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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
55/71

道標

141

 過去を乗り越えた者にしか、未来は微笑まない。

 しかし、未来を望まない者は、過去に囚われ続ける。



142

「ったく、いつまで待たせんだよ。水仙、お前の裏切り程度、予想通り過ぎて面白くもねぇ」



 枠綿登は、ワイングラスを傾け、三人を迎えた。

 枠綿無禅の私室は、本人以外の侵入は固く禁じられている。

 しかし、その部屋には枠綿登がいたのだ。

 


「水仙、大猫、そして靴谷か。異質のチームとして見れば多少は面白味もあるが、その目的を考えればそれは全て失われてしまうな。おい、水仙。お前、本当にここから出られると思ってんのか? 親父や彼岸がそれを許すと、本当に信じられんのか?」

「あら、お兄様。まだ生きていらしたんですね、うふふ。護衛もつけず、私の前に来るのは初めてじゃありませんか? いつもは恐れて近付きもしなかった癖に、今日は大丈夫なんですの?」



 挑発に挑発で返す。

 枠綿登と枠綿水仙は、兄妹という形でそれぞれを認識してはいるが、その実態は家族でも味方でもない。

 ただの記号に過ぎないそれに、両者は微塵も期待などしていない。



「人形の分際で、俺に何かできんのかよ。結局のところ、俺もお前も親父の操り人形でしかねえってことだろうが」

「うふふ、余計な仕事を増やすだけの駄犬と一緒にされるのは、流石に不愉快ですわ」



 枠綿登は、何も持っていない人間である。

 親の権力に胡座をかき続けて、生きてきた。

 それは、見方によっては悪そのものと言えるが、彼自身は全く気にしていない。

 ただ、そう生まれてきたのだから、そう生きているだけ。



「殺気なんか出しても、俺には効かねえよ。どうせそれに対抗する術はねえんだ、開き直ってるさ」



 戦闘力を持っていなくても、枠綿登は弱者ではない。

 強さを持ち合わせていなくとも、彼は搾取する側の人間なのだ。



「正直、お兄様を殺すのは愉しそうだけれど、今は構ってる暇はないのよ。それに、貴方に用があるのは私じゃないわ」



 枠綿登の挑発を受けて、枠綿水仙は軽く流し、殺気を鎮めて靴谷氷花を指差す。

 靴谷氷花は、部屋に入った瞬間から、枠綿登を射殺す様に睨み続けていた。



「靴谷氷花、変なのとつるんでないで、さっさと自分の役割を全うしろ。お前の役割がなんなのかは知らんが、誰だって生まれた時から役割ってのが決まってる。その枠から外れる様な生き方は、賢くねえ。その点、お前はどうなんだ。ちゃんと生きてるか?」

「クズが偉そうに説教してんじゃねぇよ。あたしの生き方に勝手に口出しすんな」

「勘違いするな、靴谷氷花。お前は意味もなくここに来たわけじゃないだろう、既に役割を終えた小娘を救う為か己の正義の為か、どうでもいいが、少なくともお前はここに目的を持って来たはずだろうが。それをまずはさっさと終わらせろ、そんな些事にどれだけ時間を使うつもりなんだよ」



 意味がわからない。

 それが、靴谷氷花が抱いた率直な感想だった。

 全ての元凶の男に、何故その様なことを言われなければならないのか。

 罪を償うべき男が、何故自分に説教をしてくるのか。


 

 彼女には、わからない。



「おいおい、正気かよ。あのクソ親父、こんな馬鹿に何を期待してんだよ」

「あら、お父様は氷花ちゃんをどうしたいのでしょう? 私自身も彼女に関しては生け捕りにしろと言われましたけれど、その理由は教えてもらっていなかったわね」



 悪態をつき、心底面倒臭そうに靴谷氷花を蔑視する枠綿登。

 彼には、この場に居合わせる理由があったのだろうか。

 待っていたと言った彼は、何を待ち、何を期待していたのだろうか。



「あぁ? 聞いてねえのかよ。こいつ自体には大した価値はないらしいが、その血になんか意味があるとか言ってたな。靴谷なんて名前聞いたこともねえが、辿ってみたら何か出てくるんだろうよ」

