第53話 夫婦喧嘩?
にゃ!
「あ〜うん、はいはい。また怒られるヤツだ」
現在の時刻は......午前1時。
今から寮に戻ったところで、ギッタンギッタンのメッタンメッタンに怒られるだけだ。
ミリアに関しては外泊届を出してるだろうが......俺は無断だ。
「あ、手が治ってる」
『ミリア様が半泣きで魔法を使っていましたよ』
「......だよな」
俺のシャツに着いていた血の跡も、腹を刺した時に出来た傷も、全てが綺麗に修復されていた。
薬屋の爺ちゃんが見たら、ひっくり返るレベルの精度の治癒魔法だ。
ミリアの魔法の技術の高さ......尊敬する。
「最近の俺、心が弱すぎる」
『人間ですからね。周りを頼ることが出来るのもまた、人間ですよ』
「半分人間半分化け物の俺からすれば、ミリア以外に頼ることは恐怖でしかない」
『ですが、ミリア様1人に負担を掛けることも出来ない』
「あぁ。でももう1人、甘えさせてくれる人が増えた......のかな?」
俺の左隣で眠っている、狐の耳と尻尾を生やし、世界で3人しかいない《幻級》の冒険者。
戦闘に於ける天賦の才を持ち、弛まぬ努力で磨き上げられた技術は、他の追随を許さぬ高みに至っている。
俺の永い時をかけて磨いた技術とは違う、鮮やかな輝きを持つ女の子。
それがツバキさんだ。
「ツバキさん、ありがとうございます」
「ん......んぅ」
俺の服の裾を掴みながら寝るツバキさん。
そっと頭を撫でてあげると、満足気な笑みを浮かべながら寝息を立てた。
そしてミリアに視線を戻すと、月の光を反射し、赤い瞳が輝いていた。
「おはよう......ガイア」
「おはようミリア。もう少し寝てな」
「うん......」
絹のように白く、サラサラと流れる髪を撫ぜる。
触れた側も、触れられた側も気持ちの良いスキンシップで、ミリアは再び眠りについた。
『こうしてガイア様を見ていると、何故だか王の気質を感じますね』
「王はやめてくれ。人を纏めるのは嫌いだ」
精霊樹の森で言われる分には構わないが、人里で言われるのは拒否反応が出る。
「さて、俺ももう一眠りするわ。明日......ってか今日か、合宿形式の実力テストは」
『はい。おやすみなさい』
「おう、おやすみ」
最後にヒビキに挨拶をし、俺は布団を掛け直した。
こうしてミリアと寝るのも久しぶりな気がする。
俺は、小さく寝息をミリアの左手を取り、指を絡めたまま眠りについた。
◇ ◇
「──ふふっ」
朝、ミリアのいたずらっぽい笑い声で目を覚ました。
沢山寝たからか、普段よりも軽くなった瞼を開くと、視界いっぱいにミリアの顔が。
「おはよう、ガイア」
「おはよう」
指を絡めたままの手で頬を撫でたミリアは、俺を抱き寄せるようにして唇を重ねた。
これは......アレか。『おはようのキス』というヤツか。
寝起きから甘いミリアの空気を沢山吸い込み、脳が一気に覚醒していく。
「朝から熱い。もう夏?」
ミリアと2人で笑い合っていると、俺の背後から嫌味らしい声が聞こえた。
「あら、起きてたのね。女狐さん?」
「ミリアが『落とせるものなら落としてみろ』って言った。だから落とした」
「ガイアはまだ落ちてないわよ?」
「ううん、落ちた。私の魅力にデレデレしてる」
わお、修羅場。
今の空気をゼルキアにも味わって欲しいな。
お前が歩むべき未来は、こんな姿じゃないと......
