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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
68/71

納得

167

 正しさは心地がいい。

 だからこそ、人は心酔し浸り、溺れていく。



168

 ただ生きていてほしい。

 それは愛する者に対して、誰もが抱きやすい感情だろう。

 


 そこにいて、笑ってくれたら。

 愛する家族にかける想いは、いつの時代でもシンプルで、そして大きいものである。



 靴谷氷花が白塔呑荊棘に投げた言葉には、たくさんの愛が詰まっていた。

 それはもしかしたら、残された妹のためだったかもしれない。

 それはもしかしたら、命という可能性を持つ彼女のためだったかもしれない。

 それはもしかしたら、あの日何もできなかった自分のためだったかもしれない。



 そこから先の言葉は、慎重に選ばなければならない。

 人の心は、誰にも見せることはできやしないが、自分だけは、知らないでは済まされない。

 そして、その心に従い言葉を紡いだとしても、口から出た瞬間に色が混ざってしまう。

 相手に伝えたい、届いてほしい、理解してほしいと願えば願うほど、それらの言葉は心から離れていってしまう。

 心に浮かんだ文字を、想いを、言葉を、そのまま相手に発することはひどく難しい。

 同様に、そういう類の言葉をありのまま受け取ることもまた、難しいのだ。



 ただ一言。

 生きていてほしいという言葉さえ、靴谷氷花の思いの全てを汲んでいるわけではない。

 そして当然のように、それを受け取った彼女も、その言葉をそのまま受け取ることはできない。

 言葉が、想いがシンプルであればあるほど、その背景にある感情は複雑であることが多いのだ。

 それを互いに理解しているからこそ、二人の間には静寂という「思いやり」が生まれる。



 しかし、時間はその停滞を許してはくれない。



「氷花姉、私はここを出たら生きていけない。それは素体になっている私自身も似たようなものだと思う。だから、これ以上に私を貶められることがないように、殺してほしいんだ。駄目••••••かな」



 彼女もまた、必死に言葉を選んでいるのだろう。

 相手を必要以上に傷付けないように。

 


「非情な頼みだってことは理解してる。氷花姉に背負わせられるようなことじゃないことも、痛いくらいわかってる。でも、他に頼める人がいないんだ。私にとって、梢も舞白も、そして氷花姉も大事な家族。私の願いも、一緒だよ。みんなにはちゃんと生きていてほしい」



 彼女が言葉を重ねるたびに、靴谷氷花の表情は険しくなる。

 互いの願いが反発し合い、妥協することはできない。

 にもかかわらず、その根幹にあるのは同じ愛なのだ。



「呑荊棘、あたしがそんなことできねえこと知ってんだろ」

「うん、知ってる。氷花姉は優しくて格好いい、あたしの憧れだったから」



「それでも、変わんねえのかよ」

「うん、変わらない。私はここから先にはいけない」



「どうしても、か」

「どうしても、だよ」



「あたしは弱い。何も守れてねえ。ごめんな、呑荊棘」

「私のこと、許さなくていい。恨んでも、いいよ」



「できるわけねえだろっ!! あたしがお前に対して、何を恨めるってんだよ。お前はあたしの家族で、妹だ」

「ありがとう。やっぱり格好いいよ。梢のこと任せるよ? 舞白のことも。二人とも危なっかしいからさ、氷花姉がちゃんと見ていてあげて」



 言いたいことはもう伝えた。

 彼女の顔は、そう語っていた。

 靴谷氷花は、その顔を見て言葉を飲み込んだ。

 もう何を言っても何も変わらないとわかってしまったから。



 届いていないからではない。

 伝わっていないからでもない。



 届いて、伝わっているからこそ、彼女は変わらないことがわかってしまったから。



「私が言いたいことはまだまだたくさんあるけれど、今はもうこの辺で終わりみたい。氷花姉、本当に会えてよかった。私は氷花姉の妹になれて幸せだったよ。生意気で無愛想な妹だったけれど、私のことをいつも見ていてくれてありがとう」



 彼女は、一人で会話を締めようと口を動かし続ける。

 まるで、何かに追いつかれないように。



「だからね、氷花姉。私はずっと幸せだった。大丈夫、私はもうわかってるから。心配しないで、みんながここを無事に出られるように、できることはあまりないかもしれないけれど、何かやってみる。梢がアイと名付けてくれたこの子のことも、ちゃんと守るから。私も頑張るから、だから、氷花姉もちゃんとやるべきことをやって、ね?」



 早口に話す彼女は、靴谷氷花も見たことがないくらいに泣いていた。

 声を振るわせ、頬を涙で濡らし、愛する家族を見送ろうとしている。

 自分はこの場所から離れられないことを理解しているのに、自分の命が再び終わりに向かっていることもわかっているのに。

 それでも彼女は、靴谷氷花を送り出す。

 愛する姉を信じているから。

 託された想いを、靴谷氷花という人間は無碍にしない。

 それが呪いのようなものであったとしても。

 


「お前の言葉は受け取っておく。でも、まだあたしは決断できてねえ。その場にならねえとわかんねえ。そうすることでお前が、白塔呑荊棘という人間が、あたしの妹が救われるかもしれないということは、ちゃんと考える。だからお前も、アイも死ぬな。あたしはお前のことを諦めたりしねえ」



 その言葉を聞いて、彼女は微笑んだ。

 満足したのか、感動したのか、嬉しかったのか。

 彼女は、静かに出口に視線を送る。

 それに応じて、靴谷氷花も出口も見る。

 時間は有限であり、決して多く残されているわけではない。



「あたしは、行くぞ。いろんなことに決着をつけなきゃなんねえし。お前もできるだけ変なことはせず、命を大事にしてくれ。その体の命は、あたしの妹がくれたもんだろ。粗末にしたら許さねえからな」

「••••••うん、わかった。気をつけてね」



 靴谷氷花はもう振り返らない。

 この扉を出てしまえば、きっと二度と会うことはない。

 それでも、彼女たちは時間を進める。

 


 アイは、深く深呼吸する。



「バレてた、よね。演技の練習は結構してきたのになぁ。やっぱり本当の家族にはなれっこないよね。梢、氷花さん、生きてください。絶対に死なないで。••••••はあ、何とか間に合ったのかな。私にしてはうまくやれていたと思うけれど、本当にここまでみたい」



 アイは、静かに目を閉じる。



「さよなら、氷花姉」



 その瞳から、最後の涙がゆっくりと零れ落ちていく。



「さよなら、梢」



 アイは、人造人間である。

 管理者の入力一つで、すぐさまその命を停止されられてしまう。

 その命の価値は、この場所において、何よりも低く、簡単に消えてしまうものだった。



 靴谷氷花が扉を出た数秒後、白塔梢によって「アイ」と名付けられたその命は、誰にも看取られることなく、知られることもなく、静かに幕を閉じた。

 

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