第95話 魂とは
ふぅ!
魂とは、命ある全ての物が生まれ持っているものであり、精神そのものを指す。死という過程を経た魂は揺れ動き、次なる生命に宿る。
「......揺れる、魂?」
皇帝から借りた書物の序項に、そう記されていた。
魂の概念を精神に位置付け、曖昧な表現から紡がれる命の在り方を語る文章。
余の知る魂とは、命と同義だと思っていた。
しかし、この書物の言う精神を魂として考えに置き換えねば、先を読むに当たって満足のいく結果は得られないであろう。
「夢とは......」
夢とは、眠った時に魂が見せる、欲望の光景。
肉体が深く眠る程、その魂が求める欲も深くなり、醒めぬ夢を見続ける。時に夢は運命を変え、自らの行く道の指標にもなる。
「醒める直前の夢は無いのか?」
覚醒に前兆は無い。『気が付くと醒めていた』のが夢であり、精神である魂が見せる夢は、肉体で思い出すことは出来ない。
しかし稀に、夢を覚えていることがある。
「ぼんやりとした夢......朧気な、霞がかった......夢」
明晰夢という、夢を夢として自覚することで、肉体の求める欲望を映し出す夢がある。
夢の中で起こせる事象に再現は無く、まるで己が神になったような感覚さえ抱かせる。
しかし夢とは醒めるものであり、覚醒後に自らの起こした明晰夢は覚えていられない。
「無い、無いのか! ガイアの見る、夢の正体は!!」
怒り、焦り、悲しみ、無力感。
無数の色を与える感情が、全て淡い色のようだ。
「余は最強のドラゴンだ。出来ない事など無い」
そう......言ったところで......己の器では──
「はっ、役に立たぬ書物め」
適当に頁を捲ると、夢の世界の話が記されていた。
夢で描いた世界は理想の世界だ。しかし、現実を知っているが故に理想の世界は作れない。
理想とは現実の延長線であり、現実とは理想の延長線上ではない。
現実から理想へは一方通行なのだ。
理想は過去を見ず、現実は未来を見る。
その2つの違いを理解して見る夢は、きっと理想の世界ではなく、ただその者が作り上げた世界である。
理想は現実を知らぬ者しか見れない贅沢品だ。
地に足を付けて歩む者には、理想という名の未来を夢見て、歩き続けるのみ。
「くだらぬ考えじゃ。ガイアは常に理想と現実の両方を見ておる。貴様のような低次元の思考では理解出来ない、神の如く存在じゃからの」
余は神を信じない。
しかし神の存在は知っておる。
余は神の言葉を信じない。
他者に飲まれる生に、何の価値も無いのだから。
余は神を信じておる。
最愛のあの人だけは、全幅の信頼を置いておる。
余は神の言葉を信じておる。
彼は他者ではない。余の一部にもなり得る存在故、彼の言葉は余の全てなのだ。
「夢? ハッ、ガイアの理想はミリアとの生活じゃ。そこに余はおらず、この名を口に出されることも無い。ガイアの欲望は並の器では耐えられぬ。じゃから余が受け止めるのじゃ。ガイアの新たな妻として」
運命? 知らぬ。貴様の道は、とうに終わっている。
龍に道など必要無いからの。
地に足を付けることなぞ、翼を広げれば無に帰す。
余は余の求める在り方になる。それだけだ。
「ついでじゃ、夢占いの書物も目を通そう」
単純な興味だ。ガイアに夢の内容を聞き、余とのラブラブ生活を求めている可能性に賭けたい訳では無い。
だって余は、ミリアの次に良い妻なのだから。
1番を狙う心も、2番で在り続ける未来も考えて当たり前。
龍は縛られない。誰よりも強欲で、傲慢な存在だ。
◇ ◇
「戻ったぞ、容態の方は......良くなさそうじゃな」
皇帝に礼として余の鱗を1枚渡し、ガイアの元へ帰ってきた。
部屋に入るなり、まず目に入るのは大量の魔力が入ったバケツだ。12杯にも及ぶ空色の液体は、馬車の傍で見たのと同じように、ガイアが吐いたものだろう。
余が傍に居れば、止められたのだろうか......
「大丈夫じゃぞ。情報は得られた。今はゆっくり、休むと良い」
穏やかに寝息を立てるガイアが、今は無性に怖い。
このまま息を引き取ったら......何て考えると、鱗が逆立つ思いだ。
「ご主人様、起きては吐いて、起きては吐いてを繰り返してるんです。とても苦しそうで......もう......」
余の傍で泣き崩れるアンに、どうすればいいと?