「うふふ、お父様はまた何か企んでいるのですね」



 兄妹の会話は、もう既に靴谷氷花の耳には届いていない。

 目の前の男をどう無効化するか、この部屋に自分たちを陥れる仕掛けがないか、部屋を出た後どう動くか。

 彼女の脳内では、周囲の音を遮断してしまう程に高速に、そして綿密に思考が展開されていく。



 しかし、幾ら高度な思考を以ってしても、実行できなければそれは何もしていないことと同義である。



「遅くなりました、登様。ここより、私聖時雨ひじりしぐれが護衛を務めさせていただきます」



 声の主は、靴谷氷花にとって聞き覚えのある誰かだった。

 靴谷氷花と殺人鬼の彼をここに案内した人物であり、その直後、拳銃で自害した少年である。

 ただ、目の前の彼は少年とは形容し難い程に成長していて、無害とは口が裂けても言えない程に冷酷な目をしていた。



「ひ、聖って、あん時の子どもと同じ名前••••••」



 靴谷氷花が動揺してしまうのも、仕方のないことかもしれないが、この場において、その動揺はやはり未熟と評されても仕方がないことなのかもしれない。

 何故なら、彼女はもう既に知っているはずなのだ。

 人が造られて、量産されることを知っているはずなのだから。



「氷花ちゃん、こんなことでいちいち驚いてたら死んじゃうわよ。氷花ちゃんが知ってる時雨は、子どもの姿をしてたと思うのだけれど、目の前の時雨の遺伝子情報を基に造られた試作品ね。オリジナルの彼は戦士であり闘士であり、そして殺人者でもあるわ。氷花ちゃんのことはきちんと守ってあげるけれど、油断はしないことね」

「どうなってんだよ、ここは」

「うふふ、かわいい反応ね。この人たちに、道徳や倫理を期待するだけ時間の無駄だから、そこに関しては諦めなさい。殺すしか能がない者は、殺してあげることでしか解放できないのよ」



 憐れみの様な視線だった。

 まるで、自分のことを嘆いているかのような。

 まるで、不治の病を目の前に諦めてしまったかのような。

 


「水仙、お前もこっち側だろうが。お前だって殺すしか能がねえ生き物で、どうしようもない欠陥品でしかない。枠綿家の中でしか生きられねえお前が、偉そうにしゃしゃり出てくんな」



 確かに、枠綿水仙は許されないことをしてきた人間かもしれない。

 本人にも自覚がある通り、普通でない世界で生きている彼女が積み重ねてきたものは、罪や罰なんかで収まるものではないのかもしれない。



 それでも、靴谷氷花は許せない。

 彼女の過去を許すことはできなくても、彼女の今を認めることはできるからだ。



 そして、靴谷氷花は静かに怒る。

 真面じゃなかったかもしれない、真っ当じゃなかったかもしれない。

 それでも、そんな彼女を利用し続けてきた人間が、彼女を罵ることは見過ごせない。



「いい加減夢を見るのはやめておけ、親父に殺されんぞ。いつだったか、お前が気に入ってたガキがいただろ、名前は忘れたが、そいつがどうなったか知らねえわけでもねえんだろ? お前に余計な感情を抱かせるからとか言って、連れ出されたそいつはあっさり殺されちまってる。わかるだろ?」

「うるせえよ••••••」

「あ?」



 靴谷氷花が怒らなくとも、枠綿水仙はきっと何も思わなかっただろう。

 それくらいのことでどうにかなるような心は、とうの昔に跡形もなく壊れているのだから。

 だから、彼女の怒りは無意味なものかもしれない。

 無駄なのかもしれない。



 それでも、彼女はーー



「いい加減にしろよっ!! お前らはなんでそうなんだよ、なんで普通に会話ができないんだよ。人を傷付けないと喋れねえのかよ、ふざけんな!!」



 声を振るわせ、力の限り叫んだ。

 怒りも悲しみも、同情も憐憫も、何もかもが混ざり合って、彼女の口から溢れ出した。

 一瞬、枠綿水仙は驚いた表情を見せたが、すぐに小さく微笑んだ。

 悦びからくるものなのか、それとも、絶対に理解し合うことのできない現実を突きつけられたことに対する静かな悲しみなのか。



 しかし、彼には何一つとして響いてはいなかった。



「••••••ちっ。時雨、黙らせろ」



 彼の口から出た命令が、靴谷氷花の耳に届く時には、既に聖時雨は動き出していた。



 無慈悲なナイフは、彼女が反応するよりも早く彼女の心臓を突き刺した。

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