夜が牙を剥く
陽だまりの匂いと花の香りが混ざり合い、思わずあくびが漏れるような穏やかな午後。
「今の絶対当たっただろ!クッソォ……」
「俺は2回攻撃を当てたことがあるけどな」
「マウントすんなよ」
3人の男の冒険者が、喧嘩騒ぎの延長線上にいるかのように、笑い声を響かせながらクソチビことトタン君と戦っている。
「戦い、とは呼べないよね」
私は地下深くに埋まる2階層から、男たちの様子を見ている。
彼らは花の採取を終わらせると、花畑に石を投げてトタン君を挑発したのだ。それからずっと、誰が最初に攻撃を当てられるのかゲームをしている。
私としては非常に複雑な思いなのだが、当のトタン君たちが楽しそうなのだから困ってしまう。
恐怖に興奮を感じるタイプなのだろうか。バンジージャンプなどが好きそうだ。
「うわっ!惜しかったなぁ!」
「掠ってもいなかっただろ!」
「ああっ!……俺の剣が!」
トタン君は滑るような足さばきで攻撃を回避すると、休むために離れていた男に襲い掛かった。油断していたのか、腕を動かすことなく剣を奪われた。
「今日はお前のおごりな!」
「肉だぞ肉!それも高いやつ!」
花の海へと消えていったトタン君を、財布となった男が絶望の表情を浮かべて見つめている。
「よしっ!帰るぞ!」
男たちは溢れるエネルギーを撒き散らして、ダンジョンの出口へと歩いていく。耳をつんざくような哄笑は遠雷のようにくぐもり、やがて聞こえなくなった。
「急に静かになったね」
冒険者の多くは午前に訪れる。昼下がりを過ぎれば、人が来ることはほとんどない。
1階層との接続を切ると、ひんやりとした心地の良い夜の冷気が私を襲う。ぽかぽかの陽気とは対照的で、時間間隔がおかしくなる。
そこは地下でありながら、満天の星空が広がっている。しかし、夜空を埋め尽くす星々すらも、あの巨木の前では引き立て役にすぎなかった。
天を支えるように枝を広げ、頭上を覆う葉の一枚一枚が、星明かりを吸い込んだように黄金の光を放っている。
「相変わらず、バカデカいよな……」
ピッタリとくっつくルディを抱っこして、工房に向かう。昨日は街に行っていたから、やけに甘えただ。
工房の扉を開くと、古い木造家屋の柱から滲み出すような、懐かしくも甘い樹脂の香りが漂ってくる。
午睡の樹液が固まった匂いだ。ルディを作業台の端に置くと、下塗りの樹液で覆われた鉛の鎖を丁寧に磨いていく。
その上から、無気力草の繊維と停滞の魔石粉が溶けて混ざった樹液を塗り重ねていく。乾燥すればまた塗る。
それを5回繰り返して、最後の仕上げを開始する。表面を研ぎ、深みと光沢を出していく。
「できた!」
思えば私は、完成した喜びでテンションがおかしくなっていたのだろう。長時間の作業の間に眠っていたルディを撫でると、専用の出口からダンジョンを出たのだ。
完成した『怠惰の鎖』を試したい、そんな思いに駆られていた。
夜気を含んだ冷たい風が頬を刺し、湿った土の匂いが立ち込めている。頼りない月明かりを道しるべに進んでいると、草むらから湧き上がる虫の音が聞こえてくる。
わずかに差し込む月光が、木々の影を長く、黒い化け物のように変えていた。
足の動きが次第に遅くなり、高揚感が消えていく。シャツに張り付いた生温かい汗が一気に冷たくなり、背筋を凍らせる。
「やっぱり帰ろう」
どうして私は1人で夜の森をうろついているのだろう。気が狂っているとしか思えない。
ルディが眠っているなら、トタン君を連れてくるべきだった。鎖同士がぶつかる音で、自分の手が小刻みに震えていることに気づいた。
ダンジョンに帰ろうと踵を返した、その時だった。
「ぐわぁぁあああ!!」
張り詰めた夜の冷気の中、彼方の茂みから凄惨な悲鳴が轟いた。一度きりの、そして二度と続くことのない、生の終わりの響きだ。
鳥たちが狂ったように飛び立つ羽音が重なり、全身の毛が逆立つのを感じた。
「な、に……?」
途切れ途切れの声が、吐息と共に放たれる。断末魔の聞こえた方向は、ダンジョンの出入り口がある場所だ。確か、バルタザール侯爵家の騎士が警備を行っている。
「だとすれば、ダンジョンコアの破壊が目的?」
騎士が配置された理由を思い出す。魔晶石を自給自足できるようになったおかげで、侯爵家はより豊かになった。だから、政敵からダンジョンを守る騎士を配置した。
「騎士の殺害なんてご法度だから、犯人はバックに権力者がいるってことでしょ」
心臓の音が鼓膜を揺さぶっているというのに、思考だけは妙に冷静だ。過呼吸になりそうな肺を無理やり広げ、長く、深く息を吐く。空気と共に覚悟を腹の底へ落とし込む。
コアの破壊が目的だとすれば、私が逃げるわけにはいかない。弾かれたように暗闇の口へと飛び込むと、頬を打つ小枝の痛みを無視し、道なき道を突き進む。
「馬鹿だよな」
ダンジョンの中で戦うべきだ。だというのに、私は騎士の元へと向かっている。騎士は3人いたはずだ。遅れれば、残りの2人まで死んでしまうかもしれない。
「冒険者だって言えば、誤魔化せるかな」
枯れ葉を踏み砕く乾いた音と自分の荒い息遣いが、静まり返った夜の森にけたたましく響き渡る。
重たいブーツが地面を叩き、鬱蒼とした木立の中から整備された土道へと飛び出した。
そこにある惨劇の舞台を、雲間から差し込む月明かりが照らしていた。
3人の騎士は、まるで壊れた人形のように散らばっている。2人は物言わぬ亡骸となり、瀕死の1人が吐き出す血泡だけが、わずかに生の残滓を告げていた。
「そんな……」
金属と血の匂いが充満する中、そいつはゆっくりと振り返った。
返り血で濡れた犯人の姿は、月下において妖艶ですらあった。彼はゆっくりと、こちらへ顔を向ける。
その表情は、あまりに静謐だ。激昂も愉悦もなく、ただ能面のように滑らかな無表情が、硝子細工のような冷たさで私を射抜いた。
「おや?あなたでしたか」
感情の欠片のない、光を一切反射しない瞳が、私を見据えていた。




