樹梢
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楽しく楽をするためには、楽しくなくて楽ではないことに時間をかけなければならない。
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私、白塔梢は失敗した人間です。
しかし、それを語るには少しだけ時間を遡らなければなりません。
具体的には十三年前から始まり、五年前に決定的に失敗したのです。
五年前の件について、私はひょうか姉に話していないことがあります。
それは、呑荊棘やがっくんとひーくんが殺された瞬間のことです。
そしてこれは、懺悔に近い何か、後悔を誰かに聞いてほしいだけの何かに過ぎないのかもしれません。
五年前、私と呑荊棘が九州から逃げ帰ったところから、私の失敗談は始まります。
誰に聞かせることもなく、墓場まで持っていくはずの物語。
優しさと愛に満ちた悲しい物語。
狂気と復讐と死相に塗れた双子の物語。
私、白塔梢には妹がいます、いました。
生まれた時からずっと一緒だった彼女は、もうどこにもいません。
彼女、私の妹、白塔呑荊棘。
呑荊棘は、五年前の私たちの復讐の果てに、私の身代わりとなって殺されたのです。
私を助けたとか、私を逃すためとか、どんな思いが彼女にあったのかはわからないけれど、彼女は白塔呑荊棘ではなく白塔梢として死んだのです。文字通り白塔梢として殺されたのです。
先程も述べた通り、私たちが九州か戻った後、正確には九州から帰ってきた二日後、私と呑荊棘は自宅で連絡を待っていました。
それは例の殺し屋さんからのものかもしれなかったし、例の殺人鬼の男の子からのものかもしれませんでした。
兎に角、私たちはひたすら待ちました。
しかし、その連絡は来ることはありませんでした。
呑荊棘の方が先に痺れを切らし、一旦何か行動してみようと提案してきました。
「梢、私たちこれからどうなると思う?このまま殺されるまで隠れて過ごさなきゃいけないならさ、最後にみんなのところに顔出そうよ」
私も呑荊棘も、精神的にかなり弱っていたのかもしれません。いや、強がっても仕方がないですよね、白状します。私たちは何にでも縋りたくなる程に弱っていました。普段は気丈に振る舞う呑荊棘でさえ、その二日間はずっと不安に押しつぶされそうな顔をしていました。
因果応報って言うんでしょうか、私たちがしたことの報いなのでしょうか。
こんな世界、無くなっちゃえばいいのに。本気でそんなことを考えていた気がします。
当然、私は呑荊棘の提案を却下することもなく、寧ろ感謝さえしてしまいそうになるくらい前のめりで賛成しました。
それが、いけなかったんでしょうね。
ねえ、神様。
私たちは一体どこから間違えていたのでしょうか。
私たちは一体いつから踏み外していたのでしょうか。
私たちは一体いつまで苦しめばよかったのでしょうか。
「呑荊棘、ひだまり園に行くなら、皆の好きなお菓子買って行ってあげたいんだよ。二人揃って行くのもなんだか久しぶりだし。そ、それにこれが本当に最後になるかもしれないのなら、尚更たくさん何かしてあげたいんだよ」
「そだね、うん。そうしよう、多分もう会えなくなってしまうから、せめて最後に、ね」
私たちのどこか寂しさを含んだ会話は、お互いの抱えた傷を見てみないふりをするために、ほんの少し元気な声で交わされました。
私たちの住むマンションとひだまり園はそう遠くない距離のところにあって、徒歩でも十分いけるところにあったので、私と呑荊棘はそれぞれ私服に着替えて、歩いて向かいます。
思えば私が呑荊棘と過ごした、最後の穏やかな時間でした。
「あー!こずえ姉とのばら姉だぁ!今日は二人一緒なの?」
「こずえ姉、こっちで一緒にあそぼーよ!」
ひだまり園につくと、可愛い弟や妹たちに囲まれて、私たちはすぐに懐かしき忙しさに包まれました。
呑荊棘はどこかバツの悪そうな顔のまま、弟妹たちに連れられて行きましたが、私はというと実はこの時、ちょっと大変な状況になっていました。
その原因は、今私の目の前に立っている妹、時野舞白ちゃんにありました。
困ったなぁ、この子のことを見ると、どうしても心が締め付けられて苦しくなる。
「梢姉、何か隠してることない?呑荊棘姉もいつもよりなんか辛そうだった」
「えっと、どうしてそんなこと聞くのかな?私たちはいつも通りなんだよ」
この時の私は、この子の勘の鋭さを不気味に思い、恐れている節があったように思うけれど、ついさっき実際に闘う舞白ちゃんを見て、今の私ならその疑問に抗うことなく素直に答えられたのに、なんて小さな後悔をしてみる。
何年かぶりに会った舞白ちゃんは強くなっていた。
精神的には、以前より脆く弱くなっているのかもしれないけれど、それでも強くあろうとしていたんです。
私のため、家族のために。
でもこの時は、まだそんな風ではなくて。
「でも、梢姉の顔見てたらわかるよ?私にできることは多分無いけれど、それでも何かしたいの」
「舞白ちゃん、おいで」
私はこの時、どうして舞白ちゃんを抱きしめたんだっけ。
辛そうだったから?
