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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
51/71

握手

133

 私は花が好きだ。

 人間と違って嘘を吐かないから。



134

 靴谷氷花は、意識を取り戻した。

 拘束などは受けていない様だが、その理由はすぐにわかった。



「身体が、一切動かせねえ。毒かなんかを吸わされてんのか? いつだ、どうやってあたしに毒を盛った?」

「うふふ、起きてすぐに頭が回るのは、流石ね。貴方たちに盛ったのは私のオリジナルの毒なのよ、すごいでしょ? 痛覚や意識だけを切り離し、その他の自由を全て奪うものですわ。例えば、貴方笑いなさい」

「はぁ? あ、はは、くっ、ははは、ははははははは」



 全ての自由を奪う。

 それは、靴谷氷花の想像を超える範囲で、精度で示された。

 笑え、そう枠綿水仙に言われただけで、彼女が目を合わせて指示しただけで、靴谷氷花の身体は従ってしまう。

 笑うことを強制される。



「おいおい、水仙ちゃんよぉ。あたしの身体に何してくれてんだよ」

「うふふ、その威勢の良さは嫌いじゃないわ。でも彼を見てもそのままでいられるかしら?」



 枠綿水仙は、妖艶に微笑み靴谷氷花の背後を指差す。

 そして一言、指示を、許可を出す。



「うふふ、後ろ、振り向いていいわよ」

「••••••っく」



 指示に従って、靴谷氷花の身体はゆっくりと後ろを向く。

 彼女の背後にあったもの、いた者は、修羅のような表情のまま、拳を血に染め呼吸を荒げていた。



「おっさん••••••何してんだよ。お前、何してんだよぉ!!」

「あらあら、会話はできないわよ。彼には許可してないから、うふふ。彼はいい玩具になってくれそうね、もう少し侵蝕を深めてあげなくちゃ」



 考えろ。

 考えろ。

 思考を止めるな。



 靴谷氷花の守るべきものは、一体何なのか。

 その線引きを、見誤ってはいけない。



「さて、氷花ちゃん。貴方に選択肢を与えてあげる。選んだ後は、その選択に従うことを誓うわ、うふふ」

「選択だぁ? それにお前を信用する気にはなれそうにないんだが?」

「いいのよ、時間を稼ぐ必要はないわよ、健気な氷花ちゃん。私の調教は完璧だし、彼が自我を取り戻すことは、今の所あり得ないのだから」



 諦めてはいけない。

 辞めてはいけない。

 靴谷氷花の中に逃げるという選択肢は、最早存在していない。



「そうかよ、最悪な性格してんだな、水仙ちゃん。でもお陰で少し冷静になれそうだ」

「そんなに褒めないで頂戴、嬉しくって殺したくなっちゃうから、うふふ」

「••••••ちっ、それで? あたしは何を選ばされるんだよ」



 人生に劇的な展開など求めてはいけない。

 都合よく救世主は現れてはくれないし、いつでも見守ってくれている誰かなんてものも存在しない。

 自分を助けてあげられるのは、どこまでいっても自分だけなのである。

 


