レタスと商機と人見知り
クロの報告を待っていると、胃袋に住む虫が「燃料をよこせ」と暴動を起こし始めた。もう夕方だというのに、なにも食べていないのだ。
ぐう、なんて可愛い音ではなかったが、この場にいるのはクロだけなのだから問題はないだろう。
クロは……なんというか、大きいペットみたいな、そういう扱いでいいと思う。
「レタス、レタス。レッタッス。レタレタレタス、レッタッス」
文句を垂れる腹の虫を鎮圧すべく、レタスの歌を口ずさみながら冷蔵庫に向かう。迷わず掴み出したのは、買い込んだまま放置されていたレタスの山だ。
調理などまどろっこしい。このまま齧り付いてやるつもりで、私はその冷たい塊をテーブルにドンと置いた。
『冬眠前の草食動物!?』
わざわざスケッチブックを取り出して、クロがツッコミを入れてくる。
「だって、温めるのが面倒なんだもん。レタスは冷えてても美味しい」
お肉は食べたいが、料理をするのが億劫だ。
無言のまま、緑の葉を次々と口の中へと放り込んでいく。シャクシャクと瑞々しい繊維を断ち切る音が、途切れることなく響き渡る。
山が丘になり、丘が平地へと均されていく。ついに皿の底が見えたとき、クロがマントを翻し、『調査完了』と書かれたページを高々と掲げる。
「はや……。まだ5分も経ってないでしょ?」
『頑張った!』
「ありがとう。じゃあ、報告をお願い」
スケッチブックの上に目を滑らせる。書かれていた文字が砂のように霧散すると、紙面は一度、無垢な白へと戻った。
直後、流麗な筆致で、濡れたような黒が刻まれていく。
――塩、鉄、ポーション。
――食料品、衣服、建築資材。
次々と浮かび上がる単語は、その全てが既に大商人の支配下にあることを無言で告げていた。
「……個人で大商人には勝てないよなぁ」
軍需物資のどれか一つでも独占できれば。そんな甘い考えは、美しい黒文字の羅列によってあっけなく打ち砕かれた。
『市場を独占するのは厳しい。王国が生産できない資源を生産して依存させるべき』
「だよね。それが魔晶石なんだけど」
『国境沿いのダンジョンにはまだ烏が到着していない。でも、そのダンジョンの影響で貿易が滞っているのは間違いない』
「そっか」
ヴェルナはダンジョンマスターとしての責務を私よりも果たしている。優秀なくせに、劣等感の塊なんだから嫌になる。
『魔晶石以外にも、王国が聖王国からの輸入に頼っている資源があるよ』
ヴェルナの陰鬱な顔を思い出していたから、視界に入っていたはずの文字に気づけなかった。クロがスケッチブックをぶんぶん振り回している。
「ご、ごめん!……それで、その資源ってなに?」
『薬草』
文字とともに、薬草の絵が描かれている。インクの匂いの中に草の青臭ささえ錯覚させるほど精緻だ。
「えっと、国内ではほとんど生産できなくて、聖王国と属国から輸入している、と」
『アグネスが薬草をもっと提供すれば、もっと依存する』
「……魔晶石と薬草を腐るほど生産すれば、王国にとって私のダンジョンがなくてはならない存在になるね」
花畑に薬になる花が生えていたのは偶然だったけど、これからはもっと咲かせるようにしよう。そして、いずれ開放する2階層も、薬草パラダイスにしていこう。
「ところでさ、私1つだけとっておきのアイデアがあるんだ」
『とっておき?』
クロがテーブル越しに身を乗り出し、ふたりの間の空気が拳ひとつ分、圧縮される。こうやって興味を持って聞いてくれるのは嬉しい。
「ポーションってさ、どんな評判だった?」
『不味くて臭い。美肌にも効くけど、消臭が大変』
滲みだしたインクを読んで、私は三日月のように口を裂き、喜びを露わにした。人には見せられない顔をしていることだろう。
『気が狂った!?』
「狂ってないよ。ただ、商機を見出しただけ」
こてんと首を傾けるクロ。2mを超える鎧兜を着込んだ謎生物だというのに愛嬌がある。
「魔国の錬金術にさ、ポーションを無味無臭にする方法があるんだ」
『大商人に勝てる!』
「いや。勝つつもりはないよ」
クロの兜の奥から覗く赤い瞳が、ぽかんと間の抜けた正円を描いている。まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのようだ。
「魔族の技術だから私しか使えない。それじゃあ、大量生産はできないでしょ?」
『確かに』
「だから、史上初のポーションのブランド品として、全く新しい戦場に立つ。フルーツで香りづけをして、貴族や富裕層をターゲットとする」
それなら商人に恨まれることも、そもそも勝負になることすらない。だって、私しか作れないのだから。
「化粧品として、貴族の女性層を私の作ったポーションに依存させる。どう思う?」
『いいと思う!材料はダンジョンで生産できるし』
「うん。……ただ、一度冒険者に採取させて、それを買い取って使うっていう形になるけど」
材料をどこから仕入れたのか。それを明確にしなければ商売なんてできない。
「それに、いざ聖戦が始まったら、このダンジョンを閉じるでしょ?原材料である薬草を入手できなくなったので販売を中止するっていう主張も自然になる」
『そして、女性貴族に不満が溜まっていく』
「そう。魔国もそうだけど、貴族って美容にすごく気を使っているから」
私がダンジョンを閉じれば、アストラル王国は魔晶石と薬草を国内で手に入れることができなくなる。
さらに、化粧品まで手に入らなくなれば……
『不満が爆発して戦争反対を訴える!』
「かもしれない、だけどね」
そもそも、まだ魔晶石で都市1つを依存させるところまでしかいっていない。前途多難だ。
「それに、最も大きな障害があるよ」
クロがゴクリと喉を鳴らす。私はレタスを前歯で断ち切り、冷たい水分で口を潤してから言葉を続ける。
「ポーションの売り込みやら宣伝やらで、色んな人と会わなくちゃいけない」
スケッチブックに文字を綴るのも忘れて、クロが私に呆れたような目線を向けてくる。
「だって……人見知りには辛いんだもん!」




