第94話 薔薇の国
サブタイトルは『泡沫の命と魔法の世界』で固定します。
「ご主人様、到着しました。ティモー帝国です」
魂が抜けたように馬車で揺られていると、翌日の朝にティモー帝国の領地へと入った。
アンさんは夕飯の休憩時以外、ずっと御者をしてくれていた。
何かお礼を言おうとするも、上手く言葉が出てこない。
「......む、着いたのか? ふわぁぁあ」
「王様、寝なくても大丈夫〜?」
「お主、寝てないのか?」
目の焦点が定まらない自分に腹を立てていると、レヴィの心配の声を聞いたエメリアが俺の膝に乗って目を合わせてきた。
そのお陰で何とか焦点が合うと、俺は小さく頷いた。
「はぁ......心配じゃ。アンよ、宿に馬車を停めたら、ガイアを診てやってくれぬか? 余は情報を集めてくる故、ガイアを任せたい」
「承知しました」
「ガイア、よいな? アンの傍を離れるでないぞ。今のお主は壊れておる。何がどうとは言えぬが、とにかく壊れておるのだ」
「......うん、知ってる」
「ならよい。念の為スタシアにも近くに居てもらおう。ヒビキとセナも、主を守る為に命を賭すのじゃ」
「元よりそのつもりで御座います」
『ご主人様はセナが守るよ〜!』
温かいな、皆。ポカポカして癒されるよ。
何が起因して俺がおかしくなったのか分からないが、この場合『何が起こした』より、『何が起きるか』の方が重要だ。
頭は回る。物事の判断は出来る。体も動く。
なのに何故、夢を思い出そうとすると不安感と共に体が動かなくなるのか。
まるで思い出したくないみたいに、体が拒絶する。
「ぼんやりした夢が原因、かもな」
「夢じゃな。分かったのじゃ」
それから数時間が経ち、目的地である帝都に着いた。
馬車の窓から見える街並みは紅く、薔薇の街と言っても過言では無い風景が続いている。
どこの街も変わらない、客寄せの声。
怒号とも聞こえる呼び声も、情熱の象徴である紅いこの街だとどこか落ち着く。
舗装された道は揺れが小さく、ただ景色を眺めていることに集中した。
「着いたぞ、ガイア。目を覚ますのじゃ」
「あ、あぁ。ありがとう」
「とまぁ、声をかければ気が付く。ガイアの邪魔にならない程度に、定期的に声をかけてやってくれ」
「分かったわ。エメリアも頑張ってね」
すぐにボーッとしてしまう俺への対策として、声をかけてくれるようだ。
エメリアやヒビキならまだしも、ゼルキアを追──
「うっ!!! 痛い......!!」
何の前触れも無く、激しい頭痛が俺を襲う。
「どうしたのじゃ!?......違う。ガイア〜? 落ち着くのじゃ〜。余が傍に居るからの〜。ほれ、ギューっとするのじゃ〜?」
エメリアに優しく抱き締められると、徐々に痛みが引いていく。
ガンガンと打ち付けるような痛みの残響が視界を揺らし、今度は猛烈な吐き気が込み上げてきた。
「ちょ......退いて!」
俺は大急ぎで馬車から出ると、すぐ近くで胃の中の物を全て吐き出した。
一頻り出し終えた頃には、エメリアが背中を摩ってくれていた。
「大丈夫......かの?」
「はぁ、はぁ......多分。ちょっと、もう......寝たい」
「うむ。宿はアンが取ってくれておる。一緒に行くのじゃ」
虚ろな視界で地面を見ると、どうやら俺は胃の中の物だけでなく、自分の魔力をも吐き出していたらしい。
馬車を停めるだけの為に用意された、茶色い土しかないこの場所で、俺の足元だけ花が咲いているので間違いない。
でも、どうして魔力なんか............