「集合時間、確か8時に運動場だよな?」
「ん? あぁ、学園の。そうよ」
「今の時刻、7時半だが」
防犯上、壁に埋め込まれている時計が差している時刻を告げると、ミリアは直ぐにベッドから起き上がった。
俺に見られることを少し恥ずかしがりながらも着替えたミリアは、直ぐに荷物の片付けを始める。
「学生は忙しい。のんびり出来ない」
「そう言えば、ツバキさんは学園に入ってたんですか?」
「ううん。読み書きが出来てたから、ずっと修行」
「そうなんですね。ちなみに、どんな内よ「ガイアも早く用意しなさい!」......はい」
修行という言葉に興味を持ったら怒られてしまった。
また今度、ツバキさんのルーティーンや修行法などを聞いて、自分にも組み込めるか考えるか。
そうして、じ〜っとツバキさんに視線を向けられながら用意を終えた。
「ツバキはお子様ね。ガイアの裸に興奮したの?」
「うん。した」
「......チッ」
「そういうミリアも興奮してるはず」
「当たり前じゃない。好きな人の裸で興奮しないなんて、人間としてヤバいわよ」
待て、この人達ナチュラルに猥談をしそうなんだが。
そういう話をするのは勝手だが、題材となる俺が近くに居る時に始めるのは勘弁してもらいたい。
「ほら、行くわよガイア」
「あ、あぁ」
「ばいばい、ガイア」
「はい。また今度」
ツバキさんを部屋に残す形で手を引かれた俺は、ミリアの後ろを着いて行った。
そして部屋を出て直ぐに立ち止まったミリアは、振り返ることなく、呟くように言葉を残した。
「ツバキ......昨日の話、本気ならもう一度私の所に来なさい」
「分かった」
「じゃあね。元気で」
「行ってらっしゃい」
色々と聞きたい話が生まれたが、それを何とかグッと飲み込んだ俺は、ミリアに手を引かれるがまま王都を歩く。
校門前に着く頃には、俺の右手は青白くなっていた。
「ミリア」
「何よ」
「俺が愛しているのはミリアだけだ。それはこれまでも、これからも変わらない」
「じゃあどうして──!」
冷たくなった俺の手に気付いたミリアは、パッと手を離した。
止まっていた血が一気に流れ出し、俺の手の色は徐々に肌色へと色を取り戻した。
「怒らせてごめん。悪いのは俺だ」
「いいえ、ツバキが悪いわ」
「違う。俺を恐れたツバキさんが戻って来るのは悪いことじゃない。悪いのは、戻って来たツバキさんに甘えた俺だ」
意地でもツバキさんを悪く言うミリアを止めた。
別にツバキさんの印象を上げようとした訳じゃない。
総合的に見て、8割方俺が悪いと思ったから止めたんだ。
「......優しすぎるのよ、ばか」
まぁ、ツバキさんが積極的すぎるのも悪いがな。
前々からミリアが好きだと伝えているし、見ていても分かっているはずなのに、どうしてなのか。
人間はよく分からない。だから、知りたくなる。
「お、朝から夫婦喧嘩かい?」
「ゼルキア......どうして外に?」
「道具の買い忘れでね。あ、レイさん怒ってたよ」
「デスヨネー」
後ろから現れたゼルキアの手には、サバイバル用の万能ナイフが鞘に納められていた。
「それよりも大丈夫? 何かあったみたいだけど」
「ツバキがガイアに惚れたのよ。それも、どっぷりと」
「え......?」
カラン、とナイフが落ちた。
「ガイアから逃げた癖に、よくものうのうと戻って来たわね。腹立たしい。あんな奴にガイアと生きる権利は与えられないわ」
ゼルキア、フリーズ。俺としても心が痛い。
あんなにも凄い人なのに、目の前でボロクソに言われてしまえば俺も悲しい。
「が、ガイアは何て答えたの?」
「ミリア次第って言ったぞ。俺は生涯、ミリアしか妻として見れないから、アクションを起こしたいならミリアに聞け、ってな」
「そしたらあの女狐、私のガイアを誘惑したのよ?」
誘惑言うな! 甘やかしたんだと言いなさいッ!!!
「でもいいの。いつか私もボインボインになって、ガイアのことを甘やかせる存在になるもの。だから......今だけは許すわ」
「え? 許すの!? 妻公認!?」
「仕方ないでしょ? ツバキがようやく男に目を向けたんだから。険しい道だと思うけど、少しくらいは許すわよ」
「じゃ、じゃあガイアは? ツバキさんをどうするの?」
「どうするって言われてもなぁ......」
俺の中ではミリアしか横に居ないし、ツバキさんが俺達に着いて来れるとも思ってない。
ミリアが言うように、険しすぎる道だと思う。
俺からはツバキさんに手を出さない。
手助けをすることも、邪魔することもしない。
甘えていい存在になったとしても、傍に居て欲しい存在じゃないからだ。
だから、俺からは何もしない。
「何もしない。変えられるのはツバキさんかゼルキアだけだ」
まだ変えられる。
ゼルキアの行動次第でツバキさんはもっと幸せになれるんだ。
「ちょっと待って。ガイアはミリアに聞けって言って、それでツバキさんが誘惑したんだよね?」
「そうだな」
「それさ......ミリアが、ツバキに対して『誘惑していい』って言ったということになるんだけど」
「......確か、自由にしていいってミリアは言ったんだよな?」
ツバキさん本人が言ってたな。
ということはもしかして、ミリアは自縄自縛してたのか?
