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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
26/71

余白

74

 貴方を傷つけたくない一心で、私はまた嘘を重ねてしまうのだ。


75

 大分県を南下中の車内。

 白塔梢と、「シロ」はそれなりに穏やかな雰囲気で会話していた。

 それは、復讐に取り憑かれた彼女が、ひと時の安らぎに縋っているかのように。

 それは、かつて家族だった互いの溝を埋めようと寄り添うかのように。


 「シロさんは、いつからこういうお仕事を始めたんですか?」

 「えっと、一年位前からです」


 相変わらず、般若のお面をつけているため表情は全くわからないけれど、それでも彼女が会話に応じてくれていることが、白塔梢にとっては嬉しかったのだろう。そして、どこか懐かしい感じもしていた。

 

 「シロさん、死ぬのって怖いとか思いますか?」

 「••••••はい。」


 何気ない質問だった。

 よくある質問でもあった。

 実際、「シロ」にとって、死ぬことは特に恐れることではない。

 しかし、一瞬言葉に詰まった。

 死ぬということが、どういうことなのかを知っている彼女に、なんと答えたらいいのかわからなかったからだ。


 自分が死ぬことはいい。まだ許容できる。

 でも、自分が大事にしている人たち、守ると決めた人たちが死ぬのは耐えられない。

 それらの人たちを殺そうと言うのなら、自分が先に殺してやる。

 それが嘘偽りのない、「シロ」の本心なのだ。

 

 未だに人を殺したことのない殺人姫の、願いでもあった。


 「シロ」が「シロ」に成る前、彼女がまだ「時野舞白」を名乗っていた頃、こうして白塔梢とドライブしたことがあった。何気ない会話の流れで、急遽予定を組んで、二人だけで出かけたのだ。

 なんてことはない姉妹の時間。そんな当たり前さえ、彼女たちは奪われているのだ。

 

 「そ、そうなんですね。シロさんのような方でも、死ぬのは怖いと思うんですね。私は、怖くないんです。呑荊棘を、妹だけを先に逝かせてしまった私が、生きることに縋るなんてできないです。だから、あの男に復讐できるのなら、殺されたって構わない。どれだけ痛めつけられようと、どれだけ辱められようと、枠綿無禅を殺せるのなら全く怖くないんです」


 白塔梢の告白は、「シロ」にとっては認めることのできないものであることは違いないのだが、その気持ちも痛いほどわかってしまう彼女は、またしても答えに悩む。

 「シロ」にも、それくらい憎んでいる相手はいる。

 殺されてでも、殺したい相手。十一年前、「時野舞白」の家族を殺したあの男。

 

 直後、車内が重く濃い殺気で満たされる。

 それを肌で感じた、白塔梢は驚き急ブレーキをかけ、車を停める。すぐさまあたりを見渡すが、それらしき者はいない。そして答えに辿り着く。


 「シ、シロさん?ど、どうしたんですか?」

 

 怯えてしまうのも無理もない。

 例えば、ここに「クロ」がいたのなら、それを呆れながら宥めてみせたかもしれない。

 例えば、ここに攻撃してもいい対象がいたら、それらを痛めつけることで自制できたかもしれない。


 しかし、ここには、二人だけ。

 何年か前に、ドライブした時と同様に。

 

 「は、はな、離れて。おねっ、お願い、私からっ、離れ、って」


 激しい息遣いと、彼女から溢れてくる殺気に、車内はあっという間に殺伐としていった。

 白塔梢の記憶を辿ってみたとしても、ここまでの殺気に晒されたことはなかっただろう。

 あるわけがないのだ。

 「シロ」のそれは、「クロ」をしても異常な密度だったのだ。

 唯一無二の殺人鬼が、畏れるほどの殺意と殺気。

 そんなものに、白塔梢が耐えられるわけがなかった。


 「ひっ、シ、シロさん!落ち着いてください!大丈夫ですか?私に何かできることはありますか!?」


 それでも、「シロ」に歩み寄ろうとして、彼女のために何かできることを探した白塔梢は、きっと優しいのだろう。どうしようもない程に壊れてしまった「シロ」の耳に彼女の声が届いたことは、そしてそれのおかげで自我を保てるように回復したことは、きっと奇跡なんかではないのだろう。