エメリアに肩を貸してもらい、ベッドに寝転んだ。
吐いた後だというのにエメリアは躊躇いも無くキスをし、原因を探ると言って出て行った。
「ご主人様は、夢を見られるお方ですか?」
石の天井を見詰めていると、俺の額に濡らした布を置いてくれたアンさんが聞いてきた。
「どっちの......意味で?」
「将来の夢です」
「......見るよ。ミリアと一緒に、精霊樹の森で暮らすんだ......穏やかに、ゆったり、絵本の1ページのような暮らしを......」
「お2人だけで、ですか?」
「いや? そこには安倍く──」
記憶に無い誰かの話をしようとした瞬間、俺は近くにあったバケツに嘔吐した。
「ご主人様!?」
「はぁ......はぁ......」
バケツの半分ぐらいまで魔力を溜めると、再度ベッドに寝転び直した。
何故俺は、記憶に無い誰かを知っている?
まるで家族のように長い付き合いで接したような、そんな温かさすら感じる。
俺は今、誰の話をしようとしたんだ......?
「申し訳ありません。私のせいで......」
「いや、大丈夫。俺の......せいだから」
深く頭を下げるアンさんの髪を撫でると、その綺麗な瞳を見せてくれた。
が、どこか視線は俺以外の所へ向いていた。
そして6つの瞳が俺の目を射抜くと口を開いた。
「想いの剣、【精剣】を作ったよ」
「......え?」
し、信じられない。何故アンさんが、俺の......
「俺の、剣を......?」
「? ご主人様!? 大丈夫ですか!?」
まただ。自分で発しておきながら、俺の言葉を忘れている。
一体何が起きてるんだ?
これから進むはずの足が、全く動かない。
千里の道も一歩から。その一歩を進めるのに何時間もかけるような、絶望感。
意識と体が別々に動く感覚に酔い始めると、俺はスっと意識を手放した。
◇ ◆ ◇
ガイアが意識を失った頃、エメリアは帝国の真ん中にそびえ立つ、巨大な城へと足を運んでいた。
「よ、よぉ。よく来てくれたな、エメリア」
一度戦った仲なので気安く城に招き入れた皇帝、バン・ティモーは、エメリアの放つ威圧感に圧倒されていた。
形式上謁見の間を使って顔を合わせているが、互いの放つ雰囲気だけを感じ取れば、立場が逆転している。
「帝の書斎はどこにある?」
「書斎? 何をしに来たんだ?」
「黙れ。何も聞かず、案内せよ。さもなくば首を落とす」
「ま、待て待て待て! 俺、アンタを怒らせるようなことをしたか!?」
「今の余は焦っておる。皇帝の存在など気にも留めない程にな。欲しいのは情報じゃ。早う案内せい」
ただでさえ紅いカーペットを鮮血で染めようとするエメリア。
バンは黙って立ち上がると、着いて来るように指を振り、エメリアを連れて謁見の間を出た。
長い長い通路を歩きながら、バンは思考する。
(絶対、ガイアに何かあった......)
エメリアと試合とも呼べぬ戦いをした時、彼女はずっとガイアの心配をしていた。
彼女の『ボーッとすることが増えておるからの』と言う言葉を聞き、会議中の発言からは想像も出来ないガイアの姿をイメージしたバンは、エメリアの言う姿が信じられないで居たのだ。
あの場で、あれ程までに強気な発言をする少年がボーッとするとは思えない。
それ故に、エメリアの異常はガイアの異常だと半ば本能的に気付いたバンは、黙って書斎へ案内したのだ。
「この中に、夢に関する書物は幾らある?」
「......夢? 確か、2冊ある。1つは若い女が書いた、『夢占い』という本だ。もう1つは......なんだったか......あぁ、そうだ。『夢と魂の関連性』とかいう、奇抜な内容のものだ」
「魂じゃと!? 今すぐにその書物を出せ!」
「わ、分かった。分かったから落ち着いてくれ」
殺気立つエメリアは深呼吸すると、先程までの雰囲気が嘘のように落ち着いたものへと変わっていった。
正しくドラゴンが攻めてきたような緊迫感は、こうも容易く引っ込められるのかと、バンの内心は嵐のように変動していた。
「これだ。読んだらすぐに出て行ってくれ」
「無論じゃ。一刻も早くガイアを救わねばならぬ」
「......手伝えることがあったら言え。じゃあな」
予想が当たっていたと安堵するバン。
書斎の扉を閉め、廊下の壁に背中を預けると、そのままズルズルと床に座った。
「......い、一体何が起きたって言うんだ。あの男が死ねば、人間を滅ぼすつもりなのか......?」




