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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
36/71

因縁

100

 人の感情に天井も底も存在しない。

 それは人の欲望がそうであるのと同様に。


101

 その二日間はいろんなことが起きた。

 

 例えば、靴谷氷花は自分の住むマンションが全焼したし、凡そ一日中命を狙われ続けた。

 例えば、白塔梢は人生を賭けた復讐に終止符を打つため、九州に再び足を踏み入れ、そして妹の姿をした誰かに会った。

 例えば、「クロ」は五年前の因縁に巻き込まれる形ではあるが、生まれて初めて誰かのために人を殺した。

 例えば、「シロ」であり「時野舞白」である彼女は、家族を失う恐怖を改めて突きつけられた。


 そして、また一日が終わろうかとする頃、それぞれが舞台へと揃っていた。


 靴谷氷花と「クロ」は、枠綿無禅がいる屋敷へと到着していた。

 白塔梢は、アイと共に研究所の玄関の前に立っていた。

 「クロ」は同行する三人と、不気味な二人に連れられ、白塔梢たちがいる研究所に隣接する実験場の中にいた。


 奇しくも、バラバラに行動していた彼ら彼女らは、ほぼ同じタイミングでそれぞれの敵と向き合うことになった。


 その日はいろんなことが起きた、本当に。

 そしてまだ物語は終わっていない。


102

 「アイちゃん、ここがその研究所?すごく嫌な感じがするんだよ」

 「うん、ここから先はそこら中に地獄が転がっていると思っていて。おそらく私は途中で脱落することになるけれど、それでも振り返っちゃ駄目、もう梢には進む以外の選択肢は残されていないのだから」

 「この研究所の何処かに、それを防ぐ方法はないの?」

 「梢、目的を見失わないで。梢の目的は、私を生かすことじゃない、枠綿無禅に復讐することでしょ?そして、梢自身の人生を取り戻すこと。だからそこだけは間違えないで」 

 「アイちゃん••••••、その顔と声でそんなことを言うのは酷いんだよ。私はもう呑荊棘を失いたくない」

 「梢、ありがとう。でも、わかって、ちゃんと理解して。私は白塔呑荊棘じゃない」


 張り詰めた空気が、両者の間に流れる。

 それはぶつかり合う気持ちによるものではなく、きっと相手を思う気持ちによるものなのだろう。

 

 「ほら、行こう。大丈夫、梢のことは絶対に守ってみせるから」


 そう言って、「アイ」は白塔梢の手を取り、優しくて明るい笑顔を見せた。

 それが、白塔梢の瞳に、どれだけ辛く寂しく、儚く映っていたか、それは「アイ」にはわからない。


 二人は手を繋ぎ、一歩ずつ研究所内を歩いていく。

 「アイ」にとっては勝手知ったる場所、いわば庭のようなもので、迷うことなく目的地に向かう。

 二人が目指しているのは、《第一研究室》だった。


 「アイちゃん、その第一研究室って何があるの?」

 「うーん、説明が難しいのだけれど、それでも簡単に言うとしたら、この研究所で行われた研究データの全てがある。もしかしたら枠綿無禅のいる本邸に繋がる資料もあるかもしれない」

 「そ、それってアイちゃんたちのことも記録されているってことだよね?」

 「ん?ああ、気にしなくていいよ。私みたいに自我が確立される個体って、結構稀らしいから。多分大半が似たような面白味のないデータでしかにと思う。実際、私がこうして自由に動けているのも、自我が芽生えた個体の活動を観察するためってのが大きいんだと思う。まあ、それとは別に、この研究所にはもう誰もいないはずだから少しは安心して。」

 「え?誰もいない?」

 

 時間が深夜と言っていいくらいに遅かったため、従業員や研究員がいないことは、なんとなく想像していた白塔梢だったが、誰もいないとまでは考えていなかった。

 それは、あまりにも此方に都合が良すぎるような気がした。


 「うん、誰もいない。文字通り、誰一人としてこの研究所にはいない。監視カメラとかは生きているはずだから、安全地帯とは言えないけえど、それでもこれから二人で大量の人間を相手にすることはないと思う」

 「そっか、でも油断はできないんだよね?」

 「その通り、私が今もこうして梢の隣で生きていると言うことがどういうことなのか、ちゃんと理解しておかないと不味い気がする」


 アイが今も尚、白塔梢の隣で生きているということ。

 それにどんな意味があるのか、アイ自身にはわかっていて、白塔梢にはわからなかった。

 頭にマイクロチップを埋め込まれ、ボタン一つでその生命活動を強制的に停止させられる可能性を抱えたままの彼女にとって、現状があまり良い方向に向かっていないであろうことは容易に推測できる。

