昨日の自分を越えて Side ユーマ
ユーマの剣は、やたらと騒がしい。
踏み込む足音が訓練場の床を叩き、風を切る音が荒々しく耳を打つ。瞬きをする間に三度は打ち込める俊敏さがあるが、予測可能な軌道をしている。
「攻撃が規則的だ」
右、左、右。単調なリズムで繰り出される連撃の軌道上に、ガイルはただ木剣を置く。それだけで、ユーマの攻撃は完全に遮断された。
硬質な音が響き、手首に痺れが走る。
「っあ」
衝撃でユーマの腕が大きく弾かれる。その隙を見逃さず、ガイルが足払いをかけてくる。
「ぐぅ」
受け身をとる暇などなかった。肺の中の空気が、一瞬にして強制退去させられた。
「……負けました」
「お前は親切すぎる。足で『今から行きます』とベルを鳴らしてから入ってきている。足より先に剣を動かせ」
やっぱり挑戦なんてしなければよかった。挑戦しなければ、負けを回避できた。ギルドの中心で恥を晒すこともなかったのに。
じわりと嫌な汗が滲み、逃げ場を探すように視線を彷徨わせている。床から目を上げると、いつの間にかクレアが隣に立っていた。
気配を消していたわけではないだろうが、あまりに自然な距離の詰め方だった。
「はい、これ」
クレアがいきなり、袋に包まれたパンを投げてきた。放られたパンはお手玉のように空中で二、三度弾かれ、ようやくユーマの胸元に収まった。
「私が投げるぞ、と肩を回していたら、もっと身構えたはず。剣もこれと同じ。日常の何気ない動作のように、ただ差し出す」
「な、なるほど……?」
魔法使いのクレアに、剣の指導を受けている。なんとも不思議な心持ちになるが、棒術の達人なのだから仕方がない。
クレアから「食べていい」と許可を貰い、ウサギやリス、鳥が描かれた可愛らしい包装紙を破こうとする。
「破いちゃうんだ」
クレアの雨に打たれた小鳥のような、心許ないさえずりが僅かに鼓膜を震わせる。ユーマは丁寧に包みを解いていった。
「ふふ。ありがとうございます」
ユーマの背中に、ミレナの白く華奢な手がかざされ、温かな波動がじんわりと広がっていく。打撲の痛みが嘘のように溶けていく。
「でも、珍しいですね。ユーマさんが模擬戦を申し込むなんて」
「確かにな。お前がサテラに来てから1年は経つが、誰かと模擬戦をしたなんて聞いたことがない」
春の陽だまりのような魔力が、全身を優しく包み込む。抗えない心地よさに、意志が弛緩していく。
そのせいで、いつもなら絶対に言わない子供みたいな本音が、ぽつりと。
「誰かに認められたかったんです。でも、それが変な方向に曲がってて。『人と交流しない』や『貧乏』みたいな、特別に悪いことで目立とうとしてた」
「他人の評価の奴隷になってた?」
突然の告白に、面倒くさがることなくクレアが答える。口の端に小さなパン屑がついていることに気づいていない。
サクッ、と小気味よい音が訓練場に響く。ユーマの鼓膜を隔てていた分厚い膜が破れたように、喧騒が一気に流れ込んできた。
「そ、の……。忘れてください……」
内側からじわじわと炙られるような熱が、首筋を這い上がってくる。
「いつでも模擬戦は受ける。またやろう」
「私もユーマと戦ってみたい」
「クレアは手加減を知らないので、私がいるとき限定ですよ」
ユーマを笑うことなく、3人がそれぞれ言葉を放つ。実力のある冒険者ほど、人ができている。
「次のDランク昇格試験に挑戦しようと思っています。なので、模擬戦を申し込むことがあると思います」
負けて恥をかくのが怖くて、やるからには圧勝しなくちゃいけないと避けていた。
3人に感謝を伝え、訓練場から立ち去る。振り返ると、クレアが顔を赤くして口元を拭いていた。
「アグネスのおかげ、か」
年代物の床板を軋ませながら長い廊下を進む。壁には無数の依頼書や手配書が貼り重ねられていた。
「身近にいる奴が成長していくから、俺も変わらなきゃいけないと思ったんだよな」
昨夜、騎士が3人亡くなる事件が起きたそうだが、きっとアグネスなら乗り越えるだろう。付き合いはまだ短いが、確信がある。
「昨日の自分よりも成長しないとな」
偶然ダンジョンの共同経営者になって、優越感を感じていたが、それはアグネスがすごいだけだ。自分はなにも変わっていないのだから。
次第に喧騒が耳に届き始め、それに混じって、発酵した麦酒特有の甘酸っぱい香りと、脂の乗った肉が焼ける匂いが漂ってくる。
「っお!ユーマじゃん!」
雑踏の中で、フェイがユーマを見つけてパッと表情を緩ませた。手を軽く挙げると、彼は小走りでこちらへ向かってくる。
「……何の用だ?」
名を呼ばれただけなのに、肩の筋肉が強張り、呼吸が一瞬だけ浅くなった。
「聞いたよ。お前、Dランクへの昇格試験を受けるんだろ?」
「ああ。わざわざ応募者を確認しに行ったのか?……暇なんだな」
「いやいや。試験を受ける人たちを手伝えればなって思って」
余計なお世話だ。眉間に皺が寄るのを防ぐため、表情筋のスイッチを全て切る。
「最近すごく頑張ってるよな。僕が17歳の頃はもうDランクになってたけど、ユーマにはユーマのペースがあるもんな!」
「ああ……。ありがとう」
「ガイルと模擬戦をしたって聞いたけど、大丈夫?無理してない?……ほら、ユーマってまだまだ弱いから。僕みたいに素早く動けるわけでもないし」
ため息を殺すために、肺の中の空気をゆっくりと時間をかけて吐き出した。フェイのおしゃべりに付き合っていたら日が暮れる。
「模擬戦で汗をかいたからシャワーを浴びに行く。じゃあな」
無理やり話を切り上げると、競歩のような早足でその場を離れる。早く汚れを落としたい。
「ばいばい!僕と同じように、試験に一発で合格できることを祈ってるよ!」




