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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
32/71

正解

89

 あなたはだれ?

 

90

 靴谷氷花は、思考を辞めない。

 それだけしかできないからである。

 相手が一般人であるならば、彼女でも制圧することは容易ではあるが、殺し屋や殺人鬼となると手も足も出ない。

 それは、彼女が弱いとか日本の警察が頼りにならないとか、そういう話ではない。

 

 彼女は十分といえる体術を習得しているし、日本の警察は優秀である。

 あくまで、「普通」の世界においてはだけれど。


 「おい、殺人鬼。お前の言う通り、あたしらは宮崎方向へと進路を変えた訳だが、この状況をどう思う?」

 「あぁー、そうだな、やっぱりってのが正直なところかねぇ。こういう動きをする組織ってのは、裏で何かを隠してるんもんなのさ」


 二人の足元には、数えるのも億劫になるほどの死体が転がっていた。

 それらには目もくれず、二人は会話を続ける。


 「隠したいもの、ねぇ。それは誰から隠したいんだと思う?」

 「あ?んなもん知らねぇよ。ただ消去法で言うなら、お姉さんしかいねぇだろ。俺はそういうもんと縁がねぇし、あっちの二人に関しては言うまでもなく外していいだろうし。となると、お姉さんしか残んねぇ。問題は誰から隠しているかよりも、何を隠してんのかじゃねぇの?」

 「ま、そりゃそうだな。お前の予想では、敵さんの本命が梢たちの方に向いてるってことだったけれど、その場合どうだ?お前のお友だちは、あたしの妹を守ってくれんのか?」


 靴谷氷花の問いに、「クロ」は少し考える。

 この一年、いつも隣にいた殺人姫を思い出しながら。


 「単なる戦闘であれば、おそらく何の問題もねえんだが、搦め手を使われたら怪しいな」

 「はぁ?おいおい、何だよそれ。頭を使うのは苦手ってことか?」

 「いや、そういうんじゃねえよ。ただあいつは弱点がはっきりしてっからなぁ。暴走するトリガーと弱点が同一なんだよ」

 「暴走と弱点ってのは同じ意味だろ」

 「俺らの場合、そうとも言えねぇんだよ。殺人鬼のトリガーってのは言うまでもなく、殺意なんだけどよ、あいつの場合、その密度が高過ぎるせいで普段は無理やり押さえ込んでんだよ」

 

 二人は別行動しているチームに思いを馳せて話してはいるが、どうもチグハグしている。

 それもそうである、「クロ」がそうなるように話しているのだから。

 「クロ」は「シロ」のことを、靴谷氷花に教えるつもりがない。それは初めから決めていたことでもあるのだが、罪忌楼花に言われたことが引っかかっていた。


 希少な存在である「時野舞白」を、献上したいとあの男は言っていた。

 存在の希少さで言うのなら、「クロ」も同じではあるのだが、あの男が言っているのはおそらくそんな単純なことではないのだろうと、「クロ」は断定していた。

 

 それに、靴谷氷花にその事実を教えてしまうことで、余計な企みに彼女を巻き込んでしまうことも危惧していた。

 

 お人好しで、面倒見が良くて世話好きな中途半端な殺人鬼。

 彼の本質は、きっと人との繋がりを欲しているのかもしれない。

 今、そんなことはどうでもいいことなのかもしれないのだけれど。


 「それにしてもお前、殺しすぎだ。この一日で何人殺してんだよ」

 「んなこと言われてもなぁ、この量の刺客相手にいちいち気遣ってらんねぇよ。もしかしたら、あいつなら全員戦闘不能にして、誰一人殺さず凌ぎ切るかもしれねぇけどな」

 「どっちがいいんだかね。頼りにはなるが殺し過ぎるお前と、爆弾を抱えてはいるが殺さないそいつ、と。何にせよ、この先は、もう宮崎に入る。今まで以上に警戒していかなきゃだな」


 一通り刺客を殲滅したことで、一旦休憩としていた二人だったが、その姿は割と満身創痍と言ってもいい程にくたびれていた。

 致命傷こそ、一切受けていない様子ではあるが、数百人単位で相手にした後ともなると、さすがに無傷でとはいかなかったのだろう。

 だからと言って、進行を止めるつもりは毛頭ないのだろうけれど。


 そして、来客は続く。


 「お初にお目にかかります、小生は案内役にございます」

 

