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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
61/71

均衡

153

 一人は皆の為に、皆は誰かの自己満足の為に。



154

 靴谷氷花と白塔梢、そしてアイは駆け足で《会場》を後にする。

 既に、《会場》内で立ち尽くしている有象無象の殆どは、戦闘の衝撃や流れ弾で負傷しており、誰も彼女らに気を回す余裕はなさそうだった。

 


 《会場》には、四四咲彼岸と「シロ」、そして大猫正義が残っている。

 闘う者が揃うその場所に、守るべきものは一体何が残っているのだろうか。

 


 どれだけ想いを託そうと、その場で出来ることは限られていた。

 靴谷氷花ができることなど、もう殆ど残っていない。

 その僅かに残された「できること」こそが、彼女にしかできないことではあるのだけれど。

 


「ひょうか姉、舞白ちゃん大丈夫だよね? また会えるよね?」

「大丈夫、あのおっさんはそういう約束は守ってくれるから。それに舞白のことを気にかけてるやつは他にもいるしな」

「姫ちゃん、残して来ちゃった••••••。私たちを守ってくれたのに」



 悲痛な面持ちなのは皆一緒だった。

 守るべき家族を残してしまった故に。

 守ってくれた家族を残してしまった故に。

 守ると決めた半身を、これ以上ないほどに悲しませてしまった故に。

 


「今はとりあえず、ついて来てくれ。協力者の女が匿ってくれる」

「協力者••••••ですか?」



 先導しようとした靴谷氷花に、アイが聞き直す。

 枠綿水仙の隠し部屋までは、まだ距離がある。



「ああ、偶然知り合ってさ、あたしらに協力してくれる流れになったんだよ。利害の一致による協力関係ってやつかな」

「そう、ですか。名前とか、聞いてますか?」



 靴谷氷花は一瞬迷う。

 彼女の名前を、ここで伝えていいのか。

 アイと彼女の関係は定かではない。

 しかし、繊細な問題であることは分かりきっている。

 白塔呑荊棘を素にして、人造人間を造った張本人である彼女のことは、白塔梢に対しても慎重にならなくてはならない問題である。



「まあ、その辺の話は一旦安全を確保してからにしよう。このまま地下に向かう。敵の気配は殆どないから、そこまで逼迫するほどではないけど、油断できるほどでもないからさ」



 苦しいな、と思ったのかもしれない。

 靴谷氷花は、こういった空気が苦手である。

 良くも悪くもわかりやすい性格の彼女は、隠し事や気の利いた話などを得意とはしていなかった。

 


「わかりました、今は安全なところに身を隠すのが最優先ですね」



 アイの返事は、前向きとは言えない暗いものだった。

 協力者という誰かに、思い当たる人物がいるのだろう。

 そして、その誰かが決して好ましい人物ではないことを知っているのだろう。



 三人はそれから黙々と歩いた。

 階段を降り、廊下を駆けて、また階段を降りる。



 その道中、何人もの死体が転がっていたが、そのことに触れる者は誰もいない。

 戦わなければ、殺さなければ、大切なものどころか、自分の命すら守れない。

 そんな当たり前のことを、今更どうこう言う者は誰もいないのだ。

 だからこそ、彼女らは話し合わなければならない。

 誰もが受け入れているものが、目を背けていいものとは限らないのだから。

 もし、彼女らが少しでも枠綿水仙について話していれば、何かが変わっていたのかもしれない。

 生き残る人間の人数が、減ることを防げたかもしれない。



「あら、氷花ちゃん。人数が合わないようだけど、救出できたのはそれで全員かしら?」



 彼女は、唐突に目の前に現れた。

 返り血に衣服を汚されながらも、妖艶で悍ましい雰囲気を身に纏い、余裕のある表情で彼女らをじっと見つめている。



「水仙ちゃん、あいつは?」

「うふふ、質問に質問で返すなんて、氷花ちゃんらしくないわね。そんなに余裕がないのかしら。可愛いわね、本当に」

「茶化すなよ、おっさんと舞白はまだ来ねえ。でも絶対に来るよ、おっさんがそう約束してくれたからな」

「舞白ちゃんが連れ出せる状態になかったと言うことで、それを踏まえても一人足りないと言うのは、そう言うことだと思っていいのよね? 確か、殻柳優姫だったかしら」

「姫ちゃんは、梢とアイを守って死んだ。あたしにはそれしかわかんねえ」



 うふふ、と彼女は静かに嗤った。

 それは靴谷氷花には気付かれることはなく、白塔梢には知られることもなく。

 アイだけが、彼女の揺らぎを感じ取っていた。

 白塔梢と出会う前から彼女を知っていたアイだけが、その小さな揺らぎを知っていたのだ。



「とりあえず、移動しましょうか。貴方たちくらいなら纏めて守ってあげるわよ」



 従うしかない、反抗する意味など毛頭もない。

 そんな状況にある自分たちを、こんなにも窮屈に感じるとは思わなかった。

 アイが生まれて、少なくない時間が流れていて、非人道的な実験にも付き合わされたこともあったが、その時ですらここまでの窮屈さを感じたことはなかった。

 守りたいものができるというのは、こういうことなのか。

 失いたくないものができるというのは、ここまで自分を縛り付けるのか。

 大切な者の存在は、ここまで自分を弱くするのか。



 アイの葛藤は、誰にも届くことなく、状況は進んでいく。

 先導する枠綿水仙の歩みに迷いは感じ取れない。

 靴谷氷花もまた、彼女の登場によってどこか安心したようだった。足取りが確かなものになっている。

 この場で信用できるのは、もはや白塔梢のみだと、アイは静かに危惧する。



「さあ、ここに入って。この部屋なら一旦の安全くらいなら確保できるわ。さて、それじゃ話を聞かせてくれるかしら?」



 地下の入り組んだ場所にその部屋はあった。

 枠綿水仙の研究室という名目で存在しているのだろうけれど、安全という意味では些か怪しいところである。

 現状この場で、彼女に対抗できる戦力は一人としていないのだから。



「うふふ、警戒も疑心も敵対も結構。私たちは今運命共同体なのよ、どれだけもがいた所で、それは変わらないわ。だからこそ、話をしましょう。話して話して話して、話し合いましょう。私のこと、貴方たちのこと、そして私たちの未来のことを。うふふふふふふふ」



 悪魔に魂を売った彼女は、愉しそうに嗤った。

 人を殺す術を嬉々として行使する彼女は、嬉しそうに嗤った。


 

 靴谷氷花も白塔梢も、アイですら彼女を止めることはできない。

 彼女の舵取り一つで全員が死ぬことだって有り得るのだ。

 


 次は誰だ。

 その命を捧げる準備は済ませているか。

 彼女に残された時間は、もう幾許も残されていない。

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