表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
57/71

説戒

145

 彼の優しさはいつも無味無臭で、私の心を拒絶する。



146

 現状を維持することは容易い。

 しかし、物語はそれを望まない。

 常に混沌を求め、常に悲劇を、喜劇を、惨劇を。



 枠綿水仙には、自信があった。

 それは殺し合いという点においてもそうだが、彼女が自らの能力として誇るのは、その生存能力である。

 どんな状況でも生き残ること、それは彼女が彼女であり続けるために必要な能力だった。

 枠綿家に連れてこられて、最初にさせられたことは、自分と歳の変わらない少女を殺すことだった。

 まだ彼女が枠綿水仙と呼ばれる前の出来事である。



 彼女は躊躇うことはなかった。

 怯える瞳も、震える彼女の身体も、どうでもよかった。

 そうしなければ彼女自身も処分されることがわかっていたからだ。

 そして、その儀式に何ら意味がないこともわかっていた。

 彼女はとっくに壊れていた。



「うふふ、時雨? 私のことを無視して氷花ちゃんを殺せると思っているのかしら」



 聖時雨の動きは、洗練されたものだったように思う。

 少なくとも、靴谷氷花にはそう見えた。

 しかし、そんなことよりも彼女と聖時雨との間には、いつの間にか枠綿水仙が立っている。

 無防備に、無抵抗に。

 聖時雨の握る刃物は彼女の左胸を貫通し、靴谷氷花の目の前で止まっていた。



「水仙様、貴方を殺せるとは思っておりませんが、今の小生は登様の遣いでございます。お許しくださいますよう」



 冷淡な声だった。

 枠綿家に仕えている者は皆同様にして、人間味のようなものが薄いとは感じていたが、目の前の聖時雨もまたそうだった。

 靴谷氷花には何が起こったのか、目では追えていなかったが、結果として何が起こったのかは理解できた。

 自分が狙われ、それを枠綿水仙が身を挺して庇ってくれたのだと。



「水仙ちゃん!!」

「大丈夫よ、氷花ちゃん。私はこの程度じゃ死なないわよ」



 余裕を見せて応じる枠綿水仙に対し、怪訝そうな顔をする聖時雨。

 対照的な両者は、呼吸を合わせたかのように殺し合いに身を投じる。

 男は無表情のまま冷酷に彼女の命を刈り取ろうと。

 女は愉しそうに頬を赤らめて彼を殺し尽くそうと。



「水仙さんは相変わらず化け物じみてますなぁ、ははは。じゃ、僕もそろそろ働かないと、ね」



 靴谷氷花の横で明るくつぶやいたその男は、一瞬で枠綿登の目の前まで駆けていき、その直後にはその身柄を完璧に拘束して見せた。



「さあ、頼むから大人しくしていてくれよ? これでも僕だって結構怒っているんだ、怒りに任せて君の身体を壊してしまいそうなくらいにはね」

「正義やら平和やらを掲げるヤツの言葉とは思えねえな。安心しろよ、元々俺にそんな力はねえよ、あの女や四四咲、聖なんかと一緒にするな」



 ーーカラン



「うふふ、まだ踊れるでしょ? 時雨、その程度じゃないはずよ。もっと、もっとよ。登兄様はもう捕らえたし、何も気にすることはないわ、本気で掛かってきなさい」



 ほんの刹那、彼女が後ろの大猫正義と枠綿登に意識を向けた、その瞬間に事態はもう動いていた。

 靴谷氷花が呆けていたわけではない。

 聖時雨の片腕が、肩のところから綺麗に切り落とされていることも。

 枠綿水仙の左胸に刺さっていたナイフが、いつの間にか聖時雨の腹部に刺さっていることも、彼女は知らない。



「氷花ちゃん、私たちはこういう生き物で、こういう存在でしかないの。殺すことしかできないし、殺されることでしか救えない。だから心配なんか必要ないし、仲間意識なんか持たない方がいいわよ。殺人鬼の彼にしたってそう、生きる世界が違うのだから、価値観も倫理観も全て違う。氷花ちゃんが大事にしているものを、何とも思わずに踏み躙れるのが、私たちなの。それだけは覚えていてちょうだい、お願いよ」



 彼女は振り向いてはくれなかった。

 殺し合いの最中なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、その声色を聞く限り、こういう時の彼女は淋しげに笑うのだ。

 靴谷氷花には、わからなかった。

 目の前で殺し合いを繰り広げる二人に、どんな違いがあるのか。

 人を殺すことは、良くないことだ。

 他人を傷つけることを許す正義など、あってはならない。

 それでも、彼女は決めかねている。

 枠綿水仙が悪として嗤うのを、嫌悪できない自分が確かにいるのだ。

 人を導き、国の情勢に関わる枠綿無禅を正義に準ずる者だと、認めたくない自分を知っているのだ。



 あの少年も、そうだ。

 殺人鬼として振る舞うことを隠そうともしない。

 殺すことに躊躇いがないのだ。

 しかし、彼には何度も命を救われている。

 ひだまり園と不思議な縁で繋がる殺人鬼は、靴谷氷花だけでなく、白塔梢や白塔呑荊棘、そして「時野舞白」のことまで守ってくれていた。

 その彼の存在を、悪だと言えるはずもない。



 殺人鬼は、人を殺す。

 そして、殺人鬼でなくとも人は人を殺す。

 枠綿水仙もあの少年も、そして『あの子たち』も。



「水仙ちゃん、もういいだろ。枠綿登は捕まえた、これ以上ここで戦う理由はないだろ」

「あらあら、氷花ちゃんは優しいのね、それにとても残酷なのね、うふふ」

「なあ、頼むからああいうこと言うのは辞めてくれ。自分を否定するようなことは言ってほしくない、期待することや何かを望むことを辞めないでくれ」

「氷花ちゃん、貴方は強くて格好良くて、美しいわ。それこそ私が妬いてしまうくらいに。うふふ、いいわ、大好きな氷花ちゃんの頼みは聞いてあげないと、ね。時雨、今すぐこの場から去りなさい。登兄様のことは、心配しなくてもいいわよ、今のところは殺す予定はないわ。質問も意見も口答えも一切受け付けないから、さっさと消えなさい」



 靴谷氷花の言葉が、彼女に届いたのだろうか。

 少なくとも、靴谷氷花自身はそうは思っていない。

 他人の言葉一つで、人はそう簡単に変わったりしない。

 だが、ほんの少しだけ確定していた未来を歪ませることくらいは、できたかもしれない。

 既に姿を消した聖時雨も、死ぬことは避けられたかもしれない。

 枠綿登に対して、何か有効な手札を持っているわけではないが、ここで誰も死ななかったことが何かの切欠になるかもしれない。



 希望を抱くのは、勇気がいることだ。

 夢を描くのは、覚悟がいることだ。



 この瞬間にも、彼女らには刺客が向けられている。

 殺意を遠慮なく向けられている。

 それでも、彼女は生きることを諦めないし、生かすことを諦めない。

 彼女の中にある「正義」がそうさせるのか、それとも「呪い」のように纏わりついた家族の死がそう思わせるのか。



 靴谷氷花の血は、まだ目覚めていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