健気な優しさに感動したから?
きっとどれも正解で、どれも不正解なのだろうな。
「梢姉はずるいよ、私のことはなんでも面倒見てくれるのに、私にはさせてくれないじゃん」
「ふふ、舞白ちゃんは可愛いんだよ。ありがとね、もう十分助けてもらってるんだよ」
私の腕の中で拗ねてしまった妹に、心の底から安らぎを感じてしまう。
怖い一面もあるし、不安定な妹だけれど、私にとって大事な妹であることに変わりはないのです。
これが最後だなんて思うと、涙が溢れてしまいそうです。
「梢姉、いなくなったりしない?」
消え入りそうな声だった気がします。
あの頃の舞白ちゃんは、私たちを見て、何が見えたのだろう。
殺気と殺意でのみ人を殺す殺人鬼の男の子と、一年近く一緒にいたと言っていたけれど、それは果たして舞白ちゃんにとって良い選択となるのかな。
私の腕の中で、目に涙を浮かべていた頃の舞白ちゃんのまま生きていく道も、もしかしたらあったのかもしれない。
今の私があの日に戻ったとして、私は舞白ちゃんにどんな言葉をかけるのだろうね。
「梢姉ーっ!今から呑荊棘姉と買い物行くけど、一緒に行こうよ!」
抱き合う私たちの後ろから元気な声が聞こえてきました。
声の主は、がっくんとひーくん。
ひだまり園で最も元気な二人組。
悪戯好きのわんぱく小僧の二人だけれど、その快活さに皆救われていて、舞白ちゃんだって私だってそうだった。
「うん、行こうかな。よーし梢お姉ちゃんがたくさん買ってあげるんだよ!あ、舞白ちゃんも行く?好きなもの買ってあげるよ?」
逃げたかったのかもしれない、なんて思う私はきっと酷い姉なんだろうな。
そういうのにすぐ気付く舞白ちゃん相手に、隠し通せるわけなんてないのに。
「ううん、私は学校の宿題しなきゃいけないから。夜弦姉に教えてもらう約束してるし。がっくんもひーくんも梢姉と呑荊棘姉に会えるの楽しみにしてたから、我慢する。行ってきて」
ほらね。
私の見え透いた弱さは、この子には通用しないんだ。
逆に気を遣わせて、理由まで準備してもらって。どっちがお姉ちゃんなんだかわかんないや。
でもね、舞白ちゃん。
あの日の舞白ちゃんも、今の舞白ちゃんも、私は大好きなんだよ。
家族思いで、不器用で、そのくせ強がりで、とっても優しい舞白ちゃんが大好きなんだよ。
私と呑荊棘、がっくんとひーくん。
姫ちゃんに車を借りて、四人で近くの大型ショッピングモールへ行きました。
ひだまり園にいる子たちへのお土産も兼ねて、その日は何でも買ってあげるつもりでした。
店内に入ると、早速駆け出す弟二人から目を離さないようにしつつ、呑荊棘はゆっくりと語ってくれました。
「梢、私らは復讐に失敗したんだね。こうやって日常に帰ってくると痛感させられる。私らが動いたことで、少なくとも、二百人近い犠牲が出てしまったってことは、重く受け止めなきゃいけないことなんだろうけれど、それでもなんだかやりきれないなって思ってしまうんだよね」
日常、日常、日常。
私たちにとっての日常とは何だったんなだろう。
毎日、両親の仇に苦しめられ、明るく振る舞う努力を続けることがそうなのかな。
でも、呑荊棘が言う日常はきっとそうじゃないんだよね、わかるよ。ずっと隣で見てきたんだから。
「私はさ、この先どんな風に生きていけばいいのかわかんないよ。あの子たちと遊んでても、心に大きな穴が開いていて、自分のことを冷めた目で見てる自分がいる。梢は、どう?今日ひだまり園にいて、何を感じた?そして何を感じなかった?」
呑荊棘の言葉は、全部わかりすぎるくらいにわかってしまう。
