復生
84
頑張ったから褒めて欲しいの?
褒めて欲しいから頑張ったの?
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地下通路は静けさに包まれていた。
そこを歩く四人の足音以外、何も聞こえてはこない。
「さてさて、この先には何が待ち受けているのかな。枠綿に繋がる何か、もしくは誰かがいてくれれば御の字なのだけれどね」
男は、警戒を解くことなく、それでも明快に口を開く。器用な男である。
そして、そんな男の後ろには二人の殺し屋が続く。
千切原真冬と千切原真夏。
双子の殺し屋であり、二人揃った状態であれば、殺しの技術は「シロ」にも匹敵しているかもしれない。
そして最後尾、殺人姫であり白塔梢の妹であり、「シロ」であり「時野舞白」でもある彼女は、何とも言えない表情で追従していた。
「そうだ、この機会に自己紹介でもしようか。これから短くとも薄くはない時間を共に過ごすことになりそうだしね。僕のことはもちろん、一番後ろのお嬢さんのこともお互い知っておいた方がいいと思うんだよね」
完全に男のペースだった。特に反対意見も出てこなかったため、男は三人を見るとニコリと笑い、さらに語り出した。
「そんなに警戒しないでくれ、これでも一応正義の味方として、それなりに知られた顔なんだがね。特にお嬢さんたちの生きる世界なんかでは、ね。まあ、こういうのは言い出した者が先陣を切るべきだろうね。うん、心得ているさ。僕は大猫正義、大きな猫に正義と書いて大猫正義だ。正義の味方と言っても、度を越したナルシストというわけではないから安心してくれよ。職業はさっきも言った通り、正義の味方だ。社会のため人々のために動いている。ヒーローと呼ばれることもあるね。年齢は公表していないんだ、すまないね。ああ、そうだ。一応お嬢さんたち相手には、もう一つ言っておいた方がいいね。僕は、こんなキャラクターではあるが、かなり強いよ」
巫山戯た自己紹介だったはずなのに、最後の一言で空気が一瞬で張り詰めた。
しかし、男はそんなことさえも気には留めず、次は君たちの番だと目で合図してくる。
何処までも自分のペースで生きているようだった。
「我は千切原真冬、殺し屋」
「我は千切原真夏、殺し屋」
「それ以外に我らを示す記号はない」
「それ以外に我らを示す記号はない」
あくまで、二人同時にそれぞれ話す千切原姉妹だが、それでも初めて「シロ」と対峙した時に比べると、纏う空気が柔らかくなっているようにも見えた。とは言っても、千切原真夏に至っては、「シロ」との初対面は気絶している状態だったため、比べるも何もないのだが。
「千切原といえば、結構有名な家系だよね。代々政府に仕える殺し屋だろ?君たちがここにいて、しかもそちらのお嬢さんを狙っていたということは、つまり政府内でもお嬢さんたちを消そうと動いている者がいるってことになるのかな?」
「我々、千切原家には何も指令は降りてきていない。あくまで我と真夏だけに来た指令だ」
「我々、千切原家には何も指令は降りてきていない。あくまで我と真冬だけに来た指令だ」
「ふうん、詳しいことはとりあえずまた後で聞こうか。さあ、お嬢さん、君の番だ」
大猫正義に言われ、「シロ」は身構えた。
千切原姉妹も興味深そうに「シロ」の方に視線を向けている。
「えと、私はシ、シロです。元々の名前は今は名乗れません」
「ん?それだけ?」
「それだけか?」
「それだけか?」
またしても三人に詰められた「シロ」だった。
彼女は「時野舞白」だった頃、人付き合いが得意ということは全くなく、友人と呼べる者は片手で足りる程度しかいなかった。「クロ」と共にいるようになってからは、基本的にあのお人好しの殺人鬼が喋り続けてくれていたため、それが改善されることはなかった。十一年前のあの日以来、家族以外に心を開くことができないままでいるのが、彼女なのである。そして、家族にさえ、全てを見せているわけではないのである。彼女の本心を知る者など、まだ誰一人としていないのかもしれない。
「君は一体何者なんだい?」
大猫正義は足を止め、「シロ」の方へ向き直して、「シロ」の目を強く見据えて言った。
その目から「シロ」は逃げられない。
そして、その問いに対する答えは、一つしかないのだ。
どれだけ言葉を尽くそうと味気なく、これ以上ないほどに後がなく、一人の女の子が背負うにはとても覚束なく、しかしそれは仕方がなく、誰も彼もが共感できないほどに類なく、存在としての殺意のみが揺るぎないものでしかないのだ。
彼女は様々な感情をできるだけ殺して、隠して、鎮めて口を開いた。
「私は殺人鬼の成り損ないです」
その声は、静かな地下通路に悲しげに響く。
「ふむ、なるほど••••••殺人鬼か。しかし成り損ないっていうのはどういうことだい?」
「そのままの意味です、私は人を殺したことありませんから」
その告白は、その場にいる三人を驚かせると同時に、「シロ」のことをより訳のわからない人物たらしめてしまったようだ。
ヒーローを名乗った男は、その告白を受け初めて笑みが崩れた。
殺し屋を名乗った二人は、青ざめた表情で一歩、「シロ」から距離をとった。
