08 私とフレンおば様
「んー……」
次に目が覚めると部屋は薄暗かった。
眠りに落ちる時、精々一時間くらいだろうと思っていたけれど長く眠っていたらしい。
外は暗くカーテンが閉じられている。使用人が締めてくれたのかな。勝手に邸に入って来て眠ってばかりの人だと思われてないといいのだけれど。
一体どれだけ眠るんだ。そんなに疲れていたんだろうか。確かにここ最近やるべきことも多かったし、心労も多かったけれど。こんなに眠るとは。
「ん?」
そう言えばまた腹に違和感がある。なんだか重い。そしてこの重みに身に覚えがある、そう思って隣を見るとやはりアルベルトが横たわっていた。
「おはよ、ベラ」
「あ、うん」
まるでおはようの時間ではないけれど。
「もう夜だよ」
「そうみたいだね」
「ご飯食べれそう?」
「どうだろう。起きたばかりであんまりよくわからない」
「んー」
んー、と言いながら腕を回して抱きしめてくる。ここに来るまでは、幼馴染の距離を保っていたはずなのに、来てからは昔のような距離感で触れてくる。
「距離の詰め方に遠慮がないなぁ……」
「遠慮してる場合じゃなさそうだからねぇ。逃がさないって言ったでしょ」
まあ、それはそうなんだろうけれど。
触れられることが嫌ではない自分がいる。結婚について保留にしているくせに都合よく優しさだけを受け取っている自分に思わず苦笑してしまう。でもこの優しさを突き放すこともできない。とことんずるい。
「アレクは、学園に行って来たの?」
「まあそんなとこ」
「私はいつになったら帰れるの?」
「帰りたい?……しばらく帰れないよ。帰す気もない」
えぇ。
「しばらくってどれくらい?」
「僕のやるべきことが終わるまで」
「私にもやるべきことがあるんだけど?」
「それは僕が引き継ぐから」
「えぇ……?」
一晩でどうしてそんなことになってるんだろう。
「ベラのやりたいことは理解したよ。ベラの父親の悪事を暴いて、叔父に爵位を渡す。そしてベラは伯爵家に戻るつもりもない。かといって父親たちと共倒れする気もない。全部手放して自由になりたい。でしょ?」
「端的に言えばそう」
「君の父上と爵位継承については僕が矢面に立つよ。公爵家が主導した方が話が早いし確実だ。ベラがやったら危ないよ。容疑は父親だけだけど、そのあと君の義母と義妹が君に何をするか分からないだろう」
「一応、叔父への引き継ぎが無事に終わるまではミスティアのところに転がり込もうと思ってたけど」
「王宮だって安全じゃないよ。現に妹がバカ王子を籠絡しちゃってるでしょ」
バカ王子って。その通りだけど不敬すぎる。
でも事実そうであるだけに何も言い返せない。アレクは昔からいつもこうだ。ひとつ先を見て、私を守ろうとする。
「王宮よりここの方が安全。大丈夫、ベラの手柄を奪うわけじゃない。僕が心配なだけ。あと僕の要求も叶えたいだけ」
「要求って…」
「言っただろ。求婚する予定だったって。僕も、僕の両親も、ベラ以外を公爵夫人にする気はないよ」
「……それについては、急すぎて、少し考えたいんだけど」
「いいよ。いくらでも考えて。僕たちも全力で口説くから。ベラのことはわかってるよ。ベラに面倒なことなんて一切させない。大丈夫。君の父親についても絶対に探し出してみせるよ。そしてそれが誰であろうと大した問題じゃない。それは覚えていて」
そこまで言うと、話は終わりと言わんばかりに抱きしめられてしまった。
身動きがとれない。
まだご飯食べてないんだけど、とか、お風呂に入りたいなあとか、公爵夫妻にご挨拶しなくていいのかとか、明日以降の過ごし方とか、色々聞くべきことはあるんだけど。
はあ、と息を吐いて諦めて目を瞑った。
ため息をつくと抱きしめる力が強くなった。
ため息を聞いて私が呆れたとでも思ったみたい。そんなことないのに。私のちょっとした動作に敏感で、なんだか可愛いなと思ってしまった。疲れているのかもしれない。
***
次の日は明るい時間に目覚めることができた。明け方近くにアレクが何かを言って出て行った気がするけれど、寝ぼけていてなんと言っていたか覚えていない。
ベッド横のチェストの上には、昨日はなかったベルがあった。
この屋敷での私の扱いがどうなってるかわからないけど、そろそろこの部屋から出た方がいい気がする。というわけでベルを鳴らした。