アンもガイアに惚れた身じゃが、かける言葉が見付からない。
「今暫くの辛抱じゃ。根拠は無いが......きっと良くなる。初めて見るガイアの弱りきった姿に、少し驚いただけじゃろう? それなら大丈夫じゃ。ガイアなら、すぐに良くなる」
確か、右腕が無い頃のガイアも弱っておったな。
腕があると認識して動かしても、現実が違うせいで強烈な痛みを伴うと。
......現実と理想の相違?
「今のガイアの状態は......何か......」
あ〜気持ち悪い! 喉の奥で何かがつっかえておる!
もう答えが出そうなのに、何故じゃ!!
「エミィ、難しい顔してるぞ。ちょっと来い」
もどかしい気持ちで言葉を漁るが、目覚めたガイアに中断されてしまった。
顔色は多少マシになったものの、まだ無理をしていそうじゃ。負担は掛けたくない。
「余の心配より自分の身を心配せぬか!」
「いいからいいから。早くおいで」
「う、うん......」
断れぬ。ガイアに誘われば断れぬのじゃ!
どうしてもあの手で触れられたくて、甘言蜜語に酔いしれたい。茹だるような夜も、静かな朝も共に居たい。
独り占めもしたいし共有もしたい。
我儘を言いたいし、逆に言われたい。
余はガイアのことになると、我慢が出来ない。
ガイアは余をベッドに座らせると、体を起こした。
「無理はダメじゃ!」
「大丈夫だ。何も考えなければ、頭痛も吐き気もしない」
ガイアは何かを悟ったように言った。
「何も考えなければ、とは......」
そんな......未来を考えられないなんて。
まるで、ガイアが夢を見ているようではないか。
◇ ◆ ◇
「そんな悲しそうな顔をするな。俺が悲しくなる」
ミリアやゼルキア達の事を考えなければ頭痛は無い。
俺の生きがいを消せば、いつも通りに旅が出来る。
こうしてエメリアを抱き締めることも、頭を撫でることだって出来るんだ。
俺がおかしくなった決定的な要因は分からない。
だが対応策で相殺可能なので、現状は『考えない』という選択肢しかないのだ。
不安だ。こうなってしまった自分にも腹が立つ程に。
「少し、散歩に行こう。街を見たい」
「もう夕方じゃぞ?」
「夜遊びって感じがして、ワクワクしないか?」
「夜遊び......ふふ、そうじゃな。では行こうか」
ベッドから立ち上がった俺は、バケツに入った大量の魔力を霧散させることで処理した。
汗でベタついた服を変え、エメリアと共に街へ繰り出す。
「おぉ〜、夕陽のせいで更に真っ赤だな」
「何か食べたい物などは無いか?」
「ん〜、ミ......無いな。晩ご飯まで我慢だ」
「ミ? ミートボールかの?」
「いやいや、大丈夫だから。ほら、行こう」
あ、危なかった〜!
あと少しで頭痛エンドに入る所だったぜ!
心の奥底から食べたい物も言えないなんて、この世界はクソすぎる!
神が居るならぶん殴りたい気分だ!
「へ〜、あっちに温泉あるんだって。行ってみよう」
「温泉? 何じゃ? それは」
「簡単に言えば、お風呂だ。地下で自然に生成されたお湯が、地表にまで出てる......みたいな? あと、肩凝り解消とか冷え性に効いたり、色々な効能がある」
「ほう。では行......ん? ガイアと......お風呂?」
あ、確かにこの流れは混浴コースか。
まぁ今のエメリアなら俺の身を案じて、襲いかかるようなマネはしないだろ。
「背中流してやるよ。翼も入念に、な」
「よ、よいのか!? 余がお主を襲う可能性だってあるのじゃぞ!?」
「エミィを信じてるから誘ってるんだよ。嫌ならいいぞ? 俺は1人で入るから。頭痛改善の効能とかあるかもしれないし」
それっぽい理由を並べたが、2人で入れないなら帰るつもりだ。今は傍に誰かが居ないと不安で仕方ないからな。
片時も離れて欲しくないんだ。
ヒビキには迷惑を掛けたくないし、セナは発情期だから襲われる可能性が高い。アンさんとレヴィはまだ完全に信頼してる訳じゃないし......
