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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
49/71

惜別

129

 君の物語は、君を中心に廻っている。

 しかし、主人公が必ずしも君自身とは限らない。



130

「お願いしますっ••••••もう、やめてください」



 その願いは、果たして誰かに届いたのだろうか。

 彼女の中にある復讐の想いは、そこで途絶えてしまったのだろうか。



 白塔梢は、全身をズタズタに切り裂かれ、すでに動かなくなった殻柳優姫を抱きしめたまま、小さく願った。

 


 二十分程前、「クロ」と「シロ」が白塔呑荊棘の姿をした敵と殺し合おうとしていたその時、それは起きた。

 


 殻柳優姫、白塔梢、アイの三人がいた会場に、一人の男が入ってきた。

 四四咲彼岸である。

 彼は会場に入るなり中央のステージに立ち、マイクを握って告げた。

 


「そこにいる三人の入札を今すぐ始める」



 その宣言に会場は沸き立つ。

 人を買うという行為に、罪悪感を抱くような者はこの場にはいない。

 絶体絶命というやつである。



「何、なんで急に。姫ちゃん、どうしたらいい?」

「梢、アイ。あんたら二人は、いつでもこの場から逃げられるよう準備しておきなさい。私が絶対に守るから」



 殻柳優姫は気丈に笑ってみせる。

 娘を不安にさせまいと、希望を潰えさせないように。



 そして、それは始まる。

 人が人を買うための競売が。



「三人まとめての購入しかできんのか」

「私はあの子が欲しいだけなのだけれど」

「ボロボロの年増を買ったところで、何になるというのかね」



 会場の者たちは、好き好きに言葉を発する。

 その言葉が、誰かを傷つけていることなどお構いなしに。



「申し訳ないが、この程度の余興に時間を使うことはできない。購入した後どう使おうが自由だ。何ならこの場で殺していただいても、こちらは一向に構わない」



 冷静に、冷酷に四四咲彼岸は答えた。

 


 その言葉に、会場は安堵に包まれる。納得したような、空気が一瞬緩む。

 その一瞬を、彼女は見逃さない。



「梢、アイっ!! 走りなさい!!」



 刹那、二人は会場の出口に向かって走り出す。

 それは、完璧なタイミングだった。

 もしも、この場に四四咲彼岸が来ていなければ、二人は出口から出ることくらいはできたかもしれない。

 もしも、この場に「シロ」か靴谷氷花がいれば、その結果はまた違ったかもしれない。



 どちらにせよ、この場には四四咲彼岸がいて、彼女たちはいない。

 奇跡は起きない。

 四四咲彼岸にとって、それは遅すぎた。

 彼女らの行動に気付き、視認して、思考して、呆れてから動いたとしても、十分過ぎるくらいに遅かった。



(殺す手間が省ける、か。余興としてはお粗末ではあるが、白塔梢さえ生かしていれば問題ない)



