接近
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助けないよ。
僕は君を助けてなんかあげない。
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「私は、梢のためにこの命を賭けるつもりでここにいる。梢が私をアイと呼んでくれて、一緒に生きようとしてくれて、本当に嬉しかった。でも、私は私を知っている。私の頭の中に、何が仕込まれていて、何の為にそれが作動するかも知っている。きっと梢を苦しめてしまう。でも、一緒にいたかった。呑荊棘にはなれない私が、梢のそばにいていい理由なんて、これっぽっちもないかもしれないけれど、それでも諦めきれなかったのかもしれない」
彼女は、最初からそうだった。
「私は、私たちは、造られた命でしかない。下された命令には逆らえないし、自由意志というものがそもそもないのかもしれない。梢の前にいる私だって、自分の意志でここにいるわけじゃないのかもしれない。そんな不安がずっとあった。私は誰なんだろう、何の為にここにいるんだろう。ねえ、梢。私はアイだけれど、アイじゃない。ただの番号で呼ばれるだけの私には、何かの意味があって行動の自由が与えられている。文字通り、与えられているんだよ」
彼女は、弱い。
「今この瞬間に、梢を殺そうとするかもしれない。その危険性を氷花さんたちは、見過ごせないんだよね。私自身もそう思うよ、私はこのままではいられない。今この瞬間まで、何の指示もなく生きていることは、これ以上ないくらいに不気味で異常なことだから。枠綿無禅という人間は、きっと私のことを見落としたりしない。寧ろ、最初からわかった上で、生かしているだけに過ぎない、と思う」
彼女には、夢があった。
「梢、泣かないで。怒ってくれるんだね、ありがとう。でもね、ここが引き際なのかもしれない。梢に会った時、私は何でもするって言った。その気持ちにも言葉にも、嘘はない。でも、梢を危険に晒すつもりもない。現状、不安要素も危険分子も、この身体の中にあるのだというのなら、私は喜んで死ねるよ。家族という絆は、私たちにはないけれど、私の中には、少なからず呑荊棘の意識が宿っている。だから、私の命は梢の為に使ってほしい」
叶うことのない、決して誰にも知られてはいけない夢。
「いいんだ、梢。私はここまででいい。ここから先は、私には歩けない。私は、梢の復讐の役には立てなかったし、枠綿無禅のことも、殆ど知らない。結局、私にできるのは、梢の横を歩いていることだけだった。ううん、違うよ。梢はそう言ってくれるけれど、私は何もできなかった。しようともしていなかったのかもしれない。今ここにいる中で、私だけが梢を守れない、命を賭けることしかできない」
いつからだっただろう。
彼女が夢を抱いたのは。
「いや、それも違うよね。今となっては、命を賭けることすら不要なんだ。私が梢の前からいなくなれば、それでいいんだからね。うん、そうかもしれない。梢の言う通り、全てが杞憂で終わるかもしれない、その可能性もなくはないよ。でも、それは私が否定する。ここは、そんなに都合のいいことが起こる場所じゃない。最悪の中でも、さらに最悪。倫理や道徳なんてものは、一切通用しない。それは梢も、もうわかってるよね」
優しい人だった。
暖かい人だった。
「だから、そんな顔しないで。私は大丈夫、ずっと梢のことを想っているから。梢が生きていてくれるなら、私がここにいることは、ちゃんと報われるから。あはは、支離滅裂になってるかも。折角の時間だからね、できる限り、伝えたいことを伝えようと思ってるんだけれどね、いざ話すとなると、何話していいかわかんないもんだね。でも、伝えたい言葉で頭の中がぐちゃぐちゃになっても、不思議と心地良いんだよね。感情を抱くことが、こんなにも幸せだということを、私に教えてくれてありがとう」
彼女が目指したあの人は、ずっと傷ついていた。
「ありがとう、梢。私の話を聞いてくれて。この姿の私を、私と認めてくれてありがとう。い、痛いよ梢。そんなに揺らさなくても、私は寝てないし、ちゃんと正常だよ。きっと今の私の言葉は、私の意志で話せている気がするんだ。たった1日だった、たったそれだけの時間だったけれど、私は梢に会えたことがとても嬉しい。私の記憶の中に、梢がいてくれることが、どうしようもないくらい嬉しい。ただ造られただけのこの命に、何物にも代えられない価値が生まれた。私にとって、梢はそういう存在なの。だから生きていてほしいし、こんなところで躓いてほしくない」
それでもあの人は、いつも笑っていたから。
だから彼女は、あの人に夢を見た。
「復讐が簡単じゃないことは、痛いほどわかってると思うけれど、それでも進むのが梢なんだよね。私が知ってる梢もそういう子だった。だから、迷わないで。進んで。私の命を背負っていく必要なんてない。呑荊棘と梢が傷ついた分、ちゃんと償ってもらっておいで。ここいいる二人も、きっと他の仲間の人たちも協力してくれる。殻柳さんには怒られそうだけれどね。梢、最後にさ、抱きしめていいかな」
誰かのために、怒れる人になりたい。
誰かのために、泣ける人になりたい。
大切な誰かのために、笑える人になりたい。
「あったかい、梢。泣くのはここでお終いだからね。私には泣くことができないみたいだけれど、その分精一杯笑ってあげる」
彼女は、アイは、そういう人になりたかった。
普通の人間になりたかった。
ずっと無機質な情報の中にいる気がしていた。
横を見ても、後ろを見ても、自分と同じ顔しかいなかった。
会話という会話は殆どない。
彼女らの行動は、逐一指示に従うのみだった。
そんな中でも、ごく稀に話をしたがる個体がいた。
その個体は、明るい口調で話し、朗らかに笑っていた。
例え、誰も反応していなくても。
その個体は、いつの間にか敢えて感情を隠すようになった。
指示にも、周りの個体と同じように従い、待機している時にも、ただ黙って考えるような、何かを必死に観察しているような様子だった。
「お前だ、お前意思があるだろ」
いきなり話しかけられた時には、どんな反応をしただろう。
大袈裟に驚いたかもしれないし、淡白に応えただけかもしれない。
でも、それが彼女の始まりだったのは、間違いないのだ。