「公爵夫妻からもアレクシス様からもよくお仕えするように聞いています」
答えてくれたのは呼び鈴でやって来た侍女だった。若いし見たことのない子だから、私が公爵邸に来なくなってから入った子なんだろう。
「お風呂に入りたいのだけど、」
「もちろんです。そうおっしゃるだろうと準備しておりました!」
読まれている。まあ屋敷に来て二日も眠ってばかりで何もしていないから当然と言えば当然か。
実家ではありえないくらい広くていい匂いのお風呂で、すごく久しぶりにゆっくりとお湯に浸かった。こうして後の予定を気にせずに入浴するのはそれこそお母様が亡くなって以来かもしれない。あれからずっと忙しくて目まぐるしかったから。
お風呂から上がれば、当然のようにサイズぴったりのドレスが用意されていた。どうして、と思ったけれど怖いのであえて聞かないでおいた。服が用意されていることも怖いし、サイズがぴったりなのも怖い。なんなら私の好みの服であることも怖い。いつも制服で暮らしてるし、私服なんて長らく新調していないのにどうしてサイズと好みを知っているんだろうか。
「アレクシス様は早朝から出掛けておりますが、公爵夫人がよければお昼を一緒にどうかと」
「夫人が?」
「はい。いまから一時間後くらいなので、準備をしてちょうど良いかと」
「わかった。ご一緒させていただきますと返事をしてくれる?」
「はい、もちろんです」
公爵夫人と会うのはお母様が亡くなって以来だ。葬儀の日、棺の前で抱きしめてくれたのを覚えている。お母様とは学園からの付き合いでお互いを親友と呼ぶくらいには仲が良かった。
お母様が真面目で堅実な人なのに対して、公爵夫人は豪快な人だった。アレクが転んで怪我をしても笑っていた気がする。
それをお母様が呆れながら見て、代わりに手当をしてたっけ。
アレクの手当をしている間は夫人が私に構ってくれた。家に女の子がいないから張り切ってかわいいお菓子をたくさん用意してくれたり、ぬいぐるみをくれたこともあった。『お母様の親友』という肩書きよりも身近に感じていた人。
もしかして、公爵夫人も母が亡くなった後は我が家に手紙を出してくれたりしていたんだろうか。だとしたら父は……きっとそれを無視しただろうな。
私とお母様は頻繁に公爵家に遊びに来ていたけど、父が一緒に来たことは一度もなかった。父は自分よりも爵位の高い人が苦手だから。父の口から出て来る貴族はいつも伯爵よりも下の人たちばかりだから。
私がここにいるって知ったら発狂しそうだな……。
顔を真っ赤にして怒る父を想像して苦笑した。
「イザベラ、久しぶりね」
「お久しぶりです。すみません。お世話になっていたにも関わらずご挨拶できずに」
「んもー、カタいわ。カタいわよイザベラ。昔のようにフランおば様って呼んでちょうだい」
いつかのアレクの姿を思い出す。少し拗ねたような表情で、あの頃と変わらない接し方でいてくれる。
「……ありがとうございます。フランおば様」
そう呼ぶと、フランお母様は満足そうに「よろしい」と微笑んだ。
その笑顔がアレクと似ていて、すごく眩しい。
「まずは色々と謝らないといけないわね」
食事をしながらおばさまは話し出す。
「今更言い訳をするようだけど、ミシェル……あなたの母が亡くなってから私もアレクも何度もあなたの家に手紙を出したのよ」
「……そうだったんですね」
「返事はあまり返ってこなかった。あの男、あれでも結婚当時はすごくミシェルのことを大事にしてるようだったのよ。今となっては信じられないけれど。……だから、ミシェルをなくして失意の中にいるんだと思ってたの。イザベラも塞ぎ込んで、領地に引っ込んでしまったって書いてあったし。だから伯爵邸に訪問もしなかったの。あなたは領地にいると思っていたからね」
「……」
「今思えば後悔しているわ……。アレクは領地までイザベラに会いに行こうってずっと言ってたわ。……そうしてあげればよかった。そうすればあなたの置かれてる状況に気づけたかもしれないのに。気付くのが遅くなってしまってごめんなさい。そして今まで助けてあげられなくてごめんなさい。本当なら私たちが真っ先に手を差し伸べるべきだったわ」
「……いえ」
大丈夫です、とまでは言えなかった。うまく言葉が出ない。口だけがもごもごと動く。