「......嬉しいものじゃな。信用から信頼に変わり、常に近くに居て欲しいと思われるのは」
「俺は恥ずかしいけどな。わざわざ口に出されると痛いヤツとしか見えないから」
「よいではないか。気持ちを正直に伝えられるのは素晴らしいことじゃ。嘘偽りの無いお主の言葉じゃから、余の胸に強く響く」
「それで大きくなったらいいのにな。おっぱい」
「殴るぞ?」
「ごめん」
ガイア君ジョークはお気に召さなかったようだ。
それから適当な話で盛り上がり、ルンルン気分で温泉宿に着いた。事前にヒビキの方から外に出ることを伝えてもらい、今は完全にエメリアと2人っきりだ。
気恥ずかしくもあるが、とても居心地が良い。
チェックインを済ませると、俺達はすぐに温泉へと向かった。
部屋にも通されている温泉は後でも入れるので、まずは街の中にある温泉から入ろうって魂胆だ。
「にしても帝国が温泉街とはなぁ......」
「有名ではなかったのか?」
「分からん。俺が知ろうとしていなかっただけなのか、本当に知られていなかったのか。お、『翠の泉』だってよ。行こうぜ」
適当に視界に入った温泉へ二人で入ると、運の良いことに混浴可能の立て札がかけられていた。
「じゃ、また数分後」
「う、うむ。幸いなことに他の客も居ないようじゃ」
「温泉は他の客が居てこその楽しみ方もあるが、今回ばかりはな。二人で楽しもう」
そう言えばエメリアは初めての温泉だったな。
同じ湯船に浸かり、世間話をする楽しさをこれから知れるとは、長い時を生きてると言えど、楽しみは尽きなさそうだ。
「凄いな。まさかこの世界でも温泉に入れるとは」
地球でも、古代ローマ時代から温泉に入る文化はあったし、逆に無い方が変な気もするが、こちらの世界でも同様の文化があって嬉しい限りだ。
先に頭と体を洗っていると、ペタペタと可愛い足音が聞こえてきた。
「し、失礼するぞ......」
「ガチッガチだな。温泉なんだし、リラックスして」
動作がカクカクしているエメリアが横に座るが、関節が接着剤で固められたように動かず、上手くシャワーの魔道具に魔力を込められていない。
そういや魔道具って、誰が作ってるんだろ。
「お、落ち着けぬわ! 裸のお主が隣に居るのじゃぞ!? 余は、もう......!」
「仕方ないなぁ。目ェ閉じてな。セナに褒められまくった撫でスキルで頭洗うから」
「うぅぅ......」
小さく唸るエメリアが何とも可愛い。
俺は事前に魔王領で購入していた石鹸を手に取ると、エメリアの艶のある黒い髪を洗い始めた。
まだ中央大陸では石鹸が安定して生産されていない為、和平交渉でもこの話題はキーとなっていた。
各々の領民の健康維持に必要不可欠だし、あの人達は良い判断をしたと思う。
「ほれほれ〜、どうだ〜? 気持ちいいか〜?」
「うぁぁぁぁ〜」
「痒い所はございませんか〜?」
「んなぁぁぁぁい」
「では流しますね〜」
っとここで俺はシャワーを作らず、自前の魔法で作ってお湯をエメリアの頭上から落とした。
バジャーっと良い音で流れる泡だが、流石に1回だけじゃ落とし切ることは出来なかった。
諦めてシャワーに手を伸ばすと、エメリアが「ひゃうっ!」と声を上げた。
「どうした? 大丈夫か?」
「い、今! 余の体に触れた......か?」
「あぁごめん。シャワーまで意外と距離あったからさ。体当たった」
「ビックリしたのじゃ......ふふ」
「嬉しそうだなぁ。もっと触ってやろうか? ん?」
エメリアの首や背中、脚を触ると、これまた可愛い声で反応するので、俺はつい楽しくなってやりすぎた。
気付いた頃には荒い息を吐くエメリア。
紅潮した頬とトロンとした瞳が俺の理性に牙を剥く。
「はぁ、はぁ......ガイアぁ......ずるいのじゃぁ」
「ごめんなさい。やりすぎたと思います。でも石鹸は落としましたし、許しては......」
「あげないのじゃ」
その後、やり返しと言わんばかりに触れ合い勝負が続いたのだった。
大分終盤に近付いてるので、頑張りたいです。




