還収
97
キミの人生は本当にキミのもの?
じゃあ、僕の人生は?
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「おい、あたしらは今からどこに連れていかされるんだよ。こんな大層な車まで準備して」
「リムジンなんて初めて乗ったわ、俺」
宮崎県小林市、その街には致命的に馴染めていないリムジンカーで、靴谷氷花と「クロ」は連行されていた。
もちろん、それぞれ行動の自由は保証されており、武器も何一つ没収されないままである。
故に、靴谷氷花は乗車する際、あからさまに拳銃を右手に握ったままでいることにした様だった。
「クロ」も一応の警戒をしているのか、両手をポケットに突っ込んだままである。
武器の携帯を認められたままの連行。
その違和感について、二人がもう少し深く考えていたならば、この後の展開も少しは小説じみた気楽なものになっていたのかもしれない。
しかし、そこは靴谷氷花と「クロ」のコンビ。
優秀ではあっても、完璧にはなれない二人。
最善ではあっても、最良ではないのだ。
「ご心配されずとも、このまま枠綿様のおられる屋敷に向かいます。そこでの催しにご参加いただければ、その後にことは、どうぞご自由に」
リムジンの後部座席に向かい合うように座っている男、見た目は普通の幼児ではあるが、口調や声は幼さのかけらもなく、独特の威圧感を放っている。
「そういえば、小生の名を申していませんでしたね、これは大変失礼いたしました。小生、名を聖時雨といいます、短い付き合いになるかとは思いますが、どうぞ宜しく」
靴谷氷花の持つ拳銃や、数えきれないほどの刺客を制圧した「クロ」に対して、全く物怖じしない彼を、不気味であると表現するのは、そう難しいことではない。
現に、殺人鬼である「クロ」ですら、その掴みどころのない気持ち悪さに、警戒を解くことができずにいた。
「なあ、お姉さん。俺たちは、これから何らかの催しってやつに参加させられるらしいんだけれど、そういう経験ってある?」
「あるわけないだろ、馬鹿か?あたしは普通の刑事だっての」
「ふうん、じゃあ先にアドバイスしとくよ、俺のことは忘れて生き残ることだけに全神経を使うこと。誰が死のうが、どんなことが起きようが、生き残らなければただの晒し者で終わっちまう。その後のことはその後で考えりゃいい」
まだ、どんな趣旨の催しかも聞いていないのにも関わらず、「クロ」はその危険性について大方の予測はついている様だった。
その予想はかなり悪い方向に裏切られることになるのだが、この時点でそれを予測するのは、いかに殺人鬼といえど不可能に近い。
殺人鬼は殺意の専門家ではあっても、悪意に精通しているわけではないのだ。
どんなものでも理由なく殺せる存在である彼には、悪意と対峙する経験がほとんど無いのである。
ただ、それでも彼の人生を振り返ったとき、このようなケースで自分の身に起きたことは、決して楽観視してもいいものではなかったのだろう。
彼だけならまだしも、今回は靴谷氷花もいるのだ。
注意しすぎて悪いということもないだろう、というのが「クロ」の考えだった。
「そう警戒しなくとも、きっとお気に召されるかと思います。何せ枠綿様が自ら企画なされましたから、白塔梢も殻柳優姫もその景品ということになるのでしょうか。小生も詳細については聞かされていませんから、今からとても楽しみであります」
悪びれることなく、悪意をばら撒く聖時雨に、靴谷氷花の我慢は限界を迎えようとしていた。
家族を人質に取られて、冷静でいられる人は一体どれほどいるのだろうか。
ましてや、その家族を使って何かを企んでいると知った時、果たしていつも通りでいられるのだろうか。
「お姉さん、今はやめときな。ブチ切れてんのは見なくてもわかるけどさ、今はその時じゃねぇよ。ここでこいつを殺しても、お姉さんの守りたいもんは返ってこねぇ。俺も相棒が気になるし、感情で動きたくなんのは理解できる。でも駄目だ、それこそ掌の上で踊ることになる」
「うるせぇな、わかってるっつの」
「だったらその構えてる拳銃を下ろしてくれよ、なんで俺がフォロー役みたいなことやってんだか」
