15 私と煙草
次の日、アレクは早朝に家を出た。流石に一緒に起きて見送った。玄関には叔父様が来ていた。叔父様は私を見ると「よかったよ、おめでとう」とだけ言ってくれた。
安心して待っていればいいと言われたけれど、性格上「はいじゃあゆっくりします」というのは難しくて、何となくソワソワして過ごした。
いつもはじっと部屋に座って外を眺めたりしている時間でも、落ち着かなくて屋敷を歩き回ったり、庭を散歩したりした。
こんな時、刺繍なんかできたらよかったのだろうけど、受けた教育は当主教育ばかり。淑女に必要なものは最低限だ。
いつもこう言う時は煙草を吸っていたのに。この屋敷に来てからそういえば吸っていない。頼めば買ってきてもらえるだろうか。でも嫁ぎ先に居候している身で煙草をふかすのもどうなんだろう。
ぐるぐる考えながら歩いていたら、普段踏み入れないエリアまできてしまった。屋敷の裏手の方だ。こちら側は公爵家の訓練場や馬小屋などがあるので、用事がない限りは来ない。
「あ」
引き返そうかなと思っていたら、正面に公爵様がいることに気づいた。しかもなんと煙草を吸っている。
ほ、ほしい。今、ものすごく。
あまりの欲しさに煙草を見つめながら公爵様に近づいていたらしい。正気に戻った頃には目の前に公爵様がいた。公爵様ーートーランド・シグルド様はアレクシスよりも背が高い。
私の身長では近づくと少し見上げる形になる。
公爵様とアレクシスはよく似ていて、すごく美しい。……けど今はその美貌より手元の煙草に目が行ってしまった。
「……欲しいのか?」
「……正直、はい」
公爵様は寡黙だけど優しいから、言えばくれるだろうと分かって答えた。案の定、少し雑に服に手を突っ込むとケースごと煙草をくれた。
「君が喫煙することは聞いている。うちに来てから吸ってないことも。とりあえずそれをやる。なくなったら侍女に補給してもらいなさい」
「ありがとうございます。……いいんでしょうか」
「大したものじゃない」
「いえ、そうではなく……」
私が言いたいのは、嫁入りする予定の娘が煙草を吸っていることについてだ。自分から言い辛く、言い淀んだ。けれど公爵様はそれで察してくれたらしい。「ああ、」と答える。
「気にするな。……そもそも、君の母親に煙草を教えてしまったのは私なんだ。未だにフランに怒られる」
「初耳です」
「ミシェルは言わなかったか」
「はい」
公爵様が母を名前で呼んでいるのも正直驚きだ。初めて聞いた気がした。
「私とフランは幼い頃から婚約者で、フランとミシェルは学園で仲良くなった。正直私とミシェルの関わりはそんなに多い方ではなかったが、……そうだな、あの頃の彼女は今の君によく似ている気がする」
「私ですか?」
「ああ。神経質で真面目で平気な顔をしているけど、ただ我慢強いだけなところがよく似ている」
あまり一般的には褒め言葉ではない気がする。
「息抜きの方法の一つとして、軽い気持ちで煙草を一本渡したんだよ。もちろんフランの前でな。その時は私もフランも、彼女がそこまで煙草を好きになるとは思ってなかったんだ。まさか娘ができてから、癖が移るほどに吸ってるとはな」
「癖、ですか?」
「その人差し指と親指で煙草を挟む癖だ。この国では年老いた男しかその持ち方をしないぞ。あとその火の付け方もだ。火の魔法が使えるからって直接指からはつけないぞ。普通は道具を使ってつける」
「え、」
「実際、ミシェルは祖父が吸っていたからその持ち方を真似ただけだと言っていた。ジジィの吸い方だと言えば怒ったが、結局最後まで直さなかったな」
お母様の母ではない頃の話。聞くととても新鮮だ。私にとってのお母様は真面目で、ずっと仕事をしていて、それ以外の時間は私に注いでくれていたから。
「私が吸っている銘柄と公爵様が吸っている銘柄が一緒なのは偶然ではなかったのですね」
「君の母上が一番最初に吸ったのがこれだからな。アレクが知れば怒られるかもしれんな。あいつは吸わないから」
「アレクは煙草が嫌いですか?」
「いや、君に関してのみ言えば、煙草が嫌いというより健康を心配しているだけだろう」
それを聞いて少しだけ安心した。
「安心していい。アレクシスは私とよく似ているから。たとえ君が大罪人になったとしても、国を相手にしても君と逃げるよ」
安心していいのか、それは。でもきっと聞くのは野暮だろう。
ありがとうございますとだけ伝えて、しばらく無言で一緒に煙草を吸った。
***
アレクは思っていたよりも早く帰ってきて、今日も四人で夕食を食べた。今日は書類を正式に通してもらったらしい。