 目に涙を浮かべ、呼吸を乱しながらも「シロ」の背中に手を添えている彼女の優しさを、奇跡や偶然なんて言葉で片付けてしまうのは酷な話である。


 「ふっ、はっ、ご、ごめ、んなさい。こっ、ずえ姉」

 「••••••え?」


 フッと、車内の空気が軽くなった。

 さっきまでの思い空気が嘘のように、静かな空気が車内に充満していく。

 「シロ」の少し乱れた息遣いだけが、響く。


 「シロ、さん?もしかして、舞白ちゃん?」

 「••••••っ」


 ほんの少し、「シロ」の肩が震えた。

 彼女の背中に手を添えていた白塔梢には、見るまでもなくわかってしまう。

 彼女が「時野舞白」であるということを、彼女が死んだはずの妹だということを。


 「舞白ちゃんなの?今、私のこと、こずえ姉って呼んでくれたよね?」

 「ご、めんんさい。私はっ」


 「シロ」が最後まで言う前に、白塔梢は彼女を抱きしめていた。

 優しく、そして強く。


 「大丈夫、私はちゃんといるんだよ。舞白ちゃんの横にいる、大丈夫、一人じゃないんだよ。だからね、もう大丈夫」


 それは、姉が妹をあやすように、泣いた子供を宥めるように愛で溢れていた。

 「シロ」は、ゆっくりと般若のお面を外した。

 今この瞬間だけ、「時野舞白」に戻ろうと思ってしまったのかもしれない。

 

 「舞白ちゃん!よかった!舞白ちゃんがこうして生きていてくれているだけで、私はとても嬉しいんだよ」

 「こずえ姉、怖がらせてごめん。たまに抑えきれなくなることがあって、いや、そっちじゃないね。今まで黙っててごめん」

 「ううん、いい。何があって、どうして舞白ちゃんが死んだことになってたか、そんなことは今はいいんだよ。私の目の前に、舞白ちゃんがいるんだよ、それが私にとっては全てなんだよ。それに、舞白ちゃんは私のためにここに来てくれたんだよね?ありがとう」


 三年振りに会う姉に、殺人姫は何を思ったのだろう。

 死んだと思っていた妹に会って、白塔梢は何を感じていたのだろう。


 姉妹の時間はすぐに終わりを告げる。


76

 「こずえ姉、もう大丈夫。そろそろ移動しなきゃ」

 「あ、そうだよね!ごめんごめん、あんまり嬉しくて」


 それは、「シロ」が「時野舞白」に戻ってから、十数分が経った頃だった。

 突然、彼女は顔を上げ、先程外した般若のお面を被る。

 

