第29話 暖かい朝
肌寒い朝です。
「ミリア、起きろ。朝だぞ」
「......もう少し寝たい」
「分かった。用意は済ませとくから、寝てな」
「......うん」
入学式の早朝。宿のベッドにサラサラの白髪を広げた、アートとも言える姿でミリアは寝ていた。
昨日はお祝いパーティをレストランで小さく開き、ぜルキアと別れて2人で遊びまくったせいでミリアが疲れてしまったんだ。
特に夜は、俺に抱きつきながら寝るほど自制心が効いてなかった。
「──よし。ミリアの分も準備完了だな。後は着替えるだけか」
ササッと普段着に着替えた俺は、ミリアの隣に女子用の制服を置き、スヤスヤと眠っているミリアの髪を撫ぜた。
「んぅ......」
「可愛い。永遠に見てられる......というか、見ていた。森で暮らしてる時、3日くらい眠りっぱなしの時があったもんな」
懐かしい。グングンと魔法への理解を深める俺に、ミリアが張り切りすぎて魔力を過剰消費した結果、丸3日ほど眠ったんだ。
朝になっても起きないから、俺はミリアが死んだと思ってパニックになりかけていたな。
「絶対に死なせない。守ってやるからな、何度でも」
レガリアの遠い記憶の中。ミリアを守りきれずに死んだ俺が叫んでいる。『強く在れ』『愛する人を守れるほど、強く在れ』と。
「剣を振ってくる。時間までには起こすからな」
俺はあまりやらないが、勇気を振り絞ってミリアの額に唇を付け、部屋を出た。
「おはようガイア君。今日から学園かい?」
「はい、おじさん。ここの宿にも慣れてきたというのに、寂しくなりますね」
「そうだねぇ......あの子のこと、ちゃんと守るんだぞ」
「勿論です。ミリアのことは、命を懸けて守ります」
「うん。騎士らしくてカッコイイよ」
「ミリアだけの騎士ですね。幸せです」
この数日間、お世話になった宿屋の店主に挨拶をした俺は、朝ご飯を食べる前に剣を持って宿を出た。
朝日が昇り切っておらず、藍色の空に星が煌めく早朝の空気を吸い込み、宿から徒歩2分程度の位置にある公園へとやって来た。
「フッ! フッ! フッ! フンッ!!」
10歳が持つにしては重い剣を持ち、両手で振り下ろしを100回、両手で右側から突きを50回、反対を50回。
そして右手で振り下ろしを100回、突きを50回、切り上げを50回、左手も同様に。
これを1セットとし、俺は毎朝2セットをトレーニングとして励んでいた。
「......刀、欲しいな」
2セット目に入った頃、唐突にツバキさんの持つ刀が頭に浮かび、呟いた。
「あげないよ?」
「おはようございます、ツバキさん」
「ん、おはよう」
タオルで汗を拭っていると、頭に浮かんでいた人物が俺を驚かせようと背後からやって来た。
「気付いてた?」
「はい。屋根に乗った時、足音立ててましたよ」
「......耳も良いの?」
「違いますよ。トレーニング中は耳や目などの神経を強化しているので、素の聴力は平凡です」
神経を強化すると、使った筋肉の緊張度、回復度、成長度、限界値など、自身の肉体の状況が細かく分かるので便利だ。
但し、神経という、生物にとってデリケートな部分に触れるというのは、強化しすぎると俺自身を破壊しかねない。
故に肉体の強化と魔力制御の練習として、神経の強化をしている。
「ふ〜ん。ねぇガイア」
「なんですか?」
「膝枕、して。私、今日寝てない」
「どうぞそこのベンチで勝手に寝てください」
俺はそっと無人のベンチに手を差し出すと、ツバキさんは頬をぷく〜っと膨らませた。
「や〜だ〜! 膝枕がいいの〜!」
「はい? いつもの雰囲気はどこに行ったんですか? それに、なんで俺なんですか?」
普段の大人しいイメージから一転、駄々をこねる子どものようなツバキさんに、俺は剣を振る手を止めた。
「......お願い。仲良い人、ガイアしか居ないもん」
「そんなことないでしょうに......はぁ。分かりましたよ。汗臭くても文句言わないでくださいね?」
「うん、ありがと」
一度魔法で水を出し、瞬時に水分を吹き飛ばしてからベンチに座ると、ツバキさんは凄まじい速度で俺の膝を枕にした。
「なんというか、アレですね。ミリアが怒りそうです」
「そう? ガイアなら、もっと凄いことしてるんじゃないの?」
「いえ、全く。一緒に寝たりはしますが、まだあまり深い関係にはなっていません。というのも、ミリアは人間だから......いや、なんでもないです」
「なになに? 続けて」
「嫌です。この話をしたとしても、ツバキさんは理解できないので」
ついうっかりミリアが元は人間じゃないことを明かしかけた。まぁ、俺達の過去を言ったところでツバキさんは理解できないはずだからな。
少しくらいなら語ってもいいが、どこまで話すかの線引きが難しい。
だって俺、ミリアとの距離感ですらまだ掴めていないから。
「うやぁ......耳はだめぇ」
少しミリアについて考えながら、ツバキさんの狐耳を指で触った瞬間、ツバキさんの体がビクビクと震えた。
「あれ? ダメなんですか?」
「ダメ。敏感な部分」
「脇をくすぐる......的な?」
「違う、もっと大事。里で言われたもん。『耳は恋人か家族にしか触らせちゃダメだ』って」
そういうのはもっと早く言ってくれ。目の前にモフモフがあったら、モフるのは礼儀だろ?