双子って、そういうものなのかな。
なんとなく考えていることがわかるし、何がしたいのかわかってしまう。
そっか、呑荊棘は疲れちゃったんだね。
「梢にさ、言ってなかったことがあるんだけどさ。私、夢があるんだよ。ひだまり園にきた頃からずっと変わらない夢。大勢の人の人生を滅茶苦茶にした癖にって感じだけれど、今言っとかないと、本格的に言うタイミング見失いそうだからさ」
知ってるよ、呑荊棘の夢。
部屋の本棚にほんの数冊だけ並んでたもんね、隠せるわけないじゃん。
一体何年の付き合いだと思ってるのかな。
ひだまり園で、いろんなことに気付かされて、何度も助けてもらって支えられて、かけがえのない時間を過ごしてきたって思えるからこその夢なんだよね。呑荊棘らしいなって思ってた。
「写真家、写真家になりたいんだ、私。その一瞬しかない時間を切り取って、誰かに託したいんだ。あの子たちのこの瞬間ですら、本当はかけがえのない時間で、私たちが絶対に忘れちゃいけないものなんだと思うんだよね。••••••なんか言えよ、恥ずかしいじゃん。その、私はわかってるんだよって顔ムカつく。ふふっ、あはは。生まれた時から一緒に生きてきて、大人になった今でも子どもの頃の続きをしてる。ねぇ、梢。生きていくって難しいんだね」
痛いくらいに呑荊棘の気持ちが染み込んでくる。
私にも、教師になるっていう夢はあった、あったんだけれど。
こんなにも私怨に塗れた私の手で、一体何を教えられるのかな、一体誰を導けるのかな。
ねえ、呑荊棘。
私たち、生きていてもいいのかな。
「おーい、こっちこっち!姫ちゃんが好きなお菓子売ってる!」
がっくんの大きな声で私たちの会話は、一旦区切りとなった。
あの時、もう少し深く話していたら、もしかしたら今ここにいるのは呑荊棘だったかもしれないんだよね。
うん、呑荊棘の言う通りなんだよ。生きていくって、どうしてこんなにも難しいんだろうね。
私たち四人は、それからいくつかの店舗をハシゴして、全員分のお菓子と、大量のおもちゃやゲーム、絵本や漫画などを買い込んでショッピングモールから出ました。
お別れの時間はすぐそこにありました。
私が、妹や弟を失う時間は目の前です。
「梢、先に車に乗ってて、私一個買い忘れてたものがあった。すぐ戻ってくるから」
「うん、わかったんだよ。気をつけてね!」
慌てた様子で店内に走っていく呑荊棘は、この時もう全てに気がついていたのかな。
呑荊棘が戻ってきたのは、五分程後のことでした。
手には何も持っていなかったから、ふと不思議に思ったのを覚えています。
でも、呑荊棘は私の疑問などに気付くこともなく、店内に戻って行った時よりも慌てた様子でした。
「梢!今すぐひだまり園に戻ろう、ここにいたら危ない」
がっくんとひーくんに聞こえない程度の小声で、呑荊棘は私を急かします。
脳裏をよぎるのは、福岡での惨状。
そんなことにこの子たちを巻き込めない、私はパニックになりそうな頭を必死で落ち着かせ、車のエンジンをかけました。
しかし、それはもう遅過ぎた様でした。
「梢、落ち着いて聞いて。今すぐこの車から降りて、あんたは走ってここから離れて。お願い、今だけは何も言わずに私の言う通りにして」
初めてでした。
こんなにも優しく笑う呑荊棘を見たのは。
こんなにも悲しげな顔の呑荊棘を見たのは。
気圧された、とでも言うのでしょうか、私は呑荊棘の言う通りに車を降りて走り出しました。
後ろから、がっくんとひーくんの声が聞こえます。
どうしたの?どこいくの?