 しかし、そんな当たり前を彼らは、彼女らは笑顔でぶち壊してくる。

 悪意に満ちた笑みを浮かべ、天使のような取引を持ちかけてくるのだ。

 そこに魂を売ってしまえば、一瞬は満たされるかもしれないが、その後は死ぬまで搾り取られる未来が待っている。



 彼女、枠綿水仙が持ちかけた選択は、まさにそういう類のものだった。



「一つ、私と手を組んで、枠綿無禅含めその組合員全ての始末をする。もう一つは、今すぐこの屋敷から出て行き、二度と私の前に現れないこと」



 耳を疑った。

 それも仕方がないことだろう。

 靴谷氷花が、どれほどの最悪を準備していたのかは定かではないが、枠綿水仙の口から出てきた選択肢は、彼女の思考を完全に掌握した。



「うふふ、驚いているのね。氷花ちゃんが何を考えているのか、手に取るようにわかるわ」

「お、お前の狙いはーー」

「飽きたのよ」



 靴谷氷花の言葉は、酷く冷たい声に遮られた。

 妖艶で不気味な枠綿水仙。

 得体の知れない技術で、大猫正義を無力化し、生殺与奪の権を完全に握っている女。

 極悪非道の人体実験を繰り返し、既に数えきれない程の人間を殺している彼女。

 その枠綿水仙は、真剣な表情で、痛々しく、助けを求める子どものように言葉を続ける。



「ずっとこの地下にいるとね、自分が死んでいるんじゃないかって思う時があるのよ。死んでいないだけで、生きているとは言えないんじゃないかって、ね。氷花ちゃんには、そういう気持ちになることないかしら? ふふ、あったみたいね。ここで運ばれてくる誰かを殺したところで、何になるというの? 枠綿無禅は私の実の父親ではないのだけれど、拾ってもらった恩があるから、仕方なく人造人間の製造にも協力したけれど、これじゃ私はあの道具の娘たちと同じじゃない。うふふ、私ね、使うのは大好きだけれど、使われるのは許せないみたいなのよ」



 枠綿無禅と枠綿水仙の関係。

 それは、確かに違和感を抱かせるものだった。

 枠綿水仙は、靴谷氷花たちの前に姿を現す際、枠綿無禅のことを父親ではなく、「枠綿様」と呼んでいたのだ。

 血の繋がりのない家族。

 それは、靴谷氷花がよく知る家族の形だった。



「私はね、ここから出たいの。でもそんなこと言ったら、私は問答無用で殺されるでしょうね。それこそ彼岸様にでしょうか。うふふ、最期にあのお方と殺し合えるのは魅力的だけれど、私じゃ彼を殺すには至らないでしょうから、私の目的は果たせないままということになってしまう。だったらどうすればいいか、殺される前に全てを殺してしまえばいい、それだけよ」

「全てを殺すって、ここにいる全員をか?」

「ええ、そうよ。心配しないで、氷花ちゃん。協力してくれるなら、貴方のお仲間の救出にも手を貸すわ。私の言う全てに、貴方たちは含まれていないわよ」



 破格、もしかしたらそう表現できてしまう提案ではある。

 しかし、簡単に信用などできるわけがない。

 これは、損得勘定で考えていい問題じゃない。

 そんな次元の話は、ここには一つとして転がってはいない。

 全てが殺し合い、喰うか喰われるか。

 取引、駆け引きさえも、当然のように命懸けなのだ。



「水仙ちゃんの願いはわかった。でも、あたしがそれを選ぶかは、また別問題だろ」

「うふふ、その通りね。氷花ちゃんが心配しているのは、ここを出た後の話よね?」



 黙って頷く靴谷氷花であったが、実際のところ彼女の中で、答えは既に決まっている。

 悩むまでもない、いわばこれは証拠集めのようなもの。

 枠綿水仙を知る為の問答なのだ。

 勿論、状況的に靴谷氷花と枠綿水仙は対等ではない。



 未だに身体の自由が戻らない靴谷氷花が、枠綿水仙に抗う術は皆無なのだ。

 しかし、それでも枠綿水仙は取引を持ちかけてきたのだ。

 恭順を強いる訳でもなく、調教を施そうともせず、ただ真っ直ぐ。

 


「ここを出た後は、貴方たちに関わらないと誓うわ。殺人鬼の青年と例の彼女には、正直興味はあるのだけれど、自分の欲求には代えられないわ。それにここを出た後で、氷花ちゃんだけに特別に情報を渡してあげる」

「欲求ねぇ、碌でもなさそうだな。その情報とやらも、信じる根拠がねぇだろ」

「その辺のことは追々話してあげるわ。それで、どうする? どちらも選ばない場合は、貴方には私の道具になってもらうわ。ここを出るまでの間、壊れるじゃ足りないほどに付き合ってもらう、うふふふ」

「いいよ、そういう脅しは興味ねぇ。ちゃんと選ぶさ」

「じゃあ、今後のプランを話し合いましょうか」

「はぁ? まだ何もーー」

「氷花ちゃんが家族を見捨てて帰る訳ないじゃない」



 靴谷氷花と枠綿水仙は一時的ではあるが、同盟を組み、枠綿無禅の全てに挑むことになった。

 この時の選択を彼女は、後悔しない。

 この後に、どんな未来が待ち受けていようとも。

 例え、どんな運命が手招きしていたとしても。


 

 一度、悪魔との取引に応じた者に、希望が訪れることはないのだ。



「うふふ、愉しくなりそうね」

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