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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
29/71

烏合

82

 大切な人のために誰かを壊した時、私は何を償えばいいのかしら。


83

 暗い。

 暗い。


 「シロ」はフラフラと覚束ない足取りで歩き続けている。

 廃屋を出てから、何処となくただただ歩き続けていた。


 その瞳からは一切の光が失われ、目に映る全てを拒絶しているようにも見えた。

 今、彼女を形取っている何かがあるとするならば、それは微かに残された期待だろう。

 期待というには小さすぎるし、彼女自身も認識できないほどに極小の可能性。

 しかし、それを仮に彼女が認識できていたとしても、身体の内側から際限なく溢れてくる殺意を止める要因にはなり得なかっただろう。

 「シロ」の心は、十一年前のあの時に戻ってしまっているのかもしれない。

 愛する家族の全てを奪われ、自分という存在さえ社会に潰されそうになっていたあの頃。

 「時野舞白」を救い出してくれたのは、ひだまり園の家族だった。

 兄が、姉が、弟が、妹が彼女のそばにいてくれた。


 彼女はそのことを忘れない。

 その恩に報いるためなら、どんなことだってできるくらい彼女は狂ってしまっている。

 

 「シロ」は僅かに残された意識の奥深くで、少し昔のことを考えていた。

 一時も忘れたことのない大切な記憶。

 

 しかし、彼女が今いる場所は枠綿無禅の監視下なのである。

 都合よく感傷に浸る時間など与えられるわけがないのだ。


 「あんたが不切木先生が言っていた小娘か?我は千切原真冬ちぎりばらまふゆ、殺し屋」

 「••••••」


 千切原真冬と名乗る女は、禍々しい形の鎌を両手にそれぞれ握り、「シロ」と対峙した。

 その表情は、淡々とした口調とは裏腹に余裕で満ちており、目の前の獲物をどのように甚振るか楽しみで仕方がないと言った様子である。


 「あんた、強いと聞いた。我と殺し合え。邪魔は入らせない」

 「••••••」


 返事をしない「シロ」に少し怪訝に思ったようだが、すぐに思考を切り替えたようだ。

 二対の鎌を構え、今にも「シロ」に飛びかからんとする。

 しかし、まさに戦闘が、殺し合いが始まろうとした瞬間、「シロ」の口が開いた。


 「お前か?こずえ姉を殺したのは」

 

 千切原真冬は一瞬何を言われたのかわからなかったようだが、わからないことは考えない主義の彼女は、答えることなく「シロ」に飛び掛かる。

 しかし、千切原真冬の鎌は何をも刈ることなく、空を切った。

 刹那、背後から強烈な衝撃を浴びることになる。


 「くっ••••••。やはり手練れ」


 千切原真冬はゆっくりと振り返る、もう一度鎌を構え、相手を殺すために息を整える。

 それに対し「シロ」は、同じ言葉を繰り返す。


 「お前か?こずえ姉を殺したのは」


 今度ははっきりと聞き取れたようだった。

 よって、千切原真冬は思考する。

 

 「白塔梢のことか、なるほど。我は一つ情報を持っているが、教える義理はない」

 「••••••そう」


 特に何かを感じたようには見えなかったが、「シロ」の中で何かの鍵が一つ外れた。

 

 「ーーなっ!」


 千切原真冬が驚くのも無理はない、彼女が弱いというわけではなく、ただ目の前のソレから発される殺気の濃度が異常すぎるのだ。

 本当に絶望した人間は一体どのような空気を纏うのだろうか。

 その答えは「シロ」を見れば一目瞭然だろう。

 周囲の空気が歪んで見えるほどの、禍々しい殺意と殺気。

 超常現象でも見させられているかのような、まるで漫画やアニメの世界での出来事のような光景に、千切原真冬は戦慄する。


 ギリギリ人の形を保っているだけの様子の「シロ」には、もうどんな言葉も届きそうにない。

 

