喧騒の中のシチュー
「人が多い」
幾百もの言葉が混ざり合い、意味をなさぬ轟音となって鼓膜を揺さぶる。細く呟いたその言葉は、喧騒の仲間入りすることなく泡のように溶け消えた。
オーク材の長テーブルの一番端、通路に突き出たような席に私は身を縮めて座っている。
対面には黙々とパンを千切る行商人が、その隣には、エールを掲げて怒鳴るように笑う傭兵風の男たちが座っている。
「ごめん」
私の隣に座るユーマが、叱られた子犬のような表情で謝罪する。
運よく端の席を確保できたが、それでも見知らぬ人に囲まれている。人が溢れかえった店内で、私の心臓は早鐘を打っていた。
「ユーマのおすすめのお店に来てみたかったから、大丈夫だよ」
言い終えてから、私はゆっくりと深呼吸をする。
騒がしい場所や人の多い場所は好きではないけれど、これも経験だと思うことにしよう。生きていれば、そういった場所に入ることもあるのだから。
「ユーマは最近なにをしているの?」
「最近?」
「ほら、私たちダンジョン以外では別行動が多いでしょ」
会話に集中すれば周囲が気にならなくなるかもしれない。そう考えてユーマに近況を尋ねる。
「魔晶石は安くなったし、稼ぎも安定したから魔道具の新調をしている。俺の持ってる魔道具はどれも中古品で性能が低かったから」
「言ってくれれば私が作ったのに」
ユーマは曖昧に笑って答えない。そこまで私の腕には信頼がないのだろうか。
2人の間に訪れた気まずい沈黙を埋めるように、怒号のような笑い声や、無数のジョッキがぶつかり合う音が聞こえてくる。
ふと、誰かに見られているような気配を感じ、吸い寄せられるように正面を向く。
しかし、そこにはテーブルに視線を落とす行商人がいるだけだった。男はただ黙々とパンを千切っている。私の気のせいだったのだろうか。
「料理が来たみたいだぞ」
ユーマの声に釣られて通路を見ると、給仕の女の子が曲芸師のように客と客の僅かな隙間を縫って料理を運んでくる。
華奢な腕からは想像もつかないバランス感覚で、湯気の立つ二つの丸盆を掲げて滑り込んできた。
大鍋で三日三晩煮込まれたという茶色いシチューと、石のように硬い黒パン、水の入ったコップがテーブルに並べられる。
玉ねぎの甘さと、大地の匂いを残したジャガイモの香りが湯気となって立ち込める。
「おいしそう」
野菜は不格好に切られていて、見た目だけでは食欲がそそられなかったが、穏やかでクリーミーな匂いが冷えた鼻先を優しく撫でた瞬間、私の胃袋が早く食べたいと叫び出した。
「パンをシチューに浸して食うとうまいんだよ」
ユーマに導かれるがまま、黒パンをシチューにつける。スポンジのように吸い込み、ふやけて柔らかくなったところを口に放り込む。
肉の旨味が溶け込み、肉そのものを食べるよりも贅沢な味わいだった。
「おいしい!」
喉の奥から、自分でも驚くような大きな声が飛び出した。恥ずかしくなって目線が泳ぐが、私の大声などこの店では誰も気にすることはない。
気を取り直してスプーンを持ち、シチューを一口啜る。
野菜の甘みと強い塩気がガツンと脳を揺さぶり、多幸感に満たされる。羞恥心も緊張も、もうどこにもなかった。
夢中で手を動かす私を、ユーマが嬉しそうに眺めているのが見えた。
「そういえばさ、あの土ゴーレムがなんて呼ばれてるか知ってるか?」
すっかり短くなった黒パンでシチューの残り汁を拭き取っていると、ユーマがおもむろに口を開いた。トタン君のことだろう。周りを気にした言い方をしている。
「なんて呼ばれてるの?」
可愛らしい呼ばれ方をしていると嬉しいが、トタン君は魔物だし、はっきり言って凄くウザい戦い方をする。ユーマに私の性格を疑われたくらいだ。
「クソチビ」
思わず手を握りしめてしまった。ふやけた黒パンに指の跡が残り、吸い上げられたシチューが飛び出した。
「クソチビって……。愛くるしい見た目をしているのに」
「ダンジョンまでの道が整備されて、しかも巡回の兵士が道中の魔物を間引いてるだろ?だから、駆け出しの冒険者がたくさん来るようになったんだ」
「ああ、確かに。最近”クソチビ”に翻弄されている人をよく見かけるなぁって思ってたんだよ。……仕方ないか」
それでもクソチビは酷いと思う。そもそも、トタン君は攻撃を仕掛けない限り戦うことはない。そちらから挑んでおいて、その呼び方はおかしい。
「お二方は、新しくできたダンジョンに詳しいのですか?」
私がトタン君への誹謗中傷に憤怒していると、対面に座る行商人が能面のような顔でこちらに話しかけてきた。
突然知らない人に話しかけられた私は、呼吸することを忘れて頭が真っ白になってしまう。
「はい。ダンジョンに興味があるんですか?」
固まった私の代わりに、ユーマが愛想よく答える。ユーマって愛想笑いとかできるんだ。そんな失礼なことを考えているうちに、強張っていた体が解れていく。
残りひとかけらの黒パンを口に放り込む。ほのかな甘みが広がり、ようやく心臓の音が落ち着いてきた。
「ええ。仕事で用があって。初心者泣かせというゴーレム以外は生息していないのでしょうか?」
「そうですね。なので、魔物素材という面ではおいしくないと思います」
「なるほど。ありがとうございます」
行商人は感謝の言葉を口にするが、表情は変わっていない。光を一切反射しない瞳と、血色の悪い顔が相まって人間味がなく、失礼ではあるが不気味だ。
剥製のような男は、別れの挨拶を告げると突然立ち上がり去っていった。なんだったのだろう。
もしかして、魔物素材がしょぼかったのがショックだったのだろうか。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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