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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
59/71

消褪

149

 この世の全ての花がすべて花開けば、どんなに美しいだろう。

 だからこそ、僕は君に「絶対に咲かない花」を贈ろうと思うんだ。



150

 最初は小さな違和感だった。

 それは歩みを進めるうちに膨れ上がり、焦りや不安に表情を変えた。

 そこが近づくにつれ、靴谷氷花の心臓は暴れるように脈打っていた。



「どうやらここが《会場》だね。嫌な静けさだ、静かなのに人の気配はちゃんとある。お嬢さん、少し心の準備をした方がいい。戦闘になる可能性も、誰かを救えない可能性も低くはない」

「••••••ああ」



 枠綿無禅の私室から、二人は真っ直ぐ《会場》に向かってきた。

 想定していたよりも遥かに襲撃が少なすぎたことも、建物内が異様な緊張感に包まれていることもわかってはいる。

 それでも、靴谷氷花は前を向いた。

 大猫正義は静かにそれに従った。

 この先で、二人を待ち受けているものに思いを馳せながら。



「僕が先に中の様子を見るよ。突入の合図も僕に任せてくれるかい?」

「わかった、あたしは中に入ったら梢たちを連れてここを出る。••••••でいいんだよな?」

「そうだね、基本的にはそう動くつもりでいよう。でも臨機応変に、状況を瞬時に理解して的確に動けるようにね。この中で、何が起きていても思考は止めない」



 大猫正義の顔に、緊張の色が滲む。

 その隙を、彼女は見逃せない。

 彼女はそういう変化を嗅ぎ取り、対応してきたからこそ、今もなお生きているのだから。



「おっさんでも緊張とかすんだな。少しだけ安心した」

「ははは、そりゃ僕だって人間だからね」



 人間だから、この状況で緊張して当然。

 それは理解できる。

 しかし、同時に彼らがそうでないことも、痛いくらいに理解できてしまう。



「じゃ、少し離れて待っててくれ」



 大猫正義は、静かに扉に耳を当てる。

 絵面としてはかなりシュールではあるが、彼の表情がそんなことを掻き消してしまう。

 苦虫を噛みしめたかのような、何らかの心配事が現実になってしまったかのような、そんな表情だった。



 大猫正義は、靴谷氷花に向けて手招きをする。

 彼女は、彼を倣い、できるだけ静かに扉へと近づく。

 


 しかし、耳を当てるまでもなかった。

 中で何が起きているのか、詳しくはわからない。

 しかし、彼女が泣いている。

 大事な妹が、涙を流し、必死に声を上げている。

 


 理由としては、十分だった。

 動機としては、充分だった。



「梢っ!!」



 勢いよく開かれた扉の先で、二人を待っていたのは想像していた最悪よりも、数段深く酷い悲劇。

 


「ひょうか姉! お願い、舞白ちゃんを止めて! 舞白ちゃんが死んじゃう••••••」



 扉を開けて、靴谷氷花の目に最初に入ったのは、殺し合いをしている二人だった。

 一人は、四四咲彼岸だとすぐにわかった。

 身体に無数の傷を負い、出血だけで死んでしまいかねないくらいに、辺りに血を撒き散らし、目の前の誰かを殺さんと顔を歪めている。

 もう一人は、わからなかった。

 頭では理解している。

 この場にいて、彼と殺し合いができる可能性を秘めているのは彼女しかいない。

 それでも、靴谷氷花の記憶が、心がその事実を拒絶する。



「舞白ちゃんっ!! それ以上動いたら死んじゃうよ!!」



 四四咲彼岸に対し、間断なく攻撃を続けるそれは、吐血してもなお、鼻血が止まらなくともなお、対象を死滅させんと動き続ける。

 身体の至る所の筋肉は、その動きについていけず、既にその機能を失っている。

 それでも、それは、彼女は止まらない。



「あれは、少しまずいね。お嬢さん、ひとまず白塔梢さんたちの救出を済ませよう」



 動けなかった。

 思考することさえ、できなかった。

 靴谷氷花の目の前で起きていることを、靴谷氷花自身が受け止めることができない。



「お嬢さん、呆けている時間はないよ」

「••••••っああ」



 どうすることもできない状況は、誰にだって往々にして訪れる。

 


「梢!! 大丈夫か?」

「うん。私は大丈夫なんだよ。でも姫ちゃんが••••••」



 それが偶々、彼女にとっては今だった、というだけの話。



「姫••••••ちゃん。なんでだよ、なんで姫ちゃんがこんなにボロボロになってんだよ」

「姫ちゃんは、私たちのこと守ってくれたんだよ。でも、そしたら舞白ちゃんがっ」



 やり場のない怒りも、昇華することのない憎しみも、受け入れることのできない悲しみも。

 全てが彼女を蝕んでいく。



「とにかく、まずはここを出よう。お嬢さんたち、動けるかい? 僕はあの子の戦いを見届ける。決着が着き次第すぐに、あの子と共に合流する」



 乗り越えなくてはいけない。

 受け止めなければいけない。

 殻柳優姫が死んでしまったことも。

 守るべき妹が命を削って、その危険から家族を守っていることも。



「アイちゃん、一緒に来て。ひょうか姉、姫ちゃんのことも••••••」

「梢、それはできねぇ。今のあたしらにそこまでの余裕はねぇんだ。頼む、わかってくれ」



 非情な選択を余儀なく迫られることも、珍しいことではない。

 生きるためには、殺さねければならない。

 そして、生き残るためには、拾い上げる命を選択しなければならない。



「ひょうか姉、嫌だよ。姫ちゃんをこんなところに残していくなんてできないよ。お願い••••••」



 縋るような、消えそうな声で靴谷氷花に頼む彼女は、一体どれだけの涙を流したのだろうか。

 その抱えきれないをどの悲しみが、靴谷氷花にはわかってしまう。理解できてしまう。



「おい、おっさん。姫ちゃん、この人のことも頼んでいいか。あたしらにとってとても大切な人なんだよ」

「うん、大丈夫。あの子のことも、その人のことも、任されたよ」

「ありがとう、恩に着る」

「とにかく、ここは早く行きなさい。水仙さんたちもすぐに合流するはずだから。ここでの戦いも直に終わる、あらゆる覚悟をしておかなくてはならない。お嬢さんたちは、それらを見届けるべきだ。だからこそ生きていなければ、ね」

「わかった、待ってるぞ。ほら、梢、行くぞ」



 開かれたままの扉は、去る者を拒絶しない。

 まだ戦う者を残したまま。

 そして、それを見守る者を残して。

 既に命に幕を閉じた者を残したままに。



 その扉は、開かれたまま、また誰かを待ち続けている。

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