 「••••••殺す」


 「シロ」はたった一言、ゆっくりはっきりと口に出した。

 そして、一歩ずつ千切原真冬に近づいていく。お互いの間合いにはまだ数歩分の距離は空いているが、その程度の距離は二人にとって大した問題ではない。


 一方はただ真っ直ぐ敵に向かって一歩踏み出し、もう一方は鎌を握り緊張した面持ちで一歩退がった。

 

 千切原真冬と千切原真夏は双子の殺し屋である。

 呼吸を合わせ、あらゆる角度から対象を殺す。殺し屋としてはムラっ気のある二人ではあるが、その実力は折り紙付き、のはずだった。

 そう、あくまで二人であれば。

 二人揃って「シロ」の前に出てこなかったことが、彼女の、彼女らの失敗である。

 

 人生において、死に直結するような失敗というのはどういうものを言うのだろうか。

 それは、失敗を認識した時には、同時に死が決定しているような状況を言うのだろうか。

 それでは、取り返しがつかないどころではない。

 失敗というものは、常に未来に繋がっているものであり、そうあるべきものなのだ。

 つまり、何が言いたいのかというと、千切原真冬が犯した失敗は未来に繋がったということである。


 あと一歩。

 「シロ」があと一歩進んでいたら、彼女の命は殺人姫の最初の生贄として散っていただろう。

 しかし、現実はそうはならなかった。


 耳を塞ぎたくなるほどの轟音を響かせ、二人の間にトラックが飛んできた。

 文字通り、飛んできた。


 それに驚くことなく、それぞれ数歩退がり、擦り傷ひとつ負うことなく躱してみせた二人は、やはり流石と賞するべきなのだろう。


 土煙が舞い上がり、辺りの視界は一気に悪くなる。

 しかし、二人に動揺はない。


 そして、その場にもう一人朗らかに声を高らかにしながら登場する。

 その人物は、肩に千切原真夏を抱えていた。


 「やあ、お嬢様方。景気のいいバトルをしているところ悪いんだけれど、ここは一旦僕の顔を立てて休戦としてはくれないかな?おっと、こちらの彼女は、説得の途中で襲ってきたものだから、少し気絶してもらっているだけさ。人質にしようなんて微塵も思っていないから、安心してくれたまえ」


 上下グレーのスタイリッシュなスーツに身を纏い、その上からネイビーのロングコートという季節感のカケラもない格好をしたその男は、「シロ」と千切原真冬の間に立ち、担いでいた千切原真夏を丁寧に降ろして、「シロ」の方を向きニコリと笑顔を作った。


 「説得するには、まず彼女を正気に戻す必要がありそうだ。殺し屋のお嬢さん、片割れを連れて少し退がりなさい。そのまま逃げても構わないけれど、僕としてはそうならないことを願うよ」


 男は「シロ」から目を離すことなく、背後に向かって話す。

 

 「お前は何だ、我たちと同業というわけではなさそうだ」

 「もちろん君らとは違う。僕は正義の味方なのだから」


 変わらぬ口調で男は答えた。

 正義の味方だ、と。

 

 「さて、あちらのお嬢さんもそろそろ待てないみたいだから、早めに動いてくれると助かるんだがね」


 男は一瞬、千切原真冬と目を合わせる。

 渋々ではあるが、彼女は従うことにしたようだ。この場にいる四人、うち一人は既に気絶していて動けそうにはないが、その中で最も未熟なのは自分であると自覚してしまったのだろう。

 彼女は双子の片割れを抱え、少し離れたところまで退がった。


 「グレイト!物分かりの良い殺し屋さんだ。さて、お次はお嬢さんの番だ」

 「お前か?こずえ姉を殺したのは」


 突然の乱入者に、少しだけ冷静になれたのか、「シロ」はうっすらと男を視界に捉え、そして問う。

 

 「それは車の爆発で負傷したお嬢さんのことかい?爆発では死んでいなかったようだから、その後に殺されてしまったということになるのか。とても残念なことだが、君の問いに対する答えはノーだ」