明日にでも父は捕まるようだ。実は少し前から秘密裏に父たちには監視がついているらしい。国外逃亡しそうな気配もないので逮捕は明日になった。
監視をしていると言われたので、今の家の状況を聞いてみた。どうやら私の家族には公爵家から正式に手紙を出していて、「体調不良のところを見つけて医者に見せたら思ったより重症だったので、しばらく預かる。」と伝えてあるらしい。
父は公爵様が苦手だから。本当は私に戻ってきて仕事をして欲しいんだろうけれど、公爵家からそんな手紙をもらったから何も言わないんだろうな。
父はきちんとした当主の仕事などしたことがない。ので私の補佐をしていた家礼たちにいろいろ命じているらしい。家礼たちはなんとか踏ん張ってくれているようだ。
叔父に引き継いだ直後スムーズに行くようにと使用人たちをしっかり教育しておいてよかった。予想外のところで役に立ってしまったが、領民たちが苦労するよりはいいだろう。早く叔父様に正式に爵位をお譲りしなければ。
義母や義妹たちは、私がいなくなったことで伯爵家のお金に手をつけようとしたが、銀行から許可が降りずに諦めたとか。父にねだったが、仕事のことで頭がいっぱいの父は無視したようだ。それもそのはず。普段からどうにかして勝手にお金を使えないか画策しているあの人たちのために、大金を使う時はそれなりに複雑な手続きをしなければいけないようにしてある。
彼女たちは諦めて、妹は王子におねだりしているようだ。今までの王子の贈り物は実は妹の趣味に会わず、勝手に売り払っては自分の好きなものを買っていた。
それを私のせいにして誤魔化していたはずだけど、私が不在の間はどうするつもりなのだろう。もしかしたら私と懇意にしていた侍女やメイドになすりつけるかも知れない。
もしそれでクビになるような子が出たら叔父様のところに行けるようにしてやって欲しいとアレクにお願いした。幸いまだ被害者はいないそうだ。
そんなこんなで私がいなくとも伯爵家は潰れずになんとかなっていた。
「それでもこれが長く続くのはよくないから、早く君の叔父上に爵位を渡そう」
「助かるわ」
できれば冬の準備が本格的に始まる前に引き継ぎたい。今は夏の終わり。秋になる前には終わらせたいところだ。
「ちなみに、逮捕した後、君が望めば父親と話すこともできるけどどうする?」
「……少し考えさせてもらってもいい?」
「もちろん」
そんな話をしながら夕食を食べた。ちなみに公爵家の人が気を遣ってくれたらしく、夕食は私の好物ばかりだった。
入浴を済ませて部屋に戻れると、まだアレクは来ていなかった。先にいる方が珍しいか。アレクと結婚すると決めたので、屋敷の人に頼んで公爵家の領地に関する本をいくつか持ってきてもらった。
けど流石に今日は読む気にはなれなかった。
テーブルにおいてある、公爵様のシガーケースを手に取るとベランダへ出る。夏が終わり始めていて夜は涼しい。
ーーせっかく入浴したのに
そう思うものの、気づけば口に加えて火をつけていた。
逮捕された父はどんな反応をするだろうか。怒るだろうか、それとも諦めて大人しくなるだろうか。予想できるほど父の人となりを深く知らない。
私の中の父は、伯爵であることに強いこだわりがあって、逆にそれ以外はひどく疎かだということだ。
だから伯爵という地位に伴う仕事もしないし責任感もない。領民のことなんて一度も口にしたことがない。再婚した割には義母と義妹に関心が薄い。私よりも彼らに構うのは単純に彼らの不興を買って面倒になりたくないからだ。
父が好きなのはもっぱら社交の場で伯爵として振る舞うことだ。でも自分の領地について会話することも、挨拶した貴族の話を広げることもできない。貴族同士の繋がりも広がらない。広がるとすれば、相手も爵位でしか見ていない場合だけだ。その場合、大抵下品な話を持って帰ってくる。私をどこに嫁がせるか、とか。私がいなくなれば仕事が増えるのもわかっているから今まで決めてこなかっただけ。もしかしたら妹に継がせて、私を奴隷のように使う計画もあったかも知れない。
どうしてそこまで爵位にこだわるのかは知らない。叔父様を害するほどに。
もともとは男爵家の長男だったとは聞いている。それがどうして伯爵家の母と結婚することになったのか。父は生家である男爵家との関わりをおそらく絶っている。手紙が来たことも送ったことも一度もないので何もわからない。
が、基本は伯爵家以下の爵位のことをバカにしたような発言をするので、「男爵家」というだけで気に食わないのかも知れない。
そもそも父とお母様はどうやって結婚することになったのだろう。フランおばさまは、父はお母様を愛していたはずだ、と言っていた。幼い頃の記憶だと、二人が仲睦まじくしていた記憶はない。何しろお母様は常に忙しそうだった。出かけるのもこの公爵家に来るだけなくらいに。その間父はどうしていたんだろうか。