 二人の意識の外、全く警戒していないところから声をかけられた。

 二人は一瞬で戦闘体制に入る。

 靴谷氷花は拳銃を、「クロ」はナイフを、それぞれ構える。


 しかし、戦闘は起きない。

 そこにいたのは、幼児だった。

 五歳にも満たない年齢であろうと推測できる。

 しかし、その声はまるで仙人のような、低く掠れたそれだった。

 そんな不気味な幼児が、流暢で古風な日本語を使い、二人に向き合う。


 「何だこいつ」

 「おい、こんなのでも殺し屋って可能性はあんのか?」

 「いや、流石にねぇと思いたいねぇ。ただ、暗殺者って可能性で言うならあり得なくもねえな」

 「本当、お前らの生きる世界ってのは、碌なもんじゃねぇな」


 少年に聞こえないくらいの声で会話をする二人だが、意識は目の前の男の子に集中している。

 そんな二人のことなど、気にも止めず、男の子は続ける。


 「あなた方と殺し合うつもりは、小生にはございません。先刻も申した通り、案内を任されているのみにございます」


 そして降参したかの様に、両手を挙げ、抵抗の意思がないことを示してくる。

 

 「もちろん、小生は戦闘能力など持ち合わせておりませんが、それでも不安が残る様でしたら、小生の四肢を切り落としてもかまいませぬぞ」

 

 余裕の表れなのか、ただ諦めているのか、本当に無抵抗でいるつもりの様だった。


 「おいガキ、あたしらを案内するつったな。どこに連れてこうって言うんだよ、お前らがそんなことをしなくても、あたしらは枠綿のところに行くつもりなんだけど?」

 「お姉さんが警察官だってことを忘れちまいそうだぜ、くはは。でもまあ、確かにその通りだわな。俺らを案内して何を企んでんだかねぇ」

 「お二人とも、落ち着いてくだされ。小生はただ命令に従うのみにございます。あなた方、お二人を確実にある場所へと案内すること、それが小生がこの場にいる理由にございます。そして付け加えますと、今から小生が案内する場所には、枠綿無禅様がお待ちになっております。そして、あなた方に選択の余地がないことを示しておきますと、我々は白塔梢を捕らえております。あちらの部隊、もう一人のお仲間様には、そちらの催しをお楽しみいただくのが、枠綿無禅様の描くシナリオにございます。こちらの描くシナリオを逸脱するのでしたら、自力でお探しになるしかありませぬが、それまで捕虜が生きていられるか」


 ーーダァン!


 靴谷氷花の拳銃が轟音を響かせる。

 弾は、誰にも当たってはいない様だが、彼女の目は「次は当てる」と言っていた。


 「おい、今お前の口は、梢を捕らえたと言ったか?あたしの家族にこれ以上何かしてみろ、全員ぶっ殺す」

 「これはこれは、怖いお方ですね。小生には何の力もございませんよ。ただ、役割があるだけでございます。こちらが示すカードは、枠綿無禅様の居場所、殻柳優姫と白塔梢という捕虜二人の存在、そして十三年前白塔ご夫妻殺害の真相くらいのものですかね。しかし、ここであなた方が小生について来てくださらないのであれば、それらは二度と相見えることはできぬものとお考えくだされ」


 打つ手なし。

 圧倒的な戦力を有していても、それを振るう場所がなければ何の意味もないのである。

 捕虜。言い方を変えれば、人質である。

 靴谷氷花にとっては、母親と妹が捕らえられているということ。

 「クロ」にとっては、「シロ」がいながら白塔梢を攫われているということ。


 それが事実であるということは、おそらく間違いないのだろうけれど、今二人が考えるべきことはそこではい。

 もう既に起きてしまったことはどうしようもない。

 今考えるべきは、これからどうするか。


 「お姉さん、言いたかねぇけどよ、これはもう俺たちの負けだ。白塔梢を守れなかった時点で、俺らにはこいつに従うしか道がねぇ。催しっつったこいつの言葉を信じるのであれば、この後ただ殺されるってことはねぇだろうよ。ただし、どんな悪趣味に付き合わされるか、想像もできねぇけどな、くはは」