車内は緊張感が高まる一方で、いつ誰が動いてもおかしくない雰囲気で満たされていた。
「ふむ、困りましたね。靴谷様が何にお怒りか皆目見当もつかないのですけれど、このままでは確かに、小生はいつか殺されかねませんね。であるならば、少し余興と参りましょうか」
そう言って設置されているモニターに電源をつける。
モニターに映し出されたものを見て、靴谷氷花は戦慄し、「クロ」は小さく舌打ちをした。
「いかがでしょう?余興というには、些か盛り上がりに欠けるかもしれませんが、お二人のモチベーションを上げるには効果的と存じ上げております」
車内の空気はさらに密度を増していく。
「こちらアルファ、対象の回収を確認。これよりあの方のプランに合流する」
宮崎県宮崎市、市街地から少し離れた海沿いの別荘地。
その一角に、一際大きな屋敷が建っている。
それは、枠綿無禅が拠点としているものであり、つい先日まで殻柳優姫が軟禁されていた場所でもある。
その屋敷の一室にて。
「親父、急に何だよ。俺だって暇じゃねぇぞ」
枠綿無禅の自室を乱暴に開け、開口一番悪態をつく男、枠綿登。
枠綿無禅の一人息子であり、白塔梢と白塔呑荊棘にとっては、全ての元凶とも言える男である。
「今度は何手伝わせるつもりだよ。大体、何年も前のことでいつまでもネチネチ命令してくんなっつーの」
「登、今から白塔梢がこの屋敷に来る。その監視をお前に任せる。くれぐれも余計なことはするな、商品をこれ以上駄目にする様なら、お前の面倒は今後一切見ないものと思いなさい」
「はいはい。ん?白塔?聞いたことある名前だな、どこで聞いたっけな。ま、いいか」
その後、幾つかの伝達を終え、枠綿登を部屋から出し、枠綿無禅は深く椅子に腰掛ける。
「さて、そろそろシナリオの仕上げといきますか、殻柳先生」
枠綿無禅の視線の先には、何台ものモニターがあり、それはリアルタイムで中継されたものの様だった。
「ふむ、靴谷氷花と青年は大人しくしてくれている様ですね。私からのプレゼントを気に入ってもらえた様で何より」
そのうちの一台には、靴谷氷花と「クロ」が乗っているリムジンの車内の様子が映し出されている。
二人は、車内のモニターに目を奪われているようで、その表情から焦りや怒り、不快感や嫌悪感が見てとれた。
「さてこちらは、おや?時野舞白だけを連れてくるものと思っていましたが、何やら人数が多いですね。この双子は、確か••••••あぁ不切木の系譜でしたか。と言うことは千切原辺りですかね。そしてこの男、またしても首を突っ込んできますか、忌々しいにも程があるでしょうに。まあ、この三人は彼に任せておけばいいでしょう。しかし、時野舞白。この子はいいですねぇ。売ってもよし、うちで飼ってもよし。是非とも欲しい」
次に視線を移したのは、「シロ」たちのいる大分県中心部の地下通路の一角だった。
そこには、「シロ」たちが険しい顔つきで、地下通路を歩く様子が映っている。
枠綿無禅にとって、想定外の参加者がいた様ではあったが、それでも彼の描いたシネリオに影響はない。
少なくとも、現時点での彼はそう確信しているし、この程度のイレギュラーであれば自分の駒たちが処理するのだと信用している様だった。
そして、次のモニターは監禁部屋を移していた。
「殻柳先生も頑固な方ですね。だからこそ、あのひだまり園の管理者として選ばれたのでしょうけれど。それにしても彼女の精神力には驚かされましたね。数日間の拷問で音を上げるかと思っていましたが、まさか三ヶ月も耐え抜くとは。あれ以上やったところで、口を割ることはなかったでしょうし、第一殺しかねませんしね。一体どこに隠しているのやら」
画面に映る監禁部屋には、ベッドに横たわる殻柳優姫の姿があった。
食事には手をつけているようで、餓死の心配はなさそうではあるが、全身のいたるところにできた痣や傷が、彼女が無事であるか判断を迷わせる要素となっている。
「あのファイルだけは、早いうちに消しておかねばなりませんが、殻柳先生の協力がなければ、それは叶わないという。全く、楽じゃありませんね、この仕事も」