 あくまで朗らかに話す男は、かなり暑苦しい人格であるようだが、しかしそれはそれとしてかなりの実力者でもあるようだ。

 彼以外の二人から見ても、全く隙がないのだ。

 一人は正面から、もう一人は背後から彼を見ているというのに、彼の間合いに入っていける気がしないのだ。


 「••••••邪魔、後ろのそいつに聞きたいことあるから退いて」

 「ふむ、ならば一度戦闘ではなく、言葉で語らないか?お嬢さんと後ろの殺し屋さんの戦いは、間違いなくお嬢さんの勝ちだ。聞けば答えてくれると思うぞ」

 「••••••五月蝿い。邪魔だって言ってんでしょ!」


 「シロ」は一瞬で、その距離を無にした。

 全身から溢れ出す殺意を右手に込めて、男の首に爪を立てる。

 相手が普通の者であれば、少なからず千切原真冬程度であれば、それだけで決着は付いていた。

 しかし、そうはならなかった。

 伸ばした右手は、男によって難なく握られている。当然、爪も男の首には届いていない。


 その一瞬の出来事を、千切原真冬は見ていた。

 見てはいた、しかし飛びかかったであろう彼女が何をしたのかも、男がどうやって応じたのかも理解していなかった。目で追いきれまいほどの攻防が目の前で行われ、そして終息したことだけを朧げに認識していた。


 「さあ、お嬢さん。一旦落ち着いてくれるかな?」

 「••••••っ邪魔するな!」


 憎たらしいほどの笑顔で諭すように話す男に対し、「シロ」はもう一度襲い掛かる。

 思い切り跳び上がり、握られている右手を軸に体を捻り、男の顔面目掛けて左足を振り抜く。

 自分の腕が折れようがお構いなしと言わんばかりの攻撃だった。

 そして、そんな彼女の捨て身とも取れる攻撃さえ、男には当たらない。

 握られていた右手を、少し上に傾けられただけ。 

 それだけで、「シロ」の脚は空を切り、無理な体勢での攻撃を試みたが故に、今度こそ身動きが取れない体勢になっていた。


 完全敗北だった。

 正気を失っているとはいえ、この状態に陥った「シロ」をここまで完璧に封じ込むことは、「クロ」にも不可能だった。

 この男は、それほどまでに強く遠い存在なのだろうか。


 正義の味方と言った彼の正体がさらに細かくわかるのは、もう少し先の話。


 兎も角、異常なまでに速く、異常なまでの力の差を見せつけた戦闘。

 殺人姫と正義の味方の戦闘は一瞬で終わった。


 そしてその二十分後。

 男と、殺し屋二人と「シロ」は、白塔梢が殺された廃屋に来ていた。


 移動は男の運転する車に仲良く乗ってきたらしい。

 移動の間、男以外誰一人として口を開いてはいなかったのだが。


 「さて、ここで白塔梢というお嬢さんが殺されたと。殺し屋のお二人にも協力してもらうよ。君たちは枠綿に雇われているわけではないんだろう?名探偵よろしく現場検証といこうか」


 男の言動にツッコむものは誰もいない。かといって、反抗に意味がないことはそれぞれが身をもって知っている。

 「シロ」もここに戻ってくるまでに、姉を殺したのが千切原姉妹ではないことは理解しているため、彼女らに対して特定の感情はもっていない。

 千切原姉妹にしても、決して思うところがないでもないが、無謀だとわかっている状況に嬉々として飛び込んでいけるほど壊れてはいなかった。


 その歪なバランスが保たれているうちは、ここでの戦闘が始まることはないだろう。


 「ほら、行くよ。とりあえず、その殺されたという部屋を見てみようか」


 男の後に彼女らも続く。

 「シロ」は悲痛な面持ちのまま、ついて行く。


 その部屋は、白塔梢がバラバラにされた時のままであった。

 「シロ」が彼女のパーツを集める際、多少の手入れはあったが、殆どそのままである。


 「ふむ、ふむふむ。これは手が混んでいるね」


 現場を見て、すぐ男は言った。

 手持ち無沙汰になった千切原姉妹も黙ったままだが、部屋のあちこちに目をやって何かを調べているようだった。

 

