してもいいんだろうか。
二ヶ月散々甘やかされて、ようやくアレクとの結婚について真面目に考え始めている。
アレクのことは好き。昔から。そして今も好きなんだって、この屋敷に来て一緒に過ごしてはっきりと分かった。じゃないと毎日同じベッドで眠ったりしない。
じゃあ結婚に承諾するか、と言われるとなかなか素直に頷けない。
もうすぐ爵位を失うのに?父親が誰かもわからないのに?そう問いかける自分がいる。
今の私はすごく不確かに思える。アレクに問えば、きっと笑って些細なことだっていうだろう。でもきっと私が納得できない。
ああ、家を出たのに面倒なことは終わらない。
次の日、叔父様が公爵邸を訪ねてきた。特に事前に知らせもなかったので驚いた。知らせを受けて応接室へ向かえば、そこには間違いなく叔父様がいた。屋敷以外で会うことがほとんどなかったから、こうして公爵邸で会うとすごく不思議な感じがする。
「やあイザベラ。元気そうだな」
叔父様はその足でしっかりと立って歩いている。念の為の杖を携帯しているけれど、なくても歩けているようだ。よかった。
「叔父様、何故こちらに?」
「んー、熱意に負けてかな」
「?」
「まあいい、少し話そう。時間はある?」
「私はいくらでも。……叔父様は?」
「私も大丈夫だよ」
私と叔父様の間のテーブルに、侍女が紅茶とケーキを用意してくれた。気を遣って「扉の前で待機しています」と言って二人きりにしてくれる。
「僕の家にトーランド公爵令息が来てね。イザベラと結婚したいって言ってきたんだ」
「え」
いつの間に。そんなこと一言も言ってなかったのに。
「お前がどうするつもりか全て聞いたと言っていた」
「そうですね、話しました」
話したというか。言わされたに近いような気もするけど。
「イザベラ、今も気持ちに変わりはない?」
「それは、……アレクと結婚する意思はあるか、ということですか?」
「そうだね、それに近い。元々私はお前が爵位まで捨てることに元々反対だ。お前は別に何も悪いことをしたわけじゃない。守れる範囲で大事なものを守ってきたし、できる限りの努力はしてきただろう。私も、領民たちも、そして陛下もそれはわかっているよ。お前の父親がたとえ犯罪を犯していても、それはお前が生まれる前の話だ。お前まで背負う必要はない」
「……でも、」
でも、なんだろう。どうしてこんなに私はその提案を受け入れることができないんだろう。
「何か、他に気にしてることがあるのか?」
叔父様は聡い。私のちょっとした変化や懸念をとても敏感に感じ取る。
「……」
何を言ったらいいのか、何から言い出せばいいのか、悩んで口を閉じたままの私を叔父様はじっと待っている。こういう時に急かしたりしない人なのだ。
ゆっくりと息を吸って、そして吐いた。叔父様のオレンジの瞳と目があう。私と違う色。
「……私の父は、あの人ではないですよね」
叔父様は息を呑む。
「父は治癒魔法を使えません。そしてお母様も。魔法の属性は遺伝します。叔父様は何かご存知ないですか」
「お前の父親の家は、数世代前に聖女を娶っている。だから、治癒魔法が発言しても不思議ではない、という話じゃなかったか」
そう。叔父様とはすでに一度この話をしている。
叔父様に治癒魔法が使えることを打ち明けた時。父は治癒を使えないから、もしかしたら自分は父の子供ではないのかもしれないと。
叔父様は、お母様が不貞を働くはずがないと言った。そして父の家系を調べ、数世代前に聖女がいることを教えてくれた。
でもね、叔父様。私もそのあと調べたのよ。
「父の家門に嫁いだ聖女は結界の聖女でした。……治癒魔法は使えません。一応ミスティア…王女の手を借りて、王室にある聖女の記録も確認しました。結界の力もあまり強くはなかったそうです。もともと聖女見習いだったけれど、貴族へ嫁いでも釣り合うように嫁ぐ直前に聖女に位を上げたのだと、そう記録されていました。父の家系に治癒の力はありません。そして伯爵家にも」
「……そうか、」
叔父様はそれだけ言うと、黙ってしまった。
何かを考えているようだった。私から言えることもこれ以上ないので、叔父様が何か言葉を放つのを待つ。
「確認だが、お前は誰が本当の父親か知りたいか?」
「……はい」
「……父親が誰かによって、公爵令息との結婚を決めるつもりか?」
そう尋ねる叔父様の表情は、ひどく気遣わしげだった。
「正直言うと、迷っています。色々難しくたくさん考えて、実はよくわからなくなってきました。……だから不確定要素を減らして行って、自分の中の疑問や不安を解消してから決めたいと思っています」
「そうか。……そういうところは、あいつにそっくりだな。
申し訳ないが、やっぱり私には心当たりがなさそうだ。すでに知っての通りあまり妹について知らない兄だからね。……仲が悪かったわけじゃないんだけど、お互い腹を割って話せる仲でもなかったんだ。すまない」
叔父様は以前も同じようなことを言っていた。あまり仲がいいわけではなかった。かといって悪くもなかったと。叔父様から見るお母様はどんな人だったんだろう。
叔父様は私のことをよく懐かしそうに眺める。お母様に似ているらしい。その眼差しには確かにお母様に対する愛情があるはずなのに、仲がいいわけではなかったと言うのだから家族というのは難しいんだなと思う。
そのあと、伯爵家の書類関係の会話をいくつか済ませると、叔父様は帰って行った。「また来る」と言い残して。
叔父様の帰る姿を見送り部屋へ戻ると、ソファに倒れ込んだ。
少し会話しただけなのにひどく疲れた気がする。