ごめんね、お姉ちゃんにもわからないんだよ。
直後、三人を乗せた車は発進して、駐車場から出て行きました。
その後、私は何を考えていたのか、どこを走ったのか、何も覚えていません。
とにかく、ひだまり園の方へ。
しかし、私の足は止まってしまうのです。
ひだまり園からそう遠くない場所、見通しのいい真っ直ぐの道路で、車同士の事故が起きていました。
不気味なことに野次馬は誰一人としていませんでした。
原型を留めていない二台の車。一台は見たことのないものだったけれど、もう一台はよく知っている車でした。
そして、それらの前に男が二人、その足元には血塗れの女の子が一人。
白塔呑荊棘、私の妹でした。
今すぐ駆け寄って、呑荊棘の安否を確認しようと足を踏み出そうとした時でした。
「来るな馬鹿!」
血塗れで、息も絶え絶えの彼女は、強く叫びました。
途端に、私の足は止まります。
あれはきっと、私に対しての言葉だったから。
ここからでは、男二人の会話は聞き取れません、私はなるべく慎重に隠れたまま、その場の様子を見守ります。
暫くして、男たちはその場を離れて行きました。
周りに、人影がないか十分に観察し、意を決して呑荊棘のもとへ走ります。
「馬鹿、来るなって言ったのに」
「呑荊棘!!」
「二人は?」
「えっと、あ、その」
「わかった、もういい」
「呑荊棘、すぐ救急車呼ぶから。大丈夫だからね」
「梢、ごめんね」
「喋らないで、大丈夫。すぐ救急車来るから」
「最期に聞いて。あいつら私を梢だと思ってた、いつかバレるだろうけれど、それでも幾らか時間は稼げたはずだから。その間に全部忘れて生きて。私のことも、お父さんやお母さんのことも。そういうのは、全部私が持っていくから」
「うるさい!もう黙ってて。呑荊棘、嫌だよ。最後なんて言わないで、一人にしないで」
「梢は泣き虫だからな、私も心配だけどさ、私が知る中で梢は一番のお姉ちゃんだったよ。昔から、ずっと」
「嫌だ、嫌だよ。そんなの嫌だ」
「梢、私は梢のためなら、喜んで死ねる」
「呑荊棘、お願い。諦めないで、まだ助かるから」
「梢、••••••舞白のこと任せる。私らの可愛い妹だから、私らみたいな道歩ませないように。先生、なりたいんだろ?知ってるよ、それくらい。だから••••••」
「うん、うん。ちゃんと任されるから。お願い、まだいかないで」
「梢••••••」
「聞こえてるよ、ここにいるから!」
「梢••••••ゃん」
「呑荊棘、お願い!待って」
「ありがとね、お姉ちゃん••••••」
白塔呑荊棘、私の妹で、半身で家族で。
生まれた時から一緒にいた妹。
彼女の人生はこの瞬間、途切れることになりました。
最後の抵抗として、白塔梢として殺された彼女は、最期は白塔呑荊棘として、私の妹として息を引き取りました。
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はい、回想終了です。
私がここまで、封じてきた記憶を思い返したのには理由があります。
それは舞白ちゃんが刺客と闘っている時でした。
私は、音もなく攫われたのです。
間抜けな話ですよね、自分でも嫌になります。
どこまで皆の足を引っ張れば気が済むのか、この私はどこまで愚かなのか。
連れ去られた私は、訳もわからないまま地下通路の様なところで、一度解放されました。
解放と言っても、逃げることも抵抗することもできませんでしたけれど。
しかし、仮にできていたとしても、私はその場から動けなかったと思います。
「やあ、梢。初めまして」
私の目の前には、呑荊棘が立っていました。