自縄自縛......ダメだ、想像するな。ボクノココロハキレイダ。
「うっ、でも!」
「はぁ......君さぁ、人間は欲まみれの生き物だって、前世でも散々言ってなかったっけ? そんな人がどうして、ガイアの首輪を外すようなことをしてるのさ」
「......過ちだと思ってるわよ」
「で、忠犬ガイアは小狐を咥えてやって来たけど、その扱いに困る、と......これ、全部ミリアが悪いじゃん」
「俺も小狐を咥えたの悪いけどな」
「仕方ないじゃん。ガイアの周りは自然と人が寄ってくる。男子には嫌われまくってるけど、女子からは大人気なんだよ?」
「知りたくもない情報をありがとう魔王様」
ゼルキアの言い分も分かる。
俺はミリアを手放さない為にあれやこれやとミリアの気を引いているが、今回に限ってはミリアの選択ミスだった。
そして俺も、よりによってツバキさんを引っ掛けたのが悪い。不幸に不幸が重なった出来事だ。
「その......ガイア」
「はい」
「ごめんなさい......私のせいでツバキを巻き込んで......」
珍しくしゅんとした態度で謝るミリア。
この顔を最後に見たのは、ミリアのミスで手作りの家が灰になった時以来だな。
あの時は安部くんも同じ顔をしていたな。
「いいよ。おいで」
「うん」
こういう時のミリアに何か言ってもダメ。
両手を広げて、そっと抱き締めてあげるのが鉄則だ。
弱々しく抱きついてきたミリアを強く包み込んであげると、自然にミリアの表情が明るくなる。
俺はミリアに、いつまでも笑っていて欲しい。
「2人とも、仲直りしたと思ってるところ悪いけど、肝心のツバキさんはどうするの?」
「「ん〜......追い追い考える」」
「バカップルになりやがって......まぁいいや。諦めた方がいいのかなぁ」
ゼルキアは乾いた笑い声を上げながら、落としたナイフを拾った。
そして俺と顔を合わせると、そっと学園の方に指を指し、もう時間ギリギリであることをジェスチャーで伝えてくれた。
俺はミリアの肩をぽんぽんと叩くと、名残惜しそうに離れた。
「この問題は早く片付けるよ」
「是非そうしてくれ。BSSで僕が死ぬ前にね」
......知ってるよ。
「びぃえすえす?」
「ミリアは知らなくていい。未来はツバキさん次第だね、って言ってるだけだから」
「そうなの?」
甘えるように聞いてくるミリア。その頭を撫でながら答えてあげると、本当に知らないままで居てくれた。
俺もゼルキアと同じ立場なら、苦しい思いをするだろうからなぁ。何としてでもツバキさんに『ゼルキアの方がいい』と言わせないと。
それがツバキさんの幸せになるかは分からないが。
「そろそろ行かないと遅刻だよ?」
「あぁ。行くよ」
流石に時間が迫りすぎているので、俺達は走って校門から運動場へと向かった。
◆ ◆ ◆
『見ぃ付けた。あの方の魔力......間違いないわ』
暗く、黒く、闇に染まった実験室の中で、1人の女が妖しく笑う。
大量の書物で狭くなった空間に響く笑い声は、魔女を連想させる。
『クヒヒヒ! 再誕、転生、回生よ! 我らが魔王が復活したわッ!!! あぁ、この時を待っていました......あの日、勇者を前に私達をお守りしてくれたこと......忘れもしません』
100年前、魔王が死んだ。
それは人類史には偉業として描かれ、魔族史にも偉業として描かれた、1つの出来事。
『このスタシス、空間魔術にて御迎え致します......どうか、お待ちを』
拳大の空色の水晶が付けられた杖を持った女は、長い年月によってボロボロになった木製の扉を静かに開ける。
その所作は貴族のようで、見る者が見れば王家の気品すら感じ取れる。
『ゼルキア様......お慕いしております』
次回、2章完結──!
お楽しみに!