殺人鬼が人を殺さない、それはそれだけで異常であり、あり得ないと言ってもいいほどに前例のないことだったからだ。
この時「シロ」以外の三人の脳内では、おそらく同じ疑問に辿り着いていただろう。
あれだけの殺気と殺意を放ちながら、人を殺さずに生きてなどいけるものなのか。そして、その苦しみは一体どれ程のものなのか。何が彼女をそこまで狂わせて壊してしまったのか。
殺人鬼。理由もなく人を殺す存在。
その性質を持ちながら、誰も殺さない。そして殺人鬼は殺人狂ではない。
楽しくて殺すのではなく、必要だから殺すのではなく、好きだから殺すのではないのだ。
殺すことに理由がない、そこだけ聞くと異常かもしれないが、彼ら殺人鬼にとっての殺人は一種の生理現象と言ってもいい。その全てを無理矢理押さえ込むことが簡単なわけがないのだ。
「シロ」は自覚している。一度その線を超えてしまったら二度と帰ってこれないことを。
そして、自分がその線を越えることに何の躊躇もしないことを。
「人を殺さない殺人鬼、ね。踏み込んだことを聞くけれど、どうしてだい?君なら、それこそ簡単に人を殺せるだろう、赤子の首を捻るように」
「私は殺す相手を決めてますから。関係のない人を殺そうとは思いません」
それは殺人鬼の台詞とは思えないものだった。
何故なら、それではまるで人間だ。
殺人鬼の成り損ない、と「シロ」は自分のことを言ってはいたが、今の彼女は人間の成り損ないにも見えてしまった。
少なくとも、ここにいる三人はそう思った。
しかし、そこから先を聞ける者はいなかった。
理由は簡単である、来客があったのだ。
いやこの場合、来客ではなく待ち伏せといった方がいいのかもしれない。
相手の庭に入っていっているのは、あくまでこの四人なのだから。
「おや?誰かこちらに近づいてくるね。シロ君の話の続きを聞きたいところではあるが、ここは一旦目の前のことに集中しようか」
大猫正義は、再び笑みを浮かべ、残りの三人にしか聞こえない声でそう提案する。
もちろん、異論などでない。
三人は彼の言葉を聞くよりも前に、既に警戒体制をとっていたのだ。
自らの気配を可能な限り薄く、弱く、紛れさせていた。
「うん、流石だね。でも殺しちゃだめだよ、聞きたいこともあるんだし」
返事はない、が三人とも了承したようだ。
小さな足音が、少しずつ近づいてくる。
素人のそれではなく、どちらかと言えば千切原姉妹や「シロ」に近い。
わざわざ音を殺して歩くことはしないが、それでもいつでも対象を殺す準備はできている、そういう歩き方。
足音からして、相手は一人のようだ。
それもおそらく女性。
四人は緊張こそしないが、それぞれが相手を探っているようだった。
そして、「シロ」だけが気付いてしまう。
何となく抱いていた違和感、答えに辿り着けなさそうな設問、答えを知るのが怖い疑念。
それら全てが、一気に繋がりかけたのだ。
「嘘、なんで••••••」
「シロ」にとって、家族とは十一年前まで共に暮らしてきた四人のことを指し、またそれ以降に出会い、共に生きてきたひだまり園の皆のことを指す。
殺す相手を決めていると言った彼女は、一体何を殺すつもりなのだろうか。
家族を傷つける存在の全てである。
父親と母親と姉と弟を殺し、今も逃げ続けているあの男。
そして、ひだまり園にいた子たちの命を奪っていった者。
それらの命ならば、「シロ」は殺すのだろう。
何の躊躇いも、懸念も、後悔も、反省も、手加減もなく。
だからこそ、「シロ」は今まで耐えてこられたのだろう。
家族のためにできることがあるのなら、それ以外の全てなどなくても構わない、と。
何年でも、何十年でも耐えられたのだろう。
しかし、今回。
バラバラに切断されていた姉を見た時、「シロ」の中で何か枷のようなものが外れた感覚があった。
実際には、その死体は白塔梢のものではなかったのだが、何も知らない「シロ」たちにとっては、あくまで可能性は出てきてはいるが、まだ確実に偽物だったとは言えないというのが現状である。
今度こそ守る、と一種の呪いのような決意を胸に刻み込んでいる「シロ」にとって、その気配は驚きと同時に憎悪の感情を蓄積させる。
あり得ない。
昼間、白塔梢が爆発に巻き込まれた後から何となくわかってはいた。
わかってはいても、目の前の状況に冷静さを奪われていた。わかっていないフリをした。
「シロ」の目の前で血を流し、傷付いている姉の姿をした何かのことを、姉だと思い込むようにしてしまっていた。
無意識だったのかもしれない。
意図的だったのかもしれない。
それは、どちらでも同じことなのだけれど。
足音は近づいている。
「シロ」は自分の中の、言葉で表せられない感情で全身が震えているのを自覚した。
当然その異変には、すぐに気付く三人ではあったが、突然のことで対応がほんの数秒遅れてしまった。
「おい、どうしたというのだ」
「おい、どうしたというのだ」
声は届かない。
「シロ」の目は、未だ姿を現さない誰かに向けられ、それ以外の情報を全て受け付けないかのような集中だった。
それはすぐに姿を現した。
「やあ、舞白ちゃん」
そこに立っていたのは白塔梢だった。




