10 私と父の記憶
お母様が亡くなったあと、私が伯爵家で閉じ込められていた期間が終わり屋敷をそれなりに自由に動けるようになると一番最初に、お母様の手記が残っていないか、誰かとの手紙のやり取りが残っていないかを探した。でもめぼしいものは何もなかった。
お母様は徹底して隠していた。
治癒や強い結界の力、浄化の力を持つ人は神殿に所属するのが通例だ。私のように意図的に隠し通さない限り。
特別な力を持つ人は神殿内で良い待遇を得られるし、それなりの地位も得られるので意図的に隠す人は少ない。平民はもちろん、貴族であっても神殿に認められることは誉のあることだからと、あえて力を過大申告しようとする人もいるくらい。
ーー自分に治癒の力があると知ったのは、閉じ込められ、ひたすら当主教育をされていた頃だった。
毎日毎日、食事と風呂睡眠以外は勉強漬け。外に出ることも叶わず。日によっては大量の課題のせいで食事も取らず、睡眠さえも削ったりした。
ふとした時に気づいた。本来ならもっと痩せて、倒れてもおかしくないはずなのに、一定以上は絶対に痩せないし倒れない。鼻血が出るほど限界を迎えても倒れない、激しい頭痛がしてもすぐに治る。屋敷で流行り病が蔓延していても私だけはかからない。食事も睡眠もまともにとっていないはずなのに体が丈夫すぎる。
当主の仕事を任されるようになって、少しだけ部屋の外のことに干渉できるようになってから秘密裏に魔法書を購入した。
幼い頃にお母様と少しだけ練習したので火の魔法は使えた。暖炉に火をつける、飲み物を温める、煙草に火をつける、それくらいの小規模な魔法だけ。高度な魔法はどれも成功しなかった。
自分が持っている魔力量に対して、使える魔法が少ないと幼い頃に言われた。もしかしたら他の属性の魔法も使えるのかも。でも発現がまだなのかもしれないと。
魔法書をもとにいくつか試した結果、治癒魔法があることがわかった。
その日は久しぶりに頭がいっぱいになって眠れなかったのを覚えている。魔法の特性は遺伝するから。
お母様からは火の魔法を少し受け継いだ。じゃあこの治癒魔法は誰から?
当主教育の過程で、伯爵家の家系図は頭の中に叩き込まれていた。それぞれ誰が何の魔法を得意としていたのかも。伯爵家に治癒の魔法を使えたものはいなかった。
では父の家系だろうか。
父の家系は地方の小さな男爵家だ。父は自分の実家のことがあまり好きではなく、ほとんど語らない。だからどういう人がいたのか知らない。でももしも自分と同等の治癒の力を持つ人が過去にいたならば、男爵家はもっと地位が上だったのではないだろうか?そもそも見た目も違いすぎる。外見で似ているところがほとんどない。
自分は父親の子供ではないのかもしれない。
その時初めてそう思った。
だからこうして部屋に閉じ込められているのだろうか。とも。
もしもお母様が、父以外の人と通じていて、私がその子供なのだとしたら。
記憶の中のお母様は真面目な人だ。不誠実なことはしないと思っていた。
でも自分の父親によっては、記憶の中のお母様の姿は崩れ、家に残された私と父は親子ですらない可能性がある。
ぐらぐらと、自分の足元が不安定になっていくのを感じた。
そんなに長くはないけれど、それまでの人生の私を構成していた、大事な前提のようなものにヒビが入って、自分に対してひどく自信がなくなってしまったのだ。
明け方までたくさん考えて考えて、考えて。
何度も、何日も、たくさん考えて。
でも結論は出なかった。閉じ込められた生活の中で手に入れられる情報はどうしても限りがあったし、父に気取られるのも使用人に勘ぐられるのも嫌だった。
だから少しずつ考えることをやめた。
考えれば考えるほど自分に自信がなくなり、未来が不安になっていく。
だから考え事をしなくて済むように、とにかく当主の仕事に没頭したのだ。不幸中の幸い、自分がどれだけ身を粉にして働いても、魔力が尽きてしまわない限り倒れることはなかった。
こういったことは続くもので。
当主仕事に没頭していると、今度は父が管理していた数年の間の不自然な収支、それからあまり聞いたことのない取引先が目についた。
過去の取引の支払いが残っていたようで、一括で伯爵家のお金から支払っていた。
取引先が非常に良くない組織だというのは簡単にわかった。……何を購入したのかも。それがどういう効果をもつものなのかも。
それは珍しい毒だった。
臭いもなく味もない。ほんの数滴で体に異常が出る、多量に飲めば死に至る。すごく希少な植物とレア度の高いモンスターを掛け合わせて作られる毒。
治癒の聖女以外で解毒の方法がない。各国で使用が禁じられている。
そんな毒を、父が購入していた。
毒を接種した人の症状を調べると、いつ、誰に使ったのかすぐにわかった。叔父様だ。そして普段の父の爵位に対する執着、プライド、態度を見ればなんのために使ったのかも予想がついた。
毒の代金はお母様が亡くなってすぐに支払われていた。
お母様には内緒だったんだろうか。だから、いなくなってすぐに家門のお金に手をつけて支払ったんだろうか。お母様が死ななければどうするつもりだったんだろう。
一瞬、父がお母様までも手にかけたのではないかという考えが頭を過った。
でもお母様が亡くなる前、こんな症状はなかったと思う。
ある日突然死んでしまった。本当に突然。
朝、いつも起きるはずの時間になっても起きてこないのを不思議に思った侍女が声をかけると、お母様は亡くなっていた。その日父はたまたま家にいなかった。なんでいなかったんだっけ。でも家にいないことは珍しいことじゃなかった。
医師は一通り身体を調べて、過労が原因だろうと言った。あまりにも突然亡くなったから、何か持病がなかったか、毒物は検出されなかったかの検査は行われた。でも何も出なかった。
確かにお母様は一日中働いていた。朝から夜遅くまで執務室にこもっていた。
執務を引き継いで思う。本当にあそこまで身を粉にして働く必要があったんだろうか。私みたいに、少しでも使用人たちに協力を仰げば、死を免れることができたんじゃないだろうか。
私にもっと早く、治癒の力があるとわかっていれば、
たらればを考えたって仕方ない。それはわかっている。
過ぎたことは仕方がない。そうやって言い聞かせてきたけれど。思い出すたびにどうしても考えてしまうのだ。
うじうじと考えてため息が出る。
父親が誰か分かれば、少しは自分に自信が持てるだろうか。両親への疑問は晴れるだろうか。叔父様への罪悪感は消えるだろうか。
わからない。
だから本当は全部投げ出して逃げて、誰も知らない土地で一からやり直したかったんだ。考えるのに疲れてしまったから。
でももうそれは難しいだろう。
きっとここを去る時、そして去った後、今度はずっと、それこそ一生アレクのことを考えることになるだろうな。まるで呪われたみたいに。




