占星
171
枯れた花を愛でる暇なんて、僕にはないんだ。
172
時野舞白は、いついかなる時も目的を忘れない。
時野舞白は、いついかなる時も家族を見捨てない。
彼女にはその強さがあった。
しかし、だからこそ脆かった。
「はぁ、ここまでくると流石に認めざるを得ないな。殺人鬼のなり損ないとしてのお前が、この俺をここまで翻弄してくれたんだ。その代償がその程度で済んで、良かったな」
四四咲彼岸は、文字通り満身創痍である。
五体満足ですらないのだ。
片腕は肩から根こそぎ千切られ、脚も身体と繋がってはいるものの、数えるのも億劫になるほどの傷を負っている。
それでも、この場においての勝者は、四四咲彼岸なのだ。
「おい、お前生きているのか? ふんっ、面白くない結末だな。大猫、その娘を連れて今すぐここから消えろ。傷の手当てなら、この研究所の一階に医療室がある。勝手に使え」
「それはありがたい提案だね。どういうつもりかは計りかねるけれど、ね」
「くだらん詮索などする時間はないだろう。さっさと行動を始めろ。単なる気まぐれとでも思えばいい。そしてその娘が起きたら伝えろ、次は殺し合いを、とな」
「はいはい、仰せのままに」
「シロ」は既に気を失っている。
戦闘という観点で見れば、彼女は四四咲彼岸を最後まで圧倒していた。
しかし、彼女は倒れ、彼は倒れなかった。
「君はこれからどうするつもりだい、四四咲彼岸」
「答える義理などない」
当然といえばその通り。
予定調和のようなやりとりだった。
大猫正義も応えてもらえるとは思っていなかったのか、全く気にしていない様子だった。
これ以上、互いに会話する必要がないと判断したのか、大猫正義は時野舞白を背負い歩き出す。
その様子を、四四咲彼岸は静かに見つめていた。
その瞳は、まるで何かを見守っているかのようだった。
時野舞白は、何の為に闘ったのだろうか。
誰の為に、ここまで闘ったのだろうか。
家族を失い、心を失い、そしてまた家族ができた。
しかしその家族も、半分以上失った。
遺された者でありながら、彼女は闘うことを決意した。
もう二度と奪われない為に。
もう二度と自分を呪わなくて済むように。
「大••••••猫さん?」
「気がついたかい? ここはもう戦場ではないよ。正確にはまだ終わっていないのだけれど、それでも先刻まで君が身を投じていた闘いは、終わった。よく闘ったね」
まだ身体に力が戻らないのか、彼女は大猫正義に抱えられたまま、静かに目を閉じた。
「こんな小さな身体で、本当によく闘ったよ」
返事はない。
しかし、彼女の眠った顔を見て、大猫正義は安堵する。
そして同時に戦慄する。
殺人鬼という存在は、極めて特殊なものである。
殺人狂や暗殺者、殺し屋や始末屋などと同列にされがちだが、その性質は群を抜いて異質なのだ。
なぜなら彼ら殺人鬼の殺人には理由がないのだ。
故に、彼らの行動を理解するということは常人には不可能に近いのかもしれない。
しかし、大猫正義の目の前にいる彼女は、そしてもう一人の殺人鬼の彼は、明確に意志を持って、確固たる目的を持って闘っている。
この世の中に、そんな才能があっていいのかは難しいところではあるが、「殺しの才能」において殺人鬼を上回る者は存在しない。
その天才が、目的を持ってその才能を磨くということがどんな結末を齎すのか、それは大猫正義をしても想像できないものだったのだ。
「若い芽を摘むというのは、未来を守る者として決してやってはいけないことのはずなんだけれどね。これはまた難しい問題だよ、全く」
「そいつに何かすんなら、俺がおっさんを殺す」
神出鬼没。
彼は、常に空間の影で生きてきた存在だ。
殺人鬼としてこの世に生まれ落ちたその瞬間から、彼はその才能を磨き続けている。
数多もの修羅場をくぐってきた程度では、その領域には届かない。
「君は気配を殺すのが上手だね。安心していい、僕がこの子を害することはないよ、今はまだ、ね」
「あっそ、なら今はそいつのこと守ってやってくれ。細かく見なくてもわかる。相当無理したんだろ? シロがそうなったのは久しぶりだしな、当分起きねえと思う」
「君はこれからどうするんだい?」
「枠綿無禅のところに行く。長かった因縁もそこで終いだな」
「そうか、無茶はしないようにね」
「くはは、殺人鬼に気ぃ遣ってくれんのか? まあ、おっさんとはまた会うことになりそうだしな、そん時は手加減すんなよ?」
「僕としては、御免被りたい限りなんだけれど。でもそうだね、その約束のためにもお互い生きていよう」
「なんか、そういう約束ばっかだな。生きるってのは俺の思っている以上に柵だらけなんだな」
「その通りさ、だからこそ生きることには意味があって、死んでいった者を悼む心が生まれる」
「なるほどね、含蓄のある言葉をどうも」
正義と殺人鬼が対峙した時間は、およそ二分程度。
この約束が果たされることは、終ぞなかったが、それでもこの時の会話を両者が忘れることもまた、なかった。
「もう、行くのかい?」
「ん、ああ。これ以上こんな所にいる理由もねえだろ。少なくとも、向こうに抑えられてた人間は全員こっちが連れてんだ。最悪のケースでも引き分けには持ち込めんだろ。まあ白塔のお姉さんは納得いかないかもしれねえけどな」
その言葉を最後に、殺人鬼は再び姿を闇に消した。
まだ近くにいるようにも感じるし、もうこちらのことなど忘れて遠くに行ってしまった様にも感じる。
「守る、ね。了承したよ、大猫正義の名に誓って」
彼は、枠綿水仙の私室がある地下へと、再び足を進める。
その先に待っている絶望に、彼はまだ気が付けない。




