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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
67/71

静寂

165

 精一杯生きて、それでも駄目だったら?



166

「久しぶり」



 その声は、口調は、表情は、よく知っている。

 


「氷花姉、まさかこんなとこまで来るなんて。流石だね」



 少し困ったように微笑む彼女を、よく知っている。



「梢を待たせてるみたいだから、あまり時間はかけられないけれど、どうしても氷花姉に会いたくてさ」



 その言葉は、靴谷氷花の思考を一瞬止める。

 姉である白塔梢ではなく、自分の前に現れたことを慎重に咀嚼する。



「私はずっと見てた、このアイの身体の中で。梢がこの地に足を踏み入れた時も、殺人鬼のあの子が暴れている時も、そして姫ちゃんが死んでしまった時も。ただ見てるだけだった。ごめん、氷花姉。こんなことに巻き込んでしまって」



 彼女の言う通り、ずっと見ていたのだろう。

 アイの目を通して、心を通して。

 何もできないけれど、何も起きないわけではないのだ。

 


「呑荊棘、なんで梢に会わない? あいつが何のために命を懸けてるのかくらい、わかってんだろ?」

「うん、ちゃんとわかってる。だから会えないんだよ」



 彼女の言っていることは、理解できる。

 理解はできても、納得ができない。



「たった一人の家族だろうが。屁理屈並べず、会いたいなら会いに行けばいいだろうが」

「••••••」



 靴谷氷花は、思わず強い口調になった自分を諌める。

 彼女がどんな思いで、自分の前に現れたのかを失念してはいけない。



「いや、すまん。呑荊棘、あたしに会いたかった理由は?」

「••••••お願いだよ、氷花姉。氷花姉に託したい願い、いや、呪いとでも言ったほうが正しいかもしれないね、ふふ」



「呪い? 物騒なこと言うなよ。呑荊棘、お前からの頼みなら、何でも請け負うさ。あたしにできることは何だってしてやる」

「相変わらず格好いいね。流石は私たちの姉ちゃんだ」



「揶揄ってないで、さっさと言えって」

「照れてる氷花姉を見るのも、随分久しぶりだね。いいもの見れたよ。あぁ、怒らないでよ、怖いよ? わかったってば、ちゃんと言うよ。私が氷花姉にお願いしたいのはね••••••」



 ほんの一瞬。

 靴谷氷花にとって、自分たちを覆う雰囲気は「ひだまり園」にいた頃のそれと同質のものだった。

 靴谷氷花の記憶の中の彼女は、口下手で怖いもの知らずで情に厚い、不器用な子だった。

 大学に通う前から、必死で変わろうとしていることは知っていた。

 それでも、どれだけ纏う空気が変わろうとも、靴谷氷花にとって白塔呑荊棘は変わらない。



 彼女の次の言葉を待つ間、靴谷氷花は一つの問いに向き合っていた。

 自身が向き合うべき問いであり、誰にも分けることができない問い。

 もしかしたら、あの殺人鬼であれば、二つ返事で応えてくれるかもしれない。

 



「••••••私を探して」



 思考の途中だったが故に、反応が遅れてしまう。

 いや、そうでなくても靴谷氷花には反応できなかったかもしれない。



「梢には言えない最大の理由。私の身体はまだ生きている。生かされているって言った方がいいかもしれない。数ヶ月前に確認した情報だから、間違いないと思う。枠綿水仙の管理する施設のどこかに、私の身体は保管されている。植物状態だと思うけれど、あの日から私はずっと管理され続けていた。だから、氷花姉。私を探して、そしてちゃんと殺してほしい」



 思考が纏まらない。

 歯車が足りないとか、噛み合っていないとか、そういうことじゃない。

 思考が前に進むことを、本能的に拒んでいる。

 与えられた情報を、うまく飲み込めない。



「いや、ちょっと待ってくれ。呑荊棘、どこから突っ込めばいいのかわかんねえけどさ、何よりもまず、何であたしがお前を殺さなきゃなんねえんだよ」

「ごめんね、時間が限られているからね。でもあの私は、もう死んでいるんだよ。あの日、私は死んだ。そうじゃなきゃ、梢はいつまでも私を追いかけ続けるでしょ?」



「それの何が悪いんだよ、お前が梢のもとに帰ればそれで良いだろうが。何で呑荊棘、お前が二度も死ななきゃなんねえんだよ」

「氷花姉••••••、私はもう前に進めないよ。ずっと死にたかった。死に場所を探してた。梢を残して死ぬことは確かに心残りだったけれど、それでも梢を守って死ねたんだ。私にしては、上出来だよ。がっくんとひーくんのことは許せないけれど、巻き込んだのは私たちだから。言い訳なんかできない。それにね、私の身体が目覚める日が来たとしても、そこに私の意識があるかどうかはわからないから。素体を綺麗なまま保存しているだけとは思えないしね。私に関することで、梢をこれ以上苦しめたくないんだよ。だから••••••ね?」



 靴谷氷花の記憶にはない表情だった。

 単なる優しさではない。

 様々な感情を無理矢理押し殺し、伝わっても問題のない感情のみを残して笑っている。



「お前は、呑荊棘だろ?」

「••••••?」



「お前が呑荊棘であるなら、あたしが言えることは一つだけだ。人生の先輩として、姉として、家族として、言えること」

「••••••」



 出来る限り慎重に。

 出来る限り丁重に。

 


 彼女に届くように。

 彼女の言いたいことはわかった。

 望んでいることも理解した。

 それが自分勝手な願いでもなく、全てを諦めた遺言でもなく。

 


 彼女のことをよく知っているからこそ、言わなければならない。

 その言葉が、彼女を苦しめるとしても。

 その言葉が、自分勝手な我儘に過ぎないとわかっていても。



 靴谷氷花は、彼女の目をしっかりと捉えて、口を開いた。



「生きてくれ」


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