物心が着く頃には、父は私に、そしてに家に対して無関心だった。
父は幼少期から私に関心を示さなかった。が、正直私が父の子供ではないことに早くから気づいていたからなのか、爵位以外に興味がない故なのか判断がつかない。お母様が亡くなるまで父とはあまり会話をしたことがない。
「お父様は私がお嫌いなのでしょうか」
一度だけお母様に聞いたことがある。するとお母様は「そういうわけじゃないのよ」とだけ言った。じゃあどういうことなのか。
お母様が亡くなって、閉じ込められ厳しい言葉を投げかけられたときは驚いたくらいだ。多分あの時初めて長い言葉をかけられた。それほどまでに父との繋がりは薄かった。
「ベラ、冷えるよ」
いつの間にか寝室に入ってきていたアレクがブランケットを持って私を後ろから抱きしめた。慌てて煙草の灰を専用のケースに捨てる。
「びっくりした」
「ごめんごめん。寒くない?」
「大丈夫、ありがとう」
なんとなくまだ部屋には戻りたくなくて、抱きしめられるままに真っ暗な外を眺めた。星は綺麗だけど見上げる気分じゃないから、静かな庭を眺める。
無意識に煙草をもう一本取り出して火をつけた。
「それ、」
「ん?」
アレクの腕に力が少しだけ入る。
「このシガーケース、父上のでしょ。もらったの?」
「あ、そう、今日のお昼に。私があまりにも吸いたそうな顔をしてたからだと思うんだけど。……もしかして、これすごく高価なケースだったりする?」
なんとなくアレクの声が硬いので聞いてみる。
「そこまでじゃないと思うよ」
「そうなんだ」
「……今度、僕がプレゼントしてもいい?」
「ん?」
「シガーケース。で、それ父上に返して」
「いいけど……怒ってる?」
もしかして昔アレクが公爵様にプレゼントしたものだったりするんだろうか。父上にプレゼントしたのにどうしてお前が使ってるのか、ってことで怒っているのかしら。だったらすぐに返そう。中身は……できれば欲しい。ケースだけ返そう。
そう思って少し振り返ると……ものすごく拗ねた表情をしているアレクがいた。
「……僕がプレゼントしたものだけを使って欲しい」
「んえ」
「だから返して。そんで僕の、僕が選んだ、ベラのためのものだけ使って」
「……もしかして、嫉妬してる……?」
「当たり前でしょ」
「あなたの父親なのに……?」
あんなにもおばさま以外に興味がないのに??
「関係ないよ」
関係なかった。
「わかった。じゃあ、なるべくシンプルなのがいい」
「任せて。たくさん入るのがいい?」
「量は多くなくていいわ。ちょうど、このケースと同じくらい」
「わかった」
まさかアレクが自分の父親に嫉妬するとは思わなかった。変なの。でも少しだけ可愛いから、明日にはこのケースを返却しよう。中身はいただいて。……厚かましすぎるかしら。
***
次の日、目覚めると当然だけれどアレクはいなかった。
昨日はアレクと部屋に戻って一緒にベッドに入った。興奮してなかなか眠れない私のために、アレクまで寝ずに起きていた。朝早いから寝て欲しいと言ったのに。
お話ししても、つまらない本を読んでも全然眠気がこないので、アレクにお願いして少しだけお酒を飲ませてもらった。そしてやっと眠ることができたのだった。夜更かしとお酒のせいで昼まで眠ってしまった。
アレクか、はたまた公爵夫妻が気を使ってくれたのか。お昼まで誰も起こしにはこなかったし、起きた後は常に誰かしらが私のそばにいて、話し相手になってくれていた。
今日は父が逮捕される日だから。また落ち着かずにうろうろしてはあれこれ考えることがないようにしてくれたみたいだ。普段、私の世話をしてくれる侍女たちと初めてこんなに話した。
さすが公爵家に仕えるだけあって、話しやすかったし、優しい人たちばかりだった。アレクはどうやら遊びに来ていた幼い頃から私のことを好いていたらしく、みんな口を揃えて「坊ちゃんの長年の片思いがついに叶って嬉しい」と言っていた。
夕方ごろになると私のところに煙草が届いた。
まだ余裕があったから頼んでいなかったはずだけど、公爵様が頼んでくださったのだろうか。煙草を持ってきてくれたメイドに聞けば、公爵夫妻とアレクからそれぞれ別で頼まれたらしい。全力で全員に気を遣われている。
全員の優しさにむず痒くなりながらありがたく吸わせてもらった。私が考え込む時間がなくなるようにしてくれているけど、それでも思考の奥ではやっぱり気になっていて、結局いつもより多く吸うことになった。