 「真夏、ここだな」

 「真冬、ここだな」


 二人は、部屋の角に目をつけた。

 殺し屋としての勘、嗅覚というやつなのだろうか、二人は同じところを指差して言った。

 

 「この家は地下に繋がっているぞ、その本棚の裏だ」

 「この家は地下に繋がっているぞ、その本棚の裏だ」


 「へぇ、隠し通路か。流石は殺し屋さんだね、いい勘してるね、さて試しに退かしてみようか」


 千切原姉妹の言葉を疑うこともなく、男は本棚に近づいていき、一息にそれを退かしてみせた。

 そして、そこには地下へと繋がる階段が現れることになるのだが、これには流石の「シロ」も驚いた。

 その表情を見逃すような者はここにはいない。

 

 「お嬢さん、ここには気が付かなかったのかい?まあ状況を考えれば、仕方のないことではあるけれどね。それで、この通路のことはこの後調べるとして、白塔梢嬢の件だが、これはどういうことになるんだろうね」


 「ど、どういうって?」


 男はできるだけ柔らかい口調で、問いかける。

 しかし、その問いは「シロ」にとっては痛いところを突かれたようなものだった。

 そして、その問いに対する答えを彼女は持ち合わせていない。


 「白塔梢は死んでいない」

 「白塔梢は死んでいない」


 「うん、そうなるだろうね。おそらく、彼女の死体は偽装されたものだろう。君に気付かれないために徹底的にバラバラに解体したんじゃないかな。そして、その本人は枠綿の手下によって攫われているってところかな」


 代わりに、殺し屋が答え、男が後押しする。

 何とも奇妙な組み合わせではあるが、「シロ」にとってそんなことはどうでもいい。

 白塔梢が生きている可能性を願ってもいいという状況が、彼女を奮い立たせる。


 「本当?こずえ姉は生きてるの?私、また会えるの?」


 「ああ、生きているだろうね。しかしこの偶然は少し気味が悪いものだね。偶然君が入った廃屋が、偶然彼らの細工済みであることなんて、そうそうないんじゃないかな。枠綿無禅か、これは油断できない相手みたいだね」


 「それでも、私はこずえ姉のもとへ行く。えっと、その三人とも、あ、ありがとう」


 正気を取り戻して暫く経った「シロ」は、白塔梢が生きているという可能性を信じると同時に、それを見出してくれた三人にお礼を言った。

 それは、彼女としては、言いずらくて気まずい気持ちになるのも仕方がないというところなのだろうが、対する三人の対応は、これまた奇妙なものだった。


 「うん、どういたしまして。じゃ、念の為もう少し調べたら、この地下通路に降りてみようか」


 「礼などいらない、それより何処に連れ去れたかを考えろ」

 「礼などいらない、それより何処に連れ去れたかを考えろ」


 三人とも、言葉は違えど今後も行動を共にするのが当然という態度である。

 ここまでくると、「シロ」にも意味がわからない。


 「え?いや、なんで?これは私の抱える問題だし、あなたたちについてきてもらう必要はないのだけれど」


 「いやいや、それはあり得ないだろ」

 「それはない、馬鹿なのか」

 「それはない、馬鹿なのか」


 一蹴された。

 三人にそれぞれ。

 

 命のやり取りをしたことで、変な絆ができてしまったのか、この後も三人は「シロ」についていく気満々だった。

 雨降って地固まる、とでも言いたいのだろうか。


 斯くして、奇妙な組み合わせの四人は廃屋の調査を終え、揃って地下へと潜っていったのだった。


 

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