 「チッ、お前のお友だちにはきっちりお礼しねぇといけねぇな。だが、確かにここは従うしかねぇ。くそっ」


 二人は、冷静に状況を分析し、抵抗も戦闘も意味がないことを悟った。

 そして、それぞれ武器を納め、目の前の幼児に向かって歩き出す。

 それを、嬉しそうに笑って眺める幼児の彼は、果たして何者なのだろうか。その答えは、今ここには無いのだけれど、それでも彼の登場により、物語は一気に佳境へと差し掛かる。


91

 「わかった。ではその二人は俺のところに連れてこい、そしてもう一方は向こうへ連れて行け。中継の準備はできているか?よし、楽しいショーを始めようか」


 枠綿無禅は、全てが自分の思い通りに進んでいる状況を楽しんでいる。

 かつては、日本の政治の中枢まで上り詰めた男であり、その手腕は現在も健在であるのだろうが、それでも異常だった。彼が政治の世界で生き残り続けたのには、もちろん理由がある。

 

 「さて、殻柳先生行きましょうか。ここまでたくさんの楽しいお話ありがとうございました。もう会うことはないでしょう、いい最期を迎えられるよう祈っていますよ。あなたはこれから白塔梢と共に、地獄を味わうことになります。その様子は複数のカメラで中継されますので、せいぜい盛り上げてくださいね。嘘に塗れた家族愛、堪能させてもらいますよ」

 「あんたみたいな人間が楽に死ねると思わないことね。あんたもあのバカ息子も、みんなまとめて呪ってあげるわ。私の家族に手を出したこと、後悔させてあげるわ」


 殻柳優姫の恨み節を、穏やかな表情で聞き流す枠綿無禅だった。

 そして、部下を呼び寄せ、殻柳優姫を連れて行かせる。

 一人になった部屋で、枠綿無禅は静かに天を仰いだ。何かを思い出しているかのように、何かを忘れようとしているかのように。


 「殻柳先生、無駄なんですよ。社会という流れに逆らうなんてことは、誰にもできはしない。貴方たちの最期はいい見せ物になる。世の中には、そういうものに大金を払う化け物たちがいるんですよ、いくらでも。人間の尊厳が陵辱される様を、嬉々として見ている化け物がね。貴方の掲げる正義はおそらく正しいのでしょうね。しかし正しいだけでは勝てない、生き残れないんですよ。よく言うでしょう、正義は勝つのではなく、勝つからこそ正義なのだと。力は正しさに直結するんです」


 その言葉は、何かを懐古するようにも聞こえた。

 そして、ほんの少しの後悔と羨望の念を含んで、静かな部屋に響いた。


 枠綿無禅の頭の中には、かつて政界に身を置いていた頃の記憶が鮮明に思い出されていた。

 

 一筋縄ではのし上がることはおろか、生き残ることさえできない過酷な世界。

 幾度となく犯罪に手を染め、それらを揉み消し、脅し、殺し、犯し、勝ち続けたからこその枠綿無禅である。

 十三年前、息子の起こしたつまらない事件のせいで、その因縁にここまで付き纏われている。

 政界を去ることにしたのも、思えばそれがきっかけだった。

 つくづく馬鹿という生き物は、他人の足を引っ張ることにおいて他の追従を許さない。 

 その存在そのものが忌々しい。


 枠綿無禅はいつもの余裕の表情を初めて崩した。

 仮面を脱いだ、普通の人間のような表情のその男は、深く深くため息を吐くと、再び笑みを浮かべて仮面を被る。


 正義というものに、正解はない。

 それは、ただ視点の差があるというだけである。

 立場が変われば、正義も変わる。

 

 靴谷氷花が掲げた正義も、白塔梢が持っていた正義も、「シロ」が体現しようとした正義も。

 そして彼女らが見限った正義も、「クロ」が蔑んでいる正義も、枠綿無禅が忘れてしまった正義も。


 全てが等しく正解であり、全てが同等に間違っていて、全てが均一に歪んでいる。


 何が正しくて、何が間違っているのか。 

 誰が正しくて、誰が間違っているのか。


 証明する方法は存在しないけれど、証明したいのであれば生き残らなければならない。

 勝たなければならないのだ。


 自らの正義を確立するためには、相手の正義を殺さなければならない。

 殺して殺して殺して、殺し尽くすことでしか、彼らは語れない。

 過去も現在も、未来さえも。

 全てを背負い、狂い切った者だけがその景色を見ることができるのだろう。

 

 さあ、楽しい楽しい殺し合いの始まりだ。

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