「それは失礼しました。すみません」
「ううん、いいの。私はガイアのこと、好きだから」
「......俺にはミリアが居るので無理ですよ」
「そ、そういう好きじゃないもん! もっとこう、ふわふわした『好き』なの!」
「異性ではなく、友達としてってことですか?」
「そう。だから許す」
怖いなぁ。そこまで好かれるような事もしていないし、ツバキさんの心が今のままで居てくれると祈るしかない。
もし、ミリアと同じ座に座ろうとしたら......街が滅びそうだ。
「良いモフモフですね。サティスとはまた違う」
「サティス?」
「俺の妹です。熊の耳が生えた、可愛い妹なんです」
「妹......」
あら? どうしたんだろ。サティスに興味を示したと思ったのに、急に悲しそうな顔をし始めたぞ。
俺のコミュニケーションセンサーが警告を出している。『深く聞くな』と、厄介事になる可能性を孕んでいると教えてくる。
......でも、少しだけなら聞いてもいいかな? ダメか?
「私もね、妹がいるの」
「はい」
「里でも私と張り合うくらい刀の扱いが上手くて、私の自慢の妹なの」
「そうなんですね」
黙って聞くしかないようだ。
「妹......アヤメはね、私と一緒に冒険者になるって言ってくれて、里を出て直ぐはずっと一緒に頑張ってたの。毎日の修行と薬草採取、ゴブリン狩りをね」
この雰囲気.....死別したのかな。
「でも、ある日、アヤメは消えちゃった。冒険者を辞めて、とある職業に就いたの。なんだと思う?」
「え? う〜ん、無難にパン屋さんとか?」
「ううん。暗殺者になったの」
「それは凄いですね。入るお金も多そうです」
俺はレガリア時代、暗殺者として国の上層部を入れ替える仕事をしていた時を思い出してしまい、ついアヤメさんを褒めてしまった。
「......ガイアは妹が暗殺者になったら、喜ぶの?」
「どうでしょうかね。それが人々の為になるなら喜びますが、ただの快楽目的、或いは金銭目的なら止めます」
「同じくらい強いのに、止めれる?」
「止めれますよ。相手が赤の他人なら難しいですが、家族なら簡単です。相手の力を認め、別の道で力を使えるんだと、そう教えればいいんですから」
他人には難しい。でも家族なら、認めてあげることで自身を再認識できるはずだ。
これは予想に過ぎないが、アヤメさんはきっと、メキメキと力と知識を身に付け、技術の向上を怠らないツバキさんに嫉妬した結果、暗殺者になったと思う。
だから、一度アヤメさんと戦い、少し負けに引いたところで認めてやり、そこから勝てば心は揺らぐだろう。
よし、ツバキさんが悩みっぽい話をぶちまけてくれたんだし、俺も少しばかりカミングアウトしよう。
「ツバキさんは、人を殺した手は汚いと思いますか?」
「思う」
「じゃあ言いますけど、俺の手は汚いですよ」
「......そうなの?」
「はい。俺は過去に一度、勇者を殺しました」
「............え?」
正当防衛だけどな。
それでも俺は、あの時、確実に勇者を殺した。
あの優しそうな雰囲気からして、根は悪くない人だったとは思うが、そんなの暗殺者目線で語れば『雰囲気なんぞ関係ない』としか言えない。
人は見かけによらない。それは良い意味でも、悪い意味でも。
「さぁ、そろそろミリアを起こさないと。悩みがあれば、いつでも言ってください。タイミングは合いにくいですが、力になりたいと思ってます。では」
「あっ......」
そっとベンチにツバキさんを降ろした俺は、剣を持ち、宿へと戻る。
暖かい朝には似合わない、血腥い話をしてしまったな。
朝日が街と共に俺の横顔を照らしてくるので、俺は少々の嫌味を込めて言葉を零した。
「過去は消えない。変えれるのは未来だけだ」
ツバキさんがどれほど飲み込めたのか、楽しみですね!