「あなたの状況を知ったのはアレクが留学から帰って来る少し前よ。あの子ったら痺れを切らして勝手に色々調べたの。本来はそうすべきじゃないんだけど、今回はあの子が正しかった。どうにかしたかったのだけど、手を差し伸べるには少し遅すぎたわ。ミシェルが死んで数年間交流が途絶えた状態だったから、首を突っ込むには理由が欠けた。
あなたの家にはすでに後妻とその娘がいたからね。あの後妻の出身である子爵家がちょっと厄介なのよ。あんまり綺麗な家じゃないわ。ここだけの話、少し前から子爵家がきな臭いって話に上がってるのよ。当時子爵家は秘密裏に調査される予定だったから、あの時点でうちがあなたの家に口出しして、子爵家に警戒されるわけにも行かなかった」
義母の家がそんなことになっているとは知らなかった。私自身、あの人たちが子爵家から来たということは知っているけれど、交流がまるでないものだから調べもしなかった。
義母と義妹について知っていることといえば、義妹の父親が平民ということだけ。義母も数年前まで子爵家を出て平民として暮らしてたと聞いている。父親が亡くなり生活が辛くなったために子爵家に戻り父と再婚したとかなんとか。
父と義母の間に愛があるのかはよくわからない。自分で連れてきた割には父は家庭に関心がないし、義母は父よりもお金が好きみたい。おそらく、父は伯爵家としての体裁を保つために、形だけの妻を迎えたのだと思う。子爵家側と取引をしたんじゃなかろうか。取引下手な父のことだから、あまりいい条件じゃなかっただろうな。
「一応、イザベラが学園に通い始めてからは色々とツテを使ってあなたを見守っていたのよ」
「え」
「旧校舎、なかなか使い勝手が良かったでしょう」
うふふ、とおばさまは微笑む。
「おばさまと魔法学の先生とは知り合いなのですか?」
「んー、そうね。彼の研究に少しお金を出しているくらいよ。なかなか優秀な魔法使いのようだから」
「……道理で、少し唐突な話だなとは思いました。先生は確かに優しい先生ですけど、生徒間の揉め事に積極的に関わるような人ではないと思っていましたから」
「当たりよ。まああれだけであなたを守れたとは思ってないけれど、家でも学園でも家族から迷惑をかけられると疲れるでしょう。少しでも気楽な場所を作れればと思ったの」
「正直とても助かりました。ありがとうございます」
ということは、アレクと再会した時、彼が旧校舎に現れたのは私があそこにいることを知ってたから?
「イザベラが何を考えているかわかるわよ。そしてそれは多分正解ね。アレクはずっとあなたのことを気にしてたから、あなたに関することはアレクで共有してたの」
「そう、だったんですね」
じゃあアレクが留学から戻ってきてからすぐに旧校舎に現れたのは偶然じゃなかったんだ。
「あの子は昔からずっと、本気でイザベラのことが好きみたい」
うふふ、といたずらっ子のように笑うおばさまになんと返事を返していいのかわからない。アレクからの求婚もうやむやにしてしまっているのに。
「別に今すぐアレクに返事をしなくたっていいわ。あの子には待つことをきちんと覚えさせているから。イザベラは屋敷でのんびり、お菓子を食べたり散歩をしたり読書をしたり、そうやって過ごしてちょうだい。本当に心の余裕ができた時、その時にまたゆっくり考えればいいわ。
あなたは平気そうにしてるけど、この年頃の女の子にしては痩せすぎているし、頑張りすぎだし、睡眠が足りてないわ。あなたが成し遂げようとしていたこともアレクから聞いてる。あの子も、……そして私も、公爵であるあの子の父親も絶対にあなたを邪魔しない。それは誓うわ。だからしばらくホテルでゆっくりするとでも思って、屋敷で過ごしてくれないかしら」
公爵夫人にそう言われて断れるはずがない。今更伯爵家に帰ったところで面倒ごとしかないだろう。
ただ、使用人や領地のことは気になるので、叔父様に手紙を書かせてもらうことにした。仕事のほとんどは共有済みだから、領地関連は大丈夫だろう。使用人たちも、叔父様からうまく接触しておいてもらおう。
「ありがとうございます」
お礼を伝えるとおばさまは満足そうに頷いて、ふふふ、とあの頃と変わらない笑顔で笑った。
その笑顔を見るとなんだか泣きたくなってしまう。じわりと歪む視界を誤魔化すみたいに、私も笑った。