 しかし、その狙いが何であれ、白塔梢を守るために何か一つでもできることがあるのならば、彼女は迷わない。

 一秒でも、一瞬でも無駄にはしない。

 白塔呑荊棘の遺伝子がそうさせているのか、彼女の中に芽生えた自我がそうさせるのか、彼女にとってそれは最早、どちらでも構わないことだった。


 「その階段を上って、右手の突き当たりが《第一研究室》だよ。寄り道せずに行こう」

 「わかった」


 アイが真っ直ぐ《第一研究室》に向かいたいのには、理由があった。

 それは、やましい事情ではなく、ただ白塔梢に余計な心労をかけたくなかっただけだった。

 しかし、結果的にその優しさは自分たちの首を絞めることになるのだが、それがどのような結末に繋がるのかは、今はまだ判然としない。


 そして二人は、ゆっくりと慎重に、音を立てないように階段を上がっていく。

 《第一研究室》は、四階建てのこの建物の三階に位置している。

 つまり、二人は今二階と三階の中間にいるわけだが、ここまで特に何もなかった。

 余計な散策をしていないというのも、理由としてあるのだろうけれど、研究所内に人気がなく、一切物音がしなかったことが大きな理由である。

 しかし裏を返せば、二人が発する音は広い研究所内に響いているのだ。

 此方は目的地に向かわなければならないが、相手はただ待っているだけで良いのである。

 圧倒的なアドバンテージを取られている。

 敵地に乗り込むというのは、つまりこういうことである。


 「アイちゃん、もし誰かいたらどうするの?」

 「可能なら制圧したいけれど、私と梢でそれができるかどうか怪しいよね。だから先に相手を見つけたら一旦様子をみよう。もし••••••」

 「もし?」

 「いや、なんでもない。この様子なら多分誰もいないと思うし、それよりも《第一研究室》のドアをどうやって開けるかの方が問題かも」


 二人は小声で話しつつも階段を上りきり、目的の《第一研究室》を視界に捉えた。

 

 「え?」

 「あ、開いてる?」


 十数メートル先にある突き当たりの部屋、《第一研究室》のドアは僅かに開いており、その隙間からは光が溢れていた。


 それは二人にとって都合のいい展開なのか、もしくは最悪の展開なのか。

 どちらにせよ、二人には選択権はない。

 行くしかないのである。


 「行こう、梢。私の一歩後ろを歩いて。何かあったらすぐに逃げるの、いい?」

 「••••••」

 「お願い、梢。私は白塔呑荊棘じゃない、梢の妹じゃないんだから。本来生まれることすらなかった存在なんだよ、命の価値は紙切れよりも軽い」

 「やめて、呑荊棘の姿でそんなこと言わないで」

 「ごめんね、でも本当のことだから。梢は目的を果たさなきゃいけない。私の目的は梢の役に立つこと、私の命の使い方は私が決める」


 アイの目は、真っ直ぐと白塔梢を捉えていた。


 そして、白塔梢の返事を待たず、アイは一歩前進んだ。

 その後を、目に涙を浮かべながら白塔梢はついていく。

 