 「こずえ姉、誰か来る。車の中にいて。私がやるから」


 その声は「時野舞白」でありながらも、「シロ」でもある、そんな歪な殺意を含んでいるように聞こえた。


 心配する白塔梢に見守られながら、「シロ」は車から降り立ち、周りをゆっくりと見渡す。

 気配は三人。

 どれも素人のものではないと、瞬時に分析し、姉を車から出さなかったこと自らの判断に少し安心した。

 少し感傷に流されてしまったことで、殺人姫としての戦闘能力を失ってしまうことを彼女は案じていたのだ。


 場所は、大分県別府市。温泉で有名なはずのこの土地だが、今この瞬間、不気味なほどに人の気配がなかった。

 おそらく、何らかの規制をかけているのだろうと、「シロ」は推察する。

 しかし、それは「シロ」にとっても都合のいいことであった。

 思う存分自分の「想い」を吐き出せる。

 殺意を、殺気を、思い切り解放できるのなら、好都合だと思った。


 暫くすると、「シロ」の視界に三人の影が入ってきた。

 一人は両手に日本刀を携えた若い男、もちろん日本刀は抜き身である。

 一人は薙刀のようなものを担いでいる男、年齢的には三十代くらいに見える。

 そして、一人は何も持たず全く隙のない姿勢でこちらを見据えている初老の女性だった。


 深く息を吸い、瞼を閉じる。

 敵を目の前に、悠長にそんなことをしている場合でもないのだが、「シロ」はお構いなしに神経を研ぎ澄ませる。

 スイッチを入れるための儀式、リミッターを外すためのルーティン。

 再び彼女が目を開けた時、その瞳には純粋な殺意のみが宿っていた。


 「よう、ねーちゃん。抵抗しても痛い思いをするだけだぜ。そこの車の中のねーちゃんと一緒にサクッと殺されてくれねぇか?」

 

 薙刀をゆっくりと構えながら男は言った。

 彼女の耳には届かない。


 「どうしてあんたはいつもそうやって相手を無駄に煽るんだよ。仕事なんです、きっちりしっかりはっきり全力で殺して差し上げるのが、せめてもの親切でしょう」


 抜き身の日本刀を構えることなく、戦闘体制に入り、若い男は言った。

 彼女の耳には届かない。


 「お前たち、油断するんじゃないよ。こちらのお嬢さんはそこそこできるみたいだからね。昨晩、うちの若いのを処理したのもこの子だろうね」


 一歩引いたところで、やはり隙のない立ち姿で、初老の女性が言った。

 彼女の耳には届かない。


 「一応礼儀ってやつだ、俺は瓦陸丘かわらりくおかだ、獲物はこの薙刀だけだ」

 「名乗りくらい、もう少し丁寧にしてくださいよ。同類と思われたらどうしてくれるんですか?僕は桜冥逆巻さくらめさかまきと言います。これでもプロの殺し屋です、所属は明かせませんが、横の野蛮な方とは今回限りの関係ですので勘違いしないでいただきたい」

 「あんたたちは、全く。あたしも名乗らせてもらおうかしらねぇ。あたしは不切木柘榴ふきりきざくろ。今回はただの現場監督みたいなもんさね。だから、あたしのことは数に入れず、存分に殺し合ってちょうだいな」


 ひとしきり、それぞれが名乗りを済ませた。

 殺し屋同士の戦闘では、そういう暗黙の了解でもあるのだろうか。殺人姫にはわからないことだったし、どうでも良いことであった。


 「■■■、ーー■■■っ。■■■■!」


 「「「っ!」」」


 殺し合い。

 そう表現するには、いささか圧倒的すぎた。

 まず、刹那にも満たない速度で薙刀を構えた男が後ろに飛んだ。否、飛ばされたのだ。

 その際、手に握っていた彼の身の丈よりも大きい薙刀は粉々に粉砕されている。


 「■■■■、■■■!ーー■■っ!」


 それをそばにいた二人が知覚するよりも早く、「それ」は動いていた。

 二振の日本刀が、彼の手から消えたのはそれとほぼ同時だった。

 いつの間にかそこにいた「それ」が軽く足を振り抜いた、それだけで彼の腕ごと日本刀をへし折ってみせたのだ。


 「これは、想像以上さね」


 そう呟くと、彼女は一気に距離を取るため後方に跳んだ。その判断の速さと、身のこなしは達人と表現してもなんら遜色はないだろうけれど、彼女たちが今やっているのは試合ではない。殺し合いなのだ。

 相手が武術の使い手だったり、そこそこの殺し屋程度であれば、不切木柘榴の相手ではないのだが、彼女の目の前の「それ」は殺人姫なのだ。殺人鬼の成り損ないと、本人は揶揄してはいたが、本質的には殺人鬼と同質なのである。殺人姫というのは、彼女の相棒である、唯一無二の殺人鬼「クロ」の言葉遊びのようなもので、側から見た二人に違いなどないのだ。