ぼやきながら、次のモニターを見る。
そして、枠綿無禅はその画面に映る二人を見て、あることを思いつく。
「くくく、感動の再会ですか?白塔梢と白塔呑荊棘。この二人の遺伝子を使って造ったクローンたちの処分に困っていたところですし、そうですね、シナリオに少し刺激を加えましょうか」
そう言って、枠綿無禅は一本電話をかける。
「ああ、私だ。在庫の処分に靴谷氷花と例の青年を使うといい。やり方はお前に任せる。登の方にも何人か使えるやつを回してやってくれ、ああ、頼む。それと六番のマイクロチップはまだ起動させるな、オリジナルと行動を共にしている様だが、あれにはまだ使い道がある。一番いいタイミングで殺せ。では、よろしく頼む」
嬉しそうに画面に食い入る視線の先には、とある工場で白塔梢と、六番と呼ばれた女性が話している様子が映し出されていた。
二人は何やら、真剣な話をしているようで、音声こそ拾うことはできないが、その表情から険悪な雰囲気にないことは容易に想像できる。
そして、この枠綿無禅と言う男は、そんな感情すらも弄ぶ。
「さてさて、ギャラリーを集める準備でも始めましょうか。生き残ったものには一体幾らの値が付くことやら、くくく」
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「梢、答えは決まった?」
「うん、決めた」
白塔梢は、目の前の妹の姿の彼女に心を開き始めていた。
自分のために、白塔呑荊棘の役割を全うすると決意する彼女を見て、思うところがあったのかもしれない。
事実として、現時点で白塔呑荊棘の姿の彼女が殺されることは無くなったわけだが、その彼女に何が起こっているのかを正確に把握しているものはいないのである。
細胞の記憶、そう言ってしまえばロマンがあるように聞こえてしまうかもしれないが、少なからず自我の芽生えた人格に、他者の記憶が混濁するというのは、実はかなり恐ろしいものである。
自己の確立が困難になる。
自身の存在が曖昧になる。
自分の思想が二重になる。
それでも尚、彼女は自身の記憶を信じた。
白塔梢のために、できることをしたいと願ったのだ。
その思いが、白塔梢に届いたのかもしれない。
「梢、どうする?」
「私は、戦うよ。ひょうか姉や舞白ちゃんだって、戦ってる。だったら、私だけ逃げるわけにはいかない」
「そっか、うん。わかった、じゃあここからはそのつもりで動こう。私は戦闘能力はないから、そこはあてにしないでもらえると嬉しいかな」
二人の進む道は決まった。
白塔梢は、またしても前に進むことを選んだ。
それがどのような結果になるのかは、まだわからないけれど。
「えっと、私はあなたのことを何て呼べばいいのかな」
「名前か、なんでもいいよ。好きに呼んで」
白塔梢は少し、悩む。
妹の姿をした彼女に、「呑荊棘」という名前は付けられない。
だからと言って、それ以外に案が出てきてくれないのだ。
「あ、じゃあこういうのはどう?梢は多分、呑荊棘と呼ぶのに抵抗あると思うし、『ロク』ってのはどう?私に割り振られたカプセルの番号なんだけどね」
「それはちょっと、嫌かな。『アイ』ちゃんって呼んでもいいかな?藍の花から取ったんだけれど」
「アイ、ね。うん、私は今からアイになるよ」
白塔梢はほっとしたような笑みを零し、対照的にアイは寂しげに微笑んだ。
「じゃ、とりあえず移動しよう。研究所に一度寄って、何か使えそうなものを持っていこうと思うんだけれど、いいかな?」
「うん、わかった。研究所っていうのは宮崎にあるの?」
「そうだよ。申し訳ないけれど、枠綿の居場所は私にはわからない。でも、研究所の資料とかからヒントが拾えるかもしれない」
「そっか、じゃあ私とアイちゃんは、研究所に向かうってことで。どこかで電話とかできたら助かるんだけれど」
「それなら研究所の使いなよ、秘匿回線が使われていたはずだから、盗聴されることもないし」
二人は、工場の出口向かいつつ、今後のことを話し合う。
その姿は、双子が連れ添って歩くような、長い付き合いの親友同士が笑い合っているかのような。
そんな淡く脆い優しさに包まれているようだった。