 前を歩く彼女は何かを決意したように強い表情だった。

 後ろを歩く彼女は何かに怯えつつも悔しそうな表情だった。


 二人は扉の目の前まで来てしまった。

 アイは一度後ろを振り返り、アイコンタクトを取る。

 白塔梢は遠慮がちに頷いてみせる。


 アイはそれを見て、満足げに頷き返し、優しく笑った。

 まるで、あの日の白塔呑荊棘のように。


 「じゃあ、開けるよ」


 斯くして、《第一研究室》の扉は開かれる。

 その先にあるものは、大量の研究データとデスク、そして各実験室を観るための監視モニター、のはずだった。


 「梢ぇ!」


 叫んだのはアイではなかった。

 その声の主は、白塔梢のよく知る人物、殻柳優姫だった。

 両腕を縛られ、顔や腕、至る所に暴行を受けた痕を残したままの殻柳優姫がそこにいた。


 「梢、無事?何もされてない?」

 「姫ちゃん、なんでそんな••••••」


 白塔梢は、全身に傷を負っている殻柳優姫を見て、完全に萎縮してしまっている。

 その様子に、殻柳優姫もアイもすぐに気がついたが、彼女らにはどうすることもできない。

 その部屋にいたもう一人が、それを許してくれないのだ。 


 「なるほどな、親父の狙いがようやくわかった。お前、あの時の弁護士の娘か」


 枠綿登。

 父親である枠綿無禅に殻柳優姫の監視を任され、素直に従ってはいたが、事態の全貌は把握していなかったようで、ここにきてようやく合点がいったようだった。


 「白塔だったけな、あの忌々しい弁護士の娘となれば俺だってもっと準備しておいたってのによ」


 そこにはいない父親に向かって悪態をつく枠綿登の手には拳銃が握られていた。

 それのせいで、縛られている殻柳優姫含め、他の三人は動くことを封じられている状態なのだ。

 状況は既に負けている。


 「お前幾つ?あの裁判が確か十何年くらい前だから、成人はしてんのか?」

 「梢、答えなくていい」


 枠綿登と白塔梢の視線を遮るように、アイが間に入った。


 「あ?お前、ガラクタの癖に何してんだよ。偶然自我が芽生えたとか言ってたが、お前も他のと同じようにしてやろうか?」


 その言葉の意味は、アイにしかわからない。

 そして、その意味は言葉から読み取れる以上に悍ましいものであることも、彼女にしかわからない。


 「まあ、いいや。どの道まだ役者が揃ってねぇしな。流石にここで好き勝手したら、俺まで殺されてしまいそうだしな。折角だからよ、昔話でもしようか、こんな面子が揃うことなんて二度とないだろうし」


 拳銃を下ろし、デスクに腰掛け、枠綿登はいやらしい笑みを浮かべる。


 「梢、何も話さなくていいのよ。こんな奴の言葉なんて聞かなくていい。先生のことだって気にしないで、今すぐここから逃げなさい。そこのあなた、呑荊棘の想いを少しでも受け継いでいるのなら、今すぐ梢を連れて行きなさい!」


 殻柳優姫は早口で語りかける。

 しかし、その願いは叶わない。

 

 「姫ちゃん、ごめんね。私のせいでこんなことに巻き込んじゃって。私はもう逃げないよ、呑荊棘がくれたこの命、無駄にはしない。でもね、私にだって譲れないものくらいあるんだよ」


 白塔梢は、強く枠綿登を睨みつける。


 「あなたはどうしてお父さんたちのことを知ってるの?」

 「おいおい、そこからか。まああの時はまだガキだっただろうから仕方がないのか?いいよ、全部教えてやる。俺は枠綿登、お前の親父が死ぬきっかけになった事件を起こした張本人だよ」


 枠綿登は悪びれる様子もなく、嬉しそうに語り出した。


 「その事件は余計だったな、若気の至りっていうのかね、勢い余ってやっちまったって感じだったな。それでも、うちの親父の権力があれば、そんなもん幾らでも揉み消せるはずだったんだがな。お前のとこの親父がしつこく裁判を延ばしやがるお陰で、揉み消そうにもタダでとはいかなくなっちまってな。仕方がないから殺すことにしたんだよ。お前の親父も母親も、あと目障りな被害者様にもな。強盗に見せかけて殺すっていう案はなかなか良かったと思ったんだけどな、あの時雇ってた殺し屋とやらが何の役にも立たない愚図でな、お前ら双子を逃す羽目になった。すまなかったな、あの時殺してやれなくて」

 

 悪意というものは、いつだって誰かを傷つける。

 多くの人間が、その悪意に目つけられないように生きている。

 では、一度見つかってしまった者は、どのように自分を守ればいいのだろうか。

 自覚のない悪意というのも、この世には存在する。

 それは時に言葉だったり、行動だったりするわけだが、その悪意を受け止める側からすれば、そこに自覚があろうがなかろうが、大きな傷を負うことになるのだろう。

 しかし、明確な意思を持って悪意をばら撒く者だっている。

 この枠綿無禅や枠綿登のように、血人を傷付けることに躊躇のない人間だって存在するのだ。

 そのことを、白塔呑荊棘は知っていたし、殻柳優姫も嫌という程知っていた。

 白塔梢だけは、どこかで人間を信じていた。信じたかったのかもしれない。

 

 復讐は成し遂げるが、それでもその罪は背負うべき。

 それが白塔梢の考えであり、人生なのだ。

 それが正しいことなのかは、わからないけれど。


 「枠綿登!いい加減にしなさい!これ以上この子たちを傷付けて何がしたいって言うの?今までだって散々非道なことをしてきてる癖に、まだ飽きることなく、人の尊厳を踏みにじるつもり?」

 「五月蝿いな。俺だってな被害者なんだぜ?こいつの親父のせいで堂々と出歩けなくなるし、うちの親父にも監視されるしで、俺の人生めちゃくちゃにされてるんだって」

 「あ、あんた何を言って••••••」


 枠綿登は長年積み重ねてきた鬱憤を吐き出すかのように、そう言った。

 その言葉は、殻柳優姫やアイ、白塔梢さえもを黙らせる程に、不気味で不合理で気持ちが悪かった。

 

 悪意はいつだって人を傷付ける。

 そして、一度枷から解き放たれた悪意は止まることを知らない。


 気付けば、時計の針は零時を少し過ぎていた。

 

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