 殺すことは、あくまで前提。仕事で殺す殺し屋とは、立っているステージがまるで違う。


 「■■、■■■■■■。■■!■■■!」


 不切木柘榴は十分な距離を取ったつもりでいた。しかし、彼女が着地した場所に「それ」は既に待っていたのだ。

 高く高く、細く華奢な脚を真っ直ぐに上げ、一切の躊躇なくその足は振り下ろされる。

 不切木柘榴の右肩に、「それ」の脚が触れると同時に骨が砕ける音が響く。


 「ぐぅぅっ」


 瓦陸丘は最初の一撃で完全に気を失っており、桜冥逆巻は原型を留めていない両腕の痛みで身動きが取れず、不切木柘榴に至っては生きているのかどうかさえ怪しかった。


 ただそこに立っている「それ」は、既に彼らに対する興味を失ってしまったかのように空を見上げていた。

 般若のお面の奥にある瞳から、ゆっくりと殺意が消えていく。

 深く深く、深呼吸をする。

 「シロ」は起き上がることのできない三人を一瞥し、三人とも生きていることを確認すると、本当に興味を無くしたのだろう。そのまま白塔梢のいる車へと向かって歩き始めた。


 「ま、待ちな。あんたそれだけの技術があって、それだけの殺意を振り撒いておきながら、どうして殺さない?あたしらだってプロなんだよ、変な情けをかけられるのは業腹なんだがね」

 「••••••別に、興味ない」


 「シロ」は、最後の力を振り絞って彼女を呼び止めたであろう不切木柘榴の言葉に、振り返ることも、歩みを止めることもなく即答し、過ぎ去っていく。

 「シロ」の意識は、もう既に次の敵に向いていた。

 

 車に近づくと、白塔梢がドアを開けて駆け寄ってきた。

 そのままの勢いで思い切り抱きつかれてしまう「シロ」だったが、白塔梢の表情を見ると、それを振り解こうとは思えないようだった。

 彼女は、白塔梢はまたしても泣いていた。

 不安や恐怖に押しつぶされそうになりながらも、妹を見守るしかできない自分と戦っていたのだろう。

 十三年前からずっと、彼女は自分と戦って戦ってきたのだろう。

 それをわかってしまう「シロ」にとって、彼女の細く震えた両腕は、どんな強固な鎖よりも強く「シロ」の体を締め付けていた。

 

 「こずえ姉、早くここから離れよう。すぐに他のヤツらが来るかもしれない。私は怪我一つしてないし、全然大丈夫だから」

 「••••••うん」


 「シロ」は、ようやく抱擁から解放され、一応辺りに視線をやるが、気配はない。

 

 「大丈夫、こずえ姉は私が守るから」


 十一年前、家族を皆殺しにされ、ひだまり園に移り新たな家族を得て、そしてまた失ってきた彼女は、改めて強い意志で自らの決意を口にする。

 そうすることで何かを償いたかったのかもしれない。


 心を失くしかけた少女は、ひだまり園の家族によって救われていた。

 そして、その家族を失った時、彼女の心は完全に崩壊した。

 殺人鬼に拾われ、行動を共にすることで自分の昏い感情を知った。

 戦う術を身につけ、感情のコントロールの訓練をして、ようやく大事なものを守れる自分になれたのだ。

 例え死んだことになっていたとしても。

 例え二度と名前を呼び合うことができなくなっても。

 

 彼女にとって、彼ら彼女らは家族なのだ。

 これからも、ずっと。


 殺人姫の言葉に安心したのか、白塔梢は少し元気を取り戻し、明るく車に乗り込んだ。

 そして、車のキーを捻りエンジンをかける。


 白塔梢だけを乗せた車は、その直後爆発した。

 大量の炎を巻き上げながら。


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