 表情一つ変えず、四四咲彼岸は二本のナイフを構える。

 殻柳優姫も、同時にそれに気付く。



「ふざけるなぁ!! お前らなんかに、この子らの未来を奪わせるか!!」



 ナイフは放たれる。

 常人では、目で追うことなどできない速度で。

 それは、殻柳優姫も例外ではない。

 彼女は、常人でしかない。

 警察に所属していた経歴こそあれど、長い時間をひだまり園で過ごしてきた彼女である。

 暗殺を生業とする者の動きなど、目で追えるわけがないのだ。



 それでも彼女は命を賭ける。

 双方を結ぶ斜線上に、一切の躊躇なく踏み込む。

 両手を精一杯に広げて、死を恐れることなく。



 奇跡は起きない。

 放たれたナイフは、当然のように殻柳優姫の身体に深く刺さる。

 一本は左肩に、そしてもう一本は右の脇腹に。

 衝撃に耐えられず、彼女は後ろに倒れてしまう。

 誰が見ても、致命傷と解る。

 しかし、彼女は血を吐きながら、痛みに涙を流しながら、それでも立ち上がる。



「母親、舐めんなよ」



 彼女が言葉を言い終わると同時に、さらに二本、彼女の体にナイフが飛んできた。

 避けることなど、もはや考えるだけ無駄である。



 白塔梢とアイが出口の扉に手をかけると同時に、彼女は再び倒れ込む。

 身体に四本のナイフを刺されて。



 足を止めるべきではなかったのかもしれない。

 振り向かなければよかったのかもしれない。

 復讐など、願わなければよかったのかもしれない。



「姫ちゃんっ!!」



 白塔梢が、最後の最後で母親の姿を見てしまった時点で、彼女たちの選択肢は霧散してしまったのかもしれない。

 その背中が、彼女の小さな背中が「いきなさい」と告げているとわかっていても、置いていくことなどできない。

 白塔梢は、もうその選択をすることができない。



「梢、駄目っ。行ったら、殻柳さんの覚悟が全部無駄になる」



 アイは正しいことを言っている。

 白塔梢も頭ではわかっている。

 ここで引き返したら、殻柳優姫を否定することになる。

 彼女が流した血を、涙を。



 でも、家族なのだ。

 一度は失くしたはずだった。

 そんな彼女たちを、ずっと守ってくれた母親なのだ。

 そんな人を、こんなところにおいていくことなどできるわけがない。

 家族だから、足を引っ張ることもあるし、否定することだってある。

 でも、彼女たちは家族だから、見捨てることも見限ることもできない。



「••••••っ、アイちゃんごめんっ」

「来るな、馬鹿っ」



 そして、それは殻柳優姫にとっても同じである。

 娘をこの場から逃す、そうしてしまえば、誰かが間に合うはずだと信じて、彼女は命を賭けた。

 その可能性に、自分の可能性を全て賭けたのだ。



 殻柳優姫はもう振り返る気力すらない、ただ何となく娘が駆け寄ってくる気がしただけである。

 優しいあの子は、自分のこんな姿を見たら全てを投げうってでも戻ってきてしまう。

 だから、声を上げる。



「絶対に戻ってきちゃ駄目っ!! さっさと出ていきなさい!!」

(ごめんね、梢。本当はもっと優しい言葉で送り出したいよ。怒鳴って怖い思いをさせて、ごめんね)

 


 反射的に、足が止まってしまう。

 しかし、今度はしっかり見てしまう。

 さらに、彼女の身体に四本のナイフが刺さる瞬間を。



「ぐ••••••、がっ」



 既にそのナイフが、白塔梢やアイを狙っていないことに気付く者はいなかった。

 


(梢、生きなさい。私は、あなたたちの母親になれて幸せだった。たくさんの幸せを教えてもらった。強く、生きて。あり••••••が、とう)



 最後の一本が彼女の心臓に深く深く刺さった。

 彼女の瞳には、もう何も映っていない。

 何も聞こえないし、何も見えない。

 それでも、彼女には見えていた。

 何年もの間、共に生きてきた家族の皆の笑顔が。

 


 ひだまり園の存在意義は、彼女が思っていたようなものではなかったかもしれない。

 権力者たちの娯楽のため、それに加担していた自分を呪ったことだろう。

 枠綿無禅に捕まり、軟禁されていた期間、全てを聞かされた彼女は何度自分を呪ったことだろうか。

 できることなら、殺してやりたいとすら思ったかもしれない。

 自分が面倒を見てきた子どもたちが、どんな未来を辿ったのか、その結末をどれだけ否定したかったことだろうか。



 あの子が一体何をしたというのか、あの子がそんな目に遭う理由がどこにあるというのか。

 あの子が、あの子が、あの子が、あの子が。

 未来を望むことすら叶わない世界なんて、終わってしまえばいい。



(皆、ごめんなさい。最低な母親だった、母親なんて名乗る資格すら私にはない。それでも最期に見えるあなたたちは、私に笑いかけてくれるのね。こんな私に、その笑顔をもう一度見せてくれるのね)



 殻柳優姫の身体は、ゆっくりと倒れていく。

 深く刺さったナイフのことなど、既に認識できていないかのように前に傾いていく。



 しかし、彼女の身体が、そのまま床に倒れ込むことはなかった。



 両側から、しっかりと抱えられ、その身体は静止する。

 右には白塔梢が、左には「時野舞白」が。



「姫ちゃん、ごめんね。痛かったよね」

「••••••、おか、お母さん」



 娘に抱えられた彼女は、心なしか幸せそうに見えた。

 笑っているようにも、安心しているようにも見えた。



「ほ••••••んと、あんた、たちは、私のじ、まんの、む、すめだよ」



 最期の言葉は、二人に届いた。

 二人が抱える身体が、途端に重くなる。

 彼女は、もう二度と目を覚ますことは無くなったのだとわかってしまう。

 二度と語りかけてはくれないのだと。



「お願いしますっ••••••もう、やめてください」



 彼女は誰にその言葉を届けたかったのだろうか。

 隣で血を流し、息を引き取った殻柳優姫を見て、何を思ったのだろうか。



 そして、「時野舞白」は、「シロ」は、殺人姫は。

 


 届かぬ願いは、どこまでも淡く切なく、悲しみの色に染まりながら膨らんでいく。



 宴は終わりに近い。

 しかし、まだ足りない。

 さらなる混沌を、深い憎しみを。

 復讐の贄は、まだ足りない。



 次は誰だ。 


 


 

 

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