第0話 プロローグ
雪がしんしんと降る、真夜中の公園。白雪冬人は街灯の下にあるベンチに座り、落ちていく雪を目で追った。かれこれ、もう二時間は経っている。
冬人はつい先日の六歳の誕生日、日帰り旅行に連れて行ってもらった帰りに交通事故で両親を失った。一命をとりとめた妹は植物状態で寝たきりになっている。すでに祖父母は他界しているので、妹と二人きりの孤児になってしまった。
両親に会いたい。妹と遊びたい。もう一度、いつもの日常が戻ってくるなら、何だってする。しかし現実は非常で、その日常は戻ってこない。
物音ひとつしない真夜中の公園で雪を眺めてみたが、心の穴は埋まりそうになかった。
「君、こんな夜中に何してるの?」
興味津々という感じで声をかけてきたのは、制服姿の女性だった。真っ赤なマフラーに顔をうずめ、大きい目をキラキラさせている。
冬人はわざとらしく鼻を鳴らすと、質問に答えず落ちていく雪に視線を戻す。今は誰に注意されても家に帰る気がなかった。
無視をされたのになぜか嬉しそうな彼女は、スカートが濡れるのを全く気にせず、冬人の隣に腰を下ろした。長い髪を人差し指でくるくる巻きながら、何かを考えている。しばらくの沈黙の後、彼女は不意に言葉を発した。
「もしかして、恋のお悩み?」
「違うよ」
しまった、と思ったときはもう遅かった。何があっても会話しないつもりだったのに、見当はずれなことを言われ、つい答えてしまった。彼女はしたり顔で白い歯を見せる。
冬人は一つ大きいため息をついてから、観念して口を開いた。
「ちょっと前に事故にあったんだ。お父さんとお母さんは死んじゃって、妹は病院で寝たきり」
「そっか……」
彼女の表情から笑みが消え、顔がマフラーに沈んでいった。小さい声で「ごめんね」と言われたような気がしたが、冷たい夜の風がかき消す。
視線をちらりと隣に移すと、彼女は指で髪の毛をくるくる巻いていた。恐らく、考え事をするときの癖なのだろう。
雰囲気を悪くしたことに少し罪悪感を感じた冬人は、こめかみを搔いた。
「お姉さんはこんな夜中に何してるの?」
彼女はピクッと肩を揺らし、顔を上げる。その表情には笑顔が戻っていた。冬人の方から声をかけてくれたことが相当嬉しかったらしい。
彼女は満足げに腕を上に挙げて伸びをして、「ちょっと雪の夜を歩くのも悪くないなと思ってね。私、雪好きなの」と言った。
冬人は子供ながらに何か隠しているのではないかと感じていたが、それ以上の詮索は避けた。
すっかり陽気な女性に戻った彼女は、再び冬人に尋ねる。
「君はいくつ? 見た目より少し大人びた感じするけど」
「6歳だよ。この前、誕生日だったんだ」
「うそっ、信じられない。しっかりしてるんだね」
彼女は背筋を伸ばしながら、「私の方が年上かー」と小さく呟いた。そんなの見ればわかるじゃないかと冬人は心の中でツッコみながら、膝に積もった雪を払う。
彼女も倣って膝の雪を払いながら、さらに続けた。
「それじゃあ、君は……。なんか君って呼ぶのも他人行儀だね。名前聞いてもいい?」
「冬人だよ。白雪冬人」
「すごい綺麗な名前だね。今日にピッタリじゃん」
彼女は目を輝かせた。お世辞ではなく本心で冬人の名前を気に入ってくれたらしい。冬人も自分の名前は昔から好きだったので、得意げな表情になった。
彼女が質問を再開しようとしたとき、携帯電話が鳴り響いた。彼女は「バレちゃったか……」と苦笑いし、ベンチを少し離れてから電話に出る。
冬人は公園の端にある錆びれた時計塔に目を向けた。時計の針は十一時を指している。唐突に訪れた彼女との会話は短くも意外と楽しく、心にぽっかり空いた穴を少しの間、忘れさせてくれた。誰もいない公園に降り積もる雪をただ眺めるより、ずっと良い気分転換だったなと冬人は思う。
彼女は電話を終えて帰ってくると、両手を合わせながら「ごめんっ」と言った。
「私が家を抜け出したのバレちゃった。すぐに帰らなきゃ」
「そっか。僕も少し気分が晴れたし帰ることにするよ。ありがとね、お姉さん」
まさかお礼を言われるとは思っていなかったのか、彼女は目を丸くする。
「少しでも力になれたならよかった。私も可愛い弟ができたみたいで楽しかったよ」
彼女はそう言った途端、何かを閃いたように「そうだ」と手を叩いた。そして、慣れた手つきで首からマフラーを取り始める。無造作にマフラーをベンチに置くと、首に掛けられていたペンダントを外した。
「これ、あげるよ」
冬人は差しだされたペンダントを受け取った。銀色で光沢のある、いかにも高級品だ。先には雪の結晶がキラキラと光っている。よく見ると雪の結晶の真ん中に、赤く輝く小さい宝石が付いていた。
「こんなの受け取れないよ」
冬人は正面に立つ彼女を見上げた。
「子供は遠慮なんかしなくていいの。それに雪の結晶、冬人君の名前にピッタリじゃん。冬人君の方が絶対に合うって」
「でも……」
煮え切らない態度をとる冬人をしり目に、彼女は再びマフラーを巻いた。本当にペンダントを冬人にあげて帰るつもりなのだろう。
冬人は意を決して、口を開いた。
「分かった、このペンダント大事にするね。その代わりに、僕もお姉さんに何かあげるよ」
「え?」
冬人は自分でそう言いながら、あげるようなもを何も持っていないことを自覚していた。それでも、もらっただけでは気が済まない性格なのだ。
彼女は「本当に?」と呟くと、マフラーに顔をうずめた。長い髪を指でくるくる回しながら、暗い夜空に視線を移す。しばらくの間、彼女は全く動かなかった。今まで話していた陽気な女性とはまるで別人のようだと、冬人は感じた。
「それじゃあ……」彼女は悲壮な面持ちで、囁くように訊いた。
「最後に一つだけ質問していい?」
「そんなことでいいの?」
「うん。私にとっては大事なことだから」
冬人は息を呑む。彼女にとって大事なこと、か。どんなことを聞かれても、心の底から思ったことを真摯に返答しようと決心した。
彼女は前髪を少し直してから中腰になり、ベンチに座る冬人の視線に合わせる。そして、桜色の唇を震わせた。
「大切な人の心臓を動かすためなら、他人の心臓を握りつぶせる?」
「もちろん」
冬人は強く、頷いた。
ありがとうございました。