神意
161
道は続き、拡がり、開けていく。
幾人もの者どもの歩む道こそが、歴史となっていく。
162
「お前、意識があるよな」
その個体は、強い口調で詰め寄ってきた。
自分と同じ顔が、勢いよく詰め寄ってくるというのは、案外恐ろしいものなのだろう。
そういった感情が、彼女にあったのかどうかはともかく。
「お前は、私なの?」
捲し立てるようなその個体の勢いに、彼女は一瞬怯んでしまう。
それも仕方のないことなのかもしれない。
なぜなら、その個体の言っている意味が、彼女には微塵も理解できていないのだから。
「その反応は、はずれって感じかな。ああ、ごめんごめん。ちょっと期待しすぎて、舞い上がってた。自分と同じ顔に囲まれるってのも、正直結構気持ち悪くて、限界だったからさ」
何の為の、誰に対する言い訳なのだろうと、彼女は思ったかもしれない。
「あー、えっとノバラって言われて、何か思い出せることはある?」
その個体は、続けて彼女に問いかける。
聞き慣れた、そして知り慣れた名前を。
「えっと、白塔呑荊棘さんのことは知ってます。私たちの素体となった人間ですよね」
その返答は、気圧されてしまったことで、少しばかり不自然な丁寧さを含んでしまっていた。
しかし、そのことが一つの仮説を確定させてしまう。
「その認識ってことは、お前の中のノバラは素体であり、他人なんだな。そっか、やっぱり私だけが特別なのかな。異常と言うべきかもしれないけれど、私の中には白塔呑荊棘の意識がはっきりとあるんだよ。私は私が呑荊棘だと知っているし、記憶も思考も明確にある。ここにいる他の私は、自我さえも持てていないみたいだから、正直諦め掛けてたんだけれど、お前がいてくれてよかった」
自らのことを、白塔呑荊棘だと言い切ったその個体は、憂を帯びた表情で、弱々しく笑ってみせた。
それが、どういうことなのか、彼女にはわからない。
彼女の中に芽生えた自我は、その個体ほど自立できていないし、言ってしまえば、まだ自我というには弱すぎたのだ。
「話す相手ができたってだけでも、良しとするしかないのかな。ここが枠綿無禅に関係する施設で、私がこうして造られている限り、コズエは自由になれない。あの子を解放してあげる為には、この状況を壊すしかない」
目の前の彼女のことを、一瞬で忘れてしまったかの如く、一人ブツブツと呟き始める。
しかし、彼女にとっても聞き逃せない単語があった。
「コズエ」という名前には、何かがあるのだと、本能的に理解した。
自分の中にいる誰かが、いや彼女が、その名前を強く認識したのだ。
「こ、ずえ? お姉ちゃん?」
「っそう! そうだよ、何か思い出した? 私の姉で、ひだまり園出身で、おっとりしてるけど頑固で、普段は弱いくせに心の在り方はいつも強くて、ずっと頼りになる、私の、だ、大好きな、大切な家族」
その個体にとって、そして彼女にとって、その「コズエ」という人間の存在が非常に大きい存在だということは、どうしようもない事実として共感していた。
彼女が、その名前をたった今聞いたばかりだとしても、白塔呑荊棘が白塔梢を忘れることなどあり得ないのだ。
ずっと共に生きて、いつも共に支え合って、共に復讐に呑まれ、ある日死に別れた。
家族であり、半身であり、自身の命よりも優先していた者のことを、彼女は忘れない。
「コズエは、きっとまだ復讐の続きを追いかけてる。お前の中にコズエの記憶が少しでもあるのなら、すぐに理解できる。あの子は、いつか必ずここに来る。その時まで、私が生きていられるかわからないけれど、あの子をコズエだと認識できる誰かは残しておきたい。あの子がどうしようもなくなった時に、命を張って守ってくれる誰かがいる。一人でも多く、私の意識を目覚めさせなきゃ。私たちの身体には、チップが埋め込まれていて、そのチップに送られてくる命令には逆らえない。だから、出来るだけ長くこの施設の中に潜んで、出来るだけ情報を集める。協力してくれるよね?」
自分の意思で何かを選ぶということを、彼女は初めて経験する。
はっきりとした意思で。
力強く、迷いなど微塵もなく。
「わかった。私も手伝う。あなたがノバラであると同様に、私にもそういう部分が確かにあると思うから。私は貴方ほど、明確な意思を持っているわけじゃないけれど、コズエという人間が守るべき対象で、守りたいと思っていることはわかったから」
守る為に、彼女には何ができたのだろうか。
誰かを守るというのは、決して簡単なことではない。
拳を血で染めながら、ひたすらに守ることを決意したあの男でさえ、それが簡単でないことを知っている。
正義を掲げ、それに味方することで自分の存在を確立させている彼にだって、葛藤はある。
守る為に強くあることは、必要不可欠なのかもしれない。
しかし、強くなれたところで守れるとは限らない。
だからこそ、守るということは、守り続けるということは非常に難しいことなのだ。
「私は、お前に私の知ることを全て伝える。私の記憶も意識も、この会話もどうせ上にはバレてるだろうから、数を増やすしかない。コソコソ隠れる意味がないなら、それはそれでやり方を考えなきゃいけない。ノバラの意識が芽生えている個体を、できるだけ多く探し出す。抜け道がないと決まったわけではないし、あの子を守るためにできることは全てやる。いい? お前にも危険な橋を渡らせることになる。でも、お前は私だから。大丈夫だよな」
この物語で、何度も決意を描いているわけで、それこそ何度も言うが、決意したからといって、運命がそれを忖度してくれるわけではないのだ。
彼女らの決意は報われない。
報われることはないが、無意味ではなかった。
無力で無茶で、無謀だったけれど、無駄ではなかった。
彼女らの決意の結果が出るのは、この日からかなり時間が経った後になるのだが、それが彼女らの望んだ形かどうかは、神ならぬ運命のみぞ知る、と言うことになる。
彼女の命についた時限装置は、もう既に限界を指している。




